マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

文字の大きさ
上 下
245 / 272
第七章

第245話 リーヴァの額

しおりを挟む
「オルバ! ヘルベール! 勧誘断られちゃった~!」

 そう元気よく帰ってきたシァシァが部屋のドアを開けた瞬間、ヘルベールはここしばらくで一番の眉間の皴の深さを記録した。
 なぜか全身が粘液にまみれている上、服のそこかしこがぼろぼろになっている。耳飾りだけいやに綺麗なのが逆に目立った。
 しかもどんな手荒な勧誘をしてきたのか、よく見れば中指の指先がなかった。
 なぜか血は流れていない。
 どこから何を言うべきか頭の中で整理した後、ヘルベールはそっと口を開いた。

「不潔だ。とりあえず身を清めてこい。その後勧誘の件と……外の魔獣騒動について説明をしてもらう」
「ハァーイ、ちなみにこのベトベトは不可抗力だからネ! 望んで汚れたワケじゃないヨ!」
「わかったから早く行ってこい。着替えは用意しておく」

 ヘルベールも本当は世話など焼きたくはない。
 そもそも地位としてはシァシァの方が上である。
 しかしある程度世話を焼いた方がさっさと動いてくれる、というのもこれまでの付き合いの中で実証されていた。
 ドアを閉めようとしたシァシァの背中にオルバートが声をかける。

「一つだけいいかい」
「ン?」
「断られた、ということはこちらの作戦はそのまま進めていいんだね」

 無情なほどまっすぐな確認だ。シァシァはオルバートの顔を見て細い目を更に細め、イイヨと笑った。
 一見して楽しげで加虐的な笑みだが、諦めを含んだ乾いた笑みにも見える。
 そしてシァシァはドアを閉めながらオルバートの耳に届くように言った。

「――確認したってやるでしょ。キミはそういうヤツだ」

     ***

 伊織は屋根の上に転がっていたウサウミウシを抱き上げて汚れを拭き取った。
 怪我は当たり前のように無く、ウサウミウシ自身もすでに何に怒っていたのか忘れていそうな平常運転である。しかしあの時自分の主人が危害を加えられていると感じ、シァシァに立ち向かってくれたことを伊織は嬉しく感じていた。

「あとで美味いもの食わせてやるからな」

 今はしわの寄っていない眉間を撫でてやると、ウサウミウシはぴぃぴぃと鳴いて喜んだ。
 想像以上に食べそうな予感がしたが、今回ばかりは好きなだけあげてもいいだろうと伊織は思う。そうしているとヨルシャミが少し声のトーンを落として言った。

「しかしこのタイミングで現れるとはな……まさか魔獣騒ぎもあやつのせいか?」
「うん、本人が言ってた。……っそうだ、魔獣! 全部倒しきれたのか!?」

 ヨルシャミは辺りを見回す。
 未だに風に血生臭さが含まれているが、耳障りな足音や鳴き声はしない。

「召喚獣に任せてこの周辺のものは倒しきった。奴らは逃げ隠れするより積極的に人前に出てくるタイプ故、見落としは少ないとは思うが……とりあえず一度集合場所へ向かうか」
「わかった。まだ皆が戻ってなかったら応援に行こう」

 シァシァの件は早く伝えたいが、まずはすべての対処が終わってからだ。
 バイクはしばらく再召喚できない様子のため、伊織はワイバーンに指示を出そうとして振り返り――彼女がどこからどう見ても心底落ち込んでいることに気がついてぎょっとした。
 頭を垂れて隻眼をしょんぼりさせている。

(も、もしかして何回も避けられた上に逃がしちゃってショックを受けてる……?)

 こういう時、主人としてどんな行動をするのが正解なのだろうか。
 身内が落ち込んでいたらかける言葉はすぐ浮かんでくるが、ワイバーンのことをまだほとんど知らないと自覚した後だと、クラスの女子が落ち込んでいるのを前にしたような迷いが強い。
 そう伊織が戸惑っているとヨルシャミが一歩前に出た。

「ワイバーンよ、あれに逃げられたのはお前に非があるわけではない。だがもし不甲斐ないと感じているのなら、伸びしろを手繰り成長する道を歩め」
「ヨルシャミ……」

 ヨルシャミは微笑んで伊織を指す。

「お前の主人はその方法を持っている。良き贈り物と共に、な」

 ワイバーンに贈るべき名前。
 そして名前を贈るという行為に籠められた、絆を深めたいという意図。
 伊織はヨルシャミからワイバーンに視線を移すと片方だけの目を見上げて言った。

「……ワイバーン。今よりもっと強くなるために、そして君のことをもっとよく知るために、その第一歩として名前をあげたいんだ」

 ワイバーンは目をぱちくりさせて伊織に視線を返す。

「リーヴァ。もし嫌じゃなければ……前に君が名乗った名前を僕からも贈りたい」

 その名前が故郷で名乗っている本名なのか、ワイバーンが好んでつけたものか、はたまた適当に名乗ったものかはわからない。しかしそれもひっくるめて今後知っていきたいと伊織は告げた。
 一個人として見て、そしてきちんと知り、その上で絆を結びたい。
 それが強くなることよりもまず先にすべきことであると同時に、強くなるための布石でもある、と。
 ワイバーンはしばらく言葉を咀嚼した後、普段よりも少し高く鳴いて低くした頭を差し出した。撫でろの合図だ。

「受け入れてくれるのか?」

 もう一度鳴き、擦りつけられた額を伊織は笑みを浮かべて撫でる。
 すると魔力がワイバーンに――リーヴァに流れるのがわかった。魔力譲渡とは感覚の異なるこれは名付けが成立した証だ。
 伊織はニルヴァーレが言っていた『ワイバーンは人型にもなれる』という話を思い出す。自分との繋がりが強化されたのならそれが可能になったはず。その考えを表情から読み取ったのか、隣でヨルシャミが笑う。

「今なら人型になれと命ぜられるのではないか。百聞は一見にしかず、いい機会だし試してみるといい」
「うん、小回りが利くようになったら戦闘にも活かせるかもしれないしな。……よし」

 伊織はリーヴァに「人型になってみてほしい」と伝えた。
 ニルヴァーレに仕えていた時のような成人女性の姿を思い浮かべる。とはいえ直接見たことはないのでバルドたちの話から想像したものだ。
 リーヴァは久々なのかしばらく考えた後、目をきゅっと瞑る。その瞬間巨体が物理的に圧縮され、人間のシルエットを形作った。

「……ん?」
「あれ?」

 ヨルシャミと伊織は意味がないとわかりつつも同時に目を凝らす。
 現れたのは成人女性ではなく、二人と同じくらいの背格好をしたロングスカート型メイド服の少女だった。
 黒髪と赤い目、そして冷静沈着な面持ちは話に聞いた通りだ。
 黒髪は前髪も含めて後ろで纏められ、耳は尖っているがベルクエルフよりも更に短い。悪魔耳、というものを伊織は思い出した。
 右目は傷跡に塞がれたままで、そこが一番色濃く原型の要素を残している。
 でもなんで小さいんだ? と、そんな顔をしていると再び頭を差し出された。成功したので褒めろという要求だ。

「えっと……」
「……よ、よいぞ」

 なんとなく横目でヨルシャミに許可を求めると、戸惑いつつもそんな答えが返ってきたので、伊織は深呼吸してからリーヴァの頭を撫でた。

 撫で心地は、まさに人間そのものだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

私を裏切った相手とは関わるつもりはありません

みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。 未来を変えるために行動をする 1度裏切った相手とは関わらないように過ごす

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

処理中です...