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最終話「朱の祝福を手のひらに」
⑯-3 君がいない世界で③
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永世中立国スイス。そのシュタインアムラインの旧市街は美しいフレスコ画があり、人々を中世の世界へ誘う。
そんな美しい街の、小さな教会で初老の神父はただ祈りを捧げていた。
「いきなり転移とは、もう少し周りを見なさい」
「五月蝿い。俺がそんな失敗をするわけがないだろう」
「全く。ラウル、ここに来てはいけない。まだ軍が近くにいるのですよ」
「わかっている」
ラウルは辺りを警戒しながら、アドニスに歩み寄った。
「あれだけ皆と距離を保ち、レン様のことも頼まなかった君が、今はすっかり慣れ合いですか」
「……レンのお別れ会がしたいという。アルベルト様の申し出だ。フリージアも賛成している。」
「ふむ。出来なくはないでしょうな。そうですか、お別れ会を……」
アドニスはモノクルに触れた。
(やっと、皆の気持ちが落ち着いてきましたか)
ラウルはアドニスの悩む姿に、一抹の不安を感じていた。
「それで、どこでやるのですか?」
「戦艦内の講堂が使えないかというが、地球人の形式はわからん。お前何かできるか?」
「それはまあ。……そうですね、レン様は亡くなったんだ。私がどうにかしなければ」
(落ち着いていないのは、私くらいか。一気に歳を食ったようだ)
「おい、アドニス」
「何ですか」
「お前も、人間でいえばかなりの年寄りだ。無理はするな」
「……そうですね。レン様の加護があるとはいえ、随分とお爺さんになってしまった」
アドニスにとって、生まれた日など覚えてはいない。それほど、随分昔のことだ。父と母に恵まれた日々を思い出すのも、最近は辛くなってしまった。その父の友人を憎んだ日々が、レンとの出会いであった。
「君もそこまで変わるのですね」
「変わる?」
「随分と優しいじゃありませんか、ラウル。変わらないと言ってもいいか」
「お前も五月蠅いな、俺は別に優しくはない」
「はいはい。もうすぐミュラー夫妻が来ます。一緒に転送していきますか?」
アドニスの言葉に、ラウルは手のひらを横に振った。そのまま何も言わずに転移し、セシュールの里へ帰っていった。
「全く。人見知りは何年経っても直りませんか……」
◇◇◇
――午後、アドニスの教会にて。
「アドニスさん……」
「おや、いらっしゃい。お二人で珍しいですね」
「揶揄うなよ。誰にもつけられてはいないし、軍の眼もない」
「そのようですね」
現れたミュラー夫人ミランダは黒服に身を包んでおり、それは旦那のディートリヒも同じであった。この町でも有名な二人が、この様な恰好で町を歩けばそれなりに噂が立ったであろう。それでも、二人は黒服を見に纏い、教会を訪れていた。
「マリアたち、大丈夫なの?」
「随分と気落ちしているみたいではありますが。これから行けば、わかるでしょう」
アドニスの言葉に、ミランダは首を横に振った。そのまま差し出されたアドニスの腕に、ディートリヒと共に掴む。三者は視線を合わせると、無言で頷いた。そして、そのままシュタインアムラインから姿を消し、セシュールの里へ降り立ったのだった。
◇◇◇
――セシュールの里にて。
里へ降り立つのは、ミランダもディートリヒも初めてだった。里の人口が減ったのは病が原因であり、外界とは隔たれていたのだ。
「ミュラーさん!」
少し歩いたところで、マリアが朱色の髪を揺らしながら駆けてきた。いつもと変わらない装いだ。
「マリア!」
抱きしめ合うマリアとミランダに、ディートリヒが遅れてやってくる。
「マリア……。大変だったな」
「ミュラーさん!」
「ははは。ミュラーさんしか言わないじゃないか。いつまでたっても、変わらんな」
「だって……。その方が呼び慣れているんだもん」
ディートリヒに撫でられながら、マリアは恥ずかしそうに笑った。二人はマリアにとって、よき兄姉であり、よき父母であるのだ。
「随分痩せたじゃないか」
「ちゃんと食べているの? 食べ物は、アドニスさんからこっちへ渡っているんでしょう?」
「うん。……あんまり食べたくないだけ」
