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第六章
第190話 聖女一行、鍋をつつく
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「……っおー! すげえ、ちゃんと鍋だ!」
完成した白菜と豚肉の鍋を前にバルドが歓声を上げる。
味付けは材料の準備を伊織が、味見と調整を静夏とリータが担当したためオムライスの時のような失敗はない。
鍋に入れて様々なものを煮込む料理は今までも作ってきたが、意識的に日本の鍋風にするのは初めてだった。ここまでくると土鍋がないため通常の鍋になってしまったのが残念なくらいだ。
部屋は暖房もなく冷えていたが、鍋を持ち込んだことで些か室温が上がった気さえする。
サルサムとミュゲイラも物珍しそうに鍋を覗き込み、特にミュゲイラは「マッシヴの姉御の手料理……マッシヴの姉御の手料理……」とぶつぶつと呟いて凝視していたが、伊織はとても丁寧に見なかったことにした。
ヨルシャミはなぜか疲れたような何ともいえない顔をしていたが、聞くところによると手伝いで物置の整理をしていたらしいのでそのせいだろうかと伊織は思う。
宿の主人が掃除した上に細かくジャンル分けして整理してくれたと大変喜んでいた。
伊織は皆とそれをつつきながら静夏とリータに目配せする。
二人が頷いたのを見て伊織は短く息を吸ってから部屋の中の面々を見た。
「――今日の料理の失敗について、ちょっとだけ話さなきゃならないことがあるんだ。聞いてもらってもいいですか?」
「ん? 砂糖と塩を間違えたやつか?」
「うん。それ、単純に間違えたんじゃなくて味見はちゃんとしてたんだ」
それでも気づかなかったのか、とバルドは目を丸くする。
「そこなんだよ。ええと、じつは僕……多分一時的なものだけど味覚がなくなってて、それで味付けをミスしたって気づけなかったんだ」
「……み、味覚?」
「えっ、イオリお前味わかんないのか?」
面食らった表情をするバルドとミュゲイラの隣でサルサムがゆっくりと己の眉間を押さえた。
「……発熱の影響か」
「はい、けどサルサムさん、自分を庇ったせいだとか思わないでくださいね?」
表情からなんとなく察しつつ伊織は恐る恐る言う。
事の発端はサルサムを庇った際の傷だが、そこまで遡って気に病まれるのは伊織としても本望ではない。これは黙っていた理由の一つでもある。
サルサムはすぐさま理由を察したのと同じように、伊織がなぜ黙っていたのかという理由にも思い至ったのかしばらく閉口したものの、ややあってこくりと頷いた。
「そう、だな。だが今後もし戻らなかったらサポートはさせてくれ」
「そんなに気を遣うことは……」
「俺がそうしたいんだ」
伊織は目を瞬かせつつも、サルサムが後ろ向きよりは前向きにそう提案していると感じ取って「わかりました」と了解する。
「なぁイオリ、食ってて味がしないってツラくないのか?」
「娯楽が減った感はありますけど、今はちょっと慣れました。それに香りはわかるんで食べること自体は楽しいですよ」
「けど一生だったらヤダろ。なあなあ、不死鳥倒したら次の目的はイオリの舌を治してくれる奴を探すことにしないか?」
ミュゲイラは皆の顔を見回してそう提案した。
たしかに一生味がわからないとしたら伊織としても由々しき事態だが、それで目的地を決めてしまってもいいものだろうかという迷いも強い。
そう考えているとミュゲイラが上腕二頭筋にグッと力を込めて笑った。
「もちろん道中は今までみたいに手近な施設をブッ潰したり魔獣を倒しながら行くんだ」
「もし穴の場所がわかったら別だが、俺は賛成だな」
サルサムも挙手し、それに続いてバルド、リータ、静夏も手を上げる。
ウサウミウシはよくわからないという顔で白菜を食んでいた。
そんな中、顔を伏せていたヨルシャミもはっとして頷く。
「わ――私も賛成しよう。こういうことは早めに手を打つに限る。イオリも皆に甘えろ、こういう時のための仲間だ」
「ヨルシャミ……」
そんな伊織の肩を静夏が優しく叩いた。
「伊織。私もこれから味覚が戻った時にご馳走できるよう、今日のように練習しておこう。その日が来ること、心から楽しみにしている」
