7 / 25
3-1
しおりを挟む
夜。いつものように比奈の部屋の縁側で、兄妹が並んで座って話をしていると、庭の植え込みが音を立てて揺れた。
「比奈! 下がれ!」
神流は庭に飛び降り、刀を抜いた。
「そこにいるのは誰だ! 今すぐ出てこねぇと、問答無用で叩き斬るぞ」
「ちょ、神流! 俺だって、俺! 黎明だよ!」
「はあ!? 黎明様!?」
声を上げて草陰から出てきたのは、黎明だった。彼は闇夜に紛れるためか、黒い着物を身に纏っていた。
「なんでここに……。さすがの家の場所は教えていませんよ?」
「番頭の見螺に聞いた。それより神流。昼間に、ここの結界、妖怪は入れないって言ってたよな?」
「えぇ。そう、です、が……っ!?」
言っているうちに真実に気づいた神流の目が、驚きで開かれていく。それに黎明が小さく頷いた。
「鬼という妖怪である俺が入れたということは、すべてのモノを弾く結界じゃねぇってことだ」
「だったら、今まで襲われなかったのは、偶然?」
黎明は頭や着物に付いた葉っぱを落としながら、立ち上がる。
「それか、弱い妖怪が入れない程度のってことだろ。鬼は妖怪の中でも最上級の妖力を持っているから、俺は入れたってわけ」
「そんな……」
ようやく妹が安全で安心できる暮らしを送れると思った矢先に、衝撃の事実を知り、神流は言葉を失う。
「あの、兄様?」
兄が侵入者と会話をしているのを見て、比奈は恐る恐ると縁側に出てきた。
「ああ、比奈。大丈夫。危険はない」
「兄様の、お知り合いの方、ですか?」
「あぁ、このお方は」
神流が黎明を紹介しようとすると、本人がぐいっと神流を押し退けて前に出る。
「俺は黎明。神流とは仕事仲間なんだ。俺のほうがちょっとだけ早くそこに在籍しているから、神流は敬語を使ってんだよ」
「そう、なのですか。お初に、お目にかかります。わたしは神流が妹、比奈と申します」
比奈は兄の同僚に会うのも、患者以外の異性と話すのも初めてだった。それでも戸惑いながらではあるが、黎明に名を名乗り、頭を下げた。
「よろしくな」
「黎明様!」
「うるさっ。神流、でかい声を出すなって。迷惑だろ」
「あなたが出させているんでしょうが!」
二人の軽快なやり取りに、比奈は口元を隠して笑う。
黎明は比奈に向き直ると、申し訳なさそうに、眉尻を下げた。
「こんな遅い時間に来てごめんな。神流からきみの話を聞いて、会ってみたいと思ったんだが、なにぶん時間が無くてだな」
「い、いえ。わたしも、朝から夕方まではその、患者さんの治療を、していますから」
「そっか」
そう言うと、黎明は腰に差していた愛刀、童子切を鞘ごと抜いて右手に持つ。そしてそれを縁側に置くと、遠慮もなく座り、比奈を見ながら、ぽんぽんと自分の隣を叩いて、座るように促す。
黎明の意図を察した比奈は、困惑した表情で兄に視線を送る。神流は刀を鞘に収め、妹に頷く。彼女は了解の意を示すと、
「失礼いたします」
と断って、黎明の隣に座った。神流も妹の隣に腰掛ける。
「比奈って、呼んでいいか?」
「はい。もちろんです」
「比奈の言う治療って、万物を癒す力を使ってってことか?」
黎明は回りくどい言い方はせず、率直に尋ねる。対する比奈も気分を害した様子もなく、頷いた。
「えぇ、そうです。兄様からお聞きになられたのですか?」
「それもあっけど、町で噂だからさ。なんでも癒してくれる力を持つ、美人な娘がいるってな。だが、所詮は噂なんてあてにならないな。きみは噂以上の美人さんだ」
「ありがとうございます。ですが世の中には、わたしよりもお美しい方が、たくさんおりますよ」
黎明の賛辞に、比奈は照れるどころか、さらりと受け流した。
黎明は今まで自分が接してきた家族以外の女とは違う反応を見せる彼女に、目を瞬かせる。
(美人だと言われていても、本人に自覚がないのか。嫌みがまったくねぇな)
「んっ、んん」
神流がわざとらしく咳払いをすると、黎明は苦笑し、本題に入ることにした。
「なぁ、比奈。きみは今の生活が、つらくないのか? 毎日毎日、患者は途切れることなく、来るんだろう?」
「そう、ですね」
黎明に言われ、比奈は考えるように、頬に手を添える。
「つらいと思うときは、正直あります。ですが、怪我や病を治してさしあげると、みなさん笑顔になってくださいますから。だからわたしは、頑張ることができるんです」
比奈は笑顔で言い切った。だが、黎明は感情が消えた瞳を、彼女に向ける。
「それ、本気で言ってるのか?」
「え?」
「きみのしていることは、自己犠牲だ。そのまま力を多用するのは、危険だぞ」
黎明の指摘に、比奈はぴくっと肩を震わせる。それは本人も自覚しているということ。
「比奈。やっぱり」
「兄様」
比奈は神流の言葉を遮った。兄の顔を見て彼女は弱々しいながらも、笑みを浮かべる。
