上 下
31 / 64

31 疑いが深くなります

しおりを挟む
 鈴花が一人自室に籠って考え事をしてほどなく、春明が戻った。宮女から郭昭が訪ねてきたことを聞くなり、顔をこわばらせる。そして緊張をほぐすのにいい洋甘菊茶カモミールティーを用意し、緊急作戦会議を開いたのだった。

 部屋には鈴花が焚いた伽羅きゃらの香りが仄かにしていて、そこに洋甘菊カモミールの香りが混ざっていく。鈴花と春明は卓子つくえに向かい合って座っており、お茶を飲み干した鈴花は静かに息を吐いた。やっと落ち着けた気がする。

「鈴花様……郭昭様はなんと?」

 緊張に満ちた声で春明が問えば、鈴花は曖昧に微笑んで返した。

「宵が偽物だと見破られたから、計画を話して協力してもらうことになったわ。陛下の幼少期を知っていたみたい」

 春明は驚きを隠せず、鈴花の茶杯にお茶を注ぐために茶壷きゅうすに手をかけたまま止まった。

「信用はおけるのですか?」

 その場にいられたらよかったと悔しそうな顔をしながら、お茶を注ぐ。

「たぶんね……少なくとも国と皇帝への忠義は本物だと感じたし、何よりくろの面を知っていたわ」
「五家以外でもまだ覚えている人がいるとは……そういえば郭家は蓮国につながる家でしたね。玄家と関わりがあったのかもしれません」

 春明は手元が震えそうになるのをこらえ、音を立てずに茶壷ゆのみ卓子つくえに置いた。急展開に頭で整理するのが忙しく、ずっと眉根を寄せている。幼いころから一緒に育った鈴花には、春明が持つ膨大な情報と照らし合わせながら思考していることが手に取るようにわかったが、容赦なく新しい情報を加えていく。

「それとね、私は玄家を、お父様を信用しないことにしたわ」
「……それは、どういうことですか?」

 声に険が帯びる。目つきが鋭くなっており、鈴花は心して話し出した。春明は鈴花の側付きだが、玄家に仕えている。まして父親が手塩をかけて育てたのだ。

「陛下は三年間、玄家で身代わりになるべく訓練を受けていたの。おそらくお父様手ずから……。なのに、私にはそのことを教えられていない。おかしいでしょう?」
「まさか……ずいぶん昔に公子の一人が保有地に短期の療養に来たと聞いたことがありましたが……三年もですか」

 情報収集能力が高い春明も知らないとなると、用意周到に隠されたのだろう。影武者の存在がばれては意味がなくなるのだから、当然ともいえる。春明は表情を翳らせ、口元に手を当てた。

「そうなると、最初から考え直さないといけないわ。陛下は捕らえられているのか、それとも自分で身を隠されているのか」
「捕らえられているなら相手は相当の手練れですよね。それこそ……」

 春明は鈴花が言わんとしていることを察し、口をつぐむ。そしてその可能性は一つ、玄家に戻って仕入れた情報に関連してくる。

「鈴花様……玄家に戻って当主様と話し、他の侍女とも話していたのですが……気になることがあるのです」
「何?」
「……宮仕えされている凉雅りょうが様からの文がこの二週間ほど途絶えているそうです」

 凉雅は鈴花の五つ離れた兄であり、朝廷に出仕して雑用をしていた。名前にそぐわぬ凡庸な顔立ちをしており、物静かなためたまに忘れられるほど影が薄い。文官の寮に住んでいるため滅多に家には帰らないのだが、毎週文のやりとりはあったのだ。
 鈴花はますます怪しいと顔を曇らせる。

「お兄様も動いていると見てもいいのかしら……」
「まだ何とも……。それと、これは当主様からの情報なのですが、皇帝を保護したという三家への物の流れや人の動きを調べたところ、珀家は一人分の食料や日用品、また薬の購入量が増えていたそうです」

 それは実に有益な情報であり、明らかに人を保護、もしくは監禁していることになる。だが、疑わしい父親からの情報とあっては罠にも見えてしまう。同じことを春明も考えたのか、顔色は優れない。

「一応こちらでも裏付けをとりますので」
「えぇ、お願い。……宵のことといい、なんだか上手くいきすぎている気がするのよね。なんだかご落胤というのも怪しく思えてきたわ」

 宵が働く妓楼は玄家が所有しており、父だって宵の存在を知っていた可能性がある。そしてご落胤の可能性を出したのは宵だが、それを裏付けたのは父だ。一度疑いの芽が芽生えると、どんどん猜疑心という養分を吸って茎を伸ばしていく。怪しいものは全て疑い、考えぬけというのは父の教えだ。

「ご落胤自体が嘘ということですか?」
「……そこまでは言い切れないわ。郭昭も李妃が寵愛を受けていたことは知ってたし、身ごもった可能性もなくはないもの。でも、それが宵だとは限らないんじゃない?」

 文に簪、その気になれば捏造くらいできるだろう。疑い出せばきりがなく、不安はどんどん膨らむ。せっかく積み上げてきた計画が一瞬で崩れてしまい、鈴花はがけっぷちに立たされているような心地になっていた。

(でもなぜそんな手の込んだことをするのかしら……)

 そう思うと同時に頭の片隅に何かがひっかかる。それは他の家が皇帝を保護したと名乗りを上げた時に考えたこと。

(まさか、皇位を狙って……?)

 ご落胤が本当であれ、嘘であれ、宵が皇位につけば玄家は国に大きな恩を売れる。さらに鈴花が子を産み后妃となればその地位は盤石だ。

(でもなんで今更……)

 父親に野心でも芽生えたのだろうかと思いつめていると、固く握って卓子つくえに置いていた手に、春明の白い手が重なった。優しく撫でられると、皮の硬さを感じる。春明は緊張を解いて、ふわりと微笑みかけた。大丈夫ですよと、緩んだ目元が伝えてくれる。

「そうかもしれませんね。しかし、私たちはそこに賭けることにしたのですから、信じましょう。私は、いつでも鈴花様の味方ですから」

 鈴花を気遣う温かい言葉は、不安で凝り固まった鈴花の心に広がり解きほぐしていく。春明の手が離れても熱が残り、その温かさが勇気となるのだ。

「そうね。……ごめん、弱気になったわ」

 鈴花は両手で頬を叩くと、気を引き締めた。信じてくれる人がいるなら、くじけているわけにはいかない。

「これからは他家と玄家の動きに注意しながら、皇帝を捜索、そして宵を身代わりとして守り通すわよ」
「はい。その命、しかと承りました」

 春明は情報を集めるために再度市井へ赴き、鈴花は自室に籠って策を練る。父親が一計を案じていることも考慮すると、今後の展開がさらに枝分かれし、全てに対策を講じていかなければならない。

 夕食も心ここにあらずの状態で食べ、鈴花は物思いにふける。気づけば外は真っ暗になっており、気を使った宮女が灯篭に火をいれてくれていた。空は吸い込まれそうなほど黒く、月の姿を隠していた。今にも雲が雫を落としそうだ。

(……だめ、もう頭が回らない)

 限界だと鈴花は腰を上げ、房室へやを出る。外の風は生暖かく、湿気を含んでいた。雨が近いと鼻で感じる。鈴花は戸口に控えていた下女に、

「少し夜風にあたってくるわ」

と声をかけると院子なかにわへと向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

結婚式で王子を溺愛する幼馴染が泣き叫んで婚約破棄「妊娠した。慰謝料を払え!」花嫁は王子の返答に衝撃を受けた。

window
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の結婚式に幼馴染が泣き叫んでかけ寄って来た。 式の大事な場面で何が起こったのか? 二人を祝福していた参列者たちは突然の出来事に会場は大きくどよめいた。 王子は公爵令嬢と幼馴染と二股交際をしていた。 「あなたの子供を妊娠してる。私を捨てて自分だけ幸せになるなんて許せない。慰謝料を払え!」 幼馴染は王子に詰め寄って主張すると王子は信じられない事を言って花嫁と参列者全員を驚かせた。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

処理中です...