「……うん。味がしないことに今は不便はないんだけど、折角の母さんの手料理が味わえないのは勿体ないなって思ってたんだ」
前世ではほとんど食べた経験がない。
小さな頃はあったのだろうが記憶に残っていなかった。
それが惜しくて惜しくて仕方なく思ったこともある。家で一人、母の味を恋しく思いながら自炊していたことを思い出した伊織は眉を下げて出汁を口に運んだ。
やはり味がしない。今までで一番それが残念に思えた。
「イオリさん、香りはわかるんですよね? じつは柚子をわけてもらったんです。この季節でも沢山実をつける品種らしくて、ほら!」
リータが袋から柚子をごろごろと取り出す。
日本のものより大きいが、半分に切ってみると良い香りがした。
「卵もあるんで柚子卵とじにして味を変えましょう!」
「わあ、いいですね!」
「では卵は私が割ろう」
静夏が腕を伸ばして卵を手に取る。
母さんが持つと一回り小さく見えるなぁ、などと伊織が思っていると、静夏は卵をそのまま鍋の上で割ろうとした。
料理の素人が、である。
しかも筋肉に愛されし聖女マッシヴ様が、である。
まず殻が粉々に砕け散り、どういう原理か白身と黄身だけ空中に残った。
殻はまるで弾丸のような音をさせて四方に飛び散り、肌に触れたものはチリッと音をさせ奥の壁にぶち当たる。最後に中身だけ綺麗に鍋の中に落ちた。
飛び散った時の表情のまま静止した面々。
そんな中、リータがはっとした顔をして言う。
「――魔法弓術の矢、単発じゃなくて散発にして全部きちんと狙いを定められるようになれば必殺技になるかも……!」
「ここそんな閃きを得るタイミングでした!?」
***
夕飯も終わり、再び動ける者全員で雪かきを行なってからヨルシャミがある提案をした。
――寒さで体調を崩すのと魔法の無駄遣い、それを秤にかけたらどちらに傾くか?
そもそもこれは無駄遣いではない。断じてない。というわけで炎の魔法で大量に湯を沸かすから簡易の風呂に入ろうじゃないか、というものだった。
旅をしている以上「定期的に体を清めること」は二の次になりがちだったが、個人差はあるものの現代日本人の感覚だと毎日風呂に入らないのは思いのほかストレスがある。
それでも今までは川や清涼な湖での水浴び、濡らした布で体を拭く等で何とかなっていた。
宿によっては簡易的な風呂がある場所もある。今の宿は食事と泊まり専門で風呂は街全体の財産である天然の露天風呂があったらしいが、今は吹雪で出向くことができないという。
「物置を整理していた時に大きな桶を見つけたのだ。露天風呂が整備されていなかった頃に時々風呂代わりに使っていたらしい。一人ずつになるがどうだ? 許可は取ってある」
「暖まることに関して行動が早い……!」
本来なら湯を溜めるのにそれなりの時間がかかるが、魔法を使えばあっという間だ。
桶は古いものの出来も良く、しっかりとした木を使っているのか穴や隙間もない。これなら部屋の中でも使えそうである。
「今後くっそ寒い思いすることになるんだし、いいんじゃないか? なっ、イオリ!」
「あはは、ミュゲイラさんもめちゃくちゃ入りたいんですね」
「温まりたいじゃん……! 雪かきで手なんて真っ赤だしさ!」
手袋をしていても寒さは浸透してくるのだ。ミュゲイラの赤くなった手の先を見て伊織は頷いた。
「僕はいいと思う。……というか」
全員の表情を見る。
皆、それぞれ多かれ少なかれ気になっている様子だった。
「反対する人いないんじゃないかな、これ」
「だよなー! じゃああたし一番乗り!」
「お姉ちゃん、沸かすのはヨルシャミさんなんだから少しくらい遠慮を――」
「いや、大丈夫だ。この程度労力のろの字も必要あるまい」
早く温まりたくはあるが、仲間が温まるのも同じくらい優先度が高いのだろう。ヨルシャミはそう言って早速準備をしようと動き出す。
ミュゲイラは一番乗りの代わりにバケツで水を溜めることになった。
伊織は擦れ違いざまにヨルシャミの顔を見る。
(寒そうにしてたから内側と外側から温まれたらいいな)
自分も英気を養って失踪事件の調査に出向けそうだ。そう考えているとヨルシャミと目が合った。
しかしなぜかヨルシャミはばつが悪そうな顔をして目を逸らす。
「……?」
