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第七章
第224話 檻の中の生き残り
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――ゆらゆらと揺れる湯を眺めながら三人は空を仰いだ。
伊織たちが入っていた頃は日が沈みつつあるとはいえまだ空も青かったが、今は橙色に染まった雲の隙間に群青の空が見えている。
あと数十分もすれば暗くなり星が瞬き始めるだろう。
それに伴い気温も下がっていたが、湯から立ち上る暖気のおかげか白い息は出ない。
「……そういえばそれ、ちょっと痕が残っちゃったわね」
リータがミュゲイラの両手の甲を見て呟く。
カザトユアでウィスプウィザードを退治した時の火傷痕だ。
しかし伊織のもののように派手な残り方はせず、よく見れば色が違うなという程度である。
ヨルシャミが本調子な時に回復魔法をかけてもらおう、という話だったが様々なことが連続したためタイミングを逃している間に完治してしまったのだ。
一度完治した傷痕は回復対象とみなされにくいのか回復魔法をかけても治りが鈍い。
ヨルシャミの回復魔法なら意識的且つ重点的に使えば消えるだろうが――負荷がどれだけかかるかわかっていることを今更頼む気はミュゲイラにはなかった。
少しでも痕が残っていれば気になる者は気になるが、ミュゲイラは特にナーバスな気持ちは抱いていない様子で笑う。
「どうせこれからもタコが出来たりするし平気平気! ……っあ! も、もちろん姉御に褒められたし粗末にするつもりはないっすけどね!」
隣で聞いていた静夏がゆっくりと頷く。
「良い心掛けだ。……だがもし今後どうしても殴り難いものを殴らねばならない時が来た時のために、今度拳圧で相手を間接的に殴る方法を教えよう。今のミュゲならばできるかもしれない」
「ほほほほんとですか! ありがとうございます! 楽しみにしてます!!」
あれって筋肉の力に任せたものじゃなくて伝授できるくらい技巧的なものだったんだ……とリータが目を瞠っていると、その視界の端に一般人の女性客が数人入り込んだ。
温泉宿は料金さえ払えば温泉のみの入浴もできるよう解放されており、村の人々も時折足を運んでいる。
女性たちは村の人間のようで、おばさんとその娘といった風体だった。
リータと目が合ったおばさんが「こんばんは」と笑みを浮かべる。
「あなたたちは旅の人? 小さいけど良い村でしょ」
「ああ、訳あって旅をしている。たしかに良い村だ、久しぶりに羽を伸ばすことができた」
「他の場所は吹雪くことも多いから旅人さんには辛いわよね……。ここはミヤコさんのおかげで安全だから安心して」
ミヤタナが「初代は不思議な力でこの辺一帯を守った」と言っていたのを静夏は思い出す。
しかしそれは数百年は前のことのはず。
その疑問が顔に出たのかおばさんはくすくすと笑った。
「ミヤコさんは結界っていうのかしら……そういうものを張れる力を持っていたらしいの。ミヤタナさんにも僅かに受け継がれてるって噂があったような……魔法じゃないって聞いたけれど何故かしらね。私たちにはよくわからないけど、それが今も生きててこの村には魔獣が出ないのよ」
「ほう、それは初耳だ」
不可侵の結界を作り出す能力。
それがミヤコが神からもらった力だったのだろうか。
ただし受け継がれる、というのはそれこそ初耳のため転生者の能力かどうかは静夏には判断がつかない。
「山のおかげで吹雪くことも少ないし、この地方にしては住みやすいところよ。といっても……」
そこでおばさんは声を潜めて言う。
「……向こうの火山については聞いてる?」
「ああ、魔獣が住み着いた、と」
静夏は頷く。
そう、このララコア村から北に二日ほど進んだ位置に目的地であるボシノト山があるのだ。
いくら人の近寄らない場所とはいえ休火山が活火山となり、その原因が魔獣だと知れれば噂になる。
そう思っていると意外な理由が明かされた。
「どうやらその山間に住み着いてた悪党がいたみたいなんだけど、魔獣にやられて集落を捨てて散り散りに逃げたのよね。その中の一人がこの村にいるのよ」
「ララコアに?」
おばさんは頷いてから「あっ、でも」と付け足す。
「今は罪を認めて牢に入ってるわ、安心してね。……で、その火山なんだけどこの辺の山とも繋がってるのよ。まだ噴火する気配はないけど山や温泉に影響が出たらって思うとちょっと怖くてね……」
不安を吐露しつつもおばさんは「もしあっちに行くなら気をつけてね」と心配げに言った。
静夏は湯から出した温かい指先を顎に当てる。
盗賊の里。
そこに住んでいたホーキンたちはここからロストーネッドまで長い道のりを鳥の魔獣に追われながら逃げてきた。
それだけ紫色の不死鳥は恐ろしい魔獣だったということだ。
