とある騎士の遠い記憶

春華(syunka)

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第3章:生い立ち編2 ~見聞の旅路~

第91話 東の歪みの粛正

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アロイスの放った氷のバラの蔓で足を拘束されたクリソプ男爵は痛みを感じないのか睨みをきかせるアロイスから逃れようともがいていた。

ギュンッ!!!

「ぐっ・・・・」

アロイスが氷のバラの蔓の拘束を更に強めるとクリソプ男爵は上半身に力を入れた。

アロイスは冷やかな視線をクリソプ男爵へ向ける。

「さて、クリソプ男爵。やっと、だけになりましたね。室外の近習従士も退きました。この部屋で起こることはのみが知るところ」

アロイスはクリソプ男爵とその背後にゆらめく黒の靄を睨む。

「クリソプ男爵、ご自身でも気づいておられるのでしょう?既に『黒の影』に捕らわれていることを」

『黒の影』の言葉にクリソプ男爵の背後でゆらめく黒い靄が勢いを増した。

「もはや、この場から逃げおおせる等と思いではありませんよね?さぁ、選んでください。氷のバラの棘で心臓を貫かれるか、黒の影の肥やしとなるか、どちらにしてもお命はありませんが、家名の恥辱とならぬ様お考え下さい」

アロイスは深い緑色の瞳でクリソプ男爵の瞳を見つめた。

クリソプ男爵の瞳は赤黒く変色している。

「そうそう、この度の王国の禁忌を犯したこと、すでに国王陛下の知るところです。幸い、後継の第一子バナン殿がいち早く陛下へ贖罪されました。犯した禁忌全ての廃止と奴隷として育てられた子らの保護、そして・・・・」

アロイスは冷やかに微笑む。

「あなたの首です。実の父親の命をもって贖罪とされました。ああ、ご安心ください。爵位はバナン殿がされます。立派な後継者がおいでで本当によかった。危うく18貴族の均衡が歪むところでした」

アロイスは赤黒く変色したクリソプ男爵の瞳に観念するよう促す様にたんたんと言葉を繋いだ。

「それと、禁忌を犯し得た利は全て王国へ寄贈されるそうですよ。勿論、孤児たちの保護や所領の農家が被害を受けずに済むよう計らった上でのことですが。バナン殿は所領の運営にも秀でていらっしゃる」

アロイスはにこりと微笑みを向ける。

「私が何の手立てもないままに『東の歪み』の証拠だけを集めこの館に入ったとお思いですか?シュタイン王国にとって、18貴族の均衡は最も大切なことです。あなたが仰る様に私はただの騎士団団長にすぎません。たとえ禁忌を犯した全ての証拠が揃っていようとあなたを捕えることも他国の貴族を国外へ退去させることも、そのような強制力は持ち合わせていません」

アロイスはぐっとクリソプ男爵の顔をのぞく。

「では、なぜ?この様に強制力を持てたのか。気になりますか?私の所業の全ては王都騎士団総長を通し、国王陛下へ伝わっております。東の館にて『東の歪み』を粛清することは国王陛下からのめいにございます」

「やっとです。クリソプ男爵。我が叔父より騎士団団長の任を引き継ぎ4年の月日を費やしました。あなたは前ご当主より引き継がれた『東の歪み』を大きく成長させてきた。その一部始終を私は国王陛下のめいの元、見守ってきたのですよ」

アロイスはクリソプ男爵に巻き付く氷のバラの蔓を言葉と共に上へ上へと伸ばしていった。

クリソプ男爵の顔が歪み始めている。

「あなたの後継バナン殿は王国のこの先を憂いておられた。18貴族の領主が己の利のみを考えていては、いずれ王国は滅びの道を辿ることになると。何度もあなたに禁忌を犯すことをやめる様お話しされたそうですね。他国の貴族に館を使わせるために準男爵家をいわれなき罪にて取り潰してまでのあなたの所業に嘆き、苦しんでおられた。実の父を自らの手で粛清せねばならぬと」

アロイスは床を睨みつけわなわなと身体を震わすクリソプ男爵へ一歩近づいた。

腰を少し屈め床を睨み俯くクリソプ男爵の顔を上目づかいで覗き込む。

「一つ、確認したいことがあります」

クリソプ男爵の視線を捉えると屈めた身体を元に戻す。

「青き血が流れるコマンドールとして再来を果たされたセルジオ様のお命を奪うおつもりでしたか?奴隷として国外へ売るおつもりでしたか?どちらを優先とお考えになられていましたか?」

クリソプ男爵はアロイスの問いにニヤリと口元を歪めた。

ドクンッ!!!