伊織はよそよそしい雰囲気に違和感を感じてヨルシャミの姿を目で追ったが、視線が再び交わることはなかった。
完成した白菜と豚肉の鍋を前にバルドが歓声を上げる。
味付けは材料の準備を伊織が、味見と調整を静夏とリータが担当したためオムライスの時のような失敗はない。
鍋に入れて様々なものを煮込む料理は今までも作ってきたが、意識的に日本の鍋風にするのは初めてだった。ここまでくると土鍋がないため通常の鍋になってしまったのが残念なくらいだ。
部屋は暖房もなく冷えていたが、鍋を持ち込んだことで些か室温が上がった気さえする。
サルサムとミュゲイラも物珍しそうに鍋を覗き込み、特にミュゲイラは「マッシヴの姉御の手料理……マッシヴの姉御の手料理……」とぶつぶつと呟いて凝視していたが、伊織はとても丁寧に見なかったことにした。
ヨルシャミはなぜか疲れたような何ともいえない顔をしていたが、聞くところによると手伝いで物置の整理をしていたらしいのでそのせいだろうかと伊織は思う。
宿の主人が掃除した上に細かくジャンル分けして整理してくれたと大変喜んでいた。
伊織は皆とそれをつつきながら静夏とリータに目配せする。
二人が頷いたのを見て伊織は短く息を吸ってから部屋の中の面々を見た。
「――今日の料理の失敗について、ちょっとだけ話さなきゃならないことがあるんだ。聞いてもらってもいいですか?」
「ん? 砂糖と塩を間違えたやつか?」
「うん。それ、単純に間違えたんじゃなくて味見はちゃんとしてたんだ」
それでも気づかなかったのか、とバルドは目を丸くする。
「そこなんだよ。ええと、じつは僕……多分一時的なものだけど味覚がなくなってて、それで味付けをミスしたって気づけなかったんだ」
「……み、味覚?」
「えっ、イオリお前味わかんないのか?」
面食らった表情をするバルドとミュゲイラの隣でサルサムがゆっくりと己の眉間を押さえた。
「……発熱の影響か」
「はい、けどサルサムさん、自分を庇ったせいだとか思わないでくださいね?」
表情からなんとなく察しつつ伊織は恐る恐る言う。
事の発端はサルサムを庇った際の傷だが、そこまで遡って気に病まれるのは伊織としても本望ではない。これは黙っていた理由の一つでもある。
サルサムはすぐさま理由を察したのと同じように、伊織がなぜ黙っていたのかという理由にも思い至ったのかしばらく閉口したものの、ややあってこくりと頷いた。
「そう、だな。だが今後もし戻らなかったらサポートはさせてくれ」
「そんなに気を遣うことは……」
「俺がそうしたいんだ」
伊織は目を瞬かせつつも、サルサムが後ろ向きよりは前向きにそう提案していると感じ取って「わかりました」と了解する。
「なぁイオリ、食ってて味がしないってツラくないのか?」
「娯楽が減った感はありますけど、今はちょっと慣れました。それに香りはわかるんで食べること自体は楽しいですよ」
「けど一生だったらヤダろ。なあなあ、不死鳥倒したら次の目的はイオリの舌を治してくれる奴を探すことにしないか?」
ミュゲイラは皆の顔を見回してそう提案した。
たしかに一生味がわからないとしたら伊織としても由々しき事態だが、それで目的地を決めてしまってもいいものだろうかという迷いも強い。
そう考えているとミュゲイラが上腕二頭筋にグッと力を込めて笑った。
「もちろん道中は今までみたいに手近な施設をブッ潰したり魔獣を倒しながら行くんだ」
「もし穴の場所がわかったら別だが、俺は賛成だな」
サルサムも挙手し、それに続いてバルド、リータ、静夏も手を上げる。
ウサウミウシはよくわからないという顔で白菜を食んでいた。
そんな中、顔を伏せていたヨルシャミもはっとして頷く。
「わ――私も賛成しよう。こういうことは早めに手を打つに限る。イオリも皆に甘えろ、こういう時のための仲間だ」
「ヨルシャミ……」
そんな伊織の肩を静夏が優しく叩いた。
「伊織。私もこれから味覚が戻った時にご馳走できるよう、今日のように練習しておこう。その日が来ること、心から楽しみにしている」
「……うん。味がしないことに今は不便はないんだけど、折角の母さんの手料理が味わえないのは勿体ないなって思ってたんだ」
前世ではほとんど食べた経験がない。
小さな頃はあったのだろうが記憶に残っていなかった。