「マリア……」
マリアは二人の服装を見つめると、小さく頷いた。
「二人とも、これから……。レンの、お別れ会をするの。参列してくれる?」
「もちろんよ。そう、お別れ会をすることにしたのね」
「うん。アルベルトとフリージアの提案で」
「アルベルトは?」
「機関室よ」
ディートリヒの言葉に、マリアは戦艦のマップまで案内し、機関室を指さした。
「本当にこの船で渡ってきたのか。先祖は……」
「何から何まで真新しく見えるのに、凄いな」
「ミュラーさん、口調が旦那さんうつってしまっているわ」
「あら。……マリアしかいないから」
「では、お邪魔でしたでしょうか」
声のする方を見ると、そこにはティナが立っていた。ティナは草花を摘んでいたようで、その手には無数の花が咲き乱れている。
「こんにちは。そろそろ来られる時間だと聞いていました」
「こんにちは。その花、ネモフィラね」
「ネモフィラというのですか。この花は特に素敵だと思いました」
ティナは頬を赤らめながら嬉しそうに呟く。何故か嫉妬しているディートリヒを尻目に、ミランダはティナの花に興味津々であった。
「ティナ、この花はレンに供えるの?」
「はい。少しでもと思って」
「そういう事なら、もっと花を持ってくるんだったわね」
ディートリヒの手には、フリージアの花束が。そしてミランダの手にはカーネーションなどで彩られた花束がある。
「少しでもと思って、ね……。どう、マリアは少し……、落ち着いた? 何ていられないわよね」
「それは、うん。レンが喜ぶだろうから……」
「あの、アドニスさんはどこに?」
ティナの問いに、ディートリヒが答える。
「アドニスはあっち。高台があるらしいんだが、そこへ行ったよ。案内もそこそこにな。俺は機関室ってところに行ってくる」
「アルベルトは機関室に居るわ。私も後から行くね」
「おう。じゃあまた後でな、ミランダ」
周囲を憚らず、熱いキスを交わす二人をいつもの調子だと見つめているマリアと、視線を泳がせるティナ。照れて顔を真っ赤にするミランダを置いて、ディートリヒは機関室へ向かった。
「ティナはアドニスさんに用事?」
「はい。高台の方へ行ってみます」
「うん。足元、気を付けてね」
「ありがとう。また後でね」
密編みを揺らしながら歩んでいくティナを見つめていると、ミランダは意地悪そうな表情を浮かべた。
そんな美しい街の、小さな教会で初老の神父はただ祈りを捧げていた。
「いきなり転移とは、もう少し周りを見なさい」
「五月蝿い。俺がそんな失敗をするわけがないだろう」
「全く。ラウル、ここに来てはいけない。まだ軍が近くにいるのですよ」
「わかっている」
ラウルは辺りを警戒しながら、アドニスに歩み寄った。
「あれだけ皆と距離を保ち、レン様のことも頼まなかった君が、今はすっかり慣れ合いですか」
「……レンのお別れ会がしたいという。アルベルト様の申し出だ。フリージアも賛成している。」
「ふむ。出来なくはないでしょうな。そうですか、お別れ会を……」
アドニスはモノクルに触れた。
(やっと、皆の気持ちが落ち着いてきましたか)
ラウルはアドニスの悩む姿に、一抹の不安を感じていた。
「それで、どこでやるのですか?」
「戦艦内の講堂が使えないかというが、地球人の形式はわからん。お前何かできるか?」
「それはまあ。……そうですね、レン様は亡くなったんだ。私がどうにかしなければ」
(落ち着いていないのは、私くらいか。一気に歳を食ったようだ)
「おい、アドニス」
「何ですか」
「お前も、人間でいえばかなりの年寄りだ。無理はするな」
「……そうですね。レン様の加護があるとはいえ、随分とお爺さんになってしまった」
アドニスにとって、生まれた日など覚えてはいない。それほど、随分昔のことだ。父と母に恵まれた日々を思い出すのも、最近は辛くなってしまった。その父の友人を憎んだ日々が、レンとの出会いであった。
「君もそこまで変わるのですね」
「変わる?」
「随分と優しいじゃありませんか、ラウル。変わらないと言ってもいいか」
「お前も五月蠅いな、俺は別に優しくはない」
「はいはい。もうすぐミュラー夫妻が来ます。一緒に転送していきますか?」
アドニスの言葉に、ラウルは手のひらを横に振った。そのまま何も言わずに転移し、セシュールの里へ帰っていった。
