マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第一章

第14話 ウサウミウシ

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 道の脇に座り、伊織は気絶したウサウミウシを足の上に寝かせる。
 そして布に水を含ませて汚れた体を拭いてやった。

 随分とつるつるとした拭き心地だ。スライムをお手入れすることがあったらこんな感じだろうか。
 大きさは持ち上げるのに両手が必要なくらい。成体のうさぎに近い。
 ただし不定形なのか見るたび少しずつ形が違う。

 汚れを拭ってから念のため体をチェックしてみたが、傷はないようだった。

「ウサウミウシは攻撃力がない代わりに、その弾力のある体でほとんどのダメージを無効化してしまうんです。この子は落下で目を回しちゃったみたいですけど……」
「さっき珍しいって言ってましたけど、ウサウミウシってあまり見かけない動ぶ……動物? い、生き物? なんですか?」

 疑問符だらけになってしまった。
 伊織の問いにリータはミュゲイラが興味深げにウサウミウシをつつこうとするのを止めながら言う。

「はい、ウサウミウシは昔はいっぱい居たんですけど、最近ほとんど見かけなくて。でもある日突然見るようになった生き物だったんで、じゃあいなくなる時も似たような感じかなって皆で話してたんですが……」

 絶滅危惧種のようなものなのだろうか。
 伊織は空を仰ぎ見る。

「これが空を飛ぶ生き物には見えないんですけど、もしかしてさっきの鳥に咥えられてたんですかね……?」
「かもしれません」
「九死に一生だったんだなぁ」

 いくらダメージを無効化するといっても食べられてはひとたまりもないだろう。
 丸呑みされたとして、消化されるより先に窒息で命を落とすかもしれない。
 一瞬我が身のことのように想像してしまい、肩を震わせた伊織が同情しているとリータが真顔で言った。

「いや、たぶん鳥の腹をノーダメージで通過しますね」
「それも地獄だなぁ……」

 更なる細かいことは想像しないようにしながら伊織はウサウミウシを観察する。
 すると目を回していたウサウミウシがぱちりと目覚め、不思議そうな顔をして伊織を見上げた。
 点々としか言いようがない目と完全に『ω』な口。
 絵描き歌にしたら数秒で終わりそうな顔だ。

「あ、起きた!」
「ふむ、愛らしい顔をしている」
「すげー、あの高さから落ちて無事とかやっぱウサウミウシの耐久力高いなー」
「久しぶりに見ると意外とマスコット的な可愛さがありますね……」

 四人から一斉に視線を向けられたからだろうか、ウサウミウシはおろおろとした様子で上下左右をきょろきょろと見る。ただし表情は変わらない。
 伊織が宥めるように頭を撫でると徐々に落ち着き、目を細めて耳を寝かせた。

「おお、落ち着いた。コイツ撫でられるのが好きなのか?」

 ミュゲイラが興味深げに手を伸ばす。

 するとウサウミウシは敏感にそれを察知し、伊織に体を寄せながらミュゲイラの手を威嚇した。威嚇といっても眉間に小さなしわが一、二本刻まれたくらいだが。
 ミュゲイラは残念そうな表情を浮かべて嘆く。

「イオリには撫でさせるのに、あたしはダメなのかよ~……!」
「この子、イオリさんには気を許してるみたいですね。もしかして――」
「もしかして?」
「イオリさんってテイマーの才能があるのかも」

 テイマー? と伊織は聞き慣れない単語に首を傾げる。
 リータは様子を窺うウサウミウシを見た。

「動物だけでなく魔物や魔獣、召喚獣なんかも含めた調教師です。これも最近とんと見ませんが王都ならいるかも……?」
「へえ! そんな職業まであるんですか!」

 聞けばテイマーは元から持つ才能を主軸にした職業なのだという。
 なりたくてもミュゲイラのように理由もなく警戒されてしまい向かない者も多いらしい。
 魔獣の場合は人間と敵対していること、そして人間をターゲットとしていることがデフォルトであるため、試行することすら難易度が高い。
 そのため成功例はリータが耳にした範囲では聞かず、大抵のテイマーは動物や召喚獣を対象にしているとのことだった。

 話を聞きながら伊織はちらりと静夏に視線を向ける。
 静夏は自身の顎に手を寄せつつ小声で言った。

「魔獣や魔物は世界侵攻の一部だ。それを御せるかもしれない方法があるのか」
「僕も気になってた。大半は倒さなくちゃどうしようもない奴らなんだろうけど……」

 成功例を聞かないのは試すことすら難しいことが理由だった場合、そこに成功の可能性は残されている。

 もし和解する手立てがあるなら。
 もし味方についてくれる魔物魔獣がいるなら。

 それは想像以上に大切なことなのではないか。
 伊織はウサウミウシの耳の付け根をこしょこしょと撫でながら訊ねる。

「このウサウミウシも魔獣なんですか?」
「うーん……それがわからないんですよね……」
「あたしらは基本的に敵性のモンスターを魔獣、魔物って呼んでるだけで見分けられる目があるわけじゃないからなぁ。その魔獣と魔物の呼び分けも曖昧だし」

 大抵は動物や虫、海洋生物など元々いた生物をベースにしたような敵性モンスターを魔獣と呼び、魔物はそれに属さない――たとえばスケルトンやスライム、ゴーストや無機物由来のものを指すが、広い意味で魔獣もひっくるめて魔物と呼ぶことも多い。
 粘菌由来のスライムじみたモンスターの呼び名に迷ったら魔物と呼んでおけば間違いはないし、魔獣でも大抵通じるだろう。

 ではウサウミウシはどうか?