それが惜しくて惜しくて仕方なく思ったこともある。家で一人、母の味を恋しく思いながら自炊していたことを思い出した伊織は眉を下げて出汁を口に運んだ。
やはり味がしない。今までで一番それが残念に思えた。
「イオリさん、香りはわかるんですよね? じつは柚子をわけてもらったんです。この季節でも沢山実をつける品種らしくて、ほら!」
リータが袋から柚子をごろごろと取り出す。
日本のものより大きいが、半分に切ってみると良い香りがした。
「卵もあるんで柚子卵とじにして味を変えましょう!」
「わあ、いいですね!」
「では卵は私が割ろう」
静夏が腕を伸ばして卵を手に取る。
母さんが持つと一回り小さく見えるなぁ、などと伊織が思っていると、静夏は卵をそのまま鍋の上で割ろうとした。
料理の素人が、である。
しかも筋肉に愛されし聖女マッシヴ様が、である。
まず殻が粉々に砕け散り、どういう原理か白身と黄身だけ空中に残った。
殻はまるで弾丸のような音をさせて四方に飛び散り、肌に触れたものはチリッと音をさせ奥の壁にぶち当たる。最後に中身だけ綺麗に鍋の中に落ちた。
飛び散った時の表情のまま静止した面々。
そんな中、リータがはっとした顔をして言う。
「――魔法弓術の矢、単発じゃなくて散発にして全部きちんと狙いを定められるようになれば必殺技になるかも……!」
「ここそんな閃きを得るタイミングでした!?」
***
夕飯も終わり、再び動ける者全員で雪かきを行なってからヨルシャミがある提案をした。
――寒さで体調を崩すのと魔法の無駄遣い、それを秤にかけたらどちらに傾くか?
そもそもこれは無駄遣いではない。断じてない。というわけで炎の魔法で大量に湯を沸かすから簡易の風呂に入ろうじゃないか、というものだった。
旅をしている以上「定期的に体を清めること」は二の次になりがちだったが、個人差はあるものの現代日本人の感覚だと毎日風呂に入らないのは思いのほかストレスがある。
それでも今までは川や清涼な湖での水浴び、濡らした布で体を拭く等で何とかなっていた。
宿によっては簡易的な風呂がある場所もある。今の宿は食事と泊まり専門で風呂は街全体の財産である天然の露天風呂があったらしいが、今は吹雪で出向くことができないという。
「物置を整理していた時に大きな桶を見つけたのだ。露天風呂が整備されていなかった頃に時々風呂代わりに使っていたらしい。一人ずつになるがどうだ? 許可は取ってある」
「暖まることに関して行動が早い……!」
本来なら湯を溜めるのにそれなりの時間がかかるが、魔法を使えばあっという間だ。
桶は古いものの出来も良く、しっかりとした木を使っているのか穴や隙間もない。これなら部屋の中でも使えそうである。
「今後くっそ寒い思いすることになるんだし、いいんじゃないか? なっ、イオリ!」
「あはは、ミュゲイラさんもめちゃくちゃ入りたいんですね」
「温まりたいじゃん……! 雪かきで手なんて真っ赤だしさ!」
手袋をしていても寒さは浸透してくるのだ。ミュゲイラの赤くなった手の先を見て伊織は頷いた。
「僕はいいと思う。……というか」
全員の表情を見る。
皆、それぞれ多かれ少なかれ気になっている様子だった。
「反対する人いないんじゃないかな、これ」
「だよなー! じゃああたし一番乗り!」
「お姉ちゃん、沸かすのはヨルシャミさんなんだから少しくらい遠慮を――」
「いや、大丈夫だ。この程度労力のろの字も必要あるまい」
早く温まりたくはあるが、仲間が温まるのも同じくらい優先度が高いのだろう。ヨルシャミはそう言って早速準備をしようと動き出す。
ミュゲイラは一番乗りの代わりにバケツで水を溜めることになった。
伊織は擦れ違いざまにヨルシャミの顔を見る。
(寒そうにしてたから内側と外側から温まれたらいいな)
自分も英気を養って失踪事件の調査に出向けそうだ。そう考えているとヨルシャミと目が合った。
しかしなぜかヨルシャミはばつが悪そうな顔をして目を逸らす。
「……?」
伊織はよそよそしい雰囲気に違和感を感じてヨルシャミの姿を目で追ったが、視線が再び交わることはなかった。
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