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第五章
第139話 話をして、話を聞いて
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ネコウモリは多少の障害物ならぱたぱたと飛んで乗り越えられる。
自分が案内している生き物が羽を持たない人間であることをまったく考慮していないが、補助の魔法のおかげなのかネロはそれに苦もなくついていっていた。
それでも背負われている側は無理をしているのではないかと気が気でない。
「あの、ネロさん、あれから結構経ってるしそろそろ僕も自分の足で歩けるようになってるかも……」
「下りなくていいって言っただろ。それに任されたことはちゃんとやり遂げたいんだ」
だから気にせず我儘に付き合ってくれ、とネロは倒木を乗り越えながら言った。
伊織が目を覚ましてからしばらく経つが、その間休憩も取らずに歩き続けているのを間近で見ているため、ネロの言葉は理解できるものの心配なものは心配だ。しかし反論の言葉も説得の言葉も浮かばず、伊織は仕方なくそのまま大人しく背負われる。
(心配なのはこうやって誰かに長時間背負われるのが久しぶりだから、っていうのもあるのかなぁ)
他人に背負われ慣れていないのかもしれない。
最後にこうして長々と誰かの背中に体を預けたのはいつ頃だったろうか。
そう歩行の振動に揺られながら伊織は古い記憶を漁る。考えを巡らせることでいくらか気が紛れた。
「そういえば……昔、父さんにこうして背負って山を下ってもらったことがあったらしいんですよ」
「へえ、狩りの途中で疲れちゃったとかか?」
「あ、いえ、家族にキャンプに来てて、僕と父さんだけで頂上を目指して登ってたんですけれど……僕が足を挫いちゃったみたいで」
たしか伊織が五歳にもなっていない頃だった。
当時から静夏の体は丈夫ではなかったが、まだの頃は出歩くことは可能だったため、かねてより伊織がねだっていたキャンプに出掛けることになったのだ。もちろん出先で静夏が倒れた場合のシミュレーションは何度もした。
しかし怪我をしたのは伊織で、父親は慌てて伊織を背負って山を下ってくれた。
父、織人(おりと)は普段は冷静沈着だったが、この時ばかりは大慌てでドジを踏みに踏んでいたと伊織は母に語ったらしい。そして幼心にそれが怪我の不安を覆い隠すほど面白かったことも。
今は「人から聞いた話」として記憶しているのが伊織は少し惜しかった。
本当に自分の身で体験したことだというのに、これだけ記憶を掘り返さなくては思い出せなかったのだ。父親との思い出はほとんどないというのに。
「――父さんはその少し後に死んでしまったんですけれど」
「そうだったのか……でも意外だな、あのマッシヴ様が昔は病弱だったなんて」
そこまで言って、ネロは自分の言葉にきょとんとしたような顔をした。
「あれ? でもこの旅を始めて聖女についての逸話を色々と聞き集めてみたけど、多分イオリが生まれるより前から色んな……こう……パワーのある話が転がってた気がするんだが?」
眉唾ものか? とネロは首を傾げる。
伊織はほんの少しの間考えた。こんな状況だ、本当は街に着いてからゆっくりと話したかったが今伝えた方がいいのかもしれない。自分の前世のことと、何を目的としているのかを。
それに街に着けば問答無用で病院に担ぎ込まれる。そうすれば落ち着くまでまた時間がかかってしまうだろう。
――ネロは話を聞いてくれる。
その確信だけで、今話しても大丈夫だと伊織は判断した。
「ネロさん、……あの時言ってた話、聞いてくれますか?」
「ん? ああ、あれか、もちろん」
快諾したネロに伊織はホッとしながら口を開く。
まず手始めに伝えるなら、簡潔なものを。
「えっとですね、僕と母さんなんですけど」
「ああ」
「別の世界からの転生者なんです」
――言った瞬間に顔芸を披露したネロが木の根に躓き、前のめりに倒れそうになるも魔法の補助によりそのまま一回転して着地したので、伊織は簡潔に伝えたことをほんの少し後悔したという。
