マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第一章

第7話 岩場の魔獣

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 ベタ村から一番近い街はライドラビンといい、更に大きな街から各村々へ商いに訪れる行商人が中継地として重宝している場所だった。

 基本的にライドラビンで農業畜産を行なっている者の数は必要最低限。
 あとは馬車屋や馬貸し、多種多様な宿屋に護衛を生業にしている者が大多数という特徴があり、街そのものはそこまで大きくはないものの活気に溢れている。
 ライドラビンに着いた三人はその足で馬車屋へと向かった。
 疲れてはいるがベタ村を出発してから夕暮れまでに到着できたため、そのまま馬車でリータの里へと向かおうと思ったのだが――

「馬車が出せない?」
「はい……」

 困り顔の店主を見て伊織と静夏は顔を見合わせた。

「ご希望の場所へ向かう道の途中に岩場があるのですが、昨日そこで行商人の一団がひとり残さず食い散らかされているのが見つかったんです」
「なんと……」
「痕跡からかなり大型の魔獣だろうという噂がありまして、国の騎士団に退治を要請しているのですが、すぐに来てもらえるわけでもなく……。大きく迂回しても宜しいなら馬車を出せますが、日数がかかってしまいます」

 あまり時間がかかると里の危機が増すだけでなく、ヨルシャミとの約束に間に合わなくなるかもしれない。
 しばし考えていた静夏が神妙な面持ちで一歩前に出る。

「私が護衛しよう」
「……? かなりの肉体ですが、生身の女性では……」
「この方は聖女マッシヴ様です」

 リータの言葉に「マッシヴ様!」と店主は目を剥いた。
 ここよりも離れているリータの故郷にまでマッシヴ様の噂は届いているのだ、きっとベタ村に近いライドラビンならもっと色濃い噂になっているのだろう。
 そう伊織が思っていると、途端に店主が頭を下げ始めた。

「昨年の暮れに娘を助けて頂いてありがとうございます! 運悪く遠方に居たため、帰宅後にようやくマッシヴ様が魔獣を倒し娘の命を助けてくださったと知り……しかし忙しさに追われ、村のお住まいまでお礼にすら行けておりませんでした。不義理を働き申し訳ない……!」
「頭を上げてくれ、店主」

 静夏は大きな手の平で店主の肩に触れる。

「困っている者を助けるのはごく普通のことだ。少なくとも私にとっては。そしてそれは礼を言われるためにしていることではない」
「マッシヴ様……」
「だからそう申し訳なさそうにするな。それよりも娘は元気か?」
「はい……はい! あれから結婚し、今も幸せに暮らしております!」

 嬉しそうにそう報告する店主に笑みを向け、静夏は硬貨の入った袋を差し出した。
 静夏が持っていてなおズッシリとして見える。

「そんな娘を置いて危険な場所へ出向くのは不安だろうが、必ず私が守る。もし無理ならその岩場まででもいい、乗せて行ってはもらえぬだろうか」
「そ、そんな! 不安なんて滅相もありません、マッシヴ様がいてくださるなら百人力です! ……?」

 硬貨を受け取った店主は不思議そうな顔をして静夏を見た。
 袋越しでもわかるほど硬貨が多いのだ。

「馬車代には多すぎますが――」
「こんな形では失礼に当たるかもしれないが、差額は結婚の祝い金として受け取ってくれ」

 他の者には内緒だぞ、と続けると、店主は恋する乙女のように何度も頷いた。
 否、これは恋する乙女である。おじさんの姿をした恋する乙女だ。

 伊織は初めて気がつく。
 僕の母親、人たらしかもしれない、と。

     ***

 無事乗ることのできた馬車は薄墨毛と栗毛の馬が引いており、二頭とも優しい気性の馬だった。
 ――それでも、そんな好条件であっても、時折ガッタンと跳ねるような揺れが馬車を襲い尻や尾てい骨が激しくダメージを受けた。しかも大きくない揺れでも常に揺さぶられ続けていると関節に響く。

 これがリータさんの言っていた尻への試練か!
 そう伊織は腰を少し浮かせて耐えた。
 四つ這いになればマシだろうが、他人の前でするのは憚られるポーズである。

「これ立ってた方がいいかもなぁ……」
「やめておけ、吊り革なし手すりなしの電車に揺られる十倍危ない」
「あー、それは危ない……」
「デンシャ?」

 きょとんとしているリータに気がつき、伊織は慌てて笑みを向けて誤魔化した。

 伊織と静夏が転生者であることはそう厳密には伏せていない。
 現にベタ村でもごく一部だが理解している住民もいた。その上で聖女と呼ぶべき理由のひとつとして受け入れていたのだ。
 しかしこの世界の全員がその結果に辿り着くとは思えない。
 旅先では信頼できる人物に対してのみ、きっかけがあるまでは積極的には話さないでおこう、というのがふたりの見解だった。

 だが時折こうして前世の話題を持ち出してしまう。
 こちらで長く生きている静夏でさえそうなのだ、転生したという自覚を最近ようやく持てた伊織はもっと気をつけなくてはならないだろう。
 すまない、と小声で伝える静夏にも笑みを返し、伊織は「そういえば」と口を開いた。

「母さんって……もしかしてあの街に行ったことあったのか?」
「ああ、基本的に村から出ることはなかったが、日帰りできる範囲ならば出向いて魔獣や魔物退治をしていてな。ライドラビンは周辺の情報も手に入りやすいためよく行っていた。村の収穫物を取り引きするついでも兼ねて、だが」

