マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第一章

第2話 僕の知らない28年間

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 時計がないため時間はわからないが、人々が外で活動し始めた気配で目が覚めた。

 未だに見慣れない小屋は小さな村――ベタ村の中央に近い位置に建っている。
 そのため自然と周辺の人通りが多かった。
 昨日この村に生まれ直し目覚めた伊織は「とりあえず詳しい説明は後でするから、今日は温かいものをゆっくり食べて体の点検をしよう」と言われ、念のためお粥から始めたが何の問題もなく食べ終えることができた。

 起きた直後からあれだけ喋って動けたのもおかしい。
 一体何故だろう?

 そう思っていたがすぐに謎が解けた。
 伊織が眠っている間、体におかしなところがないか点検する際に同席した『魔導師』を名乗る女性が発声、筋肉への刺激、その他諸々意識のある人間がおこなう動作により成長と発達する事柄を魔法を駆使して誘発したのである。
 これにより意識がなくても通常の子供と同じように成長することができたらしい。

「ただ、この方法だと精神の発達まではサポートできないんです。今回はマッシヴ様よりイオリ様の精神がすでに成熟した状態であるとお聞きしたので、十三年間しっかりと務めさせて頂きました」

 そう言った女性はやはり静夏をマッシヴ様と呼んだ。
 なにそれ? と何度思ったかわからない。夢の中でも同じことを考えた気がする。
 それすら明日回しとなり、再びベッドに寝かしつけられた伊織は静夏の――やたらムキムキになり肉体美が目に眩しい母親の子守唄を聞きながら眠りについた。
 歌う姿はやはり母親だった。

 目が覚めた後、しばらくぼうっとしていると静夏の大きな影が横切り、窓を少し開けてつっかえ棒で固定するのが目に入る。

(……母さんが歩き回ってる)

 ふらつくこともなく。
 少し歩いただけで息を乱すこともなく。
 辛そうな表情も一切見られず、健康そのものの溌剌とした姿で。

 どんな姿であったとしても、苦しむことなく元気に動き回っている姿は伊織にとってなにものにも代えがたい褒美のように思えた。
 自然と涙ぐんでいると静夏と目が合い、あくびをしていたふりをして笑いかける。

「えっと……おはよう、母さん」

 静夏は健康的な歯を覗かせて笑い返した。

「おはよう、伊織!」

     ***

 朝食は固いパンを牛乳に浸したものと色とりどりの野菜のサラダ。
 恐るべきは静夏も同じメニューであり、量もさほど多くなかったことだ。
 この食事内容でどうやってあの体型を維持しているのか謎ばかりが湧いてくる。筋肉が光合成でもしているのだろうか。

「……母さん、そろそろ教えてよ。僕が寝てる間になにがあったんだ? その姿は願いが叶った結果なのか?」

 質素ながらも朝食をとった後、伊織がおずおずとそう訊ねると静夏は己の両手の平をじっくりと見てから口を開いた。
 しかし説明してくれるのかと思いきや眉をハの字にする。

「やっぱり変?」
「そこから!?」

 静夏は恥じらうように両頬を手の平で覆った。

「もう見慣れてしまって違和感なくてな」
「ま、まあ、十三年間そうだったなら気持ちはわかるけど……」
「否、私もこの地に生み出され生きてきた。二十八年間ここでこうして生きている」

 そうか、と伊織は口を半開きにしつつも理解した。
 どうにも実感が薄く転生した気がしなかったのだが、それは生まれてからの過程をすべてすっ飛ばしたからだ。

 対して静夏は赤ん坊から今の年齢に至るまで、恐らく記憶を保ったまま過ごしてきた。この世界で過ごした時間は元の世界で生きてきた時間に近い。
 それに加えて前世の静夏は起き上がることもままならなかったため、鏡を見る機会が少なかったのだ。全身鏡ともなれば尚更だ。
 なら昔の姿と今の姿の乖離に気がつかないのも仕方ない――とは思うがやっぱり少しは違和感持とうよと伊織は思ってしまう。

「体の健康さは願った通りだ。筋肉もそれによるものだろう。なぜか育つたび溢れるパワーが増えていってな、それを活用し魔物や魔獣を退治していたらいつの間にか人々に崇められていた」
「ま、魔獣とかいるんだ。まあだいぶファンタジーっぽい世界だもんな」

 神様の希望通り『救世主』にはなっているようだった。
 その過程が伊織にとってはあまりにも謎だったが。

「十五になった頃に伊織を身籠ったことも理由のひとつだろう」

 どういうことだ?
 そう伊織は何度思ったかわからないことを口に出そうとしてやめる。

 自分がここにいる、ということは父親がいるということだ。
 ということはその父親がこの宗教的な崇め方の先導者だったのではないだろうか。
 少々難があるような気がしたが、もし支えてくれる人がいたなら良かったとも思う。伊織はそこまで考えて疑問を口にするか悩んだ。
 しかし、こういった事柄をはっきりさせずに暮らしていくのは無理だろう。それなら早い段階で解決したほうがいい、と思いきって口を開く。

「あー……その、もしかして母さんはここで結婚――」

 しているのか、と冷や汗をかきながら訊ねようとした言葉に被せるようにして静夏が言った。

「処女懐胎だ」
「しょ」
「処女懐胎」
「じょ、かいたい、……えっ!? 父親いないの!?」

 思わず目を剥いて訊ねると静夏は軽く頷いた。
 応援する気持ちがあったとしても知らぬうちに新しい父親ができていたら複雑な気持ちだったが、父親の存在なしで処女懐胎したとなると更に複雑だ。
 伊織はハッとする。

