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第3章:生い立ち編2 ~見聞の旅路~
第1話 プロローグ:旅のはじまり
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とある騎士セルジオの記憶を辿り更に「前世の探究」をする決意を固めた前回。
私は、「前世と今世」が所々で繋がっていると確信する。
旅立ちの時を迎えて終わった前回のとある騎士セルジオの記憶。
その続きを早く知りたい焦燥感に襲われていた。
『腕を切り落とされてるまでセルジオはどう生きたのか』が早く知りたいと思った。
それはまるでお芝居の続きが気になる様に。
とある騎士セルジオの「生い立ち2 見聞の旅路」第3章の幕開けです。
私の目の前に両眼に短剣が刺さり、太く赤黒い涙を流している人間が佇《たたず》んでいる。
「うっう、くっ・・・・」
その姿に息をのみ後ずさろうとするが両足が地面にはりつき、一歩も動くことができない。
ペタッ・・・・
ペタッ・・・・
ペタッ・・・・
ペタッ・・・・
生温かい感触に両手を見る。ドロっとした粘り気のある真っ赤な液体が両手の指の間から滴り落ちている。
『なっ!なんだ?この手は!』
私は両手をわなわなと震わせ、粘り気のある真っ赤な液体を見つめている。
ドキンッ、ドキンッ、ドキンッ
心臓の音がやけに耳に響く。
パカッ
両眼に短剣を刺したままの人間の口が開いた。
ドロッ・・・・
開いた口元から真っ赤な液体が流れ出ている。
『それは俺の血だ!お前に貫かれた両目から吹き出した俺の血だ!』
「わぁぁぁ・・・・はっ、はぁ、はぁ・・・・」
大声を上げ飛び起きる。辺りを見回すと両目に短剣が刺さる人間は消えていた。
「また・・・・か・・・・」
あれから一週間、毎夜同じ光景にうなされ目が覚める。
人間の両眼を刃物で刺したことなどないが、確かに感触が残っているのだ。
いや、はっきりと両手に感触が残っている。
短剣の柄の固い感触、両眼を貫く何とも言えない何かが弾けグスリッと突き刺さる感触。
「これで一ヶ月間を過ごすのか?」
私はベッドの上で両手を眺め自問していた。
前世の探究をした当日は仕方がないと思っていた。
(時間が経てば薄れるだろう)
と思っていた。
ところが時間の経過と共に感触は鮮明になりナイフや包丁を持つ手つきがいつもと違う。
明らかに誰かに刃先が向けられている。
初めてその光景を夢の中で見た日の朝、自分自身が恐ろしく部屋中にある刃物は箱に収め引出の奥深くに隠す様に収めた。
どうにも独りでは解決できないことを悟る。
日を追うごとに酷くなる状況を彼女に伝えることにした。
「やはり、そうなりましたか・・・・」
予想していたと言わんばかりの返答だった。
重く固く閉ざされていた前世の記憶の蓋を開け、更にその奥の深淵まで辿った。浄化までできずに探求を終えるとよくある事だそうだ。
「パンドラの箱を開け放たれた魔物の始末ができていない状態です。軽く浄化しておきますが、根本を取り除くわけではないので効果は一時的なものです。悪夢を見なくなる訳ではないので期待しないで下さい」
そう言うと電話越しに浄化を施してくれた。温かい金色の光が伝わってくるのを感じほっとする。
「少し予定を早めて頂けるか確認してみますね」
いつもと変わらず柔らかな声音に不安が取り除かれた。
その日の夕方、早速、連絡が入った。
「来週土曜日のご都合はいかがですか?」
「大丈夫です」
「では、また先日と同じ場所で行います」
「よろしくお願い致します。お手数をお掛け致しました」
急遽、予定より3週間早く前世の記憶を探求する日程が決まった。
次に会う時までの宿題だった幼稚園から中学校卒業までの出来事と感情の洗出しはほとんどできずにいた。
待ち遠しかった約束の土曜日。前回と同じ場所へ約束の時間より少し早めに到着した。
既に彼女と桐谷さんの姿がある。
「お待たせを致しました。予定を早めて頂いてありがとうございます」
私は挨拶をしてから桐谷さんの前の席に座る。
「いえ。予定を早められたのもご縁ですからご心配なく」
桐谷さんは優しい眼差しと微笑みを向ける。
「中継ぎ頂いて、ありがとうございます。お手数をお掛け致しました」