 元からこの世界に存在する動物ではない。
 うさぎとウミウシを混ぜ合わせたような容姿だけ見るなら魔獣に属するのだろうが、敵性はどう見てもなかった。
 魔導師なら見分けられるのかなぁ、と言いながらミュゲイラがウサウミウシを覗き込む。

「ま、敵性がないって判断を出すのは早すぎるのかもしれないけどな。容姿で油断させて隙を突いて襲い掛かってくる魔獣もいるって風の噂で聞いたし」
「昔は沢山見かけたけど、沢山いたからって誰かが研究や観察してたわけでもないですし、見かけなかった間に何か変化が起こっていてもわかりませんしね。でも……」

 姉妹は伊織の手の中でとろけきっているウサウミウシを見る。

「……」
「……これ演技にゃ見えないんだよな」
「なのよね……」

 伊織は判断に困りつつも、無益な殺生はしないでおこうと立ち上がった。
 もし万が一ウサウミウシが世界侵攻の一端を担っているなら自分たちも決断しなくてはならないことがある。しかし今は細かなことはわからない。
 それならウサウミウシに敵対する意思がないなら保留にしておいてもいいじゃないかと思ったのだ。疑わしいものを片っ端から罰していくことは伊織の考える救世主とは程遠い。

 使命を与えたこの世界の神には甘すぎると言われるかもしれないが、伊織は自分のエゴだと自覚しつつもそう考えて保留の選択肢を選んだ。

「とりあえず怪我もないみたいだし自然に返すよ。僕らは先を急ごう」

 うむ、と静夏も頷く。
 伊織はウサウミウシを柔らかい草の上に置き、最後にもう一度だけよしよしと頭を撫でた。
 最初は妙な生物だと思ったが、触れ合って気を許してくれているのを感じた後だとやはり優しくしてあげたくなってしまう。

「もう鳥に捕まるんじゃないぞ」

 伊織の手が離れたことに気がついたウサウミウシはぴぃぴぃ鳴いた。
 その声に手を振って四人は再び歩き始める。

     ***

「……」
「……」
「……」
「……」

 歩くこと数分。
 四人分の足音に混じってぺったんぺったんという餅をつくような音が聞こえる。
 伊織は意を決して口を開いた。

「ついてきてるな」
「ついてきてますね……」
「めちゃくちゃ必死だぞあいつ」

 伊織、と静夏が足を止めて名を呼ぶ。母親が何を言いたいか伊織はすぐに察した。
 ウサウミウシは伊織と離れ難かったのかもしれないが、もしかすると遠くから連れ去られたせいで自力で帰ることができないのかもしれない。
 見知らぬ土地で必死になって自分を追ってきているのだとしたら、伊織はそれを振り払う気にはなれなかった。

「ウサウミウシが魔獣の一種かはわからないけど……連れてってもいいかな?」

 もしかしたら脅威になるかもしれないが、見捨てられない。
 振り返った伊織がウサウミウシに手を伸ばしながら訊ねると、静夏は「私も同じ気持ちだ」と頷いた。
 伊織はホッとしながらウサウミウシに笑いかける。
 表情には出ていないものの、疲れ果てていたウサウミウシは嬉しそうに手の平に乗りかかり、そのまま這い上がってきた。

 腹足類特有の這い方だ。

 とはいえ不思議と粘液はない。
 ないのだが――まるで巨大なカタツムリが腕を這い上がってきているかのようだった。少し前に何十匹と倒したナメクジ型の眷属が伊織の脳裏を過る。
 笑顔のまま固まった伊織は下唇を噛んで耐えた。
 ちょっとまさかすぎる感触だったが、ここで嫌がってウサウミウシを傷つけるわけにはいかない。その一心で。

(そうだそうだ、魂が強くても精神的に強いわけじゃない僕みたいに、ウサウミウシも体は丈夫でも心は傷つきやすいかもしれなあああああああっ服越しでも感触があっあっ落ち着け、た、たぶん肩に乗りたいだけなんだ、重くもないしちょっとだけ我慢んんんんっ! 待てせめて想像はタニシとかそういうやつにしよう、うん、待て、待て……)

 勝手にぞわぞわとしてしまう背筋を宥めながら伊織はまったく違うことを考えて自分を落ち着かせることにした。
 今日の夕飯は何にしよう、同行者が増えたから鍋物でもいいかもしれない。
 天気はどうだろうか。しばらく晴天だと嬉しい。
 もしかしてこの世界にも天気を予測する方法があったりするのだろうか。
 テイマーについても気になる。
 もし旅先でテイマーに出会ったなら話を聞いてみたい。

 ――いや、やはりこの感触はやばい。

 結局辿り着いた思考はそれだった。
 ウサウミウシの体が冷えているのも相俟って敏感になってしまう。そのひんやり感に想像を断ち切られた伊織は「よ、よしよし」とさりげなくウサウミウシの背を撫でた。少し強めに。お願い止まってと願いを込めて。
 しかしそれは逆効果で、撫でられて嬉しくなったウサウミウシは肩に到達した瞬間、伊織の首筋にぺたりと乗りかかった。

 剥き出しの首筋に。喜んでハグをするように。
 そのまま首まで這い上がる。

 伊織はウサウミウシのようにぴいと鳴いたが、それは仕方のないことだと後に語った。
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