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第二章 王都レイザァゴ編
第51話 これからも一緒に食卓を
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タージュを見送った頃には日が暮れ始め、橙色の光が店内に射し込んでいた。
夕飯時が近づくと食事処デリシアは忙しくなる。少し話し込みすぎたか、と店員用のエプロンを手に取っていると、同じエプロンを付けて店内をいそいそと動き回るコゲの姿が見えて驚いた。
「シロさんがお話する時間を作るんだって、自分からお手伝いを申し出てくれたんですよ。ふふ、私が子供の頃に使ってたエプロンがぴったりで良かったです」
使い終わった食器を下げながらコムギが笑みを浮かべて言う。
今までコゲは俺と同じように居候という形でここにいたが、まだ小さな体に不慣れであることや、本人が一度堕ちた身である自分が他人の食べるものに触れていいのかと心配しており、店の表には関わらないでいたのだ。
代わりに掃除や他の雑用をしていたが、良い機会だと今回チャレンジすることにしたらしい。
「体にも大分慣れてきたみたいですし、食べ物に関わっても大丈夫だってこの半年で沢山確認できたみたいなので」
「あはは、これは後でお礼を言わないとな」
コゲはボサボサだった髪をツインテールに纏め、それを揺らしながらせっせと頑張っている。
それを見ていると何だか我が子の成長を見守る父親のような気持ちになった。
いやまあコゲの方が大分年上なんだけれど、こういう錯覚は致し方ない。
――そうして客足のピークを越えるまでの二時間ほど一心不乱に働き、ようやく店を閉める時間になった。
扉にCLOSEDの看板をかけたコムギは「二人とも、お疲れさまでした!」と温かなホットミルクを俺たちの前に出す。
甘くまろやかな香りに頬を緩めているとコゲが「おいしい」と小さく呟いた。
コムギは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ミルクを温めるだけですけど……前はこれでも失敗してたんで褒められると嬉しいですね」
「……調理、ことごとく失敗するの、堕ちた我の巫女になったせい。ごめん」
「!? いいんですよ、コゲちゃんは悪くないですから!」
しゅんとしたコゲに驚いたコムギはそう力強く言ってコゲを宥めた。
それでもコゲは手元を見たまま言う。
「たぶん、我が気づいてないだけで、過去にも他に巫女がいた。……本来は神が必要としないと選び出されない。けど我、封印されている間も寂しくて無意識に巫女にしてたのかも」
相性が良くないと巫女にはなれないらしいので、そんなに人数はいなかったかもしれないけれど、とコゲは付け加えた。
「……そうか、コゲは今までの巫女に対しても申し訳なく思ってるんだな」
「そう。――我がこんなだから、巫女は食べ物に嫌われていたと思う」
一生をその状態で終えた人もいたかもしれない。
それが申し訳ないのだとコゲは言った。
そんなコゲと目線の高さを合わせてコムギが微笑みかける。
「巫女になった時にはなにも感じなかったけれど……前に話した通り、ママを亡くして寂しくて仕方がない時に料理を上手く作れなくなったんです。コゲちゃんの寂しさと同調したんでしょう」
「コムギ……」
「でも呼び声が聞こえた時に助けてあげたいと思いました。今も同じ思いです。そしてあの時会えてよかった、巫女になれてよかったと思ってるんです。――コゲちゃん、これからは寂しくないようにずっと一緒に食卓を囲みましょうね」
そう伝えたコムギにコゲを目をまん丸にした。
俺もつられて笑いながら言う。
「飢えて寂しい思いなんて何度もしなくていい。そうだろ?」
「シロ……」
「コムギが許しても罪滅ぼしをしたい気持ちはなかなか消えないかもしれない。コゲが悪くなくてもな。神様には沢山時間があるから、これからゆっくり償ってこう。俺も手伝うよ」
今日コゲが手伝ってくれたように。
そう言うとコゲは丸くした目からぼろぼろと涙をこぼしながら頷き、もう一口ホットミルクを口に含んでにっこりと笑った。
***
新しい世界、新しい同居人、新しい関係。
この世界に生まれ変わってから色んなことがあった。
きっとこれからも色んな経験や記憶が降り積もっていくんだろう。
――そう思うと、今までの忙しい日々の中で目を向けるのを忘れていたことを思い出した。
正確には忘れていたのではなく考える余裕がなかったんだが、似たようなものだ。
俺の記憶は完全じゃない。
過去のことは思い出せるけれど、細かなところがいくつか抜け落ちている。
ここで生活する中で思い出したこともあったけれど、当初からずっと気になっている記憶が未だに思い出せないでいた。
(……俺の一番の好物って何だったんだろう?)