私は続けて彼女へ御礼を言った。
「いえいえ、辛かったですよね。我慢されず早めに話して下さってよかったです」
彼女の輝く笑顔にまたもや釘づけになる。
桐谷さんは挨拶が終わると早速、話しを切り出した。
「では、早速はじめましょう。前世の記憶が日を追うごとに鮮明になり、眠れないと聞きました。幼稚園からの今世の記憶の洗い出しはできましたか?」
「いえ、できていません。すみません・・・・」
思い出そうにも記憶を遡ること自体が恐ろしく、何もできずにいたことをありのまま桐谷さんに伝えた。
桐谷さんは表情一つ変えずに感じ方、視え方はそれぞれだから仕方がないと言う。
「そうでしたか。起こったできごとの記憶への留め方は人それぞれです。鮮明に記憶を残す方や物事の記憶をする訓練を受けている方は特に感度が高く、前世の記憶と今世の記憶が混在する場合があるのです。今世の事を思い出すことが恐ろしくなるのも仕方がないです。お気になさらずに。前世の浄化が進めば、その様な恐ろしい思いもなくなりますからご安心下さい」
桐谷さんは今の状況と前世の浄化を進めることでの変化を伝えてくれた。
桐谷さんの話に私は少し安心をする。
この状況にどこまで耐えられるか、自分自身を試してみたい思いと先に進むことへの恐怖が入り混じる今まで感じたことがない思いでいたからだ。
桐谷さんは私の少し安心した様子を見て取ると微笑みを向ける。
2回目の前世の探究を始める合図だった。
「では、はじめましょう。幼稚園の頃のことを今、思い出せる範囲で結構ですので話して下さい。出来事と感情と一緒に話して下さい」
「わかりました。よろしくおねがいいたします」
2回目の前世の探究が始まった。
幼稚園時代は親の仕事の都合で一か所に留まることがなかった。2年の内に3回幼稚園を変わっている。
その事が原因なのかは定かではないが、食事が喉を通らない子供だった。食事を前にすると吐き気をもよおし食べられない。今で言う摂食障害だったのだろう。
摂食障害や拒食症の言葉すらなかった時代だ。食べられないことでの親からの叱責と食べられない苦痛が毎日続いた。
唯一、喉を通ったのは紅茶とクッキーだった。紅茶はアールグレー。さわやかな香りと共に喉を通る紅茶の温かさが吐き気を軽減させた。
クッキーは少し厚めのバタークッキーだった。少しづつ少しづつかみ砕くとそれだけで腹が満たされていると感じた。
家にいることが辛く、幼稚園は救いの場所だった。外では自由でいられたからだ。
「俺についてこい!」
棒切れを片手に友達を従え秘密基地を造る。そんな時は食事が喉を通らないことなど忘れていられた。
遊びを創り出すことが楽しかった。親とは縁が薄いように感じていたが、祖父母にかわいがられていたし、幼稚園の先生や近所の大人たちが何かと世話をやいてくれた。
多くの人に助けられ、守られていたのだと今さらであるがあり難く感じる。
「そうですか。幼少期は前世とかなり重なりますね」
桐谷さんは私の話に前世と今世の繋がる部分を確かめている。
「私もそのように感じていました。親との関係も似ている気がします」
仕事が忙しくほとんど家にいない父親。家にいるかと思えば大勢の客人を連れてきてもてなしをする。まるで召使《めしつかい》の様に使われることに母親はいつもイライラした様子だった。
私は思ったままを桐谷さんに伝える。今まで誰にも話せずにいたこと、他者へ話そうなどと思ってもいなかったことが彼女と桐谷さんにはなぜか話せるのだ。
桐谷さんは更に先へ話しを進めた。
「前回は旅立ちの前で前世の深淵から強制的に戻しました。同じところまで潜れるかは定かではありませんが、引越をする、幼稚園を変わる、関係する人々と別れる、その記憶から話して下さいますか?」
今回は記憶の入口を限定してはじめられた。
「はい、わかりました」
一番最初の幼稚園、入園式、幼稚園の様子、歌の時間?大人に手を引かれて門から出る私を見送る大勢の子供?泣いてる?何度も振り返る私・・・・桐谷さんが手を握るといつものようにふわっと身体が宙に浮く。
そのまま私は深く深く自分の奥深くへまるで海の底へ沈む様に潜っていくのだった。
パカッパカッパカッ!
騎士団城塞西の屋敷の厩舎へ馬が近づいてくる。
「バルド!!!」
馬上から手を挙げバルドの名を呼ぶ。
サッ!
