悪役令嬢の品格 ~悪役令嬢を演じてきましたが、今回は少し違うようです~

幸路ことは

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学園編 18歳

113 素直な想いを返しましょう

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 冬の寒さが近づいてきて、吐く息が白く染まり始めた。卒業式までニか月になっており、学生たちの話題は卒業パーティーと卒業後のことで持ち切りだ。特に誰をエスコートに誘うか、誰に誘われるかがあちらこちらで囁かれていた。

 卒業パーティーでのエスコート相手とは一生一緒にいられる。そしてダンスを踊った人とは一生縁が切れない。そんな謂れがあるのだ。婚約者がいる人は悠々としているが、相手がいない人は表情に焦りを浮かべている。そのため、この時期は婚約内定が矢継ぎ早に決まっていくのだ。

 誰をエスコートにするかは、エリーナも頭を悩ましていた。クリスへの想いを自覚した以上、彼らと婚約することはできない。そうなると断ることになり、エリーナは心苦しさを覚えるのである。

 そして、その要因の一人でもあるルドルフは目の前でにこやかに微笑んでいる。本日エリーナは、ルドルフにお茶に誘われカフェ・アークに来ていた。個室でプリンを食べながらゆったりと話をしていたエリーナは、思いがけない名前が出て目を丸くしたのだった。

「え、ネフィリア様ですか?」

「あぁ。最近茶会や夜会でご一緒する機会が増えてな。話すようになったのだが、正直その頭の良さに驚いている。まるで学術院の先輩と話しているようだ」

 エリーナはネフィリアの行動力の高さに背筋が寒くなる。着実に仕留めにかかっているらしい。

「以前はクリス殿とお見合いをされたと聞いていたが、上手くいかなかったみたいだな」

「え、えぇ……」

 エリーナが自分の想いをぶちまけた結果なので、なんとも気恥ずかしくなる。その気持ちをごまかすように、紅茶をすすった。今日の紅茶はココナッツプリンに合うように南の国の茶葉を使用していた。
 同じように紅茶をすすっていたルドルフが、カップを置いて紫の瞳をエリーナに向ける。

「エリーナ嬢は、まだ婚約者を決めないのか?」

 直球で訊かれ、エリーナはむせそうになるのを寸前で堪えた。令嬢たるものそのような無様な姿を殿方の前では見せられない。

「え、えっと。まだ決められる段階ではないといいますか……」

 エリーナとしてはクリスへの恋心を自覚した今、結婚を考えるどころではない。本当はこうやってルドルフと会っているのも彼の時間を奪っているようで心苦しい。だから、今日の誘いを受けたのは正直に今の想いを話すつもりでもあったのだ。

「なら、俺をエスコート役に選んでくれないか?」

 ココナッツプリンを食べていたエリーナは、スプーンを持つ手を止め目を見開く。複雑そうな困り顔になって、視線を落とした。クリスへの想いを自覚した以上、その気持ちに応えることはできない。
 申し訳なさそうに目を伏せるエリーナを見て、ルドルフは嘆息し寂しそうに微笑む。

「……そうか。気のせいであってほしかったが、恋する人ができたか」

 そう残念そうな声が聞こえて、エリーナは弾かれるように顔を上げた。

「えっと……その」

 どうして知っているのかと問いただそうにも、言葉が出ない。まだ生まれたての不安定な想いは、エリーナを臆病にさせていた。

「エリーナ嬢。そんな顔をせずに、堂々としてくれないか」

 そう言われて初めて、エリーナは泣き出しそうな顔をしていることに気が付いた。なんだかルドルフを傷つけてしまった気がして、いい言葉をかけることもできない自分が情けなかったのだ。

「君の気持ちを聞かせてほしい」

 その声は責めても怒ってもおらず、包み込むような優しさがあった。それがさらに、エリーナの胸を締め付ける。彼の気持ちに応えられないと分かっているから、今まで楽しい思い出があるからこそ、断るのが辛くなるのだ。

(でも……向き合わないといけないのよ。ルドルフ様の気持ちに応えるためにも)

