マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

文字の大きさ
上 下
258 / 276
第七章

第258話 シァシァの代償

しおりを挟む
 この世界には技術を会得し、理解し、相応の実力があれば使用できる通常の魔法とは異なり、血筋に根差した魔法というものが存在している。
 こういった血筋由来の魔法はいくら実力があっても血が繋がっていなければ発動することができない。ヨルシャミの自動予知もこの類である。
 もし似た性質の魔法があったとしても、根本的な部分で別物だ。

 東ドライアドの一部の血筋にもそんな特殊な魔法が伝わっていた。
 それはいわゆる催眠魔法に属するもので、しかし普通の催眠魔法とは異なり、とある方法で誰にも抗えないほどの強制力を持つ効果を引き出せる代物だった。
 相応の対価を支払うことにより力が増すのだ。

 この特性により、催眠や洗脳の類に恐ろしい抵抗力を持つ伊織にも通るようになる。
 本当ならこれを使えばシェミリザによる洗脳も必要なくなるが、シァシァは用いるつもりはなかったのだ。もう随分長い間触れてすらいなかった上、これからもこの魔法を使う気はなかったのだから。

 催眠魔法でシァシァは大切なものを失ったことがある。

 同じ轍を踏むのは嫌だ。
 催眠を自ら誰かにかけるのも嫌だ。
 伊織の洗脳計画も個人としては気が進まない。
 それでも、今この苦しむ子供を救うためなら使ってもいいか、とシァシァは思うことができた。いくら子供を大事にしたところで、どのみちナレッジメカニクスの力が増せばこの世界は混沌に落ちるのだが――せめてそれまでの間くらいは、と。

「あの、シァシァ。ありが……」
「お礼を言うのはやめた方がいい」

 発動までの一時の間、伊織の言葉を遮ってシァシァは言った。

「ワタシはこれからもキミたちが悪だと思っているコトをし続ける。キミが嫌がるコトもする。だからお礼なんてやめておきなヨ」

 ワタシの犠牲者への侮辱になる、と付け加えると伊織は困ったような顔をした。
 しかしそれでも口を開く。
「本音を言えって言ったのはそっちだ。僕の最期の言葉くらい受け取ってくれ」
「ウワ、強情~!」
「……あのままだったらもっと酷いことになってた。だから今この瞬間のためだけのお礼を言わせてくれ。ありがとう、シァシァ」
 シァシァは口先を尖らせると「どういたしまして」と不服げに返した。
 そして両目を薄く開く。

 その両目の中に魔力の奔流があった。
 緑色のガラス片をいくつも投じたような色。
 一系統の色のみで構成された万華鏡を覗いている気分になる。

 シァシァはその目に伊織を映したまま「三、二、一」とカウントした。
 そして落ち着いた声で語り掛ける。
 声はなぜか普段以上に耳の奥へと届き、状況に関係なく安らいだ気持ちになった。

「さあ目をよく見て。――キミの目の前には穴がある。穴の中は緩やかな坂だ。ゆっくり前へ進むと足が水に触れるが、恐ろしくはない」

 シァシァは一度手を叩いて伊織の意識を引き寄せてから口を開く。
 それは再びカウントを言葉にした。
「……まだキミは意識の浅瀬にいる。しかし深い海はもうすぐそこだ。また前へ進もう」
 さっきよりも深いところへ誘うような声で続けながら再び手を叩く。
 手の周りに魔力による光の残滓が散った。
 三度目のカウントの後、シァシァは伊織の両耳を手の平で覆う。

「温かな海水に腰まで浸かると聞き覚えのある音が聞こえてくる。キミが一番心地いいと思う音だ」

 一番心地いいと思う音。
 伊織が初めに思い浮かべたものが耳の奥から聞こえてくる。
 それは転生を決めた時に聞いた音――歌だ。静夏の、母の子守歌だった。
 すでに幻聴なのかシァシァが聞かせているのか判断がつかない状態で、伊織はその歌にじっと聞き入る。
 シァシァは今度は意識を引き戻さずに続けた。
 魔力の残滓があちこちで小さく弾けている。