バルドは厩舎の脇でかしづいた。
「フリードリヒ様、お待ち致しておりました。よう、お出《い》で下さいました」
バルドがかしづいたまま馬上へ声を掛ける。
「うむ。バルドの出立前に間に合いよかった。出立前に鞍の調整をしてもらわねばとウーリを急かしたのだ」
トンッ!
ウーリは馬上より下り、フリードリヒに手を差し出す。
ストンッ!
フリードリヒは差し出された手を取り、馬上から飛ぶように下りた。
ダダッダッ!
ガバッ!
「セルジオ!そなた!セルジオであろう?
初めてまみえる!私はそなたの兄だっ!フリードリヒだっ!会いたかった!ずっとずっと会いたいと願っていた!会えて嬉しいぞ!」
バルドの隣で静かにかしづいていたセルジオに走り寄り抱きつくとフリードリヒはセルジオの頬へ口づけをした。
「!!!・・・・あっ、あのっ!」
セルジオはこの人懐っこい兄の行動に困惑した顔をバルドへ向ける。バルドは優しい眼差しを向けセルジオへ答える。
「セルジオ様、こちらはセルジオ様の兄上、フリードリヒ・ド・エステール様にございます。その様なご挨拶の時はフリードリヒ様と同じ様に兄上様の頬へ口づけをなさいませ」
騎士の挨拶しか知らないセルジオにとって、兄の挨拶は衝撃だった。
騎士の挨拶は直接、身体に触れることはしない。それは死を意味するからだ。
「!!そうか!悪かった!ここはセルジオ騎士団城塞西の屋敷だ。騎士の挨拶が正しいな。すまぬ。セルジオ!会えた事が嬉しく、挨拶を間違えた」
そう言いながらもフリードリヒはセルジオをぎゅっと抱きしめもう片方の頬へ口づけをする。
「お初にお目にかかります。セルジオ・ド・エステールにございます。兄上様にはご機嫌うるわしゅう存じます」
セルジオはフリードリヒに倣い、兄の両頬へぎこちなく口づけをした。
「なんと!セルジオ!親しい者同士の挨拶も心得ているのか!素晴らしいな!小さな頃よりそなたに会いたくて、会いたくて、訓練施設へ出向く事を許して欲しいと父上に何度も何度も願い出た。願い叶う事はなかったが、今日、こうして会えた!胸が高鳴り、昨夜は眠れなかったぞ。ウーリ!セルジオだ!セルジオだぞっ!我が妹のセルジオだぞっ!やっと・・・・やっと会えた・・・・」
ホロリッ・・・・
フリードリヒの頬を涙が伝う。
「!!!兄上!いかがなさいましたか!私は強く抱き過ぎましたか?」
セルジオはフリードリヒの涙の意味が解らずバルドへ視線を向ける。
「セルジオ様、フリードリヒ様は『喜び』の涙を浮かべておいでです。どこも痛みはいたしておりません。人は涙を流す折り、『心が震える』のでございます。喜びの涙、哀しみの涙、怒りの涙、楽しい涙等でございます。これを『喜怒哀楽』と申します」
バルドはセルジオへフリードリヒの涙の『状態』を言葉で伝えた。
「そうか。驚いた・・・・私が兄上に痛みを与えてしまったのではないかと思ったのだ。そうか・・・・これが『心が震える』という涙か・・・・」
セルジオはフリードリヒの顏をじっと見つめる。
「・・・・うっ!うっ!うっ・・・・うわぁぁぁぁんん!!うわぁぁぁぁんん!」
突然、フリードリヒが大声を上げて泣き出した。
ギョッ!
