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第八章
第271話 イリアスとリアーチェ兄妹
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ウサウミウシは匂いを追って移動していたが、それは必ずしも廊下に沿ったものではない。
風の流れの影響か、はたまたそちらの方が近道なのか。
しばらく迷走した後、中庭らしき空間にぴょんぴょんと入っていったウサウミウシは植木に紛れて見えなくなってしまった。
「く、食い物のことになると早いなアイツ……!」
伊織は辺りを見回したが、目立つ色だというのにどの方向を見ても視界に入らない。しかしまだ近くにはいるはずだ。
早足で中庭を横切っているとずらりと並ぶ石像が見えた。
石像の傍らには何本かの手入れされた木が生えている。
その方向から伊織でもわかるほど強い食べ物の匂いがした。もしかして匂いの素はこっちにあるのだろうか、と伊織がそちらへ足を進めたその時。
がさり、と頭上から音がして、女の子が降ってきた。
「……っんんん!?」
ぎょっとした伊織はそれでも咄嗟に女の子をキャッチし、後ろへ引っ繰り返りそうになりながらもその場に踏み止まる。
木の上から何かが降ってきたと気づいた時は「ウサウミウシかも」と思った伊織だったが、予想の何倍も大きなものだったので危うくパニックになるところだった。
しかし一難去ってもキャッチした相手が一体誰で、なぜ木の上にいて落ちてきたのか皆目見当もつかない。
ひとまず助けた女の子を地面に下ろすと、それは切り揃えた黒髪と橙色の目をした十三歳ほどの少女だった。
洋装だがそれを除けばまるで日本人形のお姫様のように見える。
頭には花を模した飾りを付けており、服と合わせて上質なものであることが素人目にも分かった。伊織は彼女が怪我をしていないことを確認しホッとする。
「びっくりした……大丈夫? ぱっと見怪我はないけど舌とか噛んでない?」
「大丈夫。えっと」
女の子は少し考える様子を見せた後、軽く頭を下げた。
「ごめんなさい。兄さまから逃げて隠れてたら枝が折れちゃった」
「逃げて隠れて……かくれんぼ……?」
「兄さま、教えたがりだからうるさくて」
事情はわからないがわりと辛辣なことを言っている気がする。
伊織がそう思っていると、女の子は自らをリアーチェと名乗った。
「リアーチェちゃんはここの子? ひとりで帰れる?」
「わたしは――」
リアーチェが答えかけたその瞬間、中庭の向こうから走ってくる人影が見えた。
金髪の少年だ。サイドヘアーと一つ括りにした毛先のみリアーチェのように切り揃えている。
少年はリアーチェを見つけると眉を吊り上げた。
「リアーチェ! ここにいたか! 折角僕がラピスラズリの加工について教えてやろうとしたのになんで逃げるんだ、宝石好きだろ!?」
「兄さま、説明下手だし押し付けてくるから嫌いなの」
「また照れ隠しか!」
どの辺りが照れ隠しに見えるのか。
伊織は口元を引き攣らせつつも少年を見る。どうやら彼がリアーチェの兄らしい。
――と、顔をよく見た際に違和感を感じた伊織は目を凝らした。相手もようやく伊織の存在を認識し、そして同じ表情をする。
違和感の正体に至る前に少年が口を開いた。
「なんだお前、使用人の子か?」
「え、と」
「まあいい、ほらリアーチェ、こっちに来い」
「わりと本気でイヤ」
もしこれが自分の妹だったら一週間は立ち直れない自信が伊織にはある。
しかし慣れているのか鈍いのか、少年はやれやれといった様子でリアーチェの腕を引いた。それが少し強引に見え、伊織は慌てて声をかける。
「あの、これ本気で嫌がってると思うんですよ。無理強いは良くないと思います」
「ん? 僕に言ったのか?」
「はい」
物怖じしない様子の伊織に少年は不審げな視線を向けた後、口角をこれでもかと上げて笑った。
「お前な、僕が誰かわかってるのか? 下手なことすればお前もお前の家族も首が飛ぶかもしれないんだぞ」
あ、これ王族だ。
雰囲気からそう察した伊織は一瞬躊躇った。
王族の権威にではない。とりあえず自分も王族の血筋らしいが、特異な立場のためここでどう対応するのが正解なのか迷ったためである。
「僕はイリアスだ。名前くらい聞いたことあるだろ?」
(ないです……!)