***
ひとつ、ふたつと話し続け、どこまで信じてくれたかはわからないものの粗方語り尽くした頃。
丁度ネコウモリが食べられる果実――ミカンに似た実の成った木を見つけ、間髪入れずにそれを食べ始めたため、ようやく休憩をすることになった。ネロは歩き続けられても肝心のネコウモリに休憩が必要だったらしい。
木の根元に腰を下ろしたネロは聞かされた話を咀嚼するように黙っていたが、ある程度呑み込んだ後は次から次へと質問が湧いてきたのかうずうずとしていた。
「じゃああのバイクってやつもイオリが前世から連れてきたのか。向こうでもあんなカッコいいのか?」
「さすがに変形とかはしませんけど、基本の形は同じでしたよ」
「へー! いいな……それにマッシヴ様が病弱だったって話も本当だったのか、しかも想像の倍くらいは病弱だったなんて……たしか住んでたのはニホンだっけ、話に聞く限りこの世界と似てないみたいだけど大変だったんじゃないか?」
話題が散らかっているのはそれだけ色々と考えてくれているということだ。
伊織は果実を口に運びながら笑う。――味が感じられないがネロは酸っぱそうにしていた。
「文化や景色は大分違いますけど、外国……別の国に似てるところもありますし、それに翻訳が効いてるせいもありますけど見知った単語や料理、動物とかが多いんで慣れるのも早かったですよ」
まだ出会っていない見知らぬものも多くあるだろうが、転生後に目覚めてから伊織はとてもこの世界に慣れたと思っている。
それを聞いたネロは少し視線を落とした。
「翻訳か……魂の力もそうだけど、お前って本当に神様に選ばれた救世主なんだな」
「ネロさん?」
ネロは仄暗い瞳を瞼で覆うと果実をウサウミウシにも一粒わける。
ウサウミウシが酸っぱさに顔面ごと梅干しを食べた口のような形になったところで、ネロは伊織に言った。
「イオリ、今度は俺の話も聞いてくれるか?」
「もちろんです」
はっきりと信頼を持って頷く伊織に対して、ネロは眉根を寄せてそれを口にした。
「……俺、お前のことが羨ましくて妬ましくて仕方ないんだ」
自分が案内している生き物が羽を持たない人間であることをまったく考慮していないが、補助の魔法のおかげなのかネロはそれに苦もなくついていっていた。
それでも背負われている側は無理をしているのではないかと気が気でない。
「あの、ネロさん、あれから結構経ってるしそろそろ僕も自分の足で歩けるようになってるかも……」
「下りなくていいって言っただろ。それに任されたことはちゃんとやり遂げたいんだ」
だから気にせず我儘に付き合ってくれ、とネロは倒木を乗り越えながら言った。
伊織が目を覚ましてからしばらく経つが、その間休憩も取らずに歩き続けているのを間近で見ているため、ネロの言葉は理解できるものの心配なものは心配だ。しかし反論の言葉も説得の言葉も浮かばず、伊織は仕方なくそのまま大人しく背負われる。
(心配なのはこうやって誰かに長時間背負われるのが久しぶりだから、っていうのもあるのかなぁ)
他人に背負われ慣れていないのかもしれない。
最後にこうして長々と誰かの背中に体を預けたのはいつ頃だったろうか。
そう歩行の振動に揺られながら伊織は古い記憶を漁る。考えを巡らせることでいくらか気が紛れた。
「そういえば……昔、父さんにこうして背負って山を下ってもらったことがあったらしいんですよ」
「へえ、狩りの途中で疲れちゃったとかか?」
「あ、いえ、家族にキャンプに来てて、僕と父さんだけで頂上を目指して登ってたんですけれど……僕が足を挫いちゃったみたいで」
たしか伊織が五歳にもなっていない頃だった。
当時から静夏の体は丈夫ではなかったが、まだの頃は出歩くことは可能だったため、かねてより伊織がねだっていたキャンプに出掛けることになったのだ。もちろん出先で静夏が倒れた場合のシミュレーションは何度もした。
しかし怪我をしたのは伊織で、父親は慌てて伊織を背負って山を下ってくれた。
