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暁の荒野 番外編2「白狐のB面」
番外編②-2 白狐のB面②
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ぼんやりと思う。
懐かしき日々を。
楽しく充実した生活を送り、友に恵まれたあの日々を。
それでも、その日々を思い浮かべることはもう出来ないのだ。だからこそ、ぼんやりとだ。
その行動はティニアの瞳をかつての金色を呼びこむ。しばらくしてヘーゼルの瞳へ落ち着くと、元の青い瞳に戻っていった。
「それでも、私たちが彼らを覚えていれば……」
「ボクは、もうほとんど忘れてしまったよ。どうしてここに来たのかも、聞いた話でしか知らないんだ」
「忘れたら、私がお教えします。ええ、何度でも教えますよ」
アドニスは祈りながら、ティニアに願いを込めた。しかし、ティニアにとってそれはまるで意味の無いことだ。
(神様なんて、何もしてくれない)
アドニスの言いたいことはわかっている。銀時計を開けることで、持ち主である緋竜のことを思い出せと言うのだ。今まで開けられて来なかったものを、どうやって開けろと言うのだろうか。
何も入っていなければ、落胆するのがわかっている。そもそも、この銀時計は自分のものではないのだ。
「そうまで言って……、そんなに開けさせたい? どうする気なの?」
アドニスは無言のまま、横に会ったピアノのふたを開けた。鍵盤にステンドグラスの光が差し込んでいく。朝日が出てきたのだ。呆れたティニアはその光景を懐かしく見つめると、自虐的な笑みを浮かべながらため息を吐き出した。
答えはとうに出ている。
「そうだなぁ。僕が、ボクであったのなら。きっと今頃には開けてしまっただろうね」
そう。今の自分はティニアであり、レンではないのだ。
姿も、瞳の色も、何もかもが変わってしまった。まさか別の躯体をあてがわれ、再利用されるとは思っていなかったのだ。それも、知り合いであったティニアの躯体だ。
アドニスを絶句させてしまったことを悲しく思うとともに、ティニアは教会を去った。そのまま帰り道をトボトボ歩いていった。
◇◇◇
ティニアは旧市街の広間まで歩いた。そこには美しいフレスコ画があったが、中世の世界へタイムスリップさせてくれるわけではない。
「君たちに会いたいよ。オットー様、アルブレヒト様」
ふいに赤毛の女性が目に留まる。かつて同居していた朱色の髪を持つ女性であり、捧げものとして作られた少女。悲しき人造人間、マリア。しかし、その女性は帽子をかぶった新聞配達人であり、共に生活をしていたマリアではない。
「こんな早くにいるわけないか。……ボクは、一体何をしているんだ。こんな所までやってきて」
泣くことなど許されない。泣き言も許されない。それは孤独でければならない、秘密を抱えていることを指す。
アルベルトは、そんな自分をどう思うだろうか。近い将来、狂って殺しにかかっていく自分を、彼はどう思うだろうか。
「親しくしない方が、良かったかな」
仲の悪いままであればよかったのだろうか。仲良くなる必要など、なかったのだ。
止められるのは恐らく、アルベルトだけなのだ。それが現実であり、背けられない未来だ。
抗い続けたとしても、ティニアプログラムのインストール率は60%を超えている。そのうちに削除の再起動がかかるだろう。
もはや時間の無駄だ。
「もう、ボクは泣かないと決めたのに。約束したんだ。忘れるなよ」
天空を見つめる。金髪を靡かせる風が、冷たく町を降り注ぐ。
もう決めたのだ。いつか、アルベルトに竜であることを告げ、自身を殺させなければならないことを。
優しい君は、それを躊躇するだろう。例え記憶が戻ろうと、戻るまいと……。
このような結末を迎えることを、二人はどう思うだろうか。
二人とは、アスカニア家のオットー・フォン・バレンシュテットと、その息子アルブレヒト熊公だ。
二人は特に、緋竜に再会できるように毎日祈り続けてくれていた。その想いを、こんな形で壊してしまってよいのだろうか。
二人とも愛に生き、多くの人と関わっていった。
家族だと、ここが祖国だと言ってくれた人でさえ、もうこの世にはいない。
そんな二人の祖国も、故郷も、アスカニア家の国ではない。
「ボクの祖国は、一体どこにあると言うのか」
レスティン・フェレス。それはとおい、遠い世界。かつての世界にも、自身の国はあった。今はもう、どうなっているのか見当もつかない。
その世界と比べ物にならないほどに、小さな月。地球から見た月は、こんなにも美しく、儚いというのに。
「君たちが守ろうとした世界は、本当に美しいのだろうか。命を懸けて、信念を貫いた世界は、果たして……。駄目だな、弱ってる」
月が見つめ返すティニアは、月の色のように青々とした瞳でその月を見返していた。