「!!!!あ・兄・・・兄上?」
セルジオは兄の中で何が起こっているのか解らず後ずさる。
「うわぁぁぁぁんん!!うわぁぁぁぁんん!!」
セルジオの後ずさる姿を目にするとフリードリヒは益々大声で泣き、ウーリの腰元へ顔をうづめた。
「セルジオ様、お初にお目にかかります。フリードリヒ様付侍従、ウーリ・ド・セスタイトにございます。早々に失礼を致します。フリードリヒ様はセルジオ様のお心が初代様の無念と共に封印された事に心を痛めておいでなのです。『心の震え』を感じる事ができないセルジオ様を案じておいでなのです。さればこの様に泣かれて・・・・失礼をお許し下さい」
ウーリは腰元に顔をうずめるフリードリヒの頭を優しくなでる。
「さっ、フリードリヒ様。フリードリヒ様がその様に泣かれても何も変わりません。セルジオ様もバルド殿も困っておいでです。泣き止まれて鞍の調整をしていただきましょう。日のある内に城へ戻りませんとセルジオ様へお会いする事を許して下さった父上様へ申し訳がたちませぬぞ。さっ、フリードリヒ様。大事ございません。セルジオ様はお心を封印されていてもお元気でいらっしゃいます。ご案じなさいますな」
「ひぃっく、ひぃっく・・・・うっ!すまなかったセルジオ、バルド。ウーリ感謝申す。セルジオに会えた嬉しさと・・・・今までのことが色々と頭を駆け巡ったのだ・・・・すまぬ・・・・うっ・・・・もう、大事ない」
フリードリヒは衣服の袖で涙を拭った。
セルジオはフリードリヒの姿をバルドの隣に佇み、ただ呆然と眺めていた。
『うん?』
バルドは上着の裾に重みを感じる。セルジオがギュッと上着の裾を握っていた。
『驚かれるのも無理はない。感情を表に出さぬ訓練を受けている騎士や従士としか会われた事がないのだからな。フリードリヒ様は素直に感情を表に出される。出立前に会われてよかった。人とは、『人は感情』で動くものの姿が体験できたのだからな。よかった』
バルドは上着の裾を握っているセルジオの手を優しくほどくと手をつないだ。
セルジオはバルドを見上げる。
「セルジオ様、ようございました。兄上様にお会いできて、また一つ体験できましたね」
バルドは微笑みを向けるとセルジオを抱き上げた。
セルジオの耳元でフリードリヒとウーリに聞えない様にそっと囁く。
「フリードリヒ様は、兄上様は特別にございます。『心の震え』が大きいのです。皆があのようにはなりません。兄上様が特別なのです。兄上様はこれから『心の震え』を制御できるよう訓練が必要です。領主となられるお方ですから。兄上様と同じでなくてもよいのです。セルジオ様のお役目は兄上様とは異なります。ご案じなさいますな。されど、セルジオ様、親しい者とのご挨拶が様になっておりました。訓練もせずにようできましたね」
バルドはセルジオを抱きしめる。
セルジオはバルドの首に両腕を回し肩に顔をうづめた。
「そうなのか。あの様に人は泣くのだな。初めて目にした。驚いたのだ・・・・」
セルジオはひそひそとバルドに囁く。
2人は顔を見合わすとふふふと笑いあった。
それは、セルジオが初めて見せた微笑みだった。
バルドはハッ!とする。
「セルジオ様!ただ今、セルジオ様は微笑まれました!初めてにございます!」
バルドはセルジオへ表情の状態を伝える。
セルジオはバルドに抱えられながら自身の顔に手をあてる。
「微笑む・・・・とは・・・・このようなことなのだな・・・・バルドの顔を見ていたら同じ顔になったのだ」
バルドはセルジオをぎゅっと抱きしめた。
「よう・・・・ございました・・・・セルジオ様が微笑まれました・・・・よう・・・・うっ・・・・」
バルドは更に強くセルジオを抱きしめた。
「・・・・バルド・・・・苦しいぞ・・・・」
バルドは手をゆるめセルジオを見る。バルドの目からは涙がこぼれ落ちていた。
「・・・・バルドも『心が震え』たのだな。私が微笑んだからか?微笑みができたことを喜んでくれているのだな?そうであろう?」
セルジオはバルドの頬を伝う涙を小さな手で拭うと涙の流れる状態を確認する。
「左様にございます!左様にございますとも!セルジオ様が微笑まれたことが嬉しく『心が震え』ました。セルジオ様、ようございました」
バルドは再びセルジオを抱きしめた。
「感謝もうす!バルド。また一つ体験ができた。感謝もうす」
セルジオはバルドの首に両腕を回した。
バルドはセルジオの『心の土壌』が多くの人、もの、ことに触れることで大きく成長することを確信する。
『見聞の旅にでる策は最善であった。これよりセルジオ様が大きく成長される旅のはじまりとなろう』
バルドは見聞の旅への思いを改めて強くしたのだった。
【春華のひとり言】
とある騎士の遠い記憶 第3章開幕致しました。
引続きお読み下さり、ありがとうございます。
素直に感情を表に出すことができる実兄フリードリヒに会い、心を封印されたセルジオが初めて『微笑み』ました!