父、織人(おりと)は普段は冷静沈着だったが、この時ばかりは大慌てでドジを踏みに踏んでいたと伊織は母に語ったらしい。そして幼心にそれが怪我の不安を覆い隠すほど面白かったことも。
今は「人から聞いた話」として記憶しているのが伊織は少し惜しかった。
本当に自分の身で体験したことだというのに、これだけ記憶を掘り返さなくては思い出せなかったのだ。父親との思い出はほとんどないというのに。
「――父さんはその少し後に死んでしまったんですけれど」
「そうだったのか……でも意外だな、あのマッシヴ様が昔は病弱だったなんて」
そこまで言って、ネロは自分の言葉にきょとんとしたような顔をした。
「あれ? でもこの旅を始めて聖女についての逸話を色々と聞き集めてみたけど、多分イオリが生まれるより前から色んな……こう……パワーのある話が転がってた気がするんだが?」
眉唾ものか? とネロは首を傾げる。
伊織はほんの少しの間考えた。こんな状況だ、本当は街に着いてからゆっくりと話したかったが今伝えた方がいいのかもしれない。自分の前世のことと、何を目的としているのかを。
それに街に着けば問答無用で病院に担ぎ込まれる。そうすれば落ち着くまでまた時間がかかってしまうだろう。
――ネロは話を聞いてくれる。
その確信だけで、今話しても大丈夫だと伊織は判断した。
「ネロさん、……あの時言ってた話、聞いてくれますか?」
「ん? ああ、あれか、もちろん」
快諾したネロに伊織はホッとしながら口を開く。
まず手始めに伝えるなら、簡潔なものを。
「えっとですね、僕と母さんなんですけど」
「ああ」
「別の世界からの転生者なんです」
――言った瞬間に顔芸を披露したネロが木の根に躓き、前のめりに倒れそうになるも魔法の補助によりそのまま一回転して着地したので、伊織は簡潔に伝えたことをほんの少し後悔したという。
***
ひとつ、ふたつと話し続け、どこまで信じてくれたかはわからないものの粗方語り尽くした頃。
丁度ネコウモリが食べられる果実――ミカンに似た実の成った木を見つけ、間髪入れずにそれを食べ始めたため、ようやく休憩をすることになった。ネロは歩き続けられても肝心のネコウモリに休憩が必要だったらしい。
木の根元に腰を下ろしたネロは聞かされた話を咀嚼するように黙っていたが、ある程度呑み込んだ後は次から次へと質問が湧いてきたのかうずうずとしていた。
「じゃああのバイクってやつもイオリが前世から連れてきたのか。向こうでもあんなカッコいいのか?」
「さすがに変形とかはしませんけど、基本の形は同じでしたよ」
「へー! いいな……それにマッシヴ様が病弱だったって話も本当だったのか、しかも想像の倍くらいは病弱だったなんて……たしか住んでたのはニホンだっけ、話に聞く限りこの世界と似てないみたいだけど大変だったんじゃないか?」
話題が散らかっているのはそれだけ色々と考えてくれているということだ。
伊織は果実を口に運びながら笑う。――味が感じられないがネロは酸っぱそうにしていた。
「文化や景色は大分違いますけど、外国……別の国に似てるところもありますし、それに翻訳が効いてるせいもありますけど見知った単語や料理、動物とかが多いんで慣れるのも早かったですよ」
まだ出会っていない見知らぬものも多くあるだろうが、転生後に目覚めてから伊織はとてもこの世界に慣れたと思っている。
それを聞いたネロは少し視線を落とした。
「翻訳か……魂の力もそうだけど、お前って本当に神様に選ばれた救世主なんだな」
「ネロさん?」
ネロは仄暗い瞳を瞼で覆うと果実をウサウミウシにも一粒わける。
ウサウミウシが酸っぱさに顔面ごと梅干しを食べた口のような形になったところで、ネロは伊織に言った。
「イオリ、今度は俺の話も聞いてくれるか?」
「もちろんです」
はっきりと信頼を持って頷く伊織に対して、ネロは眉根を寄せてそれを口にした。
「……俺、お前のことが羨ましくて妬ましくて仕方ないんだ」
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