マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第六章

第185話 シァシァ博士の楽しみ

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「夢路魔法内でのトレーニングは無意味に等しいが、動きは体に覚えさせることができる。なにせ脳はこれを現実のように感じているからね」

 ニルヴァーレは笑顔で拳を突き出しながら言い、その言葉に重なるようにして炸裂音が響き渡った。
 パンチミットを持っていた伊織は反動で舌を噛まないよう歯を食いしばっていたため返事どころではない。
「さて、今見せたように足と腰をしっかり使って打ってごらん、今の実力を見たいだけだから上手く出来るかどうかはひとまず頭から消しといていいよ」
「わ、わかりました。ええと……」
 ミットをニルヴァーレに渡し、教えられた通りの立ち方から左側が前に出るよう体の軸を移動させる。
 今は腰を入れたパンチの打ち方を教えてもらっている最中だ。腕や手だけで打つパンチは威力が低く、あまり戦闘向きではない。

(母さんなら軽く腕を伸ばしただけのパンチでも弱い魔獣なら吹っ飛ばしちゃいそうだけど……)

 伊織は筋肉がついてきたものの、静夏たちやニルヴァーレと比べると明らかに細い腕を一瞥する。
 静夏のような戦闘は自分には真似できないだろう。それでも教えを乞うのは召喚した仲間と共に戦う際、自分の身は自分で守れなくてはならないからだ。
 この後は武器を使った攻撃方法や護身術もニルヴァーレから習う予定である。
「……いきます!」
 大きく深呼吸した後、ぎゅっと拳を握り込んだ伊織はそれをニルヴァーレの構えるミット目掛けて繰り出した。

 ――伊織に今まで誰かを殴った経験はない。

 力の加減も何もかもわからない中、今持てる可能な限りの勢いで放ったパンチは音だけはよかった。そう、音だけは。
 特に反動を受けた様子のないニルヴァーレは「ふーむ」と少し考えるような顔をする。

「やっぱり筋肉量と体重が足りないな。けど筋は良いよ、トレーニングを重ねていけばもっと良くなる」
「ありがとうございます……」
「拳は付け根の方を当てた方がいいかもしれないね、イオリは面で打ってたから余計に威力が落ちてた。あと手首が落ち気味だったから気をつけろ、怪我するから真っ直ぐにするのを心掛けてみるといい」
「はい……!」
「それとやっぱりカンフー服似合うじゃないか!」
「今言うんですかそれ!?」

 夢路魔法の中だから口が滑ってしまうなぁとニルヴァーレは笑ったが、最近わざと滑らせている気がしてならない伊織だった。

     ***

 セトラスの作った防衛装置に付いたカメラ。
 それにより撮られたバイクの動画を見終わったシァシァは花ごと髪を揺らしながら笑顔を作った。

「いやー、資料にもあったケドやっぱり最高だヨ! どう見ても操縦者の運転外で自ら考えて動いてる。だというのに見た感じ完全に機械だ、まさかこのボディの中に生命活動に必要な臓器と脳が詰まってるワケじゃないよネ?」
「精密スキャンの前だったからな、その可能性も無くはない」
「エー……冗談で言ったのに……動きを見たら生身の生物じゃないってわかるでしょ」

 そう言いながらシァシァはヘルベールが自分用に入れたコーヒーを堂々と飲む。
 あの時そのままワークスペースに押し掛けられ、ヘルベールの『バイク』の話を聞きながら大いに語ったシァシァはそれに満足――して帰らず、こうしていつでもどこでも見れるはずの動画を見ながら駄弁っていた。

 わざわざここで見るな。
 語るな。
 早く帰れ。

 それがヘルベールの正直な心情だったが、しかしシァシァが相手ではストレートに言うことはできない。
 ――ナレッジメカニクスの幹部が一人、ドライアドのシァシァ。
 彼は古くから、それもナレッジメカニクスが出来た最初期から所属しているメンバーのひとりであり、加えてヘルベールたち人間でも寿命に縛られない活動を可能にした延命装置を作った人物でもあった。
 そんなシァシァは延命装置のメンテナンスも担当している。
 ほんの軽いメンテナンスなら彼の作ったAI等に頼ることができるが、しっかりとしたものや修理、新規装着は本人の手を借りなくてはならない。

 シァシァ本人は敬語を嫌っているためタメ口は問題ないが、ヘルベールは家族のために延命装置目当てでナレッジメカニクスに入ったも同然のため、あまり強く出ることができないのだ。

 シァシァは普段は自分のラボに籠っており、こうして本部へ足を運ぶことは稀である。
 それだけバイクを気に入ったのか、とヘルベールは画面上でループ再生されている動画を見た。

