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学園編 17歳
61 研究室を訪問しましょう
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王立ミスティア学園に勤める教員たちには個別の研究室が与えられている。中には隣接する学術院でも教鞭を振るっている人たちもおり、専門性は高い。教員の研究室は学生が授業を受ける棟とは別にあり、学術分野ごとに階が分かれている。質問や個別に教えを乞う学生が出入りするぐらいで、静かな空間だった。
ある日の放課後、エリーナはラウルの研究室を訪ねていた。最近研究が忙しいようでローゼンディアナ家にあまり顔を出さなくなったため、クリスに少し顔を見てきてよとお菓子を渡されたのだ。ラウルの研究室がある歴史学は三階であり、ひっそりと厳かな空気を感じる。廊下の壁には歴史的な価値のある絵画や骨とう品が並んでいた。
ドアの横にかけられている表札で名前を確認すると、少し緊張した面持ちでノックした。この研究室を訪れるのは初めてだ。
「どうぞ」
くぐもった声が返って来たため、そっとドアを開けて中を覗く。正面に重厚な造りの机があり、本から顔を上げたラウルが目を丸くしていた。
「エリー様?」
「こんにちは、先生」
エリーナは静かにドアを閉めて挨拶をする。ラウルは目を瞬かせ、一瞬固まってから手前にある応接用のソファーに座るよう促した。エリーナが柔らかなソファーに座ると、ラウルはドアの外に繋がっている紐を引き、ベルを鳴らして給仕を呼んだ。教員の大半が貴族のため、廊下には常に給仕係と雑用係が控えている。
「すみません、びっくりしてしまって。エリー様がいらっしゃるとは思いませんでした」
ラウルもエリーナの向かいに座り、嬉しそうに破顔した。研究室の本棚に囲まれるラウルは庭園で見るときと違った印象を受ける。
「……こうやって見ると、先生って本当にここの先生だったんですね」
エリーナにとってラウルは常に先生だが、授業を取っていないためこの学園の教員という意識はあまりなかった。ラウルの研究室は窓以外を歴史書が詰まった本棚で埋め尽くされており、学者という雰囲気がする。だが学者のイメージとは違い部屋はきれいに整えられており、机の上にも最低限のものしかなかった。
「エリー様は私を何だと思っていらっしゃるんですか」
「先生は先生よ?」
少し眉根を寄せたラウルにうふふとエリーナは意地悪な笑みを浮かべる。その時ノックの音がして、茶器を持った給仕係が入って来た。手早くお茶を淹れて出て行く。洗練された無駄のない動きに、優雅さを求める貴族家との違いを感じた。ここでは短時間でおいしくが必要なのだろう。
「それで、今日はどうしましたか?」
「最近先生の顔を見ていないから、クリスが訪ねてみてって」
エリーナは持たされていたお菓子を渡し、ラウルはせっかくなのでと開けて一緒に食べる。ドルトン商会のプリンクッキーなどの焼き菓子の詰め合わせだ。
「あぁすいません。ここのところ研究が立て込んでいて、なかなか伺えず」
「先生はお忙しいですもの、気にしていませんわ。それで、そろそろ気になる方は現れました?」
恒例の質問をすれば、いつもの苦笑が返ってくる。
「どうでしょうかね……私の今の立場では簡単にいかないことも多いので」
だがいつもとは違う言葉が返ってきたため、エリーナは目を瞬かせた。
「え、できたの?」
「秘密です。エリーナ様はどうですか? よりどりみどりでしょう」
はぐらかされて、いつもの言葉が飛んできた。だが、よりどりみどりと言えるほど選択肢はなく、むしろ選びにくいものばかりだ。
「違うわよ……つくづく恋愛には向いていないと思うわ」
リズの恋愛脳を間近で見ていると、自分との違いがはっきりわかる。リズは道行く人たちを常に品定めをしており、学園内のカップルや噂話にも敏感だ。
「あれほどロマンス小説をお読みになっていらっしゃるのに」
「だからあれは悪役令嬢研究なの……ねぇ先生、先生は恋愛って何か知ってるの?」
分からないことは先生に訊いてみる。昔からそうしてきたため、今回も何気なくそう尋ねた。これをベロニカに尋ねれば残念そうに溜息をつかれ、リズに尋ねれば憐れんだ目を向けられる。
「え、私ですか?」
いつものようにすんなり歴史の人物を例に答えてくれるかと思いきや、ラウルは少し顔を赤くして紅茶をすすった。その反応に鈍いエリーナも恋を知っているんだと理解する。さすがは経験豊富な大人だ。
