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第一章
第18話 森の小屋にて
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ヨルシャミとの約束の日まで残り一日。
このまま見つからなければ倒れたヨルシャミがどうなるかわからない。
わざわざ助けを求めてきたくらいなのだからきっと良い方向には転ばないだろう。
伊織は草の根を掻き分けてでも探す心持ちで森の中を歩いていた。
今日は伊織とリータ、静夏とミュゲイラでチームを組んで森を探索している。
昨日よりも奥深くに潜るため、各自伊織たちより森に詳しいフォレストエルフのふたりがついている形だ。
そうして探索を始めて半日。やっぱりこの辺りにも小屋らしきものは見当たらないか――と踵を返しかけたところで、伊織たちは出会ってしまった。
魔獣でもなんでもない、しかし生身で対峙するには危険な動物。
立派な牙を生やしたオスのイノシシである。
「えっと、かなり興奮してるみたいだから穏便……には帰してもらえない、かなぁ」
「矢で射貫きましょうか? あ、でも一撃では無理かもしれないから、もしそうなったら余計に興奮させちゃうかも……」
イノシシの頭蓋骨は固く、しかも動き回るだけでなく的としては小さいため一撃必殺を狙うのは現実的ではない。少なくともリータは己の腕前と秤にかけてそう判断したらしい。
しばらく膠着状態が続いた後、リータは「そうだ」とイノシシから目を離さずに言った。
「テイマーの才能を信じて慣らせるか試すのはどうでしょうか」
「試すにはちょっと危険すぎる気がするんですが……!」
でももしかすると上手くいくかも、とリータはそわそわと伊織を見る。
もっと小さな動物から試したほうがいいのだろうが、背に腹は代えられない。
(でも慣らすっていってもどうすればいいんだ!?)
ウサウミウシの時は撫でただけだ。
それ以外に特に目立ったことはしていない。伊織は興奮しているのはわかるが、細かな感情はまったく読み取れない顔をしているイノシシをじっと見つめる。
あれを撫でろと?
鼻息荒く今にも飛び掛かってきそうなあれを?
(無理……!)
撫でる前に牙が太腿に刺さっておしまいだ。驚くほど明瞭に想像できる。
しかしそうこうしている間に襲われるかもしれないという焦燥感に背中を押され、伊織はじりじりとイノシシに自ら近づいた。
「よ、よしよし……カッコいい牙だね、こ、この森のヌシかな?」
人間の言葉は通じないとわかっているが、恐怖心から無意味に褒め殺しながら手を差し伸べる。
イノシシは大きく鳴いた。
ブタの鳴き声を二倍汚くしたような声に伊織は仰天する。
直後にまさに猪突猛進、飛び掛かってきたイノシシを見て思わず背中から転倒して藪に突っ込んだ。
「おわああああっ!?」
視界がぐるりと回転する直前、そんなイノシシの片目にリータの魔法製の矢が突き立ったのが見えたものの、伊織は喜べないまま斜面を転がり落ちる。
「やった! 近づいてきたし、柔らかいところならもしかして、って思っ……わああ! イオリさんっ!? 大丈夫ですか!?」
「い、生きてます~……」
よかった、と安堵したリータが引っ繰り返っている伊織のもとへ降りてきた。
どうやら藪の向こうは斜面になっていたらしい。
強制的にでんぐり返りを繰り返した伊織は落ち葉まみれ土まみれになっていたが、幸いにも擦り傷程度で大きな怪我はなかった。
目に矢を受けたイノシシは即死はしていなかったようで、そのままどこかへ走り去ってしまったらしい。獣臭さだけが周囲に残っていた。
「うーん、撫でることすらできなかった……」
よろよろと立ち上がりつつ、ついさっきまで撫でようと伸ばしていた手を見る。
派手に失敗したため心が後ろ向きになったのか、無事に撫でられたところでテイムなどできなかっただろうという気がしてしまった。
やはりテイマーの才能などなく、あのウサウミウシが人懐っこい個体なだけだったのでは? と思い、伊織は少し落胆する。
なにかしら才能があれば人助けに活かせると思ったのだが、上手くいかないものだ。
そこでリータが元気づけるように言った。
「まだ早計ですよ、ウサウミウシってそんなに人には慣れないんです」
「そうなんですか……?」
「昔は餌がある間だけ集まってくる感じでした。だから私も才能があるのかもって思ったんですから」
今のところ、あのウサウミウシは伊織以外に自分から触れようとしない。
伊織がいるからなんとか他人から触れられるのは許している、というように見えないこともないだろう。本人から話を訊けないので予想するしかないが。
なら、まだ試してみる価値はあるのかもしれない。
