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第六章
第188話 母親失格なんかじゃない
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「リータさん、僕の味覚が無くなってること知ってたんですか!?」
リータに呼び出され、廊下の突き当りで話を聞いていた伊織はぎょっとした。
味覚の後遺症に関するヒルェンナとの会話は診察室内でしかしていなかったため、伊織はパーティー内の誰も知らないことだと思っていたのだ。
しかし話を聞けばリータはもう随分と前から知っていたのだという。
「すみません、そんなつもりはなかったんですが聞こえてしまって……」
「あっ、そうか、フォレストエルフって耳が良いんでしたっけ」
なら防音処理のされていないドア越しなら聞こえることもあるだろう。伊織はその可能性に思い至らなかったことに自分で自分に苦笑してしまう。
それで、とリータは言葉を重ねた。
「伊織さんが黙っているのにも理由があると思うんですが、マッシヴ様がとても心配してて……どうにかしてマッシヴ様だけにでも説明してもらえませんか?」
「母さんが?」
伊織はリータの懇願に一瞬思案を巡らせたが、すぐに首を縦に振る。
母親が心配している。それもきっと先ほどの失敗を起因にして。なら隠し続けるという選択肢は良くないものだ、とすぐに結論が出たのだ。
「リータさん、そうして教えてもらえてよかったです。僕に不都合がなくっても……そうですよね、いつかこうして心配をかけちゃうかもしれなかったのに、そこまで想像できてませんでした」
誰も損しないのだからいいだろう、とそんなつもりでいた。
しかしこうして失敗をし、理由を知らない母親に心配をかけてしまったのだ。伊織は視線を落としながら言う。
「母さんは何て言ってたんですか?」
「イオリさんのああいう失敗は珍しいから疲れているのかも、でもそんな時に料理担当の代理に挙手できないのが心苦しい、だから私に料理を教えてほしい、って」
「母さんが料理を……」
最近は自分の料理下手を強く自覚し始めたのか、静夏は自ら料理全般から手を引き、代わりに他の仕事を率先して引き受けていた。
野営の際は薪集めやその設置、火の番、調理道具の準備などである。
適材適所というものだと伊織も思っていたが、そう軽く考えていいことではなかったのかもしれない。
「母親失格だとも言っていて……私、マッシヴ様が母親失格だなんて絶対に思えないし、本人にも思ってほしくないんです」
リータは伊織の手を握り、眉根に力を込めて言った。
伊織は目を見開く。
母親失格――そんなことは絶対にない、と息子として強く思った。
「……わかりました。皆にも話します。でもその前に母さんには先にしっかりと伝えておきたいんで……あのっ、リータさん!」
「は、はい!」
手を握ったままの伊織に真正面から見つめられ、我に返ったリータはあたふたとしながら返事をする。
伊織は金色の瞳にリータを映したまま言った。
「僕、母さんに料理を教えようと思うんです。けどまた失敗してしまいそうなんで、もしよかったらリータさんも引き続き手伝ってくれませんか?」
「わた、私が?」
「この上ないくらい適役です」
リータは赤くなりつつも目をぱちくりと瞬かせ、しかし料理の作り手としてやる気の炎が灯ったのか照れを払拭すると力強く頷いた。
「やりましょう、マッシヴクッキング作戦始動です!」
「何ですかその作戦名!?」
***
ヨルシャミは喉の奥からか細い声を出して半歩引いた。
相変わらず何を話しているのかはわからないが、どこからどう見てもリータが伊織の手を握っている。
しかも伊織はそのまま前のめりになる勢いで何かを熱く語っていた。
(イイイイイオリおまお前イオリ……! ニ、ニルヴァーレにはあんなに言い切っておいて何だ!? 何なのだ!?)
二人が移動する気配を感じたヨルシャミは元の部屋に戻る気にもなれず、慌てつつ階下に降りる。
なんだか無性に細かい作業がしたい。
きっと心を落ち着けたいのだ。
「とりあえず……うむ、まずは落ち着け、私は超賢者だぞ、これくらいのことで冷静さを欠くな。落ち着けば別の角度から検証することもできるだろう」
そう自分に言い聞かせていたところで宿の主人の姿が見え、ヨルシャミは何か手伝える雑用はないかと声をかけた。
宿の主人はしばし悩んだ後、ヨルシャミの「できれば細かい作業で」というオーダーを聞いて手を叩く。
「では階段下の物置を整理して頂けないでしょうか、暇な内に手をつけようと思っていたのですが最近節々が痛くて……」
娘たちも雪への対応に追われている上、それぞれに家庭もあるため頼みにくいのだという。
ヨルシャミは「よし、任せろ!」と己の胸を叩くと意気揚々と階段下の物置へと引っ込む。
――その直後、静夏を連れた伊織とリータが宿の主人に声をかけて調理場を借りていたが、物置の中に居たヨルシャミはそれに一切気がつくことはなかったのだった。
***
調理場を借りた伊織、リータ、静夏の三人は手洗いなどの準備を終えてから互いを見た。
「母さん、今日の夕飯を三人で作ろう。ちゃんと教えるし時間も多めに取ってるから安心してくれ」
「ああ……しかしまさか伊織も一緒に教えてくれるとは。私なりに頑張ろう」
宜しく頼む、と静夏は頭を下げた。
そして何を作るのか問う。
(本当は母さんの好きなカレーライスにしたかったけど……)
カレーは初心者でも比較的作りやすいものだ。
だが困ったことにこの世界――少なくともこの地方にはカレーがないらしい、ということは以前交わしたミュゲイラとの会話でわかっている。
味の近いスパイスを集めれば似たものを作れるかもしれないが、さすがに伊織はそこまでの料理スキルは持ち合わせていなかった。
「これは練習の第一歩だし、凝ったものでなくてもいいと思うんだ」
「うむ」
「それに寒いだろ?」
「うむ、寒いな」
「だから……」
伊織はにっと笑うとリータと共に沢山の野菜と肉の塊を取り出して言った。
寒い冬に作れる比較的簡単な料理。
そして日本人に馴染み深いもの。
「――鍋を作ろう!」
リータに呼び出され、廊下の突き当りで話を聞いていた伊織はぎょっとした。
味覚の後遺症に関するヒルェンナとの会話は診察室内でしかしていなかったため、伊織はパーティー内の誰も知らないことだと思っていたのだ。
しかし話を聞けばリータはもう随分と前から知っていたのだという。
「すみません、そんなつもりはなかったんですが聞こえてしまって……」
「あっ、そうか、フォレストエルフって耳が良いんでしたっけ」
なら防音処理のされていないドア越しなら聞こえることもあるだろう。伊織はその可能性に思い至らなかったことに自分で自分に苦笑してしまう。
それで、とリータは言葉を重ねた。
「伊織さんが黙っているのにも理由があると思うんですが、マッシヴ様がとても心配してて……どうにかしてマッシヴ様だけにでも説明してもらえませんか?」
「母さんが?」
伊織はリータの懇願に一瞬思案を巡らせたが、すぐに首を縦に振る。
母親が心配している。それもきっと先ほどの失敗を起因にして。なら隠し続けるという選択肢は良くないものだ、とすぐに結論が出たのだ。
「リータさん、そうして教えてもらえてよかったです。僕に不都合がなくっても……そうですよね、いつかこうして心配をかけちゃうかもしれなかったのに、そこまで想像できてませんでした」
誰も損しないのだからいいだろう、とそんなつもりでいた。
しかしこうして失敗をし、理由を知らない母親に心配をかけてしまったのだ。伊織は視線を落としながら言う。
「母さんは何て言ってたんですか?」
「イオリさんのああいう失敗は珍しいから疲れているのかも、でもそんな時に料理担当の代理に挙手できないのが心苦しい、だから私に料理を教えてほしい、って」
「母さんが料理を……」
最近は自分の料理下手を強く自覚し始めたのか、静夏は自ら料理全般から手を引き、代わりに他の仕事を率先して引き受けていた。