しかし逃げることを優先したため、不死鳥についての情報が偏っているかもしくは薄い。
その逃げのびたという一人はどうだろうか。
話を聞く価値はあるかもしれない。
その考えは静夏だけでなくリータとミュゲイラも同じだったようで、明日面会できるか訊ねてみようとお互い密かに頷きあった。
***
お前も拭いてやるよのバルドVSマジでやめろのサルサムが攻防を繰り広げている。
それを眺めながら伊織はウサウミウシをつるつると撫でていた。
普段はあそこまで子供っぽいことはしない二人だが、やはり温泉宿で気が緩みテンションも上がっているせいかもしれない。たまにはいいな、と伊織は小さく笑う。
なにせここまで緊張することが数多とあり、休んでいる間もエンターテイメント的な楽しさは――あったにはあったが、伊織たち転生者には馴染みの薄いものだったのだ。
違う部分は多いが、こうして故郷に似た環境で休めるのは伊織としても嬉しい。
そこへヨルシャミが声をかけた。
「イオリよ」
「ん? 何?」
「本当に今夜夢路魔法を使ってもいいのか?」
ヨルシャミの問いに伊織はきょとんとする。
「へ……? なんで? べつに不都合は――」
「邪魔を入れずに思いきり眠れるチャンスなのだろう。……故郷に似た場所で。それに茶々を入れる形になるのではないかと思ってな」
これはヨルシャミの気遣いだ。
そう感じ取った伊織は嬉しげな感情を隠しもせずに笑うと首を横に振った。
「ありがとう、ヨルシャミ。けど大丈夫だよ、ワイバーンにも早く名前をあげたいし。それを後回しにしてたら……きっと気になって逆にそわそわしちゃうと思うんだ」
「ふむ、それもそうか」
「そうそう。それよりヨルシャミもゆっくりしてくれよ、たぶん一人で楽しむ温泉っていうのも乙なものだと思うからさ」
そういえば次が自分の番か、とヨルシャミは襖を見る。
そこまで気にはなっていなかったが、伊織にそう言われると途端に興味が湧いた。
ただの温泉なら何度か入った経験があるが、伊織の故郷風だという点が興味をそそるのだろうか――と。
「……」
そんな自己分析している自分に気がつき、思っていた以上に惚れ込んでいるな、とヨルシャミは誤魔化すように咳払いをした。
「よし、ではイオリ」
「なんだ?」
「入り方に作法があるなら教えてくれないか」
ヨルシャミは笑みを浮かべて言う。
「出来るならお前の故郷に近い方法で楽しみたい」
「……! もちろん!」
そう伊織が答えた後ろで攻防に負けたサルサムが思いきり頭を拭かれていたが、髪はすでに乾いているようだった。
それでもお構いなしなのは勝者の特権である。
伊織たちが入っていた頃は日が沈みつつあるとはいえまだ空も青かったが、今は橙色に染まった雲の隙間に群青の空が見えている。
あと数十分もすれば暗くなり星が瞬き始めるだろう。
それに伴い気温も下がっていたが、湯から立ち上る暖気のおかげか白い息は出ない。
「……そういえばそれ、ちょっと痕が残っちゃったわね」
リータがミュゲイラの両手の甲を見て呟く。
カザトユアでウィスプウィザードを退治した時の火傷痕だ。
しかし伊織のもののように派手な残り方はせず、よく見れば色が違うなという程度である。
ヨルシャミが本調子な時に回復魔法をかけてもらおう、という話だったが様々なことが連続したためタイミングを逃している間に完治してしまったのだ。
一度完治した傷痕は回復対象とみなされにくいのか回復魔法をかけても治りが鈍い。
ヨルシャミの回復魔法なら意識的且つ重点的に使えば消えるだろうが――負荷がどれだけかかるかわかっていることを今更頼む気はミュゲイラにはなかった。
少しでも痕が残っていれば気になる者は気になるが、ミュゲイラは特にナーバスな気持ちは抱いていない様子で笑う。
「どうせこれからもタコが出来たりするし平気平気! ……っあ! も、もちろん姉御に褒められたし粗末にするつもりはないっすけどね!」
隣で聞いていた静夏がゆっくりと頷く。
「良い心掛けだ。……だがもし今後どうしても殴り難いものを殴らねばならない時が来た時のために、今度拳圧で相手を間接的に殴る方法を教えよう。今のミュゲならばできるかもしれない」
「ほほほほんとですか! ありがとうございます! 楽しみにしてます!!」
あれって筋肉の力に任せたものじゃなくて伝授できるくらい技巧的なものだったんだ……とリータが目を瞠っていると、その視界の端に一般人の女性客が数人入り込んだ。
温泉宿は料金さえ払えば温泉のみの入浴もできるよう解放されており、村の人々も時折足を運んでいる。
女性たちは村の人間のようで、おばさんとその娘といった風体だった。
リータと目が合ったおばさんが「こんばんは」と笑みを浮かべる。
「あなたたちは旅の人? 小さいけど良い村でしょ」
「ああ、訳あって旅をしている。たしかに良い村だ、久しぶりに羽を伸ばすことができた」