「いいんです。黎明様のおっしゃる通りです。だけどそれは私が勝手にしていること。誰も、悪くない。母様も、父様も。もちろん、兄様も。誰も、悪くありません」
神流はたまらず、比奈を抱き締めた。
「比奈! 下がれ!」
神流は庭に飛び降り、刀を抜いた。
「そこにいるのは誰だ! 今すぐ出てこねぇと、問答無用で叩き斬るぞ」
「ちょ、神流! 俺だって、俺! 黎明だよ!」
「はあ!? 黎明様!?」
声を上げて草陰から出てきたのは、黎明だった。彼は闇夜に紛れるためか、黒い着物を身に纏っていた。
「なんでここに……。さすがの家の場所は教えていませんよ?」
「番頭の見螺に聞いた。それより神流。昼間に、ここの結界、妖怪は入れないって言ってたよな?」
「えぇ。そう、です、が……っ!?」
言っているうちに真実に気づいた神流の目が、驚きで開かれていく。それに黎明が小さく頷いた。
「鬼という妖怪である俺が入れたということは、すべてのモノを弾く結界じゃねぇってことだ」
「だったら、今まで襲われなかったのは、偶然?」
黎明は頭や着物に付いた葉っぱを落としながら、立ち上がる。
「それか、弱い妖怪が入れない程度のってことだろ。鬼は妖怪の中でも最上級の妖力を持っているから、俺は入れたってわけ」
「そんな……」
ようやく妹が安全で安心できる暮らしを送れると思った矢先に、衝撃の事実を知り、神流は言葉を失う。
「あの、兄様?」
兄が侵入者と会話をしているのを見て、比奈は恐る恐ると縁側に出てきた。
「ああ、比奈。大丈夫。危険はない」
「兄様の、お知り合いの方、ですか?」
「あぁ、このお方は」
神流が黎明を紹介しようとすると、本人がぐいっと神流を押し退けて前に出る。
「俺は黎明。神流とは仕事仲間なんだ。俺のほうがちょっとだけ早くそこに在籍しているから、神流は敬語を使ってんだよ」
「そう、なのですか。お初に、お目にかかります。わたしは神流が妹、比奈と申します」
比奈は兄の同僚に会うのも、患者以外の異性と話すのも初めてだった。それでも戸惑いながらではあるが、黎明に名を名乗り、頭を下げた。
「よろしくな」
「黎明様!」
「うるさっ。神流、でかい声を出すなって。迷惑だろ」
「あなたが出させているんでしょうが!」
二人の軽快なやり取りに、比奈は口元を隠して笑う。
黎明は比奈に向き直ると、申し訳なさそうに、眉尻を下げた。
「こんな遅い時間に来てごめんな。神流からきみの話を聞いて、会ってみたいと思ったんだが、なにぶん時間が無くてだな」
「い、いえ。わたしも、朝から夕方まではその、患者さんの治療を、していますから」
「そっか」
そう言うと、黎明は腰に差していた愛刀、童子切を鞘ごと抜いて右手に持つ。そしてそれを縁側に置くと、遠慮もなく座り、比奈を見ながら、ぽんぽんと自分の隣を叩いて、座るように促す。
黎明の意図を察した比奈は、困惑した表情で兄に視線を送る。神流は刀を鞘に収め、妹に頷く。彼女は了解の意を示すと、
「失礼いたします」
と断って、黎明の隣に座った。神流も妹の隣に腰掛ける。
「比奈って、呼んでいいか?」
「はい。もちろんです」
「比奈の言う治療って、万物を癒す力を使ってってことか?」
黎明は回りくどい言い方はせず、率直に尋ねる。対する比奈も気分を害した様子もなく、頷いた。
「えぇ、そうです。兄様からお聞きになられたのですか?」
「それもあっけど、町で噂だからさ。なんでも癒してくれる力を持つ、美人な娘がいるってな。だが、所詮は噂なんてあてにならないな。きみは噂以上の美人さんだ」
「ありがとうございます。ですが世の中には、わたしよりもお美しい方が、たくさんおりますよ」
黎明の賛辞に、比奈は照れるどころか、さらりと受け流した。
黎明は今まで自分が接してきた家族以外の女とは違う反応を見せる彼女に、目を瞬かせる。
(美人だと言われていても、本人に自覚がないのか。嫌みがまったくねぇな)
「んっ、んん」
神流がわざとらしく咳払いをすると、黎明は苦笑し、本題に入ることにした。
「なぁ、比奈。きみは今の生活が、つらくないのか? 毎日毎日、患者は途切れることなく、来るんだろう?」
「そう、ですね」
黎明に言われ、比奈は考えるように、頬に手を添える。
「つらいと思うときは、正直あります。ですが、怪我や病を治してさしあげると、みなさん笑顔になってくださいますから。だからわたしは、頑張ることができるんです」
比奈は笑顔で言い切った。だが、黎明は感情が消えた瞳を、彼女に向ける。
「それ、本気で言ってるのか?」
「え?」
「きみのしていることは、自己犠牲だ。そのまま力を多用するのは、危険だぞ」
黎明の指摘に、比奈はぴくっと肩を震わせる。それは本人も自覚しているということ。
「比奈。やっぱり」
「兄様」
比奈は神流の言葉を遮った。兄の顔を見て彼女は弱々しいながらも、笑みを浮かべる。
「いいんです。黎明様のおっしゃる通りです。だけどそれは私が勝手にしていること。誰も、悪くない。母様も、父様も。もちろん、兄様も。誰も、悪くありません」
