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7 厄介ごとを持ち込まれました

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 後宮は皇帝以外の男子禁制。そのため、男性としての機能を無くした宦官かんがんたちがいる。彼らが後宮を管理し、また政治への影響力も持っていた。皇帝にも妃嬪にも近い、そんな存在だ。
 鈴花が客房きゃくまに入ると、待っていたのは案の定以前見た宦官だった。椅子のそばに立ち、鈴花の姿が目に入ると恭しく礼を取る。

(わー、絶対面倒な頼みごとだわ)

 鈴花が透し彫りの見事な椅子に座ると、郭昭かくしょうは黒檀の方卓の向かいの席に着いた。以前に比べて憔悴した様子であり、疲労の色が濃く見える。皇帝が行方知れずとなったのだから当然だ。

(たしか、皇帝が彼を内侍につけたのよね……)

 腹に一物ある臣ばかりの朝廷で、皇帝にとって彼が身内に近い存在だったとも聞いている。市井で暮らしていた皇帝を迎えにいったのも彼らしい。

(意外と顔はいいのね)

 郭昭を改めてよく見ると黒髪に茶色い目のなかなかの美丈夫で、中性的な色気が出ている。宦官は食欲が増進し、ふくよかな体型になることが多いのだが、彼は背が高く細身だった。

(服の感じもいいし、宦官じゃなければ引く手数多でしょうに)

 野暮ったい宦官もいるが、彼は品のいい紺色の袍を纏い、さりげなく亀甲の紋様がろうけつ染にされている手の込んだものだ。 

 春明が静かに茶壺きゅうすから茶杯ゆのみにお茶を注いでくれれば、洋甘菊カモミールの香りで、強張った心が解きほぐされていく。
 郭昭は茶杯ゆのみに手を伸ばしながら、口火を切った。

「玄妃様、本日はその麗しいお顔が曇っておられないかを伺いに来まして」

 恭しくこちらの表情を伺いながら、殊勝な顔で話し出す。

「前置きはけっこうですわ。何の要件です?」

 わざとらしく気遣ってきたため、鈴花は険しい表情を見せて先に進めるように促す。すると郭昭は、さすがは玄妃様と頭を下げ本題に入った。彼もこんな茶番を長く続けるつもりはなかったのだろう。疲労が滲んでいても宦官の長だ。そう簡単に手の内は見せない。

「実は、玄妃様もお感じになっているでしょうが、陛下が不在のため朝廷も後宮も不安定になっております。特に後宮は、見事な華が散ってしまったかのようです」
「それで?」
「ですので、ここは妃嬪様には団結して後宮を守り、陛下をお待ちいただきたいのです」

 そんな世間話のようなことをするために、わざわざ来たのではないだろう。すぐには核心を見せない郭昭に、鈴花は笑みを深くする。目は笑っていない。

「つまり?」
「……玄妃様には、他の妃嬪の取りまとめ役になっていただけたらと」

 沈黙。

 鈴花はお茶を飲んで香りを吸い込み、静かに茶杯を方卓に置いた。

「お断りします」

 競争相手でもある妃嬪たちを取りまとめるなど、火種しか見えない。鈴花はまだ他の妃嬪に会っていないが、宮女たちはしきりに情報交換をしているから嫌でも耳に入る。お優しい方で当たりだとか、機嫌を損ねると恐ろしいとか、一日中玉を眺めて過ごしているだとか、夜な夜な金勘定の声が聞こえるだとか。小耳に挟むだけでも一筋縄ではいかない妃嬪たちであることが分かるのだ。その上団結など。

「できるはずないでしょう」

 ここで断らないとどんどんつけ込まれると、鈴花は首を横に降る。だが、これで引き下がるようでは、郭昭は内侍を務めていない。

「しかし、玄妃様だけが頼りなのです」

 本当に困ったと眉をハの字にして、じっと縋るような瞳を向けてくる。なんだかいじめているみたいで、顔がいいだけに効いてくる。しかも目の下の隈が追い打ちをかけてくる。それでも負けじと鈴花は言い返した。

「他にも同格の妃嬪がいるでしょう?」

 後宮入りした名家の娘はあと二人いたはずだ。むしろ、器用貧乏呼ばわりされている玄家よりは格も威風もあるだろう。

「いえ、ここは玄妃様だからこそお頼み申し上げるのです」
「そんなこと言われても」

 郭昭はさらに言い募る。

「それに、妃嬪様を取りまとめ後宮の平穏を保つのは后妃の務め。陛下がお戻りになった時に、必ずや実を結びましょう」

 言葉巧みに説得にかかる郭昭に、鈴花はうっと言葉に詰まる。

(たしかに、その役割をすれば他の妃嬪より一歩先んずることができるわよね)

 皇貴妃にゆくゆくは后妃になりたい鈴花には魅力的な話だ。

「後宮をうまく治めていただければ、玄家の名は上がりますし、こちらも恩義に報いるために祭礼の際などでお頼みすることもでてくるかもしれません」

 鈴花の眉が上がった。
 宮中の祭祀で玄家の品を使ってもらえる。それは今鈴花が一番望んでいることで、それにより品に付加価値を付け、名を売りたい。
 心が傾いていく。

「それに、玄家の方は必ず結果を出してくださいます。私はそれを信じているのです」

 鈴花はむぅと膝の上で指を絡め考える。

(期待、されてるのよね。ここで断ると玄家の恥のような気がするわ)

 悩む鈴花に対し、郭昭は穏やかな笑みを浮かべて茶を口に含んだ。

(ここで恩を売っておけば、いつか返ってくるかもしれないし)

 そう考える鈴花だが、これが玄家が器用貧乏である一つの要因だった。代々事業を増やしていくのは、興味から始まる時もあるが、このように頼まれ誘われ、断れずに始めることが多いのだ。今やれば、いつか返ってくるだろうと。

 知らぬ間にしっかりと玄家の思考を受け継いでいる鈴花が返事をしようとしたその時、温かいお茶を淹れなおした春明が方卓へと近づいた。

「鈴花様、お悩みでしたら一度返事は保留にし、当主様にも伺いを立ててはいかがですか?」

 今にも頷きそうな鈴花を見かねて、春明が助け舟を出した。幼い頃から玄家で育てられたのだ。彼らの思考はよく理解している。
 鈴花はハッと気がつき、慌てて顔を引き締めた。郭昭の表情に残念さが混じったのは気のせいではないだろう。

「そ、そうね。郭昭様、申し訳ありませんが返事は後日でよろしいですか?」
「えぇ、こちらもすぐにというわけではありませんので。また伺いにきますね」

 そこで話は終わりになり、辞した郭昭を笑顔で見送った鈴花は深々と息を吐く。

「危なかったー」

 春明が割って入ってくれなければ、今頃引き受けていただろう。

(この後は話し合いね)

 小言もあるかもしれないと、鈴花はもう一度ため息をつく。

(こんな面倒ごとからは解放されて、市井でぶらぶらしたいわ……)

 後宮はまさしく豪奢な堅牢。皇帝の行方不明という前代未聞の事態に、鈴花の我慢は限界が近づくのだった。
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