バルドの『心の震え』も相当なものだったと思います。
これから始まる見聞の旅路でセルジオにどんな変化が現れるのか楽しみです。
第3章もよろくお願い致します。
私は、「前世と今世」が所々で繋がっていると確信する。
旅立ちの時を迎えて終わった前回のとある騎士セルジオの記憶。
その続きを早く知りたい焦燥感に襲われていた。
『腕を切り落とされてるまでセルジオはどう生きたのか』が早く知りたいと思った。
それはまるでお芝居の続きが気になる様に。
とある騎士セルジオの「生い立ち2 見聞の旅路」第3章の幕開けです。
私の目の前に両眼に短剣が刺さり、太く赤黒い涙を流している人間が佇《たたず》んでいる。
「うっう、くっ・・・・」
その姿に息をのみ後ずさろうとするが両足が地面にはりつき、一歩も動くことができない。
ペタッ・・・・
ペタッ・・・・
ペタッ・・・・
ペタッ・・・・
生温かい感触に両手を見る。ドロっとした粘り気のある真っ赤な液体が両手の指の間から滴り落ちている。
『なっ!なんだ?この手は!』
私は両手をわなわなと震わせ、粘り気のある真っ赤な液体を見つめている。
ドキンッ、ドキンッ、ドキンッ
心臓の音がやけに耳に響く。
パカッ
両眼に短剣を刺したままの人間の口が開いた。
ドロッ・・・・
開いた口元から真っ赤な液体が流れ出ている。
『それは俺の血だ!お前に貫かれた両目から吹き出した俺の血だ!』
「わぁぁぁ・・・・はっ、はぁ、はぁ・・・・」
大声を上げ飛び起きる。辺りを見回すと両目に短剣が刺さる人間は消えていた。
「また・・・・か・・・・」
あれから一週間、毎夜同じ光景にうなされ目が覚める。
人間の両眼を刃物で刺したことなどないが、確かに感触が残っているのだ。
いや、はっきりと両手に感触が残っている。
短剣の柄の固い感触、両眼を貫く何とも言えない何かが弾けグスリッと突き刺さる感触。
「これで一ヶ月間を過ごすのか?」
私はベッドの上で両手を眺め自問していた。
前世の探究をした当日は仕方がないと思っていた。
(時間が経てば薄れるだろう)
と思っていた。
ところが時間の経過と共に感触は鮮明になりナイフや包丁を持つ手つきがいつもと違う。
明らかに誰かに刃先が向けられている。
初めてその光景を夢の中で見た日の朝、自分自身が恐ろしく部屋中にある刃物は箱に収め引出の奥深くに隠す様に収めた。
どうにも独りでは解決できないことを悟る。
日を追うごとに酷くなる状況を彼女に伝えることにした。
「やはり、そうなりましたか・・・・」
予想していたと言わんばかりの返答だった。
重く固く閉ざされていた前世の記憶の蓋を開け、更にその奥の深淵まで辿った。浄化までできずに探求を終えるとよくある事だそうだ。
「パンドラの箱を開け放たれた魔物の始末ができていない状態です。軽く浄化しておきますが、根本を取り除くわけではないので効果は一時的なものです。悪夢を見なくなる訳ではないので期待しないで下さい」
そう言うと電話越しに浄化を施してくれた。温かい金色の光が伝わってくるのを感じほっとする。
「少し予定を早めて頂けるか確認してみますね」
いつもと変わらず柔らかな声音に不安が取り除かれた。
その日の夕方、早速、連絡が入った。
「来週土曜日のご都合はいかがですか?」
「大丈夫です」
「では、また先日と同じ場所で行います」
「よろしくお願い致します。お手数をお掛け致しました」
急遽、予定より3週間早く前世の記憶を探求する日程が決まった。
次に会う時までの宿題だった幼稚園から中学校卒業までの出来事と感情の洗出しはほとんどできずにいた。
待ち遠しかった約束の土曜日。前回と同じ場所へ約束の時間より少し早めに到着した。
既に彼女と桐谷さんの姿がある。
「お待たせを致しました。予定を早めて頂いてありがとうございます」
私は挨拶をしてから桐谷さんの前の席に座る。
「いえ。予定を早められたのもご縁ですからご心配なく」
桐谷さんは優しい眼差しと微笑みを向ける。
「中継ぎ頂いて、ありがとうございます。お手数をお掛け致しました」
私は続けて彼女へ御礼を言った。
「いえいえ、辛かったですよね。我慢されず早めに話して下さってよかったです」