期待された目を向けられたラウルは、気恥ずかしそうに口を開く。
「一般的には、特定の人物のことをよく考え、愛しく想うことですよ」
「よく考え、愛しく想う」
よい学生であるエリーナは忘れないために、まじめに復唱する。
「そして他の異性と親しくされると嫌な気持ちになります。嫉妬ですね」
「それはわかるわ。嫉妬に狂っていじめるのよね」
悪役令嬢はいつもそうだ。ただエリーナ自身がその感情に襲われたことはないが……。
その返答にラウルは微妙そうな表情をしたが、すぐに真面目なものに切り替わった。
「そうですね……ですが、焦らずエリー様が一緒にいたいと思える方を見つけてください」
「えぇ。ラウル先生も今後の参考にするから、色々と教えてね」
何事も先達を参考にするのがいいと思ったが、ラウルはさらに顔を赤らめてわざとらしく咳ばらいをした。
「……私のことはともかく、春休み前に殿下がいらっしゃいましたよ。エリー様からお話を伺ったそうで」
「あぁ、そんなこともおっしゃっていたわね」
「それから時々恐れ多くも講義をさせていただいております」
個人的に訪ねては前王や前々王時代の政治について教えを受けているらしい。少しジークのことを見直した。
「エリー様の好みなども質問されるので困ったものですが」
前言撤回。やはりジークはジークかと評価を元にもどすエリーナだった。
「早く諦めていただきたいわ」
「側室は貴族女性のあこがれの地位ですよ?」
「ベロニカ様の近くにいられるのは最高だけど、大変そうだもの」
たまにベロニカに天秤が傾きそうになるため、自制しなければいけない。
「王族ですからね。私はエリーナ様が誰を選ばれても、貴女の幸せを願っています」
そう言って、ラウルはどこか嬉しそうに笑うのだった。
そして下校の時間が来たためエリーナを門まで送る。サリーも久しぶりにラウルに会えて嬉しそうにしていた。
「エリーナ様と仲がよろしいですね」
と珍しく茶化してくる。
「先生に悪いわよ」
とエリーナが返せばなぜが残念そうな顔をされた。なんだか居心地が悪い。ニマニマしているサリーを不審に思いながらいつも通り今日の出来事を話しながら、エリーナは帰り路を歩き始めた。
その後姿を見送りながら、ラウルはポツリと呟く。
「せめて爵位があれば……貴女の隣に立てるのに」
その呟きは誰にも届くことはなく、夕日の中に溶けて消えていった……。
ある日の放課後、エリーナはラウルの研究室を訪ねていた。最近研究が忙しいようでローゼンディアナ家にあまり顔を出さなくなったため、クリスに少し顔を見てきてよとお菓子を渡されたのだ。ラウルの研究室がある歴史学は三階であり、ひっそりと厳かな空気を感じる。廊下の壁には歴史的な価値のある絵画や骨とう品が並んでいた。
ドアの横にかけられている表札で名前を確認すると、少し緊張した面持ちでノックした。この研究室を訪れるのは初めてだ。
「どうぞ」
くぐもった声が返って来たため、そっとドアを開けて中を覗く。正面に重厚な造りの机があり、本から顔を上げたラウルが目を丸くしていた。
「エリー様?」
「こんにちは、先生」
エリーナは静かにドアを閉めて挨拶をする。ラウルは目を瞬かせ、一瞬固まってから手前にある応接用のソファーに座るよう促した。エリーナが柔らかなソファーに座ると、ラウルはドアの外に繋がっている紐を引き、ベルを鳴らして給仕を呼んだ。教員の大半が貴族のため、廊下には常に給仕係と雑用係が控えている。
「すみません、びっくりしてしまって。エリー様がいらっしゃるとは思いませんでした」
ラウルもエリーナの向かいに座り、嬉しそうに破顔した。研究室の本棚に囲まれるラウルは庭園で見るときと違った印象を受ける。
「……こうやって見ると、先生って本当にここの先生だったんですね」
エリーナにとってラウルは常に先生だが、授業を取っていないためこの学園の教員という意識はあまりなかった。ラウルの研究室は窓以外を歴史書が詰まった本棚で埋め尽くされており、学者という雰囲気がする。だが学者のイメージとは違い部屋はきれいに整えられており、机の上にも最低限のものしかなかった。
「エリー様は私を何だと思っていらっしゃるんですか」
「先生は先生よ?」
少し眉根を寄せたラウルにうふふとエリーナは意地悪な笑みを浮かべる。その時ノックの音がして、茶器を持った給仕係が入って来た。手早くお茶を淹れて出て行く。洗練された無駄のない動きに、優雅さを求める貴族家との違いを感じた。ここでは短時間でおいしくが必要なのだろう。
