マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第六章

第214話 言わない決心

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 吹雪の中で伊織とヨルシャミを助けたドライアドの男性、シァシァ。
 彼はナレッジメカニクスの幹部の一人で、伊織とヨルシャミに組織へ入らないかと勧誘した。
 その際語られた真偽の定かではない数々の情報。
 転生者としては聞き捨てならない恐ろしい示唆。

 それらは自分だけでなく静夏やバルドにとっても毒になるかもしれない。
 伊織はそう気が気でなかったが、話を聞き終わった二人は存外落ち着いていた。

「神に救世の意思を植え付けられているかも、か。なるほどなぁ、たしかに可能性としては無くもないか」
「……バルドは不安じゃないのか?」
「うん? あぁ、俺はさ、過去の自分が思い出せないから過去との対比で推し量ることはできないんだが……」

 バルドはそっと静夏を見る。
 隣でずっしりと構える静夏は揺らぎのない水面のようで、見ているだけで安心感が湧き上がってきた。
 むしろこんな人物を前にこちらが揺らぐことに違和感を感じるほどだ。それを再確認したバルドは口角を上げて言う。

「静夏はきっとブレないだろ」
「ああ、私のやるべきことは決まっている。それはやらされているのではなく、やりたいからやっていることだ」

 体が弱かった頃からやりたいと思っていたこと。
 自分がもっと動ければ家族を守ってあげられるのに。
 家族だけでなく、その家族が大切に思っている人たちや物、場所も守りたい。

 ――弱いばかりに自分だけが守られているのは嫌だ。

 静夏はそう思っていた。
 だというのにあの頃の静夏は走ることひとつ満足にできず、守りたいと思っている者に守られ、そして夫が亡くなってからはあれほど迷惑をかけて出た実家の援助を頼りに生き永らえることしかできなかった。
 たったそれだけ、生きているだけでも伊織の光になっていたが、静夏にとっては一人息子にまで迷惑をかけているとしか思えなかったのだ。

 正直言って、死ぬ間際になって安堵した気持ちもあった。

 伊織をひとり残していくことは気がかりだったが、自分という枷がなくなった方がきっと息子のためになる。
 伊織は悲しむだろうがすでに一人暮らしをしていた期間は相当のもので、日常の暮らしで困ることはないだろう。大学を出るまでの資金援助もまだ喋れた頃に実家に頭を下げて頼んである。

 伊織は強い子だから、きっと自分の死も乗り越えて生きてくれる。
 ――そう思っていた。

 次に目覚めた真っ白な空間で、自身と伊織の死を知らされた時の心境は筆舌に尽くし難い。
 自分はいい。なぜ伊織まで、という思いの次に静夏の中に湧いたのは、次にもし生き直せるなら今度こそ息子を守り幸せに暮らしたいというものだった。
 その強い意志で静夏は迷うことなく神の望みを聞き入れ、あの時伊織に子守歌を歌ったのだ。
 次に伊織が生きる世界はここだ。
 そして静夏もこの世界で一から生まれ、育つ内に故郷となり、大切な人たちができた。
 だからこそ静夏は人々を守るために、そしてこの世界を守るために救世主の道を歩んでいる。

 世界を救う『聖女マッシヴ様』はそんな想いの起源をしっかりと覚えていた。
 だからこの想いは誰かに植え付けられたものではなく私のものだ、と静夏は笑う。その顔を見てバルドも歯を覗かせた。

「なっ! ……で、俺は惚れた女が決めたことなら間違いないって最後までついてくつもりだ。勝手に指針にしてすまないが、まあこういう理由で不安はないな」
「母さん……バルド……」

 伊織は自身の組んだ手に視線を落とし、瞼を一度だけ強く閉じてから頷いた。
 答えはやはりヨルシャミに吐露した時から変わっていない。
「僕は不安で仕方ないけれど、今は神様のことを信じたいと思ってるんだ」
「それでいいと思うぞ、なんかあったら直接文句言ってやろう! ……って、そっか、直接会うのはマズいんだったな」
 文句をメールで送れたらいいのにな、と真面目に思案するバルドの姿に伊織は小さく笑う。