彼女の輝く笑顔にまたもや釘づけになる。
桐谷さんは挨拶が終わると早速、話しを切り出した。
「では、早速はじめましょう。前世の記憶が日を追うごとに鮮明になり、眠れないと聞きました。幼稚園からの今世の記憶の洗い出しはできましたか?」
「いえ、できていません。すみません・・・・」
思い出そうにも記憶を遡ること自体が恐ろしく、何もできずにいたことをありのまま桐谷さんに伝えた。
桐谷さんは表情一つ変えずに感じ方、視え方はそれぞれだから仕方がないと言う。
「そうでしたか。起こったできごとの記憶への留め方は人それぞれです。鮮明に記憶を残す方や物事の記憶をする訓練を受けている方は特に感度が高く、前世の記憶と今世の記憶が混在する場合があるのです。今世の事を思い出すことが恐ろしくなるのも仕方がないです。お気になさらずに。前世の浄化が進めば、その様な恐ろしい思いもなくなりますからご安心下さい」
桐谷さんは今の状況と前世の浄化を進めることでの変化を伝えてくれた。
桐谷さんの話に私は少し安心をする。
この状況にどこまで耐えられるか、自分自身を試してみたい思いと先に進むことへの恐怖が入り混じる今まで感じたことがない思いでいたからだ。
桐谷さんは私の少し安心した様子を見て取ると微笑みを向ける。
2回目の前世の探究を始める合図だった。
「では、はじめましょう。幼稚園の頃のことを今、思い出せる範囲で結構ですので話して下さい。出来事と感情と一緒に話して下さい」
「わかりました。よろしくおねがいいたします」
2回目の前世の探究が始まった。
幼稚園時代は親の仕事の都合で一か所に留まることがなかった。2年の内に3回幼稚園を変わっている。
その事が原因なのかは定かではないが、食事が喉を通らない子供だった。食事を前にすると吐き気をもよおし食べられない。今で言う摂食障害だったのだろう。
摂食障害や拒食症の言葉すらなかった時代だ。食べられないことでの親からの叱責と食べられない苦痛が毎日続いた。
唯一、喉を通ったのは紅茶とクッキーだった。紅茶はアールグレー。さわやかな香りと共に喉を通る紅茶の温かさが吐き気を軽減させた。
クッキーは少し厚めのバタークッキーだった。少しづつ少しづつかみ砕くとそれだけで腹が満たされていると感じた。
家にいることが辛く、幼稚園は救いの場所だった。外では自由でいられたからだ。
「俺についてこい!」
棒切れを片手に友達を従え秘密基地を造る。そんな時は食事が喉を通らないことなど忘れていられた。
遊びを創り出すことが楽しかった。親とは縁が薄いように感じていたが、祖父母にかわいがられていたし、幼稚園の先生や近所の大人たちが何かと世話をやいてくれた。
多くの人に助けられ、守られていたのだと今さらであるがあり難く感じる。
「そうですか。幼少期は前世とかなり重なりますね」
桐谷さんは私の話に前世と今世の繋がる部分を確かめている。
「私もそのように感じていました。親との関係も似ている気がします」
仕事が忙しくほとんど家にいない父親。家にいるかと思えば大勢の客人を連れてきてもてなしをする。まるで召使《めしつかい》の様に使われることに母親はいつもイライラした様子だった。
私は思ったままを桐谷さんに伝える。今まで誰にも話せずにいたこと、他者へ話そうなどと思ってもいなかったことが彼女と桐谷さんにはなぜか話せるのだ。
桐谷さんは更に先へ話しを進めた。
「前回は旅立ちの前で前世の深淵から強制的に戻しました。同じところまで潜れるかは定かではありませんが、引越をする、幼稚園を変わる、関係する人々と別れる、その記憶から話して下さいますか?」
今回は記憶の入口を限定してはじめられた。
「はい、わかりました」
一番最初の幼稚園、入園式、幼稚園の様子、歌の時間?大人に手を引かれて門から出る私を見送る大勢の子供?泣いてる?何度も振り返る私・・・・桐谷さんが手を握るといつものようにふわっと身体が宙に浮く。
そのまま私は深く深く自分の奥深くへまるで海の底へ沈む様に潜っていくのだった。
パカッパカッパカッ!
騎士団城塞西の屋敷の厩舎へ馬が近づいてくる。
「バルド!!!」
馬上から手を挙げバルドの名を呼ぶ。
サッ!