 なるほど、と伊織は納得した。
 だから街までの距離も把握していたし馬車屋の娘とも顔見知りだったのだ。

「リータの里の近くにも行ったことがあるぞ」
「えっ!? でもさっき日帰りできる範囲って……」

 言いかけてリータはハッとした。
 そう、つまり静夏が全速力で駆ければ二、三日かかる距離でも日帰りできてしまうのだ。リータは衝撃を受けた顔をする。

「わ、私たち、街でお待ちしていた方がよかったでしょうか……」
「僕もそう思えてきた……」
「何を言う、それでは私が気が気でなくて他が疎かになってしまう。……というのは冗談だが、前に言った通り加減が効かないことも多い。未知の場所で未知の敵と対峙するなら土地勘のある者がいた方がいいに決まっているし、私にない力を持つ者だっていた方がいい」

 静夏はこれだけ力を持っていながら、自分自身に足りないものをよく把握していた。
 言外に自分の能力を――まだ不安定な能力を、それでも母親に頼りにされていると自覚して伊織は思わずにやける。
 にやけたその瞬間、ガタンッと馬車が跳ねて強かに尻を床板にぶつけ、リータと共に悲鳴を上げた。

     ***

 アスファルト等で舗装はされていないものの、踏み固められた道はそれなりにしっかりとしている。
 それでもここまで跳ね回るはめになるとは思っていなかった。
 これは魔獣に遭遇する前に尻が破裂して死ぬのではないか、と本気で思い始めたところでようやく件の岩場に到着し、伊織は馬車の枠に掴まったままホッとする。

 道の左右を赤茶けた岩壁が挟んでいる。
 聞けば遥か昔、ここへ道を通すために岩山を削ったためこういった地形になったのだという。
 もちろん人力だが、魔法を用いていた可能性もあるなと静夏は語った。
 店主がそっと岩壁を見上げる。

「今は岩が大半ですが、昔ここには良質な粘土質の土があったんです」

 しかも魔力を含んだ土で、用途は様々だった。
 それは岩山を削っている最中に見つかり、そして近隣の街の発展に活かされたのだと店主は馬を走らせながら説明する。
 そして巧みに手綱を動かして馬の足を止めた。

「ここが事件現場です」
「ふむ」

 馬車から降りた静夏は辺りを見回す。伊織もよろけながらその後に続いた。
 似た色でわかりにくいが岩に血糊がべったりとついている。ところどころに刃物がぶつかって欠けたような傷もあった。
 犠牲になった人々の亡骸はすでに回収されており、遺品も残ってはいない。
 だが確実にここで恐ろしいことがあったと感じ取れる有様に伊織はぶるりと震えた。

「私が通った時には何もいなかったのに……」
「魔獣の類は突然湧くものだ」

 リータが襲われなかったのは単に運が良かったのだろう。
 通り過ぎるのが少しでも遅ければ遭遇することになっていた。しかも魔獣が大人数相手に殺戮を繰り広げた話が本当なら、もし護衛が一緒にいても太刀打ちできなかったに違いない。
 それを自覚したのかリータも表情を強張らせる。

 その隣で店主がきょろきょろと辺りを見回していた。

「しかし静かですね、もしや犯人はすでに別の場所に行ってしまったのでは……」
「いや、まだ真新しい獣臭さが残っている。……よし、少し離れていろ」

 静夏は二、三歩伊織たちから距離を取ると「ふん!」と両足に力を込めた。
 一回り大きくなった太腿に布がみちみちと引っ張られるが、静夏のズボンは村人が紡いだ丈夫な糸で出来ているため持ち堪えていた。匠の技である。

「少し上から見てくる」
「い、いってらっしゃい」

 伊織が場違いな見送りの言葉を送ると、静夏は嬉しそうに笑ってその場からジャンプした。爆風のような余波が伊織たちの間を吹き抜け、岩肌から伸びたか細い雑草を揺らしていく。
 静夏が跳び上がった距離は悠々と岩壁を越え、あっという間に遥か上空へと抜けていく。伊織たちから見るとまるで点のようだった。

「……」
「……」

 滞空時間も長い。
 その間に地面に視線を移すと、静夏の立っていた場所は足の形に陥没していた。
 直後、そことまったく同じ位置に静夏が降ってきて仰天する。

「ただいま」
「お、お、おかえり」
「ここから少し離れた岩陰で休んでいる大型魔獣がいた。恐らくあれが犯人だろう」
「……! なら今からそこに向かって――」

 いいや、と静夏は首を横に振る。

「着地の際にわざと大きな地響きをたてておいた。皆で険しい岩壁を登って出向かずとも向こうからこちらへと来るだろう」
「へ……」

 伊織が言葉を失っている間に岩を掻く音が聞こえ、岩壁の上に獣の影が躍り出た。
 五メートルはゆうに超える狼のような体躯の獣だ。
 しかし顔は明らかに猪の形をしており、一目でわかるほど殺傷を目的にした鋭い二対の牙を生やしている。そのせいか頭が重いのか常に頭を下げ気味である。
 その獣は四人と馬を見つけると舌舐めずりし、岩を蹴って飛びかかってきた。

 自分たちが餌として見られている。
 伊織はそう肌で感じたというのに、湧いてくるのは軽い冷や汗のみ。
 それはきっと――

「さて、退治の時間だ」

 ――魔獣を欠片も恐れず、静夏が準備体操をしていたからだろう。
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