マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第二章

第39話 赤目蛇

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 血のように赤く、瞳孔の開ききった目が近づいてくる。
 障害物のない空中における蛇の動きは尋常ではない速さで、静夏は着地するなり砂煙を上げて真横へ跳んだが、地面を抉るほどのスピードで突っ込んできた蛇を躱すのは間一髪のことだった。

「ぐえ!」

 静夏は四人を抱えながら受け身を取ったものの、今度は伊織が母の胸元で窒息しかける番だった。
 しかし蛇に押し潰されるほうが恐ろしいことである。
 伊織がなんとか顔を着地した地点へ向けると、すでに蛇の姿はそこにはなかった。

「シズカよ、上だ!」

 ヨルシャミの鋭い声が飛ぶ。
 蛇は着地するなり再び全身の筋肉をしならせて跳躍したのだ。
 暗い影が五人の頭上に現れ、風を切る音と共に蛇が降ってくる。地響きにより周囲の木々から一斉に鳥が飛び立ち、まだ青々とした葉が地面へと落ちていった。

「あ、あの巨体でなんちゅー素早さだよ……!」

 ミュゲイラは焦りながらも蛇の動きを目で追う。
 まだ見失うほどではないが、このままでは静夏が攻撃に移れない。
 それに、とミュゲイラはフォレストエルフの禁足地でのことを思い返す。静夏は木を傷つけてしまわないよう気を配っていた。
 仲間たちを抱えた上に自然まで守ろうとするのはいくら聖女マッシヴ様でも荷が重いのではないか。

「マッシヴの姉御! アイツの足止めをするためにあたしらも加勢します!」
「……! わかった、宜しく頼む」

 静夏は蛇が次の行動に移るほんのわずかな隙に四人を木陰に降ろした。
 縄張りを荒らした敵がばらけたことにより、蛇はどれを狙うべきかと一瞬逡巡する。

 その隙にリータは木をするすると登った。根本付近に手をかけられる枝がほぼない木だというのに見事な木登りである。
 そしててっぺんに出ると魔法弓術による弓矢を呼び出した。
 蛇が相手の位置を探る器官は鼻先にあるが、蛇といえども魔獣だ。あの人間のような目で視力からも対象を捉えている可能性がある。

(鼻先は矢を噛んで防がれるかも)

 ならば狙うはあの赤い目だ。
 ピュウッ! と躊躇いなく放たれた矢が眼球目掛けて飛んでいく。
 しかし蛇の獲物を追う動きと重なり、矢は首元の固い鱗に弾かれてしまった。
 矢の飛んできた方向を見定めた蛇が体の筋肉を収縮させる。
 自分のいる木に向かって跳んでくる気だ、とリータが体を強張らせた瞬間に伊織の声が聞こえた。

「リータさん! もう一度お願いします!」

 召喚したバイクに跨った伊織が飛び出し、目にも留まらぬ早さで蛇の巨体をくぐり抜けて興味を引き付ける。
 そうして蛇が伊織を完全に捉えたところで周囲をぐるぐると走って撹乱し、リータから気を逸らせることに成功した。
 その撹乱の合間から飛び出したミュゲイラが蛇の尾の先をがっしりと抱える。
 先といっても一抱えもある大木の幹のようだ。ミュゲイラは歯を食いしばり、地面に両足をめり込ませて蛇の巨体を引っ張った。

「リータ! 今だ、やれ!」
「う……うん!」

 恐怖心はまだ残っていたが、体が勝手に動いて矢をつがえる。
 再び放った緑の炎を纏った矢は水っぽい音をさせて蛇の右目に突き立った。
 蛇が大きく体をうねらせ、痛みを振り払おうとその場から予備動作もなくジャンプする。まったく無意味な跳躍で、攻撃にすらなっていなかったが尾を抱えていたミュゲイラはその状態のまま宙を何度も往復するはめになった。