「教えてよ、オットー様。ハルツの地で、手を差し伸べてくれたじゃないか。ねえ、一緒に歩んだじゃないか。そうだよね、アルブレヒト様………」
改めて口にした友人たちの名に、涙腺が緩んでいく。
「………………ぼくは、ひとりぼっちだ」
「ティニア!」
(そうやって、キミはボクを見つけてしまう)
アルベルトが息を切らせ、コートを手に持ったまま羽織らずに駆け寄ってきた。よほど焦って探し回っていたのだろう。彼からは余裕というものが失われている。それほどまでに、この姿の女性、ティニアは彼にとって魅力的なのか。
自分はティニアではなく、レンであるというのに。
懐かしいほど、恋焦がれた声は彼の声であり、そのまま変わらなかった。
それでも、その声に溺れてはいけない。
「ここにいたのか!」
彼に溺れる事だけは決してない。それは自身がティニアとして存在しているからだ。
何度も何度も心で呟いてきた。ティニアという姿は偽りであり、自身はレンであるというのに、彼はそれを知らない。
それでも、一緒に住もうと誘ってしまった。
「君、こんな朝早くにどうしたの」
「いや、お前が部屋に居なかったから、その。探しに」
「何、部屋を覗いたの? 別にいいでしょ。朝の散歩だよ。それから、日課の礼拝みたいなもの。毎朝やってるけど」
ティニアは広場から離れた教会を見つめ、何もなかったかのように帰路へ着こうとした。歩きなれたエーニンガー通りだ。
少し前まで、アンチ・ニミアゼルの拠点を潰していた。その際にヘマをして怪我を負ってしまったが、その足の怪我は完治している。
いつもながら、怪我の直りが早いわけではなく、今の身体が機械人形の躯体を使った半分人間、半分機械の身体だからだ。
本当に、異常だとしか言えない体になってしまった。こんな自分の真実を知ったとき、この男はどう思うだろうか。
「今日はどうするんだ」
「今日は一日休み。だから、午前中は適当にふらふらして過ごすよ。病院も孤児院も、勤務は明日からなんだ」
「午後は?」
やたらと予定を聞いて来る男は、自分の行動を頭に叩き込んでおかなければ生活できないのだろうか。鬱陶しくもそんな考えが頭を過ぎる。
「午後はお昼を軽く食べてから、14時だか15時に教会へ来いって。ああでも、子供たちに13時に孤児院で本を読んでほしいとか言われてたかな。珍しく時間指定だけれど。だから僕は忙しいんだ」
(夕べもそうだけど、アルベルトはアルベルトだ。緋竜のキミじゃない。なのにどうして君は、こうもボクの寂しい時に現れるのだろう)
弱くなっていく自身に恐怖を覚え、その考えを振り払っていく。その行動は素っ気ない態度へ繋がり、男の感情を逆なでするだけでなく、不安を煽ってしまった。
懐かしき日々を。
楽しく充実した生活を送り、友に恵まれたあの日々を。
それでも、その日々を思い浮かべることはもう出来ないのだ。だからこそ、ぼんやりとだ。
その行動はティニアの瞳をかつての金色を呼びこむ。しばらくしてヘーゼルの瞳へ落ち着くと、元の青い瞳に戻っていった。
「それでも、私たちが彼らを覚えていれば……」
「ボクは、もうほとんど忘れてしまったよ。どうしてここに来たのかも、聞いた話でしか知らないんだ」
「忘れたら、私がお教えします。ええ、何度でも教えますよ」
アドニスは祈りながら、ティニアに願いを込めた。しかし、ティニアにとってそれはまるで意味の無いことだ。
(神様なんて、何もしてくれない)
アドニスの言いたいことはわかっている。銀時計を開けることで、持ち主である緋竜のことを思い出せと言うのだ。今まで開けられて来なかったものを、どうやって開けろと言うのだろうか。
何も入っていなければ、落胆するのがわかっている。そもそも、この銀時計は自分のものではないのだ。
「そうまで言って……、そんなに開けさせたい? どうする気なの?」
アドニスは無言のまま、横に会ったピアノのふたを開けた。鍵盤にステンドグラスの光が差し込んでいく。朝日が出てきたのだ。呆れたティニアはその光景を懐かしく見つめると、自虐的な笑みを浮かべながらため息を吐き出した。
答えはとうに出ている。
「そうだなぁ。僕が、ボクであったのなら。きっと今頃には開けてしまっただろうね」
そう。今の自分はティニアであり、レンではないのだ。
姿も、瞳の色も、何もかもが変わってしまった。まさか別の躯体をあてがわれ、再利用されるとは思っていなかったのだ。それも、知り合いであったティニアの躯体だ。
アドニスを絶句させてしまったことを悲しく思うとともに、ティニアは教会を去った。そのまま帰り道をトボトボ歩いていった。
◇◇◇
ティニアは旧市街の広間まで歩いた。そこには美しいフレスコ画があったが、中世の世界へタイムスリップさせてくれるわけではない。
「君たちに会いたいよ。オットー様、アルブレヒト様」
ふいに赤毛の女性が目に留まる。かつて同居していた朱色の髪を持つ女性であり、捧げものとして作られた少女。悲しき人造人間、マリア。しかし、その女性は帽子をかぶった新聞配達人であり、共に生活をしていたマリアではない。