ここで様々な料理を口にしてきたが、終ぞ「これだ!」というものには出会えなかった。
どれも美味しく食べられるのでいわば食べ物すべてが好物みたいなものなんだけれど、生まれ変わる前にひとつだけ『これは特別だ』と感じていたものがあった気がする。
その食べ物について考えると、とある感情が湧き上がってくるのだ。
思い出したいという気持ちより強い、忘れたくなかったという気持ちが。
「俺がそこまで想う好物って一体なんだったんだろう。――いつかその記憶を取り戻せるといいな」
そしてそれをコムギやコゲたちと一緒に腹一杯食べたい。
そんなことを思いながら、俺はかつて自分が落ちてきた満天の星空を見上げた。
***
近頃の天界の騒がしさときたら、夜もおちおち寝ていられないくらいだった。
神に睡眠は必須じゃないにしてもリラックスできないのは困ってしまう。これが嫌で下界に逃げた神もいるらしいけど、だからといって私も同じことをしようとは思えなかった。
神にはタブーが存在する。
それを破れば堕とされる。
私は鍛冶の神。
調理器具を作ったり、下界の調理器具関連の発展を調整したり忙しくしている。
作りたくなくても何かを作らなくては役目をサボっていると思われかねないので、私は毎日様々な器具を生み出していた。
それを行なうのに都合が良いのが天界なのだ。
下界に行きたくてもそこでは思ったように活動できないわけである。
私は騒動の引き金になった二柱を密かに恨んだ。
(最高神である食事の神が二柱もいる、なんて前代未聞すぎるものね……)
そのせいで古くからの神々の派閥と、比較的新しい神々が中心になっている派閥――夜の女神スイハの率いる派閥が日々小競り合いを繰り広げているのだ。
最高神は古い食事の神である、という主張と、最高神は新しい食事の神であるという主張がぶつかり合っている形だ。
どっちでもいいじゃないかと思うのは忠誠心がなさすぎだろうか。
どっちにせよ。
(私の『趣味』にかける時間がまったくなくなったのが一番困るわ)
鍛冶とは異なる、本当にただの趣味。
かつて親友だった、しかし今は存在しない神から教えてもらったもの。
自分の役割以外に打ち込める貴重な趣味だったのに、天界が落ち着くまでは自由に出来なさそうだ。
そこかしこでフードファイトが起こる影響で「もっと良い調理器具を!」という依頼がひっきりなしに入るのだ。言われなくても作るけど、個々のクオリティを上げるとなるとやはり時間がかかる。
「……はあ。早く落ち着いてくれないかしら」
ねえ、ベイカー。
あなたに教えてもらった趣味。
――『料理』を再び心から楽しんで出来るようになるのはまだ先になりそう。
そうため息をつきながら見上げた空からは、いつも通り数多の星々がこちらを見下ろしていた。
夕飯時が近づくと食事処デリシアは忙しくなる。少し話し込みすぎたか、と店員用のエプロンを手に取っていると、同じエプロンを付けて店内をいそいそと動き回るコゲの姿が見えて驚いた。
「シロさんがお話する時間を作るんだって、自分からお手伝いを申し出てくれたんですよ。ふふ、私が子供の頃に使ってたエプロンがぴったりで良かったです」
使い終わった食器を下げながらコムギが笑みを浮かべて言う。
今までコゲは俺と同じように居候という形でここにいたが、まだ小さな体に不慣れであることや、本人が一度堕ちた身である自分が他人の食べるものに触れていいのかと心配しており、店の表には関わらないでいたのだ。
代わりに掃除や他の雑用をしていたが、良い機会だと今回チャレンジすることにしたらしい。
「体にも大分慣れてきたみたいですし、食べ物に関わっても大丈夫だってこの半年で沢山確認できたみたいなので」
「あはは、これは後でお礼を言わないとな」
コゲはボサボサだった髪をツインテールに纏め、それを揺らしながらせっせと頑張っている。
それを見ていると何だか我が子の成長を見守る父親のような気持ちになった。
いやまあコゲの方が大分年上なんだけれど、こういう錯覚は致し方ない。
――そうして客足のピークを越えるまでの二時間ほど一心不乱に働き、ようやく店を閉める時間になった。
扉にCLOSEDの看板をかけたコムギは「二人とも、お疲れさまでした!」と温かなホットミルクを俺たちの前に出す。
甘くまろやかな香りに頬を緩めているとコゲが「おいしい」と小さく呟いた。
コムギは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ミルクを温めるだけですけど……前はこれでも失敗してたんで褒められると嬉しいですね」
「……調理、ことごとく失敗するの、堕ちた我の巫女になったせい。ごめん」
「!? いいんですよ、コゲちゃんは悪くないですから!」
しゅんとしたコゲに驚いたコムギはそう力強く言ってコゲを宥めた。
それでもコゲは手元を見たまま言う。
「たぶん、我が気づいてないだけで、過去にも他に巫女がいた。……本来は神が必要としないと選び出されない。けど我、封印されている間も寂しくて無意識に巫女にしてたのかも」
