マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第七章

第257話 炎の一片

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「ワタシは今のキミを伊織君として扱おう。故に、……最後くらいはさ、本音言っといてもいいんじゃない?」

 子供なのに我慢しすぎなんだヨ、とシァシァは心底――心底、同情した顔で言った。
 そんな感情をあれだけ利用して揺さぶりをかけたくせに。
 そう思うも伊織は口元が震えるのを抑えられなかった。
 眉根も、肩も、体も震え、そのまま自分の膝の間に顔を埋めて我慢しようとするも、ついに堪えきれなくなって言葉が濁流のように口から溢れる。

「――……ッ死にたくない! 僕だって死にたくない! 母さんとまた離れ離れになるなんて嫌だ! ヨルシャミともう会えないなんて嫌だ! バルドも、リータさんも、サルサムさんも、ミュゲイラさんも、ネロさんも、それにウサウミウシも、ッ……先生も……離れたくないのに……!」

 ニルヴァーレの存在だけはナレッジメカニクスに知られない方がいい、そんな僅かな理性が働き、しかし彼を呼ばないのは嫌だと『先生』と表現した。
 彼をまたそう呼んでみたかった。伊織は紫の炎を涙に換えて思う。

「そうだろうネ……それはキミの言葉として、気持ちとして、ワタシが覚えておくヨ」
「もっと皆と旅をしたかった……けど、もう何も考えたくないんだ。全部……疲れた……」
「ヒトとして当然の感情さ」
「シァシァ」

 伊織はゆっくりと顔を上げる。
 その目には絶望以外の、しかし希望ではない確固たる感情が宿っていた。

「……このことは絶対に母さんたちには言わないで。僕が、不死鳥が藤石伊織として思考していたことも含めて」
「彼女たちのこれからを想って?」
 はっきりと頷いた伊織を見て、シァシァはこの性格は根っからのものらしいなと小さく溜息をついた。
「それはきっとキミからの贈り物だ」
「贈り物……?」
「そう。その贈り物のおかげで迷わなくて済む。彼ら彼女らが今後迷わずに済むことこそキミの贈り物であり、最大の成果だ。……キミがこの世に残せるものでもある」

 物足りないだろうケドね、とシァシァは声を潜めて言った。
 伊織は懐中時計に触れる。
 今は契約の意味もないものだが、やはり握っていると落ち着いた。

 皆が迷わなくて済む。
 それが仲間に残せるものになるのなら、今後そのことが伝わることは絶対にないとわかっていても、伊織はほんの少しだけ救われた気持ちになる。
 伊織はシァシァを見上げた。

「……自分から助けを求めておいておかしい質問かもしれないけど……なんでここまでしてくれるんだ」
「それはわかりきったコトさ」

 さっきも言った通り、キミが子供だからだヨとシァシァは答えた。

     ***

 伊織が心を落ち着かせ、シァシァの言葉を十分に咀嚼した後。
 落ち着いた頃合いを見計らってシァシァはこう言った。

「ワタシ固有の魔法に便利なモノがある。一先ずコレでキミを苦しみからは救ってあげられるヨ。ただ――キミは伊織君ではいられなくなるだろう」
「……」
「それを『死』と同等に扱うかどうかはキミに任せる」

 伊織はシァシァの言葉をゆっくりと反芻する。
 もうあまり時間は残されていないだろうということは伊織も肌で感じていた。それでも今は時間をかけるべきだと思ったのだ。

 放っておいても伊織は死ぬ。
 しかし死ぬまでこんな状態で何日も耐えることは精神的にできない。伊織はすぐにでも楽になりたい。
 それに、死ぬまでの間に誰かに見つかれば更に最悪の事態へと向かってしまうだろう。
 そこで提案されたのが自我の消失だ。