「ふっふふ、今頃自分のしでかしたことを自覚して声も出せなくなったか。……ところでお前……」
少年、イリアスは再びじいっと伊織の顔を見た。
「――なんか僕に似てないか?」
「……ああ、なるほど」
違和感の正体はこれだ、と伊織は納得した。
要するに顔の作りが似ているのである。
鏡を見ているような気分と、未だに前世の自分の顔の印象が残っているが故の違和感。それが混ざり合っていた。
イリアスは「使用人じゃなくて父様が用意した影武者とかか?」としきりに首を傾げており、伊織が引き続き対応に困っていると――石像の続く道の向こうから、なぜかウサウミウシを抱えたヨルシャミが歩いてきた。
しかも。
しかもである。
ヨルシャミは黒を基調としたマーメイドドレスに着替えていた。
髪も結い上げており、まるでこの王宮に元から住んでいる住人のようだ。
普段は可愛い見た目だが、今は美しいという表現の方が見合う。
伊織がそんなヨルシャミに目が釘付けになっている横で、イリアスもリアーチェの腕を握ったまま同じ顔をしていた。
「イオリ! 探したぞ、ランイヴァルが酷く責任を感じていたから早く戻ってやれ」
「ヨルシャミ、その、なんでここに」
一瞬人違いかと思ったものの、その直後に名前を呼ばれた伊織は安堵し、そのついでに疑問を口にする。
ヨルシャミはふふんと笑った。
「着替えが終わってみればお前がウサウミウシを追っていったと聞いてな、ならば匂いの元に先回りしてやろうとゼフヤに頼んで厨房へ向かったのだ」
「……! ありが……」
「まあ駆けつけた時にはウサウミウシが大量のイモを食べた後だったが」
「間髪入れずにやらかしてる!!」
見失ってからそんなに経っていないというのにウサウミウシには十分な時間だったらしい。
ヨルシャミ曰く、ゼフヤはその後処理で厨房にて指示を飛ばしている真っ最中であり、ヨルシャミはウサウミウシを確保して廊下に出ていた。しかしその時こちらから伊織の声が聞こえたので出向いてきたとのことだ。
フォレストエルフほどではないにせよベルクエルフの耳は人間よりは少し良い。
そのため多少離れていても伊織の声が聞こえたのかもしれなかった。
「さあ、とりあえずゼフヤのところへ戻るぞ。バルドたちはそのまま次の着替えに入ったが、シズカたちはランイヴァルや一部のメイドとお前を探しに出ているのだ。安心させてやれ」
「うん、わかった」
伊織がそう頷いたところで、ずっと黙っていたイリアスが一歩前に出て言った。
「美しい娘だ……」
「む?」
そのままずんずんと前へ進んでいき、リアーチェの腕の代わりに今度はヨルシャミの片手を握る。
そしてイリアスは伊織によく似た顔で笑って言い放った。
「――気に入った! 家柄次第だが、僕の婚約者にしてやろう!」
泣いて喜べ! などと続けて言ったイリアスに伊織とヨルシャミは顔を見合わせ――同時に口元を引き攣らせることになったのだった。
風の流れの影響か、はたまたそちらの方が近道なのか。
しばらく迷走した後、中庭らしき空間にぴょんぴょんと入っていったウサウミウシは植木に紛れて見えなくなってしまった。
「く、食い物のことになると早いなアイツ……!」
伊織は辺りを見回したが、目立つ色だというのにどの方向を見ても視界に入らない。しかしまだ近くにはいるはずだ。
早足で中庭を横切っているとずらりと並ぶ石像が見えた。
石像の傍らには何本かの手入れされた木が生えている。
その方向から伊織でもわかるほど強い食べ物の匂いがした。もしかして匂いの素はこっちにあるのだろうか、と伊織がそちらへ足を進めたその時。
がさり、と頭上から音がして、女の子が降ってきた。
「……っんんん!?」
ぎょっとした伊織はそれでも咄嗟に女の子をキャッチし、後ろへ引っ繰り返りそうになりながらもその場に踏み止まる。
木の上から何かが降ってきたと気づいた時は「ウサウミウシかも」と思った伊織だったが、予想の何倍も大きなものだったので危うくパニックになるところだった。
しかし一難去ってもキャッチした相手が一体誰で、なぜ木の上にいて落ちてきたのか皆目見当もつかない。
ひとまず助けた女の子を地面に下ろすと、それは切り揃えた黒髪と橙色の目をした十三歳ほどの少女だった。
洋装だがそれを除けばまるで日本人形のお姫様のように見える。
頭には花を模した飾りを付けており、服と合わせて上質なものであることが素人目にも分かった。伊織は彼女が怪我をしていないことを確認しホッとする。
「びっくりした……大丈夫? ぱっと見怪我はないけど舌とか噛んでない?」
「大丈夫。えっと」
女の子は少し考える様子を見せた後、軽く頭を下げた。
「ごめんなさい。兄さまから逃げて隠れてたら枝が折れちゃった」
「逃げて隠れて……かくれんぼ……?」
「兄さま、教えたがりだからうるさくて」
事情はわからないがわりと辛辣なことを言っている気がする。
伊織がそう思っていると、女の子は自らをリアーチェと名乗った。