「他の場所は吹雪くことも多いから旅人さんには辛いわよね……。ここはミヤコさんのおかげで安全だから安心して」
ミヤタナが「初代は不思議な力でこの辺一帯を守った」と言っていたのを静夏は思い出す。
しかしそれは数百年は前のことのはず。
その疑問が顔に出たのかおばさんはくすくすと笑った。
「ミヤコさんは結界っていうのかしら……そういうものを張れる力を持っていたらしいの。ミヤタナさんにも僅かに受け継がれてるって噂があったような……魔法じゃないって聞いたけれど何故かしらね。私たちにはよくわからないけど、それが今も生きててこの村には魔獣が出ないのよ」
「ほう、それは初耳だ」
不可侵の結界を作り出す能力。
それがミヤコが神からもらった力だったのだろうか。
ただし受け継がれる、というのはそれこそ初耳のため転生者の能力かどうかは静夏には判断がつかない。
「山のおかげで吹雪くことも少ないし、この地方にしては住みやすいところよ。といっても……」
そこでおばさんは声を潜めて言う。
「……向こうの火山については聞いてる?」
「ああ、魔獣が住み着いた、と」
静夏は頷く。
そう、このララコア村から北に二日ほど進んだ位置に目的地であるボシノト山があるのだ。
いくら人の近寄らない場所とはいえ休火山が活火山となり、その原因が魔獣だと知れれば噂になる。
そう思っていると意外な理由が明かされた。
「どうやらその山間に住み着いてた悪党がいたみたいなんだけど、魔獣にやられて集落を捨てて散り散りに逃げたのよね。その中の一人がこの村にいるのよ」
「ララコアに?」
おばさんは頷いてから「あっ、でも」と付け足す。
「今は罪を認めて牢に入ってるわ、安心してね。……で、その火山なんだけどこの辺の山とも繋がってるのよ。まだ噴火する気配はないけど山や温泉に影響が出たらって思うとちょっと怖くてね……」
不安を吐露しつつもおばさんは「もしあっちに行くなら気をつけてね」と心配げに言った。
静夏は湯から出した温かい指先を顎に当てる。
盗賊の里。
そこに住んでいたホーキンたちはここからロストーネッドまで長い道のりを鳥の魔獣に追われながら逃げてきた。
それだけ紫色の不死鳥は恐ろしい魔獣だったということだ。
しかし逃げることを優先したため、不死鳥についての情報が偏っているかもしくは薄い。
その逃げのびたという一人はどうだろうか。
話を聞く価値はあるかもしれない。
その考えは静夏だけでなくリータとミュゲイラも同じだったようで、明日面会できるか訊ねてみようとお互い密かに頷きあった。
***
お前も拭いてやるよのバルドVSマジでやめろのサルサムが攻防を繰り広げている。
それを眺めながら伊織はウサウミウシをつるつると撫でていた。
普段はあそこまで子供っぽいことはしない二人だが、やはり温泉宿で気が緩みテンションも上がっているせいかもしれない。たまにはいいな、と伊織は小さく笑う。
なにせここまで緊張することが数多とあり、休んでいる間もエンターテイメント的な楽しさは――あったにはあったが、伊織たち転生者には馴染みの薄いものだったのだ。
違う部分は多いが、こうして故郷に似た環境で休めるのは伊織としても嬉しい。
そこへヨルシャミが声をかけた。
「イオリよ」
「ん? 何?」
「本当に今夜夢路魔法を使ってもいいのか?」
ヨルシャミの問いに伊織はきょとんとする。
「へ……? なんで? べつに不都合は――」
「邪魔を入れずに思いきり眠れるチャンスなのだろう。……故郷に似た場所で。それに茶々を入れる形になるのではないかと思ってな」
これはヨルシャミの気遣いだ。
そう感じ取った伊織は嬉しげな感情を隠しもせずに笑うと首を横に振った。
「ありがとう、ヨルシャミ。けど大丈夫だよ、ワイバーンにも早く名前をあげたいし。それを後回しにしてたら……きっと気になって逆にそわそわしちゃうと思うんだ」
「ふむ、それもそうか」
「そうそう。それよりヨルシャミもゆっくりしてくれよ、たぶん一人で楽しむ温泉っていうのも乙なものだと思うからさ」
そういえば次が自分の番か、とヨルシャミは襖を見る。
そこまで気にはなっていなかったが、伊織にそう言われると途端に興味が湧いた。
ただの温泉なら何度か入った経験があるが、伊織の故郷風だという点が興味をそそるのだろうか――と。
「……」
そんな自己分析している自分に気がつき、思っていた以上に惚れ込んでいるな、とヨルシャミは誤魔化すように咳払いをした。
「よし、ではイオリ」
「なんだ?」
「入り方に作法があるなら教えてくれないか」
ヨルシャミは笑みを浮かべて言う。
「出来るならお前の故郷に近い方法で楽しみたい」
「……! もちろん!」
そう伊織が答えた後ろで攻防に負けたサルサムが思いきり頭を拭かれていたが、髪はすでに乾いているようだった。
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