そう考えているとリータが伊織の背後を指さして「あ」と一音だけ発した。
伊織はまたイノシシでも出たのだろうかと冷や汗をかきながら振り返る。
「……あ」
そしてリータと同じ一音を発した。
そこに建っていたのは、落ち葉を被ったコケだらけの小さな小屋だった。
***
ふたりだけで中を確かめることは控え、まず静夏とミュゲイラたちと合流してから四人で小屋へと向かう。
見つけた小屋はとても古く、使われている木も手入れがされておらずだいぶ腐食が進んでいた。壁など軽く押しただけでふわふわと動くくらいだ。
ドアはなんとか開く。四人でそうっと中へと入ると――どうやら昔は狩猟小屋として使われていたようだった。
「村が設置したっつーより個人で構えたように見えるな」
「わかるものなんですか?」
「小屋に残ってるのは私物っぽいし、随分朽ちてるけどひとり分の生活感もあるしさ。村との中継地点や一時的な宿っつーより、ここで狩りをしながら暮らしてた奴でもいたんじゃないか?」
この世界にも厭世家のような暮らしを好む人間が存在していたようだ。
その家主も今はいない。村人のように忽然と姿を消している。
木製の固そうなベッドには布団代わりの黒い熊の毛皮が掛けられ、立てた樽には用途がわからない棒や網が挿してあった。
小さな簡易暖炉は錆に覆われ煙突がところどころ欠けている。
その四方の壁には様々な道具が掛かっていた。木で編んだ涙型のザルのようなものは魚捕りにでも使うのだろう。
そして、リータのような魔法で作られたものではない弓矢が壊れた状態で床に散らばっている。その破片を摘まみ上げて静夏は「ふむ」と小さく言った。
「戦おうと手に取ったところで押し入られたのかもしれないな……床にもやはり村と同じような足跡がある」
「つまり人間の仕業……?」
少なくとも人間のように二足歩行で靴を履いている集団に襲われたのだろう。
こんな森の奥に住んでいても狙われるとは、一体どんな理由で襲われたのかますます気になる。
「わからないことだらけだけど、とりあえず小屋は見つけた。念のためここ以外にも小屋がないかチェックして、見つからなかったら明日はこの小屋を重点的にマークしてよう」
「そうですね。もしかしたらここへ逃げ込んでくる前に助けてあげられるかもしれませんし……」
「よっしゃ、もう一仕事といくか! ……ところで気になってたんだけどさ」
ミュゲイラはじっと伊織を見る。
「なんでそんなボロッボロなんだ?」
「あー……えっと、それは」
あの失敗を自分の口から語るのは少し恥ずかしいものがある。
伊織がそう口籠っているとリータが助け舟を出してくれた。
「……お姉ちゃん、イオリさんの雄姿は後で話すから今は見なかったことにして」
その助け舟は助け舟でちょっと辛いものがあります。
伊織は心の中でそう呟きながら遠くを見遣り、壁に飾られたイノシシの剥製と目が合って小さく唸った。
このまま見つからなければ倒れたヨルシャミがどうなるかわからない。
わざわざ助けを求めてきたくらいなのだからきっと良い方向には転ばないだろう。
伊織は草の根を掻き分けてでも探す心持ちで森の中を歩いていた。
今日は伊織とリータ、静夏とミュゲイラでチームを組んで森を探索している。
昨日よりも奥深くに潜るため、各自伊織たちより森に詳しいフォレストエルフのふたりがついている形だ。
そうして探索を始めて半日。やっぱりこの辺りにも小屋らしきものは見当たらないか――と踵を返しかけたところで、伊織たちは出会ってしまった。
魔獣でもなんでもない、しかし生身で対峙するには危険な動物。
立派な牙を生やしたオスのイノシシである。
「えっと、かなり興奮してるみたいだから穏便……には帰してもらえない、かなぁ」
「矢で射貫きましょうか? あ、でも一撃では無理かもしれないから、もしそうなったら余計に興奮させちゃうかも……」
イノシシの頭蓋骨は固く、しかも動き回るだけでなく的としては小さいため一撃必殺を狙うのは現実的ではない。少なくともリータは己の腕前と秤にかけてそう判断したらしい。
しばらく膠着状態が続いた後、リータは「そうだ」とイノシシから目を離さずに言った。
「テイマーの才能を信じて慣らせるか試すのはどうでしょうか」
「試すにはちょっと危険すぎる気がするんですが……!」
でももしかすると上手くいくかも、とリータはそわそわと伊織を見る。
もっと小さな動物から試したほうがいいのだろうが、背に腹は代えられない。
(でも慣らすっていってもどうすればいいんだ!?)
ウサウミウシの時は撫でただけだ。
それ以外に特に目立ったことはしていない。伊織は興奮しているのはわかるが、細かな感情はまったく読み取れない顔をしているイノシシをじっと見つめる。
あれを撫でろと?
鼻息荒く今にも飛び掛かってきそうなあれを?
(無理……!)