「あ、まさかそれで聖女みたいに思われた、とか?」
「その通り。なぜか筋肉の力を持って遣わされた聖女だと思われてしまった。……まあ、あながち間違いでもなかったため訂正はしていないが」
「いや、う、うーん」

 神の使いとしてこの地に降り立ち、筋肉の力を振って脅威を消し去る。
 筋肉に関しては完全にたまたまだが、たしかにあながち間違ってもいない。しかし伊織は納得しながら頭を抱えるはめになった。

 静夏は己の立派な上腕二頭筋を撫でる。

「この地方では元から筋肉を信仰する風習があってな、それも手伝って自然と受け入れられたのだろう」
「じゃあその口調もなにか理由が?」
「口調? ああ、そういえばあっちでは違った物言いをしていたか」

 はたと気がついた様子で静夏は自分の喉元に手をやった。

「筋力だけでは魔獣退治をスピーディーにこなせなくなった頃があったんだ、そんな時に弟子入りした師匠から移った……んだと思う。無意識故にあまり自覚はないんだが」

 いやうん、そこも本当に少しは違和感持とうよと伊織はか細く唸る。
 しかし大雑把にでも理由がわかったのは助かった。さすがにこのまま何の理由もなく受け入れるのは辛いなと思っていたところだ。
 それにしても、と伊織は母親を見る。

「本当に沢山苦労をかけたんだな……ここまで育ててくれてありがとう、母さん」

 普通なら口にするのも気恥ずかしいセリフ。
 しかし今は何の引っ掛かりもなくするりと出た。
 もちろん、伊織はこんな礼の言葉ひとつで済ませる気はない。
 もう少し大きくなったら自分も母親を支えられるようにこの世界の仕事を覚えるぞ、と意気込んでいると、その母親の目から涙がぶわっと湧き出て伊織は素っ頓狂な声を上げた。

「ななななに、どうしたんだよ!?」
「伊織、お前のような息子を持てて私は幸せ者だ……!」
「えっ、あっ、へへ、どういたしまし……て、って! 凄いぞテーブルびっちゃびちゃなんだけど水分とかそういうの大丈夫なのかそれ!?」

 もはや滝である。
 筋肉に関係ないところでもパワフルすぎないか、とあたふたしながら手近なタオルで拭おうとしていると、にわかに外が騒がしくなった。
 様々な声が様々なことを叫んでいる。

 その声すべてから緊迫感を感じ取り、先ほどとは違う理由であたふたしている伊織の前で静夏が立ち上がった。
 涙はすでに無く、声のしている方向をじっと見ている。
 かと思えば「ゆかねば」とずんずんと外へと出ていき、伊織は慌ててその背中を追った。

「母さん、一体何が……」
「魔獣が出たんだ」

 静夏の姿を見るなり村人たちが「マッシヴ様!」「お助けください!」と群がり、口々に魔獣の様子を伝える。
 怯えてはいるがマッシヴ様がいれば安心、マッシヴ様のために自分たちにできること――情報提供をしよう、という意思が強く感じられた。

「マンイーターか、数は一体だけか?」
「はい。今朝、東の山から収穫した山菜に種が混ざっていたようで……日光を得て急速に成長したんです」

 大きさは二メートル、巨大な花に棘のあるツタが手足のように付いた外見をしているという。大きさだけで言うなら今の静夏と同等だ。
 その話を聞いた直後、まさしく言われた通りの見た目をした化け物が納屋の向こうから姿を現した。

 赤黒く肉厚な花弁には亀裂のような模様が走り、本来おしべやめしべがあるべき位置にヤギの目に似た横長い瞳孔の単眼が付いている。
 花弁の下、ツタとの合流部分には大きな口があるのか唾液がだらだらと垂れていた。ただし発声器官はない様子で、しゅうしゅうと空気が漏れるような音だけさせてこちらに近づいてくる。

 突如当たり前のように現れた魔獣に伊織は肩を震わせた。

「か、母さん、あいつ僕らを食おうとしてるんじゃ」
「その通り、丸呑みにされれば三日かけてじっくりと溶かされることになる」
「ガチの魔獣じゃん!? 母さんが魔獣退治してたっていっても危な――」
「大丈夫」

 ぽんぽん、と軽く背中を叩かれる。
 反論の言葉を失っていると、静夏はざりっと地面を踏みしめたかと思えば見ている側まで風圧を感じるほどのスピードで走り始めた。
 一気にマンイーターとの距離を詰め、懐に入り込む。
 しかしマンイーターも静夏に対して超反応した。目にも止まらない速さでツタをしならせ、鋼鉄並みに固いトゲで静夏の肌を引き裂こうとする。

 静夏はそのツタごとマンイーターを殴った。
 ただただ普通に殴った。

 ばちゅん! と音をさせてツタの一部と目玉のど真ん中が吹き飛び、緑色の体液が噴水のように噴き出す。
 伊織は呆然としながらそれを眺め、口を半開きにし、言葉を失った。
 あっという間とはこのことであり、唖然とはこのことである。

「よし、伊織! 風呂の準備をしよう!」

 快活な笑みを向けた静夏は全身真緑になっており、伊織は先ほど失った言葉の中から慎重に言葉を選んで言った。

「……青汁みたいだな」

 慎重ではあったが、冷静ではなかった。
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