「お姉ちゃん!」
「だ……大丈夫だからもう片方も狙え! 吐きそうだけど! いやこれ吐く吐く!」
「お姉ちゃんっ!?」

 それはさすがにやめてほしい、と慌ててもう一度矢をつがえるも、蛇ののたうち回る動きがでたらめすぎてなかなか狙いを定められない。

「落ち着け、チャンスは必ずくる」

 木の下からヨルシャミの声がした。
 ヨルシャミは息を整えて魔法陣を作り出すと、そこから影を狼の形に固めたような小型の召喚獣を三体呼び出す。その顔に疲労が見て取れるのは予定よりも魔法を駆使することが多かったせいだろう。

 三体の影の狼はのたうつ蛇のあちこちに噛みつき、出血で蛇の体を赤く濡らした。
 度重なる負傷に疲弊した蛇がびくりと体を震わせるも、その目からは未だに殺意が消えておらず、一番顔からほど近い場所に噛みついていた影の狼に牙を立てる。
 ギャインッ! と狼の悲鳴が上がり、噛みつかれた個体が黒い煙のようになって消え去った。

「こんにゃろっ……オラッ! こっち向け!」

 ミュゲイラが抱き締めた尾、その尾にある指をかけていた鱗を思い切り引き剥がす。鱗はブツッと音をさせて大きな果実のようにむしり取れた。
 他の部位より痛みを鋭く感じる人間の指先のようなもので、この蛇にとっても尾先がそうだったのか鋭い痛みが走って動きが一瞬固まった。あまりの痛みに筋肉が強張ったのかもしれない。
 代わりに指をかけていた場所が消失したミュゲイラは、蛇が固まる直前の動きの余波で天高く放り投げられていた。

「お姉ちゃ――」
「すぐ助ける」

 だん! だん! という音が響き、リータがそちらを見ると一メートルおきに静夏の足跡がついているのが視界に映った。
 あっという間に距離を詰めた静夏は、蛇の硬直が解ける前に脇を締めたパンチを繰り出す。
 拳のめり込んだ部分の鱗がパンッとひび割れ、蛇は己が出てきた洞窟のある岩壁に凄まじい勢いで叩きつけられた。

 辺りの木々を地響きが揺らし、砂煙が拡散しながらゆっくりと舞う。
 蛇はべりべりと岩壁から剥がれ落ちると地面へと落ち、そのまま動かなくなった。
 岩壁には大きなクレーターができ、蛇から剥がれた鱗が何枚が突き刺さっていたが、どうやら洞窟は崩落せずに済んだようだ。

「っふん!」

 間髪入れずに静夏が跳び上がり、空から落下してきたミュゲイラをキャッチする。
 ミュゲイラにとって人生二度目のお姫様抱っこだった。

「怪我はないか、ミュゲ」
「へ、へへへ……す、擦り傷と打ち身程度、です……」
「お姉ちゃん!」

 リータは素早く木から降り、ミュゲイラの元へ駆け寄った。
 でれでれな様子を見てまた「お姉ちゃん気持ち悪い!」と言われてしまうかも。そう思ったミュゲイラは表情を正そうとしたが、その前にリータに飛びつかれる。

「……っよかった」
「あ……、心配してくれたのか、ありが――」
「吐いてなかった……」
「そっちかよ!」

 微笑ましい姉妹のやりとりを眺めながら伊織はバイクから降り、あまり休ませてやれなかったのに来てくれてありがとうな、と労ってから送還した。
 直後にふと振り返った先、木陰でヨルシャミが蹲っているのに気がついて慌てて走り寄る。

「大丈夫か? やっぱり魔法を使いすぎたんじゃ……」
「それもあるが……まだ余裕がある、はずだった。追跡に感づかれてリンクを切られたのだ、ついでに逆探知までされてしまってな――っそれを相殺するのにだいぶ消耗した」

 ヨルシャミは大きく息を吐いて項垂れる。
 まるで長距離走をした後のようだった。

「相殺はしたが、かなり狭い範囲まで絞られてしまった。ナレッジメカニクスを迎え撃つのは良いが、今は状況と相手が悪い。故に回復するまで逃げるぞ、あと……」
「あと?」
「大丈夫じゃないから肩を貸せ」

 そう言い放つと同時にヨルシャミが気絶し、伊織は肩どころか背中を貸すことになったのだった。
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