クリソプ男爵の不敵な表情にアロイスの胸は熱を帯びた。

「何を笑っているっ!!」

ギュンッ!!!

怒気を帯びた声と共に氷のバラの蔓が一層強くクリソプ男爵を拘束した。

「ぐっ・・・・」

背後の黒い靄が膨張する。

「申せっ!セルジオ様をどうするつもりだったっ!」

ビュオーーーーー

アロイスから放たれる冷たい空気が貴賓室に充満する。

細かな氷の結晶が黒い靄を巻き込んだ。

クリソプ男爵の黄褐色の髪の先端がパリパリと音を立てて凍っていく。

クリソプ男爵は赤黒い瞳をギロリとアロイスへ向けた。

不敵な笑いを浮かべ、地の底から響く様な低い声音でアロイスの問いに答えはじめた。

背後の黒い靄がゆらゆらと揺らめき先ほどまでのクリソプ男爵とは明らかに違う形相を浮かべている。

「何が正義で何が悪かなど、時の流れで変わるものだ。100年以上も前に定めた禁忌など、今の世では通用せぬ。人も物も情報も全てが自由に行きかい初めて富が生まれる。富まねば領民の幸せもない。ラドフォールは元々豊かな領地。貧しさを知らぬ。貧しさが争いを生むなどと考えが及ばぬのであろう」

「王国の東、隣国との境界に位置する我が所領は、常に危険と隣り合わせだ。星読みで結ばれた縁など貧しさの前には何の意味も持たぬ。富が手に入れば、人は自然とゆとりが湧くものだ。しかも、永遠に失うことがない富だ。次第にその富の恩恵に与《あず》ろうと人が集まる。気前よく分けてやれば与えている間は我が足元にひれ伏す。その者にとっては私が全てとなり、私が正義となる」

「どうだ、富の前に禁忌など恐れるに足らず。反対に貧しければどうだ。貧しさは人に疑念を生む。疑念は憎悪となり心身を蝕む。妬み、恨みが膨張し争いへと発展する。そうなればもはや誰にも止められぬ。山肌を滑る雪玉の様に一気に大きく育ち雪崩となって人を街を所領を王国を飲み込む」

「どうだっ!アロイスっ!富は正義となり人も国をも育てる。貧しさは憎悪となり人も国も食らい尽くし滅ぼす。禁忌を犯してでも富を生まねばならぬのだっ!そこに禁忌など必要ないっ!」

「そして、青き血が流れるコマンドールは憎悪の根源だっ!!古から続く憎悪そのものだっ!私は王国に邪魔な存在を取り除こうとしたまでだっ!富を正義とするためにセルジオは死なねばならぬ存在っ!その身をずたずたに切り裂き、妄想にすぎぬ伝説などに皆が心を惑わさらぬようにせねばならぬっ!殺されて当然の存在なのだっ!」

クリソプ男爵の赤黒い瞳がギラギラと輝きを増し、アロイスに詰め寄るように言い放った。

「許さぬっ!!!!」

ビュオーーーーー!!!

バリバリバリッ!!!

アロイスの怒声と共に窓ガラスが凍った。

アロイスの怒りにクリソプ男爵の背後に揺らめく黒の靄が待っていたとばかりに勢いを増した。

「わははははっ!!!」

クリソプ男爵が高らかな笑い声を上げる。

赤黒い瞳でアロイスをぎっと睨んだ。

「その怒りの感情を待っていたわっ!」

クリソプ男爵の黒の靄が黒々とした人の形を現した。

クリソプ男爵の身体は操り人形の様に力なく項垂れている。

「アロイス、お前に我は倒せまいっ!水の精霊ごときが我に刃向かうとは愚かなことだっ!」

『黒の影』となった黒い靄が愉快そうにアロイスを見下ろす。

「こやつもお前も我の餌食としてくれようぞっ!」

ブワンッ!!!!

『黒の影』はクリソプ男爵とアロイスを覆う様に貴賓室の天井まで舞い上がった。

ピキンッ!!!!

ピカッ!!!!

アロイスが左手を大きく払うと鏡の様な氷の板が『黒の影』を取り囲んだ。

窓から差し込む陽射しが氷の板に反射し、強烈な光を放った。

「うっうわぁぁぁぁ!!!!」

『黒の影』は頭を両手で抱え、苦しそうにもがく。

シャン!!!!