撫でる前に牙が太腿に刺さっておしまいだ。驚くほど明瞭に想像できる。
しかしそうこうしている間に襲われるかもしれないという焦燥感に背中を押され、伊織はじりじりとイノシシに自ら近づいた。
「よ、よしよし……カッコいい牙だね、こ、この森のヌシかな?」
人間の言葉は通じないとわかっているが、恐怖心から無意味に褒め殺しながら手を差し伸べる。
イノシシは大きく鳴いた。
ブタの鳴き声を二倍汚くしたような声に伊織は仰天する。
直後にまさに猪突猛進、飛び掛かってきたイノシシを見て思わず背中から転倒して藪に突っ込んだ。
「おわああああっ!?」
視界がぐるりと回転する直前、そんなイノシシの片目にリータの魔法製の矢が突き立ったのが見えたものの、伊織は喜べないまま斜面を転がり落ちる。
「やった! 近づいてきたし、柔らかいところならもしかして、って思っ……わああ! イオリさんっ!? 大丈夫ですか!?」
「い、生きてます~……」
よかった、と安堵したリータが引っ繰り返っている伊織のもとへ降りてきた。
どうやら藪の向こうは斜面になっていたらしい。
強制的にでんぐり返りを繰り返した伊織は落ち葉まみれ土まみれになっていたが、幸いにも擦り傷程度で大きな怪我はなかった。
目に矢を受けたイノシシは即死はしていなかったようで、そのままどこかへ走り去ってしまったらしい。獣臭さだけが周囲に残っていた。
「うーん、撫でることすらできなかった……」
よろよろと立ち上がりつつ、ついさっきまで撫でようと伸ばしていた手を見る。
派手に失敗したため心が後ろ向きになったのか、無事に撫でられたところでテイムなどできなかっただろうという気がしてしまった。
やはりテイマーの才能などなく、あのウサウミウシが人懐っこい個体なだけだったのでは? と思い、伊織は少し落胆する。
なにかしら才能があれば人助けに活かせると思ったのだが、上手くいかないものだ。
そこでリータが元気づけるように言った。
「まだ早計ですよ、ウサウミウシってそんなに人には慣れないんです」
「そうなんですか……?」
「昔は餌がある間だけ集まってくる感じでした。だから私も才能があるのかもって思ったんですから」
今のところ、あのウサウミウシは伊織以外に自分から触れようとしない。
伊織がいるからなんとか他人から触れられるのは許している、というように見えないこともないだろう。本人から話を訊けないので予想するしかないが。
なら、まだ試してみる価値はあるのかもしれない。
そう考えているとリータが伊織の背後を指さして「あ」と一音だけ発した。
伊織はまたイノシシでも出たのだろうかと冷や汗をかきながら振り返る。
「……あ」
そしてリータと同じ一音を発した。
そこに建っていたのは、落ち葉を被ったコケだらけの小さな小屋だった。
***
ふたりだけで中を確かめることは控え、まず静夏とミュゲイラたちと合流してから四人で小屋へと向かう。
見つけた小屋はとても古く、使われている木も手入れがされておらずだいぶ腐食が進んでいた。壁など軽く押しただけでふわふわと動くくらいだ。
ドアはなんとか開く。四人でそうっと中へと入ると――どうやら昔は狩猟小屋として使われていたようだった。
「村が設置したっつーより個人で構えたように見えるな」
「わかるものなんですか?」
「小屋に残ってるのは私物っぽいし、随分朽ちてるけどひとり分の生活感もあるしさ。村との中継地点や一時的な宿っつーより、ここで狩りをしながら暮らしてた奴でもいたんじゃないか?」
この世界にも厭世家のような暮らしを好む人間が存在していたようだ。
その家主も今はいない。村人のように忽然と姿を消している。
木製の固そうなベッドには布団代わりの黒い熊の毛皮が掛けられ、立てた樽には用途がわからない棒や網が挿してあった。
小さな簡易暖炉は錆に覆われ煙突がところどころ欠けている。
その四方の壁には様々な道具が掛かっていた。木で編んだ涙型のザルのようなものは魚捕りにでも使うのだろう。
そして、リータのような魔法で作られたものではない弓矢が壊れた状態で床に散らばっている。その破片を摘まみ上げて静夏は「ふむ」と小さく言った。
「戦おうと手に取ったところで押し入られたのかもしれないな……床にもやはり村と同じような足跡がある」
「つまり人間の仕業……?」
少なくとも人間のように二足歩行で靴を履いている集団に襲われたのだろう。
こんな森の奥に住んでいても狙われるとは、一体どんな理由で襲われたのかますます気になる。
「わからないことだらけだけど、とりあえず小屋は見つけた。念のためここ以外にも小屋がないかチェックして、見つからなかったら明日はこの小屋を重点的にマークしてよう」
「そうですね。もしかしたらここへ逃げ込んでくる前に助けてあげられるかもしれませんし……」
「よっしゃ、もう一仕事といくか! ……ところで気になってたんだけどさ」
ミュゲイラはじっと伊織を見る。
「なんでそんなボロッボロなんだ?」
「あー……えっと、それは」
あの失敗を自分の口から語るのは少し恥ずかしいものがある。
伊織がそう口籠っているとリータが助け舟を出してくれた。
「……お姉ちゃん、イオリさんの雄姿は後で話すから今は見なかったことにして」
その助け舟は助け舟でちょっと辛いものがあります。
伊織は心の中でそう呟きながら遠くを見遣り、壁に飾られたイノシシの剥製と目が合って小さく唸った。
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