 エリーナは心を落ち着かせ、ルドルフの視線を正面から受けた。静かに息を吸って、大切な言葉を紡ぐ。

「ルドルフ様……わたくしは、クリスのことが好きです。好きだと、気づきました……ですから、ルドルフ様のエスコートは受けられません」

 キシリと胸が痛む。きっと泣きたいのはルドルフの方なのに、エリーナは眉根を寄せて泣きそうになるのを堪えた。

「そうか……わかった。もう十分だから、笑ってくれないか。俺は好きになったのがエリーナ嬢でよかったと思っている。俺のことをちゃんと考えて、悩んでくれるのだから」

 そう諭すように語りかけ、ルドルフはエリーナの頬に手を添えた。その大きさと温かさにルドルフという存在を感じる。

「貴女が気に病む必要はない。むしろ、今まで楽しい時間をくれたことを感謝している。貴女の心を奪った男が半端な奴なら、奪い取ってやろうとおもっていたが……クリス殿ではな」

 ルドルフは苦笑を浮かべ、そっとエリーナの頬から手を離した。離れゆく熱が寂しさを駆り立てる。

「ルドルフ様……」

「クリス殿なら納得だ。本当ならば、エリーナ嬢が俺になびかない時点で見切りをつけるべきだったが、側にいると安心できて離れがたくなってしまった」

 きっとルドルフも自分の気持ちに区切りをつけたいのだろう。腹黒さも策士の振る舞いもない、等身大の彼の姿にエリーナは黙って耳を傾ける。

「恋とは、ままならぬものだな」

「……はい」

 その言葉はエリーナの胸に染み入り、とうとう頬に涙が伝った。今わかった。悲しく寂しいのではない。恋という不確かで不自由なものが苦しく、そしてルドルフの優しさが胸に迫るのだ。

「エリーナ嬢……貴女の手を取って進むことはできなくても、パーティーでは俺と踊ってくれるか? 今後、貴女が困った時には力になりたい」

 一生の縁を結ぶ。それはエリーナにとっても願ってもないことで。

「はい、どうかお願いします」

 とエリーナは涙を拭って微笑んだのだった。

「だが、クリス殿が嫌になればいつでも来い。俺は付け入る隙がないか、伺っているからな」

 そういつもと同じ、策士のような笑みを浮かべたルドルフにエリーナは小さく笑う。やはりルドルフは少し腹黒いぐらいがちょうどいい。

「あぁ、やっと笑ったか。エリーナを泣かせては、クリス殿に殺されてしまう」

 そう冗談とも思えないことを口にして、ルドルフは紅茶をすすった。すこしぬるくなって苦みが増したが、その苦さがちょうどいい。
 そしてしばらく談笑を楽しんだ後、ローゼンディアナ家まで送ってもらってルドルフとは別れた。ではまたと別れの挨拶を口にして、エリーナの手の甲に口づける。そのどこまでも紳士なルドルフに、エリーナは心中でそっと願う。

(ルドルフ様が、幸せになりますように)

 エリーナの想いが通じたのか、ルドルフは紫色の目を細めて穏やかに微笑んだのだった。迎えに出てきたクリスとともに屋敷の奥へと消えていくエリーナに背を向け、ルドルフはローゼンディアナ家を後にする。
 そして馬車に乗り込み、背もたれに身を預けると深く肺から息を吐きだした。

「本当に、恋はままならない」

 そう呟き、自嘲めいた笑みを口元に浮かべると片手で眼鏡を取る。眼鏡のつるを握りこみ、拳を眉間に当てた。

「これが、恋の苦しみか」

 ルドルフは今まで、数多くの女性からの申し入れを断っていた。中には目の前で泣かれたこともある。その時、微塵も心は動かなかった。だから今日のエリーナを見て驚いたのだ。断る相手を想って悩み苦しんでいる姿に、涙を流す姿に惹きこまれた。もう遅いと分かっていても、この想いはまだ断ち切れない。

 ルドルフはぼやけた視界で窓の外を眺める。外された眼鏡のレンズに夕日が当たり、赤い光を反射させていた。
 
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