「頭の先まで海に浸かるが苦しくはない。音と共に眠りに落ちていくほど深く沈んでいく。でも大丈夫、その先は怖いところじゃない」

 大丈夫、と繰り返してシァシァは言葉を継いだ。
「次に目覚めた時、キミは何も考えなくて済むただの獣に戻る。何も心配いらない」
 心配いらない、と再び復唱し、伊織の瞼を閉じさせる。
 金色の瞳が瞼の向こうに消えた直後、伊織の頭の周りに緑色の光が現れ、まるで緑の蔦の冠のように連なった後ぱちんと弾けて消えた。
 胸元に倒れてきた伊織を抱き留め、寝息を聞きながらシァシァは小さな背中を撫でる。

「おやすみ、名もなき小さな子供」

 ――直後。

 消えかかっていた緑の光がシァシァの右腕に集まったかと思うと、大きな何かで叩かれたような反動が体を伝った。
 シァシァは薄い唇を噛んで一瞬の衝撃に耐え、そして血が滲む前に離す。
 しかしなぜか唇の代わりに袖が真っ赤に染まり、袖に吸収されきらなかった血の塊がぼたぼたと地面に落ちた。

「……やっぱりごそっといったなァ」

 シァシァは眉をハの字にすると回復魔法を右腕にかける。
 だが失った血が元に戻るわけではないため、白い顔で息を整えると眠る伊織の衣服を正し、途中で見つけた小さな懐中時計を胸に抱かせた。
 シァシァにはどういった謂れのものかはわからないが、こうして持ち歩いているなら大切なものなのだろう、と。

 そのまま片腕だけで伊織を抱え上げたところで、背後の川の岸辺に鈍色の何かが着陸する。
 ――シァシァが作り、オルバートとヘルベールに提供したホバーボードだ。

「シァシァ、不死鳥を見つけたのかい」
「あァオルバ、丁度いいトコロに来たネ! ウン、今捕獲したんだ」

 ホバーボードから下りて歩いてくるオルバートに笑みを向ける。
 その姿を見てヘルベールが眉を顰めた。

「怪我をしているのか?」
「ン? そうそう! いやァ、なかなかの抵抗を受けてさ~」

 そう笑うシァシァの袖が真っ赤に染まっているが、指が落ちた時は血の一滴も出なかったことをヘルベールは思い出す。
 ちゃんと血が出るんじゃないかとなぜか感心したが、口に出すことはない。

「さ、とりあえずササッと帰って準備しよ。この様子じゃ長持ちしないヨ」
「待てシァシァ、片方に乗っていく気か」
「そっちはヘルベールがオルバを抱えればイイ。姿勢の自動誘導機能付きだし大丈夫大丈夫!」
「また勝手に。待――」

 ヘルベールはシァシァを止めようと腕を伸ばす。
 角度的にそこしか掴めなかったため、赤くなった袖を引いた。
 負傷しているところにそれはどうなんだとヘルベールも思わないこともなかったが、普段すぐ面倒事を増やしている罰だと思えば手を止めることはできない。

「……?」

 引いた感触がおかしい。
 まるで抵抗感を感じない。
 それは――そう、そこに腕など入っていないかのようだった。
 一体これは何事だ。いくら抵抗されたからといってあのシァシァがここまでの負傷をするのか。なぜ涼しい顔をしていられるのか。ヘルベールがそうやって順に問おうとした時だ。

 映像資料で聞き慣れたエンジン音。
 それが木々の間に響いたかと思うと、バイクに跨った伊織とその後ろを走る静夏が三人の前に飛び出した。
 二人もシァシァたちに気がつき、その腕に自分と同じ顔が抱かれているのに気がつくと目を見開く。

 五人の視線が交差したのはその直後のことだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

処理中です...