神流はたまらず、比奈を抱き締めた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
妖刀 益荒男
地辻夜行
歴史・時代
東西南北老若男女
お集まりいただきました皆様に
本日お聞きいただきますのは
一人の男の人生を狂わせた妖刀の話か
はたまた一本の妖刀の剣生を狂わせた男の話か
蓋をあけて見なけりゃわからない
妖気に魅入られた少女にのっぺらぼう
からかい上手の女に皮肉な忍び
個性豊かな面子に振り回され
妖刀は己の求める鞘に会えるのか
男は己の尊厳を取り戻せるのか
一人と一刀の冒険活劇
いまここに開幕、か~い~ま~く~
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
あの日、自遊長屋にて
灰色テッポ
歴史・時代
幕末の江戸の片隅で、好まざる仕事をしながら暮らす相楽遼之進。彼は今日も酒臭いため息を吐いて、独り言の様に愚痴を云う。
かつては天才剣士として誇りある武士であったこの男が、生活に疲れたつまらない浪人者に成り果てたのは何時からだったか。
わたしが妻を死なせてしまった様なものだ────
貧しく苦労の絶えない浪人生活の中で、病弱だった妻を逝かせてしまった。その悔恨が相楽の胸を締め付ける。
だがせめて忘れ形見の幼い娘の前では笑顔でありたい……自遊長屋にて暮らす父と娘、二人は貧しい住人たちと共に今日も助け合いながら生きていた。
世話焼きな町娘のお花、一本気な錺り職人の夜吉、明けっ広げな棒手振の八助。他にも沢山の住人たち。
迷い苦しむときの方が多くとも、大切なものからは目を逸らしてはならないと──ただ愚直なまでの彼らに相楽は心を寄せ、彼らもまた相楽を思い遣る。
ある日、相楽の幸せを願った住人は相楽に寺子屋の師匠になってもらおうと計画するのだが……
そんな誰もが一生懸命に生きる日々のなか、相楽に思いもよらない凶事が降りかかるのであった────
◆全24話
戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~
綾織 茅
歴史・時代
戦国の世。時代とともに駆け抜けたのは、齢十八の若き忍び達であった。
忍び里への大規模な敵襲の後、手に持つ刀や苦無を筆にかえ、彼らは次代の子供達の師となった。
護り、護られ、次代へ紡ぐその忍び技。
まだ本当の闇を知らずにいる雛鳥達は、知らず知らずに彼らの心を救う。
しかし、いくら陽だまりの下にいようとも彼らは忍び。
にこやかに笑い雛と過ごす日常の裏で、敵襲への報復準備は着実に進められていった。
※他サイトにも投稿中です。
※作中では天正七年(1579)間の史実を取り扱っていくことになります。
時系列は沿うようにしておりますが、実際の背景とは異なるものがございます。
あくまで一説であるということで、その点、何卒ご容赦ください。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
まひびとがたり
パン治郎
歴史・時代
時は千年前――日ノ本の都の周辺には「鬼」と呼ばれる山賊たちが跋扈していた。
そこに「百鬼の王」と怖れ称された「鬼童丸」という名の一人の男――。
鬼童丸のそばにはいつも一人の少女セナがいた。
セナは黒衣をまとい、陰にひそみ、衣擦れの音すら立てない様子からこう呼ばれた。
「愛宕の黒猫」――。
そんな黒猫セナが、鬼童丸から受けた一つの密命。
それはのちの世に大妖怪とあだ名される時の帝の暗殺だった。
黒猫は天賦の舞の才能と冷酷な暗殺術をたずさえて、謡舞寮へと潜入する――。
※コンセプトは「朝ドラ×大河ドラマ」の中高生向けの作品です。
平安時代末期、貴族の世から武士の世への転換期を舞台に、実在の歴史上の人物をモデルにしてファンタジー的な時代小説にしています。
※※誤字指摘や感想などぜひともお寄せください!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
日本国を支配しようとした者の末路
kudamonokozou
歴史・時代
平治の乱で捕まった源頼朝は不思議なことに命を助けられ、伊豆の流人として34歳まで悠々自適に暮らす。
その後、数百騎で挙兵して初戦を大敗した頼朝だが、上総広常の2万人の大軍を得て関東に勢力を得る。
その後は、反平家の御家人たちが続々と頼朝の下に集まり、源範頼と源義経の働きにより平家は滅亡する。
自らは戦わず日本の支配者となった頼朝は、奥州の金を手中に納めようとする。
頼朝は奥州に戦を仕掛け、黄金の都市と呼ばれた平泉を奥州藤原氏もろとも滅ぼしてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる