上 下
174 / 194
アスタリア王国編

166 二人で絵を描いてもらいましょう

しおりを挟む
 部屋の中に入ると、シルヴィオはすでにキャンパスを立てて準備をしていた。汚れてもいい軽装で、芸術家の顔をしている。

「うん、二人ともいい感じだね。じゃぁ、そこに座って」

 と、絵描き用の炭を持ったシルヴィオが指したソファーに腰掛け、細かなポーズの指示を受け、向き合う形で斜めに座った。なんでも庭で語らう花の妖精たちを描きたいらしい。さすがに今は冬なので、庭ではなく温かい室内で描いてもらう。背景は何とでもなるそうだ。

「ナディヤ嬢。体に力が入ってるよ」

「は、はい! 申しわけありません!」

「……もっと硬くなってどうするの。エリーナ、ドレスを崩さない程度にくすぐって」

「お任せください!」

「ひゃ、きゃ、あはは!」

 エリーナは待てを解かれた子犬のようにナディヤに襲い掛かり、優しくくすぐる。ナディヤはドレスが皺にならないよう動くのを我慢しているが、体はよじれている。

「もういいよ」

「はーい!」

 しっかり楽しんだエリーナと、ぐったりして力が抜けているナディヤ。それを見て、シルヴィオはいい感じと線を書き入れていく。部屋には炭を滑らせる音と、暖炉の薪が爆ぜる音だけになった。しだいにナディヤがソワソワし始め、時間が経って緊張が高まってきたようだ。
 それを感じ取ったシルヴィオは苦笑を浮かべ、優しい金色の瞳をナディヤに向ける。下書が終わったようで、彩色用の筆に持ち替えていた。

「ねぇ、ナディヤ嬢。ナディヤと呼んでもいい?」

「あ、はい! もちろんでございます」

「じゃぁ、ナディヤ。僕の絵でどれが一番好き?」

 突然絵の話を振られ、ナディヤはしばらく視線を明後日の方へ向けてから、おずおずと口を開く。エリーナはいい機会と、空気になるように努めた。

「その……昔、図書館に飾られていたご兄弟を描かれた絵です」

「え、それって兄上とクリスを描いたやつだね。ずいぶん古い……僕が九歳の時に、初めて描いた絵だ」

「はい……存じております」

 さすがはナディヤ。シルヴィオの絵で知らないものはないのではとエリーナは思う。その絵は画廊にも無かったので、今は展示していないのだろう。

「あんな下手な絵を覚えられているなんて、なんだか恥ずかしいな……」

 とそこで、シルヴィオは筆を止めナディヤに視線を向ける。何かを思い出したかのような表情だ。

「もしかして、小さい時図書館でよく僕の絵を見上げてた?」

「え……あ、はい。その時は、殿下の御作とは存じませんでしたが、好きでよく見ていました。えっと、でも、なぜ……?」

 ナディヤは小さい時から母親に連れられて図書館に通っていた。その時に、たまたま絵を見て衝撃を受けたのだ。

「そりゃ、僕もたまに図書館に行ってたからね。たいてい絵の側にピンクの髪の女の子がいたことは覚えているよ」

「え、そんな、わたくし、ご挨拶もせず!」

「いいよ。子どもの時だし、僕も剣の稽古をさぼって隠れただけだからね」

 そして話はシルヴィオの剣術嫌いの話になり、面白おかしく話してくれたので、二人はくすくすと笑い声を上げる。場が温かくなり、和んでいった。エリーナも楽しい話を始め、徐々にナディヤも会話に入っていく。絵が仕上がるころには、だいぶ自然な状態で話せるようになったのである。

「よし、できた」

 二時間ほどでシルヴィオは筆を置き、作品を愛おしそうに見つめた。その表情から本当に絵を描くのが好きで、作品を大切にしているのが伝わってくる。

「ほら、見てごらん」

 エリーナとナディヤは立ち上がり、体の筋を伸ばす。ナディヤがシルヴィオの側に寄るのを尻込みしていたので、エリーナが有無を言わせない微笑で手を引いた。そしてキャンパスの表に回り、出来た絵を見た二人は同時に感嘆の声を漏らす。

「きれい」

 それ以外の言葉が出てこなかった。中央には、庭園によくあるベンチに座ったエリーナとナディヤがおり、美しさが格段に上がっていた。透き通るような肌や、艶のある髪は本物そっくりで、瞳は星の輝きのよう。背景はまだざっくりと淡い色が乗っただけで、後で細かく書き入れるらしい。

「信じられません……わたくし、こんなにきれいじゃないのに」

 その呟きには素のナディヤの心が表れていた。どこまでも自信がなく、卑屈になってしまう。そんなナディヤの額をシルヴィオが軽く叩く。

「それ以上美しいものを否定するのは許さないよ」

 突然雅な方に叩かれたナディヤは目を白黒させ、口を開けている。エリーナもシルヴィオの行動に驚いてしまった。

「僕は、本当に美しいと思ったものしか描かない。知ってるでしょ?」

「あ、はい……」

 他国の王や王妃が描いてほしいと頼んでも、シルヴィオがその心根を含めた美しさを感じない限り、筆を取ることがないのは有名な話だ。

「だから、これが僕から見たナディヤの美しさだよ。これを否定されると、僕の目が曇っていることになる」

 その言葉はシルヴィオの最大限の賛辞で、ナディヤの心の傷を癒すように染みこんでくる。

「……はい……はい。ありが、とう、ございます」

 ナディヤは感極まったのか、頬を涙が伝い始めた。きっとこの小さい体でたくさんのものを溜め込んできたのだろう。エリーナは優しく抱きしめ、背中を撫でる。この絵で、ナディヤが少しでも前向きに、自信を持てたらと願う。きっとシルヴィオも同じ気持ちなのだろう。心配そうな顔で、ナディヤを見守っていた。

 そしてしばらくエリーナに甘えて泣いていたナディヤは涙を拭い、晴れやかに笑った。その笑みは可愛らしく、ナディヤ本来の良さがでていた。

「エリーナ様、シルヴィオ様……本当に、ありがとうございま……す」

 だがその笑顔もつかの間で、すぐに二人の王族に挟まれていることに気づき再び恐縮し始める。エリーナはため息をついて無理矢理次のお茶会の約束を取り付け、今日はお開きにしたのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

転生令嬢の涙 〜泣き虫な悪役令嬢は強気なヒロインと張り合えないので代わりに王子様が罠を仕掛けます〜

矢口愛留
恋愛
【タイトル変えました】 公爵令嬢エミリア・ブラウンは、突然前世の記憶を思い出す。 この世界は前世で読んだ小説の世界で、泣き虫の日本人だった私はエミリアに転生していたのだ。 小説によるとエミリアは悪役令嬢で、婚約者である王太子ラインハルトをヒロインのプリシラに奪われて嫉妬し、悪行の限りを尽くした挙句に断罪される運命なのである。 だが、記憶が蘇ったことで、エミリアは悪役令嬢らしからぬ泣き虫っぷりを発揮し、周囲を翻弄する。 どうしてもヒロインを排斥できないエミリアに代わって、実はエミリアを溺愛していた王子と、その側近がヒロインに罠を仕掛けていく。 それに気づかず小説通りに王子を籠絡しようとするヒロインと、その涙で全てをかき乱してしまう悪役令嬢と、間に挟まれる王子様の学園生活、その意外な結末とは――? *異世界ものということで、文化や文明度の設定が緩めですがご容赦下さい。 *「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも掲載しています。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

【完結】異世界転生した先は断罪イベント五秒前!

春風悠里
恋愛
乙女ゲームの世界に転生したと思ったら、まさかの悪役令嬢で断罪イベント直前! さて、どうやって切り抜けようか? (全6話で完結) ※一般的なざまぁではありません ※他サイト様にも掲載中

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

ざまぁされるのが確実なヒロインに転生したので、地味に目立たず過ごそうと思います

真理亜
恋愛
私、リリアナが転生した世界は、悪役令嬢に甘くヒロインに厳しい世界だ。その世界にヒロインとして転生したからには、全てのプラグをへし折り、地味に目立たず過ごして、ざまぁを回避する。それしかない。生き延びるために! それなのに...なぜか悪役令嬢にも攻略対象にも絡まれて...

【完結】私ですか?ただの令嬢です。

凛 伊緒
恋愛
死んで転生したら、大好きな乙女ゲーの世界の悪役令嬢だった!? バッドエンドだらけの悪役令嬢。 しかし、 「悪さをしなければ、最悪な結末は回避出来るのでは!?」 そう考え、ただの令嬢として生きていくことを決意する。 運命を変えたい主人公の、バッドエンド回避の物語! ※完結済です。 ※作者がシステムに不慣れな時に書いたものなので、温かく見守っていだければ幸いです……(。_。///)

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈 
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...