バルドは厩舎の脇でかしづいた。
「フリードリヒ様、お待ち致しておりました。よう、お出《い》で下さいました」
バルドがかしづいたまま馬上へ声を掛ける。
「うむ。バルドの出立前に間に合いよかった。出立前に鞍の調整をしてもらわねばとウーリを急かしたのだ」
トンッ!
ウーリは馬上より下り、フリードリヒに手を差し出す。
ストンッ!
フリードリヒは差し出された手を取り、馬上から飛ぶように下りた。
ダダッダッ!
ガバッ!
「セルジオ!そなた!セルジオであろう?
初めてまみえる!私はそなたの兄だっ!フリードリヒだっ!会いたかった!ずっとずっと会いたいと願っていた!会えて嬉しいぞ!」
バルドの隣で静かにかしづいていたセルジオに走り寄り抱きつくとフリードリヒはセルジオの頬へ口づけをした。
「!!!・・・・あっ、あのっ!」
セルジオはこの人懐っこい兄の行動に困惑した顔をバルドへ向ける。バルドは優しい眼差しを向けセルジオへ答える。
「セルジオ様、こちらはセルジオ様の兄上、フリードリヒ・ド・エステール様にございます。その様なご挨拶の時はフリードリヒ様と同じ様に兄上様の頬へ口づけをなさいませ」
騎士の挨拶しか知らないセルジオにとって、兄の挨拶は衝撃だった。
騎士の挨拶は直接、身体に触れることはしない。それは死を意味するからだ。
「!!そうか!悪かった!ここはセルジオ騎士団城塞西の屋敷だ。騎士の挨拶が正しいな。すまぬ。セルジオ!会えた事が嬉しく、挨拶を間違えた」
そう言いながらもフリードリヒはセルジオをぎゅっと抱きしめもう片方の頬へ口づけをする。
「お初にお目にかかります。セルジオ・ド・エステールにございます。兄上様にはご機嫌うるわしゅう存じます」
セルジオはフリードリヒに倣い、兄の両頬へぎこちなく口づけをした。
「なんと!セルジオ!親しい者同士の挨拶も心得ているのか!素晴らしいな!小さな頃よりそなたに会いたくて、会いたくて、訓練施設へ出向く事を許して欲しいと父上に何度も何度も願い出た。願い叶う事はなかったが、今日、こうして会えた!胸が高鳴り、昨夜は眠れなかったぞ。ウーリ!セルジオだ!セルジオだぞっ!我が妹のセルジオだぞっ!やっと・・・・やっと会えた・・・・」
ホロリッ・・・・
フリードリヒの頬を涙が伝う。
「!!!兄上!いかがなさいましたか!私は強く抱き過ぎましたか?」
セルジオはフリードリヒの涙の意味が解らずバルドへ視線を向ける。
「セルジオ様、フリードリヒ様は『喜び』の涙を浮かべておいでです。どこも痛みはいたしておりません。人は涙を流す折り、『心が震える』のでございます。喜びの涙、哀しみの涙、怒りの涙、楽しい涙等でございます。これを『喜怒哀楽』と申します」
バルドはセルジオへフリードリヒの涙の『状態』を言葉で伝えた。
「そうか。驚いた・・・・私が兄上に痛みを与えてしまったのではないかと思ったのだ。そうか・・・・これが『心が震える』という涙か・・・・」
セルジオはフリードリヒの顏をじっと見つめる。
「・・・・うっ!うっ!うっ・・・・うわぁぁぁぁんん!!うわぁぁぁぁんん!」
突然、フリードリヒが大声を上げて泣き出した。
ギョッ!