相性が良くないと巫女にはなれないらしいので、そんなに人数はいなかったかもしれないけれど、とコゲは付け加えた。
「……そうか、コゲは今までの巫女に対しても申し訳なく思ってるんだな」
「そう。――我がこんなだから、巫女は食べ物に嫌われていたと思う」
一生をその状態で終えた人もいたかもしれない。
それが申し訳ないのだとコゲは言った。
そんなコゲと目線の高さを合わせてコムギが微笑みかける。
「巫女になった時にはなにも感じなかったけれど……前に話した通り、ママを亡くして寂しくて仕方がない時に料理を上手く作れなくなったんです。コゲちゃんの寂しさと同調したんでしょう」
「コムギ……」
「でも呼び声が聞こえた時に助けてあげたいと思いました。今も同じ思いです。そしてあの時会えてよかった、巫女になれてよかったと思ってるんです。――コゲちゃん、これからは寂しくないようにずっと一緒に食卓を囲みましょうね」
そう伝えたコムギにコゲを目をまん丸にした。
俺もつられて笑いながら言う。
「飢えて寂しい思いなんて何度もしなくていい。そうだろ?」
「シロ……」
「コムギが許しても罪滅ぼしをしたい気持ちはなかなか消えないかもしれない。コゲが悪くなくてもな。神様には沢山時間があるから、これからゆっくり償ってこう。俺も手伝うよ」
今日コゲが手伝ってくれたように。
そう言うとコゲは丸くした目からぼろぼろと涙をこぼしながら頷き、もう一口ホットミルクを口に含んでにっこりと笑った。
***
新しい世界、新しい同居人、新しい関係。
この世界に生まれ変わってから色んなことがあった。
きっとこれからも色んな経験や記憶が降り積もっていくんだろう。
――そう思うと、今までの忙しい日々の中で目を向けるのを忘れていたことを思い出した。
正確には忘れていたのではなく考える余裕がなかったんだが、似たようなものだ。
俺の記憶は完全じゃない。
過去のことは思い出せるけれど、細かなところがいくつか抜け落ちている。
ここで生活する中で思い出したこともあったけれど、当初からずっと気になっている記憶が未だに思い出せないでいた。
(……俺の一番の好物って何だったんだろう?)
ここで様々な料理を口にしてきたが、終ぞ「これだ!」というものには出会えなかった。
どれも美味しく食べられるのでいわば食べ物すべてが好物みたいなものなんだけれど、生まれ変わる前にひとつだけ『これは特別だ』と感じていたものがあった気がする。
その食べ物について考えると、とある感情が湧き上がってくるのだ。
思い出したいという気持ちより強い、忘れたくなかったという気持ちが。
「俺がそこまで想う好物って一体なんだったんだろう。――いつかその記憶を取り戻せるといいな」
そしてそれをコムギやコゲたちと一緒に腹一杯食べたい。
そんなことを思いながら、俺はかつて自分が落ちてきた満天の星空を見上げた。
***
近頃の天界の騒がしさときたら、夜もおちおち寝ていられないくらいだった。
神に睡眠は必須じゃないにしてもリラックスできないのは困ってしまう。これが嫌で下界に逃げた神もいるらしいけど、だからといって私も同じことをしようとは思えなかった。
神にはタブーが存在する。
それを破れば堕とされる。
私は鍛冶の神。
調理器具を作ったり、下界の調理器具関連の発展を調整したり忙しくしている。
作りたくなくても何かを作らなくては役目をサボっていると思われかねないので、私は毎日様々な器具を生み出していた。
それを行なうのに都合が良いのが天界なのだ。
下界に行きたくてもそこでは思ったように活動できないわけである。
私は騒動の引き金になった二柱を密かに恨んだ。
(最高神である食事の神が二柱もいる、なんて前代未聞すぎるものね……)
そのせいで古くからの神々の派閥と、比較的新しい神々が中心になっている派閥――夜の女神スイハの率いる派閥が日々小競り合いを繰り広げているのだ。
最高神は古い食事の神である、という主張と、最高神は新しい食事の神であるという主張がぶつかり合っている形だ。
どっちでもいいじゃないかと思うのは忠誠心がなさすぎだろうか。
どっちにせよ。
(私の『趣味』にかける時間がまったくなくなったのが一番困るわ)
鍛冶とは異なる、本当にただの趣味。
かつて親友だった、しかし今は存在しない神から教えてもらったもの。
自分の役割以外に打ち込める貴重な趣味だったのに、天界が落ち着くまでは自由に出来なさそうだ。
そこかしこでフードファイトが起こる影響で「もっと良い調理器具を!」という依頼がひっきりなしに入るのだ。言われなくても作るけど、個々のクオリティを上げるとなるとやはり時間がかかる。
「……はあ。早く落ち着いてくれないかしら」
ねえ、ベイカー。
あなたに教えてもらった趣味。
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