マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第二章

第45話 金色の暴風

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 ウサウミウシが伊織の腕に張りついたまま袖を食んでくいくいと引っ張る。
 早くメシを寄越せ、という合図だ。
 食べて寝てと大忙しだなと伊織は笑いながら調理器具の準備を続ける。

「そういやリータさんとヨルシャミたち遅いな……」

 水を汲みに近くの川まで行ってしばらく経っていた。
 ここまでの道中でも川に出て歩いたことがあるため、方向や距離は把握済みだ。それに森や山に慣れているリータが共にいるため迷ったとも考えにくい。
 さほど離れた距離ではないが、もしかして水を汲みに行った先で再びヨルシャミが倒れでもしたのだろうかと伊織は心配した。

 もしそうならリータひとりでは担いで帰るのに時間を要する。
 リータは森で生活する上で必要な筋力があり、健脚でもあるが気絶して脱力した人間を抱えて移動するのは筋力以外にもコツが必要なのだ。

「少し様子を見に行ってみるか?」

 静夏が先ほど高速で作り出した枯れ木製の薪をどさりと置きながら問う。
 伊織はすぐに頷いた。

「万一のことがあったら大変だし、……っ!?」

 ずん、と。
 森全体が揺れるような振動が足元を襲ったのはその時だった。

 果実を剥いていたミュゲイラが指を切りそうになって跳び上がる。振動の出所が近いとすぐさま判断した伊織は無意識に川のある方角を見た。
 なんとなくそちらを起点に揺れた気がするというだけだったのだが、視線を向けた先にいたのは木々の間をちらちらと横切る影だった。
 遠くてわかりにくいが、なにかが激しい動きで争っている。
 動くたび遅れて風圧の強い風がこちらまで届き、異様な雰囲気を感じ取った伊織はウサウミウシをその場に降ろして走り始めた。

「行こう、何かあったんだ」

 頷いた静夏とミュゲイラも走り出す。

 ――それは数分もかからずに見えてきた。

 川辺で黒いワイバーンと巨大な蜘蛛が激しく争い合っている。
 ワイバーンは炎を吐いたかと思えば低空飛行しながら高速の体当たりを繰り返し、蜘蛛はそんな攻撃を八本の長い歩脚を巧みに使って避けながら、逆にワイバーンに取り付こうと試みていた。
 怪獣映画さながらの光景だ。

 その光景を横切る黒い影の狼が二頭。
 二頭が向かう先に金髪の人間がいることに伊織はその時初めて気がついた。
 その人物も駆けつけた伊織たちに気がついたようで、こちらに視線を寄越しながら狼に吹き飛ばされ川へと突っ込む。――しかし水飛沫は上がらなかった。

「なるほど……仲間を得ていたか、ヨルシャミ!」

 水上で浮いたまま静止した金髪の人間は楽しそうにそう言う。
 ――伊織たちもニルヴァーレの大まかな外見はヨルシャミから伝え聞いていたが、金髪だけならごまんと存在しているため、顔形がよく見えない遠目ではすぐにはわからなかっただろう。
 しかしヨルシャミの名を口にした敵性の人物だ。
 それだけで彼がヨルシャミの言っていたニルヴァーレだと伊織にも推測できた。

 一方、リータと共に木々の間へと身を引いていたヨルシャミは苦々しげにニルヴァーレを睨みつける。

「そちらも珍しく同伴者がいるではないか! 見捨てられたのかあっという間にいなくなってしまったがな!」
「これを呼んだ代わりに荷物を任せただけさ」

 これ、と呼ばれたワイバーンが旋回して蜘蛛の歩脚に噛みついた。
 しかし蜘蛛はその歩脚をわざと自切し、鋭い牙をワイバーンの首に食い込ませる。
 そのまま一塊となって水の中へと突っ込み、巨大な水の柱が天高く伸び上がった。

 ヨルシャミは伊織たちがいるのに気がつき声を上げる。

「あれがニルヴァーレだ! 少々『早い』がやられる前にやるしかない!」
「やっぱり……!」

 早い、とはヨルシャミが完全回復していないことだ。
 遅かれ早かれニルヴァーレには悟られるだろうが、今はまだ伏せておいて損はないとヨルシャミは判断したらしい。
 そんな中でもニルヴァーレは影の狼すら片手でいなし、ワイバーンが不利になろうが焦る様子さえ見せなかった。それだけ本人が強いのだろう。

「あーっと……とりあえずあの蜘蛛は味方だな? あたしも助太刀するぞ!」

 どうやら巨大な蜘蛛はヨルシャミが召喚したものらしい。
 それを確認したミュゲイラは調理のために手に持ったままだったナイフを握り直すと、両足に力を込めて姿勢を低くし――シッと短く息を吐いてナイフを投擲した。
 ナイフは野球の球よりも早い剛速で空気を掻き切り、ワイバーンの瞬膜を突き破って眼球に突き刺さる。
 リータの矢並みに正確な投擲だ。しかし一度きりの技である。

 ワイバーンの咆哮の合間にニルヴァーレの笑い声が聞こえてくる。
 彼は再び岸に足をつけながら両腕を広げていた。

「頼りになる仲間じゃないか! しかしズルいな、頼りになるなら僕だってそうだろう? 昔出て行った君に頼んだ時に仲間にしてくれればよかったのに!」
「寝首を掻いてくるストーカーもどきを傍に置けるかアホめ!!」
「あれは君を剥製にしようと思っただけさ」

 伊織はそちらを見なくてもヨルシャミがぞわりと鳥肌を立てたのがわかった。
 ヨルシャミが「リータ」と小声で呟く。声量を抑えた声はニルヴァーレを気味悪がった結果に思えたが、どうやら意図的なもののようだ。

 そうしてヨルシャミがなにかしらを耳打ちした直後――リータが緑の火の粉を散らして炎の弓を作り出す。
 その背にヨルシャミが手の平を当て、リータが矢を番えて放つまで一秒。
 火の粉を盛大に散らしながら普段の倍の速度で飛んだ矢はニルヴァーレの額を狙っていた。

「なんだ、こんなもの。撹乱にも……、っ!」

 頭に到達する前に手で払い除けたニルヴァーレだったが、その瞬間に炎の矢が激しい閃光を放って爆発する。
 同時に大きな隙ができ、ヨルシャミたちは伊織たちの元へと素早く駆け寄った。

 しかし行動できたのはただそれだけだ。
 爆発によろけたニルヴァーレだったが、そのまま視界を覆う煙を手の平から起こした風で小さく纏めてしまう。
 負傷した様子はなく、ただ単純に音に驚いただけといった様子だった。

「ふん、千年という月日は伊達ではないようだ。私の記憶にあるより強い。だがそれ以外にもなにか――」

 ヨルシャミがそう言いかけたところで蜘蛛がワイバーンを組み伏せ、その首を糸でぐるぐる巻きにして窒息させた。
 気絶したワイバーンが川に体を横たえて水飛沫が大粒の雨のように降り注ぐ。
 そんな巨体の向こう側でニルヴァーレがうねる風の渦を背負っているのが見えた。その場だけまるでハリケーンの真っ只中のようだ。
 風になびく金の髪がきらきらと光を反射し、こんな状況でなければ美しいとさえ思えたかもしれない。

「……理由はさておき、予想以上の強敵であるな」

 静夏が「大丈夫だ」とヨルシャミの肩に手を置く。
 そのまま両足に力を込め、ニルヴァーレをまっすぐ見ながら言った。落ち着いた口調で、しっかりと。
 それは万物の中で最も己を信じている声音だった。

「――言っただろう、私が守ってみせると」
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