「全く。人見知りは何年経っても直りませんか……」
◇◇◇
――午後、アドニスの教会にて。
「アドニスさん……」
「おや、いらっしゃい。お二人で珍しいですね」
「揶揄うなよ。誰にもつけられてはいないし、軍の眼もない」
「そのようですね」
現れたミュラー夫人ミランダは黒服に身を包んでおり、それは旦那のディートリヒも同じであった。この町でも有名な二人が、この様な恰好で町を歩けばそれなりに噂が立ったであろう。それでも、二人は黒服を見に纏い、教会を訪れていた。
「マリアたち、大丈夫なの?」
「随分と気落ちしているみたいではありますが。これから行けば、わかるでしょう」
アドニスの言葉に、ミランダは首を横に振った。そのまま差し出されたアドニスの腕に、ディートリヒと共に掴む。三者は視線を合わせると、無言で頷いた。そして、そのままシュタインアムラインから姿を消し、セシュールの里へ降り立ったのだった。
◇◇◇
――セシュールの里にて。
里へ降り立つのは、ミランダもディートリヒも初めてだった。里の人口が減ったのは病が原因であり、外界とは隔たれていたのだ。
「ミュラーさん!」
少し歩いたところで、マリアが朱色の髪を揺らしながら駆けてきた。いつもと変わらない装いだ。
「マリア!」
抱きしめ合うマリアとミランダに、ディートリヒが遅れてやってくる。
「マリア……。大変だったな」
「ミュラーさん!」
「ははは。ミュラーさんしか言わないじゃないか。いつまでたっても、変わらんな」
「だって……。その方が呼び慣れているんだもん」
ディートリヒに撫でられながら、マリアは恥ずかしそうに笑った。二人はマリアにとって、よき兄姉であり、よき父母であるのだ。
「随分痩せたじゃないか」
「ちゃんと食べているの? 食べ物は、アドニスさんからこっちへ渡っているんでしょう?」
「うん。……あんまり食べたくないだけ」
「マリア……」
マリアは二人の服装を見つめると、小さく頷いた。
「二人とも、これから……。レンの、お別れ会をするの。参列してくれる?」
「もちろんよ。そう、お別れ会をすることにしたのね」
「うん。アルベルトとフリージアの提案で」
「アルベルトは?」
「機関室よ」
ディートリヒの言葉に、マリアは戦艦のマップまで案内し、機関室を指さした。
「本当にこの船で渡ってきたのか。先祖は……」
「何から何まで真新しく見えるのに、凄いな」
「ミュラーさん、口調が旦那さんうつってしまっているわ」
「あら。……マリアしかいないから」
「では、お邪魔でしたでしょうか」
声のする方を見ると、そこにはティナが立っていた。ティナは草花を摘んでいたようで、その手には無数の花が咲き乱れている。
「こんにちは。そろそろ来られる時間だと聞いていました」
「こんにちは。その花、ネモフィラね」
「ネモフィラというのですか。この花は特に素敵だと思いました」
ティナは頬を赤らめながら嬉しそうに呟く。何故か嫉妬しているディートリヒを尻目に、ミランダはティナの花に興味津々であった。
「ティナ、この花はレンに供えるの?」
「はい。少しでもと思って」
「そういう事なら、もっと花を持ってくるんだったわね」
ディートリヒの手には、フリージアの花束が。そしてミランダの手にはカーネーションなどで彩られた花束がある。
「少しでもと思って、ね……。どう、マリアは少し……、落ち着いた? 何ていられないわよね」
「それは、うん。レンが喜ぶだろうから……」
「あの、アドニスさんはどこに?」
ティナの問いに、ディートリヒが答える。
「アドニスはあっち。高台があるらしいんだが、そこへ行ったよ。案内もそこそこにな。俺は機関室ってところに行ってくる」
「アルベルトは機関室に居るわ。私も後から行くね」
「おう。じゃあまた後でな、ミランダ」
周囲を憚らず、熱いキスを交わす二人をいつもの調子だと見つめているマリアと、視線を泳がせるティナ。照れて顔を真っ赤にするミランダを置いて、ディートリヒは機関室へ向かった。
「ティナはアドニスさんに用事?」
「はい。高台の方へ行ってみます」
「うん。足元、気を付けてね」
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