「……近々聖女一行の再調査へ向かう予定だ。次は動画も撮るよう伝えておこう」
「へえ! それは朗報! ――っていうかワタシも行っちゃダメ? 直接見たいんだケド」

 玩具をねだる子供のような顔をしてシァシァはそう首を傾げたが、ヘルベールは「駄目だ」と即答する。
「同行者は既に決まっている。それに調査は進んでいるとはいえ聖女たちの力量はまだ未知数だ、お前に何かあっては困る」
「過保護~!」
 もちろん延命装置のためである。
 ヘルベールは「こっそりついてくるのも駄目だ」と念を押したがシァシァはナレッジメカニクスの首魁に直接掛け合ってみようかなという恐ろしい思案をしていた。その思案の途中で不意に顔を上げる。

「っていうかコレ上に報告通ってる? ノーリアクションだネ」
「通っているが恐らくまだ見ていない。熱中期のようでな」
「あァ、あれか。久しぶりだなァ、前回はいつだったっけ……」

 ヘルベールたちの長は知識を収集することこそ生き甲斐といったような人物だった。
 そんな彼には悪癖がある。
「オルバの知識欲はワタシたちとは別物だよネ。知識を欲しているっていうより知識に呪われてるみたいだ」
 シァシァは目を細めて画面から視線を離した。

 ナレッジメカニクスの創始者にして、シァシァやヘルベールたちに『居場所』を与えた人間。

 人間の身でありながら永い時を生き永らえ、時折数ヶ月も周りが見えなくなるほど実験や調べ物に没頭する悪癖を持つ彼は名をオルバートという。
 本人曰く本名ではないらしいが、元の名前よりこの名前で過ごした時間の方が長いといわれていた。
 自由気ままに過ごしており、指示は通信で行なうことが多いため基本的にメンバーの前に姿は現さない。幹部クラスになるとある程度の交流はあるもののビジネス的な対応に近かった。
 ナレッジメカニクスの幹部の中では一番所属歴の短いヘルベールだが、それでも何度か彼を目にしたことがあった。

 姿は一言で言えば少年だ。
 知識を貪欲に吸収する子供のような性質。それを表したかのような十代中頃の少年。

 しかし時折老獪な表情を作り、そんな時は銀髪が白髪のようにも見える。
 瞳は赤紫色をしていただろうか。だがヘルベールはそれを片方しか知らない。
 もう片方は顔の上半分の片側を覆う無機質な仮面で隠されていた。

 なぜ少年の姿なのか、なぜ仮面をしているのか、なぜナレッジメカニクスを作ったのか、それらをヘルベールは聞いておらず、これから聞く気もない。
 必要なものを与えてくれるという事実だけで十分だった。

「……とりあえず今回は大人しくしていろ。きちんと対策が取れたら連れて行く」
「エーン! ヘルベールのケチンボ! なら調査に行くヒトの情報をちょうだいヨ、後で一人一人に直接聞くから」
「セトラスとセトラスの部下、あと――シェミリザだ」

 シェミリザはオルバートの側近ともいえる魔導師である。
 彼女もまた少女の姿をしていたが、エルフ種のため違和感はない。
 ただヘルベールは彼女がエルフ種であったとしても、その外見を保つことができないほど前から生きていることを知っていた。なにせシァシァより前からオルバートと親交があるのである。
 きっと恐らく並みの魔導師では思いついても実行すら出来ないような魔法を駆使して生き永らえているのだろう。

 今回シェミリザは『物理的なサンプルだけでなく、次は魔導師目線からの情報が欲しい』という理由から同行が決まったのだ。
 ヘルベールもセトラスも魔導師の才能は皆無に等しい。
 幹部であったとしても真の意味で精通している魔導師は少なかった。そう考えると行方不明のニルヴァーレも戦闘特化の魔導師だったが貴重ではあったな、とヘルベールは思う。
 シェミリザは申し分ない才能を持っている。新たな発見もあるだろう。

「たった三人ってコトは接触はしないの?」
「いや、セトラスの部下……パトレアというが、それが取り付けた約束がある。約束を口実にパトレアのみ接触し、セトラスとシェミリザが隠れて観測する予定だ」
「ふゥん……わかった、じゃあ土産話に期待してるからネ!」

 そうにぱっと笑ったシァシァはイスから立ち上がるとヘルベールの肩を叩いて出ていった。
 ヘルベールはようやく落ち着ける、というようにシァシァがドアを閉めるなり溜息をつく。


 ――廊下に出た後、シァシァは小型のモニターを開いてそこに映し出された小さな点を見ると満足げに笑った。
 ヘルベールの肩につけた『糸くず』はこの後自動的に彼の服の繊維に紛れ込み、彼がセトラスもしくは残りの二名に接触したタイミングで乗り移ってくれるだろう。

「ラボ帰りに各地を漫遊していたら、調査隊の目的地を知らなかったせいでたまたま遭遇しちゃいました、ってのもありえないコトじゃないよネ~」

 そうご機嫌に呟き、シァシァはモニターを閉じるとそれをポケットの中へと落とした。
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