野営の際は薪集めやその設置、火の番、調理道具の準備などである。
適材適所というものだと伊織も思っていたが、そう軽く考えていいことではなかったのかもしれない。
「母親失格だとも言っていて……私、マッシヴ様が母親失格だなんて絶対に思えないし、本人にも思ってほしくないんです」
リータは伊織の手を握り、眉根に力を込めて言った。
伊織は目を見開く。
母親失格――そんなことは絶対にない、と息子として強く思った。
「……わかりました。皆にも話します。でもその前に母さんには先にしっかりと伝えておきたいんで……あのっ、リータさん!」
「は、はい!」
手を握ったままの伊織に真正面から見つめられ、我に返ったリータはあたふたとしながら返事をする。
伊織は金色の瞳にリータを映したまま言った。
「僕、母さんに料理を教えようと思うんです。けどまた失敗してしまいそうなんで、もしよかったらリータさんも引き続き手伝ってくれませんか?」
「わた、私が?」
「この上ないくらい適役です」
リータは赤くなりつつも目をぱちくりと瞬かせ、しかし料理の作り手としてやる気の炎が灯ったのか照れを払拭すると力強く頷いた。
「やりましょう、マッシヴクッキング作戦始動です!」
「何ですかその作戦名!?」
***
ヨルシャミは喉の奥からか細い声を出して半歩引いた。
相変わらず何を話しているのかはわからないが、どこからどう見てもリータが伊織の手を握っている。
しかも伊織はそのまま前のめりになる勢いで何かを熱く語っていた。
(イイイイイオリおまお前イオリ……! ニ、ニルヴァーレにはあんなに言い切っておいて何だ!? 何なのだ!?)
二人が移動する気配を感じたヨルシャミは元の部屋に戻る気にもなれず、慌てつつ階下に降りる。
なんだか無性に細かい作業がしたい。
きっと心を落ち着けたいのだ。
「とりあえず……うむ、まずは落ち着け、私は超賢者だぞ、これくらいのことで冷静さを欠くな。落ち着けば別の角度から検証することもできるだろう」
そう自分に言い聞かせていたところで宿の主人の姿が見え、ヨルシャミは何か手伝える雑用はないかと声をかけた。
宿の主人はしばし悩んだ後、ヨルシャミの「できれば細かい作業で」というオーダーを聞いて手を叩く。
「では階段下の物置を整理して頂けないでしょうか、暇な内に手をつけようと思っていたのですが最近節々が痛くて……」
娘たちも雪への対応に追われている上、それぞれに家庭もあるため頼みにくいのだという。
ヨルシャミは「よし、任せろ!」と己の胸を叩くと意気揚々と階段下の物置へと引っ込む。
――その直後、静夏を連れた伊織とリータが宿の主人に声をかけて調理場を借りていたが、物置の中に居たヨルシャミはそれに一切気がつくことはなかったのだった。
***
調理場を借りた伊織、リータ、静夏の三人は手洗いなどの準備を終えてから互いを見た。
「母さん、今日の夕飯を三人で作ろう。ちゃんと教えるし時間も多めに取ってるから安心してくれ」
「ああ……しかしまさか伊織も一緒に教えてくれるとは。私なりに頑張ろう」
宜しく頼む、と静夏は頭を下げた。
そして何を作るのか問う。
(本当は母さんの好きなカレーライスにしたかったけど……)
カレーは初心者でも比較的作りやすいものだ。
だが困ったことにこの世界――少なくともこの地方にはカレーがないらしい、ということは以前交わしたミュゲイラとの会話でわかっている。
味の近いスパイスを集めれば似たものを作れるかもしれないが、さすがに伊織はそこまでの料理スキルは持ち合わせていなかった。
「これは練習の第一歩だし、凝ったものでなくてもいいと思うんだ」
「うむ」
「それに寒いだろ?」
「うむ、寒いな」
「だから……」
伊織はにっと笑うとリータと共に沢山の野菜と肉の塊を取り出して言った。
寒い冬に作れる比較的簡単な料理。
そして日本人に馴染み深いもの。
「――鍋を作ろう!」
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