アロイスは再び左手を大きく払った。

光を吸い込んだ氷のバラの蔓が黄金色に輝き『黒の影』を捕えた。

「ぐっぐあぁぁぁぁ!!!この光はっ!!水の精霊ごときにっ!この光が出せるはずはっ!」

もがき苦しみながら『黒の影』は苦々しくアロイスを見下ろす。

アロイスは冷やかな表情のまま捕えた『黒の影』を見上げた。

「私が何の手立てもなくお前と対峙すると思っていたのか?」

襟の隙間から胸元に手を入れると首飾りを取り出した。

ピカッ!!!

アロイスの瞳より薄い緑色のバラの花を模した中央に光る太陽石ペリドットが輝きを増した。

「ぐっぐあぁぁぁぁ!!!」

『黒の影』は一層苦しみの声を上げる。

「私の守り石だ。叔母上が光の魔導士の力を込めて下さった。お前を退ける手立てとしてなっ!!!」

アロイスは太陽石の首飾りを高々と頭上に掲げた。

「おのれっ!またしてもポルデュラかっ!まぁ、よいわっ!これからいくらでも機会はあるっ!セルジオを葬る機会がなっ!待っておれっ!苦しみもがき死んでいくセルジオの姿をお前に見せてやるっ!二度と我に逆らうことなどできぬようになっ!」

ブワンッ!!!

『黒の影』はアロイスへ毒づくとまるで煙が消える様にその姿を消し去った。

「・・・・逃げたか。叔母上の仰る通りだったな。光で捕えれば力を失い逃げるほかないと・・・・」

シャンッ・・・・

アロイスは左手を静かに払った。

ドサッ!!!

氷のバラの蔓で拘束していたクリソプ男爵を解く。

クリソプ男爵は血の気が失せた真っ青な顔で力なく床に倒れた。

アロイスは警戒を解くことなくクリソプ男爵へ近づく。

そっと口元に手を差し伸べ、呼吸の有無を確認した。

「息絶えたか・・・・『黒の影』の餌食になることを選んだのだな」

ぐっ!!!

アロイスは拳を握った。

「なぜだ?なぜ、そこまでセルジオ様を敵視するのだ・・・・100有余年前とは根源の在りようも異なるというのに」

アロイスはこみ上げてくる何とも言えない悲愴感を押し殺そうと大きく息を吐いた。

床に倒れたクリソプ男爵を仰向けにすると両手を腹の上で結んだ。

膝をおり、祈るようにクリソプ男爵へ弔いの言葉を贈る。

「あなたが少しでもバナン殿のお考えを聞き入れていれば結果はまた違うものになっていたのでしょう。『黒の影』、黒魔術の餌食となった魂は従属し続け輪廻はもはや叶いません」

「それでも富が勝るのですか?慈愛なき富はいずれその身を滅ぼすことお解りだったはずです。領民を想うのでしたらなおのこと、あなたはやり方を間違えた。安らかとはいきませんが、御身は丁重に弔います」

アロイスは腰から短剣を一口、鞘ごと取り出した。

闘技場に投げ込まれた短剣だった。

クリソプ男爵の胸の上にそっと手向ける。

「我が叔父ウルリヒ鍛造の短剣です。御身だけでもお守り致しましょう」

サッ!!!

アロイスは立ち上がると貴賓室を後にセルジオ達が控えている部屋へ急ぎ向かうのだった。


その後、クリソプ男爵の亡骸は、後継のバナンによって葬られた。

本来であれば禁忌を犯した罪人は見せしめの為に王国城壁外に吊るされる。

しかし、今回は隠密裏に運ばれた『東の歪みの粛清』だった。

18貴族の均衡を保つためと王国の安寧のため、クリソプ男爵は病死とされた。

バナンへの爵位の継承は特別に計らわれることなく常時と変わらぬ手続きで粛々と行われ、クリソプ男爵領は何事もなかったかのように平静を取り戻した。

アロイスは後日、叔父の前団長ウルリヒ、叔母ポルデュラを伴い王都騎士団総長へ『東の歪みの粛清』を果たしたことを報告に都城する。

青き血が流れるコマンドールとその守護の騎士が真に再来を果たした王国の祝賀と共に。



【春華のひとり言】

今日もお読み頂きありがとうございます。

東の歪みが無事に粛清されました。
4年にも及ぶ水面下での粛清準備が功を奏して胸をなでおろしました。

ラドフォール騎士団と影部隊シャッテンの皆様、お疲れ様でした。
アロイス自ら独りで最後のとどめを刺したのは『黒の影』から部下を守るため。
けっして、保身やいいとこ取りではありません。(補足説明しておきます)

次回はクリソプ騎士団の最終話となります。
そして、新たな地へ向けセルジオ達はクリソプ騎士団を後にします。

次に向かう先は・・・

次回もよろしくお願いします。
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