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21 身代わりと皇帝について話します

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 潤との話に花が咲いた夜。勉強を終わらせた宵は、どこから持ってきたのか酒が入ったかめを取り出して一杯やりはじめた。いつも勉強する時に使っている離れの一房いっしつで、簡素な卓子つくえに似合わない夜光杯やこうはいが置かれている。
 向かいに座る鈴花は戸棚から出てきた見知らぬ品に半目になった。

「それ、どこから持ってきたのよ」

 玉から削りだされた夜光杯は、深緑に黒の模様が入り込んでいる。甕から柄杓で酒を注ぎ入れられた杯は、灯篭の灯りを受けて深い湖の底のような美しさがある。そう簡単に手に入るものではなく、そもそも宵はここに身一つで来たはずだ。

「今日倉庫の片づけをしたって言ったろ? そこで見つけた」

 宵はもう一つの夜光杯を少し上げているかと聞くが、鈴花は首を横に振った。お酒は飲めるが今は飲む気分じゃない。宵は気にすることなく、一口飲むと「うまい」と零した。

「倉庫って……勝手に飲んじゃだめじゃない」
「あそこにあるのは、いらないものばかりだからいいってさ」

 景雲宮にはいくつか物入がある。宮廷行事で使う物や季節物を置いている倉庫もあるが、今日宵が片付けたのは今までの妃嬪が置いて行ったものを保管しているところらしい。代々景雲宮に住んでいた妃嬪の私物はたいていここを去る時に持ち出されるが、一部残されたものがあるそうだ。

「妃嬪が不慮の事故に遭っただとか、毒殺されたとか、夜逃げしたとか……曰くつきのものが多かったけど、酒に罪はないからな。それに腐ってるかもしれないし、危ないものを妃嬪に飲ませるわけにもいかなってことで、俺がその処分を請け負ったわけ」

「今私に飲ませようとしたわよね」

 冷静につっこみを入れる鈴花に対し、宵は「それはそれ」とケラケラ笑った。いつも勉強が終わった後は、こうしておしゃべりをしている。後宮内の情報から自分たちのことなど、色々と話せば多少信頼関係もできる。宵の気安い性格もあるが、お互い命がかかっているため打ち解けるのは早かった。
 春明が鈴花には安眠効果のある薰衣草ラベンダーのお茶を出し、宵の前には水差しを置いた。さすがにすぐに出せる酒肴は無い。一杯目の酒を飲み干し、「実はさ」と懐に手をいれた宵は口を開く。

「こんな銀簪かんざしを見つけたんだけど、誰のか分かる?」

 そう言って取り出したのは銀の簪で、黄色い玉を翼で抱いた鳥の飾りがついていた。なかなか凝った簪で、珍しい飾りだ。

「なんでそんなこと訊くの?」
「いや……倉庫がけっこう一杯になっててさ、処分しないといけないんだけど、宦官のおっさんが持ち主が分かるものは返したいって言っててよ。それに、それは高そうだしさ」

 相方になっている宦官は心優しい人で、景雲宮の管理を担当している人の一人だ。鈴花たちにも色々気を配ってくれ、信頼を置いている。

「ふ~ん……記録に残ってないの?」
「景雲宮に誰がいたかって記録はあるけど、私物まではわかんないって。けど、これは珍しい簪だっておっさんも言ってたから、工房が分かれば辿れるかなって」
「それもそうね……分かった。こっちでも聞いてみるわ」

 玄家は簪の工房も持っている。玉の翠家には遠く及ばないが、聞けば何か分かるかもしれない。

「他にも分からないものがたくさんあるんだけど、雑貨が多いからこっちで処分するって」
「そう、ご苦労様。案外ちゃんと仕事してるのね」
「命かかってるからな。それにこういう雑用は妓楼で慣れてるし、客がいない分楽だ」

 そう言って、宵は柄杓で酒を注ぎ、ぐいっと飲む。

「けど、可愛い子がいるのに遊べないのが、一番辛いわ……休みもらって花街に戻りてぇ」
「まだ一週間と少ししか経ってないでしょ」

 鈴花は呆れ、頬が引きつった。男という生き物が考えることは分からない。鈴花には兄が一人いるが、仕事に打ち込む人なので色恋の話は聞いたことがなかった。

「いいよな皇帝は、可愛い子からきれいどころまでより取り見取り……」

 宵は酔って来たのか、声に艶が出てきた。いつの間にか彼本来の声に戻っている。卓子つくえに肘を付き、姿勢が崩れ出した。これが勉強中なら春明のツボ押しが威力を発揮するが、今は息抜きの時間。春明も見逃すらしい。

「国を背負っているんですもの。跡継ぎを残すのも立派な役目の一つ、当然だわ」
「ふ~ん。けど、ずっと仮面被ってて声も出さない変な皇帝だったんだろ?」
「えぇ、でも……尊い身であることに変わりはないわ。だから、玉座にお戻りになるまでお守りしないと」

 鈴花は茶杯のお茶に視線を落としながら、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。宵は据わった目を鈴花に向け、面白くなさそうに低い声を出す。

「不思議に思ってたんだけど、なんで皇帝のためにそこまですんの? 会ったのは二回だけなんだろ?」
「そう、ね……」

 鈴花は口を閉ざし、茶杯に映る自分の顔を見つめる。緊張した顔だ。危険と隣り合わせの無謀な計画に、投げ出してしまいそうな自分がいる。それでも突き進むのは……。

「私が、玄妃だからよ。玄家の誇りにかけて、この国を、皇帝を守らないといけない」
「あーまた始まった。すぐそうやって家だとか誇りだとか」

 不機嫌な声で、宵はやってられるかと酒を煽る。

「小鈴は何で皇帝に尽くすのかって訊いてんの。夜伽をしたわけでもねぇし、惚れたの?」
「はっ? 何を言い出すのよ!」

 酔った勢いで出た言葉に、鈴花は顔を赤らめる。その反応をどう捉えたのか、宵は顔を歪めて舌打ちした。

「おもしろくねぇなぁ……」

 酒のせいか熱を帯びた瞳に、艶のある美声。酒に濡れた唇は艶めかしく、下ろした髪は顔に影を作っていた。その表情は鈴花に警鐘を鳴らす。

「あんたには分からないでしょうよ! 春明、酒を取り上げて水に漬けておいて!」

 慌てて鈴花が立ち上がったので、椅子が嫌な音を立てる。鈴花は赤くなった顔を隠すように宵から顔を背け、速足で房室へやから出ていった。

「おい、小鈴!」

 宵が声を荒げるが、鈴花は振り向きもせずに自分の臥室しんしつへと向かう。

(何なのあいつ! 酒癖が悪い!)

 鈴花は箱入りではないが、それでも大切に育てられてきた。仕事の手伝いで男性と話すことはあっても、酒の席を共にしたことはない。家族以外と長く一緒にいることすらないのだ。

(男ってみんなああなの?)

 強い刺激に心がかき乱される。それでなくても最近の鈴花は不安定なのだ。

(そうよ、陛下に声が似ているから悪いのよ。だから……)

 鈴花は回廊で足を止めた。坪庭があり、甍の間から月が見える。その月を見上げて思い浮かぶのは、仮面をつけた皇帝の姿。

(陛下……どこにいらっしゃるの?)

 そしてはるか昔に見た。栗色の髪の後ろ姿。
 鈴花は雑念を振り払うように頭を振り、足を進めた。現実は待ってなんてくれない。それを噛みしめながら、先の見えぬ薄暗い走廊ろうかを歩いて行くのだった。
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