 シァシァは殺さないと言った。
 それはシァシァが自我の消失を死として見ていないか、命を失うというシンプルな意味での『死』の体験を回避できるならまだこちらの方がいいと感じている側面が強いか、だ。
 少なくとも自分が自分でなくなれば死ぬことそのものに恐怖は感じなくなる。
 あとは自分が自己の消失をどう感じるか、そういう話だ。

「……それは僕の意識が不死鳥に戻るってこと?」
「キミは詳しく訊きたいタイプか」
「死を怖いと思う理由は皆と離れ離れになるからだ。そういう意味では……僕が僕でなくなる時点で、それは痛みなく死ぬのと同じように感じる。でも知っておきたいんだ」

 シァシァは己の顎を擦って言葉を選びながら答える。

「不死鳥でもいいし、ただの獣でもいいし、赤ん坊より前の段階でもいい。どんな受け取り方でもできると思う。とにかくキミは……そうだネ、恐ろしいコトも煩わしいコトも考えるのに疲れてしまったコトも、すべてもう考えなくて済むようになる」
「そう、か。……逃げている最中に同じことを願ったんだ。僕が……その……本物なら、もっと頑張れたかもしれない。けどこっちの僕は消えるべき存在だし……決定的に違うところも多くて」
「決定的に違うトコロ?」

 伊織は小さく頷いた。

「大部分は僕だけど、不死鳥の記憶も混ざってる。途中で思い出した。だから、違うところは沢山あるけど……わかりやすいものを一つ挙げるなら、故郷が二つあるような気分なんだ」

 故郷が二つ、とシァシァは伊織の言葉を反芻する。
 そして「ああ」と手を叩いた。
「転生前の故郷と不死鳥のいた穴の向こうのコトか」
「うん」
 今いるこの世界はまだ故郷たりえない。少なくとも気持ちの上では。
 ただの藤石伊織だった頃は日本が故郷だった。遺してきた故郷だ。そこに穴の向こうという特異な場所が加わり、それに違和感を感じないというのが今の伊織の感覚だった。
 シァシァは視線を何度か往復させたかと思うと、名案が浮かんだような顔をする。

「これは気休めかもしれないケド、そのうち穴の向こうに返してあげるヨ」
「え……?」
「さっき言った通り、不死鳥としてのキミもそのうち死ぬだろう。けれどワタシならその炎の一片くらいなら保管しておける。世界の穴に関してはちょっとイロイロやっててネ、まァいつかは機会があるだろうと思うんだ」

 藤石伊織の故郷は無理だが、穴の向こうならチャンスはあるとシァシァは言った。
 今の伊織が不死鳥としての感覚も有しているなら、という気遣いだ。
 伊織は目を瞬く。さっきから感じていることだが、ただの恐ろしい人ではなかったらしい。またすぐ信じたと悟られれば笑われるかもしれないが――しかし今は信じてもいいと伊織は思った。

 炎の一片。
 それは人間にすれば遺骨程度のものかもしれない。
 だが本来なら死んでしまえば土に還ることすらできずに消えゆく運命。
 なら一片であれ帰してもらえるなら、それは救いだ、と伊織は心の底から感じた。

「……お願いします」
「ア、敬語に戻った。いいんだヨ、ワタシ敬語キライだし」

 さて、とシァシァは立ち上がる。

「あまり長くお喋りはしてられないネ。キミの仲間もそうだケド、そろそろウチの仲間も駆けつけてきそうだ」
「……? シァシァの仲間なら見つかってもいいんじゃ」
「フフフ、ワタシはヒミツが多いのさ。……なんてネ、キミの自我があるってわかったら余計な研究に使われそうだからさ、さすがにソレは嫌じゃない?」

 だから伊織君の自我を消すのは内緒だし、その方法も他の人には知られたくないんだとシァシァは笑った。
 そして周囲に誰もいないことを確認してから、ゆっくりと広い手のひらを伊織に向ける。
 手のひら側からもオレンジ色に塗られた爪の一端が見えた。

「これからキミに使うのは、常人なら防ぎようのない――催眠魔法だ」
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