「それで、今日はどうしましたか?」
「最近先生の顔を見ていないから、クリスが訪ねてみてって」
エリーナは持たされていたお菓子を渡し、ラウルはせっかくなのでと開けて一緒に食べる。ドルトン商会のプリンクッキーなどの焼き菓子の詰め合わせだ。
「あぁすいません。ここのところ研究が立て込んでいて、なかなか伺えず」
「先生はお忙しいですもの、気にしていませんわ。それで、そろそろ気になる方は現れました?」
恒例の質問をすれば、いつもの苦笑が返ってくる。
「どうでしょうかね……私の今の立場では簡単にいかないことも多いので」
だがいつもとは違う言葉が返ってきたため、エリーナは目を瞬かせた。
「え、できたの?」
「秘密です。エリーナ様はどうですか? よりどりみどりでしょう」
はぐらかされて、いつもの言葉が飛んできた。だが、よりどりみどりと言えるほど選択肢はなく、むしろ選びにくいものばかりだ。
「違うわよ……つくづく恋愛には向いていないと思うわ」
リズの恋愛脳を間近で見ていると、自分との違いがはっきりわかる。リズは道行く人たちを常に品定めをしており、学園内のカップルや噂話にも敏感だ。
「あれほどロマンス小説をお読みになっていらっしゃるのに」
「だからあれは悪役令嬢研究なの……ねぇ先生、先生は恋愛って何か知ってるの?」
分からないことは先生に訊いてみる。昔からそうしてきたため、今回も何気なくそう尋ねた。これをベロニカに尋ねれば残念そうに溜息をつかれ、リズに尋ねれば憐れんだ目を向けられる。
「え、私ですか?」
いつものようにすんなり歴史の人物を例に答えてくれるかと思いきや、ラウルは少し顔を赤くして紅茶をすすった。その反応に鈍いエリーナも恋を知っているんだと理解する。さすがは経験豊富な大人だ。
期待された目を向けられたラウルは、気恥ずかしそうに口を開く。
「一般的には、特定の人物のことをよく考え、愛しく想うことですよ」
「よく考え、愛しく想う」
よい学生であるエリーナは忘れないために、まじめに復唱する。
「そして他の異性と親しくされると嫌な気持ちになります。嫉妬ですね」
「それはわかるわ。嫉妬に狂っていじめるのよね」
悪役令嬢はいつもそうだ。ただエリーナ自身がその感情に襲われたことはないが……。
その返答にラウルは微妙そうな表情をしたが、すぐに真面目なものに切り替わった。
「そうですね……ですが、焦らずエリー様が一緒にいたいと思える方を見つけてください」
「えぇ。ラウル先生も今後の参考にするから、色々と教えてね」
何事も先達を参考にするのがいいと思ったが、ラウルはさらに顔を赤らめてわざとらしく咳ばらいをした。
「……私のことはともかく、春休み前に殿下がいらっしゃいましたよ。エリー様からお話を伺ったそうで」
「あぁ、そんなこともおっしゃっていたわね」
「それから時々恐れ多くも講義をさせていただいております」
個人的に訪ねては前王や前々王時代の政治について教えを受けているらしい。少しジークのことを見直した。
「エリー様の好みなども質問されるので困ったものですが」
前言撤回。やはりジークはジークかと評価を元にもどすエリーナだった。
「早く諦めていただきたいわ」
「側室は貴族女性のあこがれの地位ですよ?」
「ベロニカ様の近くにいられるのは最高だけど、大変そうだもの」
たまにベロニカに天秤が傾きそうになるため、自制しなければいけない。
「王族ですからね。私はエリーナ様が誰を選ばれても、貴女の幸せを願っています」
そう言って、ラウルはどこか嬉しそうに笑うのだった。
そして下校の時間が来たためエリーナを門まで送る。サリーも久しぶりにラウルに会えて嬉しそうにしていた。
「エリーナ様と仲がよろしいですね」
と珍しく茶化してくる。
「先生に悪いわよ」
とエリーナが返せばなぜが残念そうな顔をされた。なんだか居心地が悪い。ニマニマしているサリーを不審に思いながらいつも通り今日の出来事を話しながら、エリーナは帰り路を歩き始めた。
その後姿を見送りながら、ラウルはポツリと呟く。
「せめて爵位があれば……貴女の隣に立てるのに」
その呟きは誰にも届くことはなく、夕日の中に溶けて消えていった……。
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