「!!!!あ・兄・・・兄上?」
セルジオは兄の中で何が起こっているのか解らず後ずさる。
「うわぁぁぁぁんん!!うわぁぁぁぁんん!!」
セルジオの後ずさる姿を目にするとフリードリヒは益々大声で泣き、ウーリの腰元へ顔をうづめた。
「セルジオ様、お初にお目にかかります。フリードリヒ様付侍従、ウーリ・ド・セスタイトにございます。早々に失礼を致します。フリードリヒ様はセルジオ様のお心が初代様の無念と共に封印された事に心を痛めておいでなのです。『心の震え』を感じる事ができないセルジオ様を案じておいでなのです。さればこの様に泣かれて・・・・失礼をお許し下さい」
ウーリは腰元に顔をうずめるフリードリヒの頭を優しくなでる。
「さっ、フリードリヒ様。フリードリヒ様がその様に泣かれても何も変わりません。セルジオ様もバルド殿も困っておいでです。泣き止まれて鞍の調整をしていただきましょう。日のある内に城へ戻りませんとセルジオ様へお会いする事を許して下さった父上様へ申し訳がたちませぬぞ。さっ、フリードリヒ様。大事ございません。セルジオ様はお心を封印されていてもお元気でいらっしゃいます。ご案じなさいますな」
「ひぃっく、ひぃっく・・・・うっ!すまなかったセルジオ、バルド。ウーリ感謝申す。セルジオに会えた嬉しさと・・・・今までのことが色々と頭を駆け巡ったのだ・・・・すまぬ・・・・うっ・・・・もう、大事ない」
フリードリヒは衣服の袖で涙を拭った。
セルジオはフリードリヒの姿をバルドの隣に佇み、ただ呆然と眺めていた。
『うん?』
バルドは上着の裾に重みを感じる。セルジオがギュッと上着の裾を握っていた。
『驚かれるのも無理はない。感情を表に出さぬ訓練を受けている騎士や従士としか会われた事がないのだからな。フリードリヒ様は素直に感情を表に出される。出立前に会われてよかった。人とは、『人は感情』で動くものの姿が体験できたのだからな。よかった』
バルドは上着の裾を握っているセルジオの手を優しくほどくと手をつないだ。
セルジオはバルドを見上げる。
「セルジオ様、ようございました。兄上様にお会いできて、また一つ体験できましたね」
バルドは微笑みを向けるとセルジオを抱き上げた。
セルジオの耳元でフリードリヒとウーリに聞えない様にそっと囁く。
「フリードリヒ様は、兄上様は特別にございます。『心の震え』が大きいのです。皆があのようにはなりません。兄上様が特別なのです。兄上様はこれから『心の震え』を制御できるよう訓練が必要です。領主となられるお方ですから。兄上様と同じでなくてもよいのです。セルジオ様のお役目は兄上様とは異なります。ご案じなさいますな。されど、セルジオ様、親しい者とのご挨拶が様になっておりました。訓練もせずにようできましたね」
バルドはセルジオを抱きしめる。
セルジオはバルドの首に両腕を回し肩に顔をうづめた。
「そうなのか。あの様に人は泣くのだな。初めて目にした。驚いたのだ・・・・」
セルジオはひそひそとバルドに囁く。
2人は顔を見合わすとふふふと笑いあった。
それは、セルジオが初めて見せた微笑みだった。
バルドはハッ!とする。
「セルジオ様!ただ今、セルジオ様は微笑まれました!初めてにございます!」
バルドはセルジオへ表情の状態を伝える。
セルジオはバルドに抱えられながら自身の顔に手をあてる。
「微笑む・・・・とは・・・・このようなことなのだな・・・・バルドの顔を見ていたら同じ顔になったのだ」
バルドはセルジオをぎゅっと抱きしめた。
「よう・・・・ございました・・・・セルジオ様が微笑まれました・・・・よう・・・・うっ・・・・」
バルドは更に強くセルジオを抱きしめた。
「・・・・バルド・・・・苦しいぞ・・・・」
バルドは手をゆるめセルジオを見る。バルドの目からは涙がこぼれ落ちていた。
「・・・・バルドも『心が震え』たのだな。私が微笑んだからか?微笑みができたことを喜んでくれているのだな?そうであろう?」
セルジオはバルドの頬を伝う涙を小さな手で拭うと涙の流れる状態を確認する。
「左様にございます!左様にございますとも!セルジオ様が微笑まれたことが嬉しく『心が震え』ました。セルジオ様、ようございました」
バルドは再びセルジオを抱きしめた。
「感謝もうす!バルド。また一つ体験ができた。感謝もうす」
セルジオはバルドの首に両腕を回した。
バルドはセルジオの『心の土壌』が多くの人、もの、ことに触れることで大きく成長することを確信する。
『見聞の旅にでる策は最善であった。これよりセルジオ様が大きく成長される旅のはじまりとなろう』
バルドは見聞の旅への思いを改めて強くしたのだった。
【春華のひとり言】
とある騎士の遠い記憶 第3章開幕致しました。
引続きお読み下さり、ありがとうございます。
素直に感情を表に出すことができる実兄フリードリヒに会い、心を封印されたセルジオが初めて『微笑み』ました!
バルドの『心の震え』も相当なものだったと思います。
これから始まる見聞の旅路でセルジオにどんな変化が現れるのか楽しみです。
第3章もよろくお願い致します。
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