「リアーチェちゃんはここの子? ひとりで帰れる?」
「わたしは――」
リアーチェが答えかけたその瞬間、中庭の向こうから走ってくる人影が見えた。
金髪の少年だ。サイドヘアーと一つ括りにした毛先のみリアーチェのように切り揃えている。
少年はリアーチェを見つけると眉を吊り上げた。
「リアーチェ! ここにいたか! 折角僕がラピスラズリの加工について教えてやろうとしたのになんで逃げるんだ、宝石好きだろ!?」
「兄さま、説明下手だし押し付けてくるから嫌いなの」
「また照れ隠しか!」
どの辺りが照れ隠しに見えるのか。
伊織は口元を引き攣らせつつも少年を見る。どうやら彼がリアーチェの兄らしい。
――と、顔をよく見た際に違和感を感じた伊織は目を凝らした。相手もようやく伊織の存在を認識し、そして同じ表情をする。
違和感の正体に至る前に少年が口を開いた。
「なんだお前、使用人の子か?」
「え、と」
「まあいい、ほらリアーチェ、こっちに来い」
「わりと本気でイヤ」
もしこれが自分の妹だったら一週間は立ち直れない自信が伊織にはある。
しかし慣れているのか鈍いのか、少年はやれやれといった様子でリアーチェの腕を引いた。それが少し強引に見え、伊織は慌てて声をかける。
「あの、これ本気で嫌がってると思うんですよ。無理強いは良くないと思います」
「ん? 僕に言ったのか?」
「はい」
物怖じしない様子の伊織に少年は不審げな視線を向けた後、口角をこれでもかと上げて笑った。
「お前な、僕が誰かわかってるのか? 下手なことすればお前もお前の家族も首が飛ぶかもしれないんだぞ」
あ、これ王族だ。
雰囲気からそう察した伊織は一瞬躊躇った。
王族の権威にではない。とりあえず自分も王族の血筋らしいが、特異な立場のためここでどう対応するのが正解なのか迷ったためである。
「僕はイリアスだ。名前くらい聞いたことあるだろ?」
(ないです……!)
「ふっふふ、今頃自分のしでかしたことを自覚して声も出せなくなったか。……ところでお前……」
少年、イリアスは再びじいっと伊織の顔を見た。
「――なんか僕に似てないか?」
「……ああ、なるほど」
違和感の正体はこれだ、と伊織は納得した。
要するに顔の作りが似ているのである。
鏡を見ているような気分と、未だに前世の自分の顔の印象が残っているが故の違和感。それが混ざり合っていた。
イリアスは「使用人じゃなくて父様が用意した影武者とかか?」としきりに首を傾げており、伊織が引き続き対応に困っていると――石像の続く道の向こうから、なぜかウサウミウシを抱えたヨルシャミが歩いてきた。
しかも。
しかもである。
ヨルシャミは黒を基調としたマーメイドドレスに着替えていた。
髪も結い上げており、まるでこの王宮に元から住んでいる住人のようだ。
普段は可愛い見た目だが、今は美しいという表現の方が見合う。
伊織がそんなヨルシャミに目が釘付けになっている横で、イリアスもリアーチェの腕を握ったまま同じ顔をしていた。
「イオリ! 探したぞ、ランイヴァルが酷く責任を感じていたから早く戻ってやれ」
「ヨルシャミ、その、なんでここに」
一瞬人違いかと思ったものの、その直後に名前を呼ばれた伊織は安堵し、そのついでに疑問を口にする。
ヨルシャミはふふんと笑った。
「着替えが終わってみればお前がウサウミウシを追っていったと聞いてな、ならば匂いの元に先回りしてやろうとゼフヤに頼んで厨房へ向かったのだ」
「……! ありが……」
「まあ駆けつけた時にはウサウミウシが大量のイモを食べた後だったが」
「間髪入れずにやらかしてる!!」
見失ってからそんなに経っていないというのにウサウミウシには十分な時間だったらしい。
ヨルシャミ曰く、ゼフヤはその後処理で厨房にて指示を飛ばしている真っ最中であり、ヨルシャミはウサウミウシを確保して廊下に出ていた。しかしその時こちらから伊織の声が聞こえたので出向いてきたとのことだ。
フォレストエルフほどではないにせよベルクエルフの耳は人間よりは少し良い。
そのため多少離れていても伊織の声が聞こえたのかもしれなかった。
「さあ、とりあえずゼフヤのところへ戻るぞ。バルドたちはそのまま次の着替えに入ったが、シズカたちはランイヴァルや一部のメイドとお前を探しに出ているのだ。安心させてやれ」
「うん、わかった」
伊織がそう頷いたところで、ずっと黙っていたイリアスが一歩前に出て言った。
「美しい娘だ……」
「む?」
そのままずんずんと前へ進んでいき、リアーチェの腕の代わりに今度はヨルシャミの片手を握る。
そしてイリアスは伊織によく似た顔で笑って言い放った。
「――気に入った! 家柄次第だが、僕の婚約者にしてやろう!」
泣いて喜べ! などと続けて言ったイリアスに伊織とヨルシャミは顔を見合わせ――同時に口元を引き攣らせることになったのだった。
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