(バルドはとんでもない境遇だし、僕の前で母さんを口説いたりとか色々あるけど……そうか)

 こういう考え方をしたい、感じ方をしたいという目標。そう思える人物だった。
 出来ればこういう人物に前世でも会いたかった、と伊織は思ったが、きっと出会っていても気づかなかっただけだ。
 今は気づけるだけの目が養えたのかなと目元を緩める。
 静夏のような強さを。
 バルドのような生き方のしなやかさを。
 他の仲間だって学ぶべきところが沢山ある。長所はすべて学び吸収できるのだから。
 ああ、このパーティーは色々なことを学びたい先生ばかりだな、と伊織は口角を上げながら思った。


 しばらく言葉を交わした後、静夏が伊織の頭を撫でて口を開いた。
「後でヨルシャミに意見を聞きたい話もある――が、今日それが叶うことはないだろう。故に話は一旦ここまでだ」
 あとはちゃんと休め、と静夏は言っているのだ。
 伊織は大人しく頷いたが、まだ体の芯が冷えているような感覚が残っており、会話中はそれが眠気を追い払っていた。
 小屋である程度温まっても上空を少し飛んだだけでこれだ。内側から体温を上げていないからだろうか、と伊織は眉を下げる。
 するとそこへリータがマグカップを持ってやってきた。

「イオリさん、これホットミルクに蜂蜜を溶かしたものです。よかったらどうぞ」

 伊織たちの会話の時間を利用して作ってきたらしい。
「わあ、ありがとうございます。いただきます」
 ありがたい気持ちになりながらそれを受け取ると、リータの手にほんの少し指が当たった。
 その瞬間彼女の両耳がビュンッと跳ね上がって伊織はぎょっとしたものの、そうか指が冷たかったのかと気がついて申し訳なさそうに頭を下げる。
「あっ、すみません! 僕の手、冷たかったですよね……!」
「いえいえいえ! えっと! 少しびっくりしただけなので! こ、こぼれなくてよかったです……!」
 そう慌てた様子で言いながらリータは笑みを作ったが、なんだかその笑みがぎこちなく感じた。
 気を使わせちゃったなと伊織は申し訳なく思ったが――おかげで気持ちが緩んだことに感謝もしている。

(転生する前の母さんの気持ちをしっかりと聞いたのって今が初めてだったんだよな……)

 予想や想像することはできたが、ここまでしっかりと耳にしたのは初めてだ。だからこそ無意識に緊張し続けていた。
 ――そして、それを聞いて伊織はひとつ決めたことがあるのだ。

(母さんは僕が事故で死んだことは知ってる。でも)

 その時何の目的でバイクに乗って急いでいたかまでははっきりとは知らない。
 さっきまで母について知らなかった伊織のように。
 あの日あの時、伊織は母親の危篤の知らせを受けてバイクを走らせていた。病院からの電話曰く、静夏は早い段階で意識を失っていたそうなので自分の死んだタイミングを知らないはずだ。
 そのため伊織は別の理由で移動している最中に事故死し、自分も植物状態のまま同じ時間に死んだ――という可能性が静夏には残っている。それを消したくない、と伊織は思っていた。

(……だから僕が危篤の知らせで急いでたってことは母さんには絶対に言わない)

 もし知れば静夏は思うだろう。
 自分のせいで息子が死んだ、と。

 あそこまでの想いで生き、死に、そしてこの世界でも産んでくれた母にそんなものは背負わせられない。
 今までも口にはしていなかったが、これからはより一層気をつけようと伊織は緊張していた。しかし緊張しすぎれば逆に怪しまれてしまう。
 そんな時、リータのおかげで少し気を緩めることができたのだ。

「……その、これですぐ温まると思います。改めてありがとうございます、リータさん」

 リータは伊織の笑みを見て目を瞬かせると、ほんのりと頬を染めて「しっかり眠ってくださいね」と微笑み返した。
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