「こんな早くにいるわけないか。……ボクは、一体何をしているんだ。こんな所までやってきて」
泣くことなど許されない。泣き言も許されない。それは孤独でければならない、秘密を抱えていることを指す。
アルベルトは、そんな自分をどう思うだろうか。近い将来、狂って殺しにかかっていく自分を、彼はどう思うだろうか。
「親しくしない方が、良かったかな」
仲の悪いままであればよかったのだろうか。仲良くなる必要など、なかったのだ。
止められるのは恐らく、アルベルトだけなのだ。それが現実であり、背けられない未来だ。
抗い続けたとしても、ティニアプログラムのインストール率は60%を超えている。そのうちに削除の再起動がかかるだろう。
もはや時間の無駄だ。
「もう、ボクは泣かないと決めたのに。約束したんだ。忘れるなよ」
天空を見つめる。金髪を靡かせる風が、冷たく町を降り注ぐ。
もう決めたのだ。いつか、アルベルトに竜であることを告げ、自身を殺させなければならないことを。
優しい君は、それを躊躇するだろう。例え記憶が戻ろうと、戻るまいと……。
このような結末を迎えることを、二人はどう思うだろうか。
二人とは、アスカニア家のオットー・フォン・バレンシュテットと、その息子アルブレヒト熊公だ。
二人は特に、緋竜に再会できるように毎日祈り続けてくれていた。その想いを、こんな形で壊してしまってよいのだろうか。
二人とも愛に生き、多くの人と関わっていった。
家族だと、ここが祖国だと言ってくれた人でさえ、もうこの世にはいない。
そんな二人の祖国も、故郷も、アスカニア家の国ではない。
「ボクの祖国は、一体どこにあると言うのか」
レスティン・フェレス。それはとおい、遠い世界。かつての世界にも、自身の国はあった。今はもう、どうなっているのか見当もつかない。
その世界と比べ物にならないほどに、小さな月。地球から見た月は、こんなにも美しく、儚いというのに。
「君たちが守ろうとした世界は、本当に美しいのだろうか。命を懸けて、信念を貫いた世界は、果たして……。駄目だな、弱ってる」
月が見つめ返すティニアは、月の色のように青々とした瞳でその月を見返していた。
「教えてよ、オットー様。ハルツの地で、手を差し伸べてくれたじゃないか。ねえ、一緒に歩んだじゃないか。そうだよね、アルブレヒト様………」
改めて口にした友人たちの名に、涙腺が緩んでいく。
「………………ぼくは、ひとりぼっちだ」
「ティニア!」
(そうやって、キミはボクを見つけてしまう)
アルベルトが息を切らせ、コートを手に持ったまま羽織らずに駆け寄ってきた。よほど焦って探し回っていたのだろう。彼からは余裕というものが失われている。それほどまでに、この姿の女性、ティニアは彼にとって魅力的なのか。
自分はティニアではなく、レンであるというのに。
懐かしいほど、恋焦がれた声は彼の声であり、そのまま変わらなかった。
それでも、その声に溺れてはいけない。
「ここにいたのか!」
彼に溺れる事だけは決してない。それは自身がティニアとして存在しているからだ。
何度も何度も心で呟いてきた。ティニアという姿は偽りであり、自身はレンであるというのに、彼はそれを知らない。
それでも、一緒に住もうと誘ってしまった。
「君、こんな朝早くにどうしたの」
「いや、お前が部屋に居なかったから、その。探しに」
「何、部屋を覗いたの? 別にいいでしょ。朝の散歩だよ。それから、日課の礼拝みたいなもの。毎朝やってるけど」
ティニアは広場から離れた教会を見つめ、何もなかったかのように帰路へ着こうとした。歩きなれたエーニンガー通りだ。
少し前まで、アンチ・ニミアゼルの拠点を潰していた。その際にヘマをして怪我を負ってしまったが、その足の怪我は完治している。
いつもながら、怪我の直りが早いわけではなく、今の身体が機械人形の躯体を使った半分人間、半分機械の身体だからだ。
本当に、異常だとしか言えない体になってしまった。こんな自分の真実を知ったとき、この男はどう思うだろうか。
「今日はどうするんだ」
「今日は一日休み。だから、午前中は適当にふらふらして過ごすよ。病院も孤児院も、勤務は明日からなんだ」
「午後は?」
やたらと予定を聞いて来る男は、自分の行動を頭に叩き込んでおかなければ生活できないのだろうか。鬱陶しくもそんな考えが頭を過ぎる。
「午後はお昼を軽く食べてから、14時だか15時に教会へ来いって。ああでも、子供たちに13時に孤児院で本を読んでほしいとか言われてたかな。珍しく時間指定だけれど。だから僕は忙しいんだ」
(夕べもそうだけど、アルベルトはアルベルトだ。緋竜のキミじゃない。なのにどうして君は、こうもボクの寂しい時に現れるのだろう)
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