【完結】暁の荒野

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第14輪「白銀の回想録」

⑭-4 金色の回想カルテット③

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 あまたの泡が立っては消えていく。

 剣の稽古に励むアルブレヒト氏へ悪戯をするレン。その後で二人ともエイリカ夫人に叱られている。

 指輪を受け取り、怒った顔をしているレン。手渡したアルブレヒト氏は悪戯顔をしている。



 それらは過去の出来事のように沸き立ち、消えていった。

「こっちだよ、アダルベルト様!」

 泡の一つには、少年、否青年と剣を振るっているレン映っている。

「もう。アダルベルトじゃないって、何度言ったらわかるんですか」
「そうだったね! アルブレヒト様! ほら、こっちだ!」
「うわっ」

 レンはアルブレヒト様と呼んだ者の剣を叩き落とし、どや顔でその前に君臨していた。

「ふっふー。まぁたボクの勝ち~!」
「くそ……」
「ボクはオットー様には勝てないから、ボクに勝てないんじゃあ、オットー様にも勝てないよ?」
「五月蠅い、狐め」
「言ったなあ、熊坊やさま!」
「坊や呼びして、様付けか! 大体なんだ、熊ってのは!」
「熊はボクにとって友達。狩りのを下さる英雄なんだ」
「はいはい」

 拾い上げた剣を手渡すレン、そして共に剣の稽古に励む男。間違いない。彼が熊公、アルブレヒトの青年時代だ。

「それより、父上が呼んでませんでしたか?」
「ああうん。二人で来いって……。なんだろうね」
「待たせるのも悪いですから、行きましょう」
「わかったよ」


 泡が広がり、そしてまた目の前に大きな泡が現れた。
 その泡は寂しそうに湧き出ると、弾けては消えた。

 ◇◇◇

「待って。……なんで、オットー様が、それ、持っているの」



 眼を見開いて絶句しているレンの目の前に、銀の懐中時計を携えたオットー氏がいた。横にはエイリカ夫人もいる。
 指をさすレンの指が震え、がくがくと体までもが震える。


「待って。待って、なんで⁉」

 レンはあたふたしながら胸ポケットに手を入れると、銀の懐中時計を取り出した。その銀時計は、レンのものだ。細かな傷はない。

「どうして、父上がレンの銀時計と同じものを……」
「そう。これが時計であることを知っているのは、我々だけだ。この時計というものの技術自体、我々にはない」
「……でも、時計だって、わかってたじゃん。嘘でしょ? 時計なんて、いっぱいあるんでしょ? 作れる技術があって、たまたま同じ銀時計が……」
「レン。これらの銀時計以外に、時計が?」
「だって、それはアルブレヒトの……」
「俺?」

 首を傾げるアルブレヒト氏を尻目に、レンは驚愕の表情のまま呟くように語る。

「違うんだ。同じ名前なだけで……」
「そう。これを持っていたアルブレヒトという男は、竜の化身だった」
「竜⁉」

 驚きの声を上げる青年アルブレヒト。それもそのはずだ。この時代ですら、竜とは伝説上の生き物なのだ。

「なんでそんなことまで……。どうして、教えて! アルブレヒトはどうしたの⁉ アルは、どこ!」
「レン……」
「エイリカ様も、何か知ってるんでしょ。教えて!」
「…………レン……」

 オットー氏は数歩前へ出ると、口を無言で動かした。音がなくなったのだ。
 レンが目を大きく開け、そしてそのまま瞳を閉じ、口を歪ませた。
 そのまま後から後から涙をとめどなく流し、彼女の悲しみが伝わってくる。
 外は大荒れの天候となり、大雨が、雷が降り注いだ。


 音はなかった。

 それでも、何が伝わったのかはわかる。
 彼らこそ、アスカニア家の礎となった者たち。そして、レンに自らの前世の死が伝えられたのだと。

 泡が湧きたった時、アルベルトは大きな声でその名を呼んだ。

「レン!」

 手を振り上げ駆け寄ったところで、遠くなっていくレン。そのまま泡となってレンは消えていった。


 ◇◇◇

 再び泡が大きくなった所で、場面は変わった。

「アイツもしつこいね」
「アイツなんて呼ぶな。ハインリヒ獅子公は列記とした公爵様だ」
「君のリスペクトはわかんないなあ。エイリカ様の故郷、ボロボロだし」
「それでも母上は応援してくれている」

 力強く頷くアルブレヒト氏に、レンは呆れた顔をして両手を上へ上げた。

「ゾフィー様のためにも負けられないね。言われているんだよ、君の奥方様に。全員が無事に連れて帰るように、ってね」
「そうか。ゾフィーが……」
「……ゾフィー様はすごいよ。十数人も一人で産まれて、君はほとんど居ないのに、子育てまでしてさ」
「ゾフィーには寂しい思いをさせている。すぐに帰ってやらないとな」
「そうだよ。ゾフィー様はお強いけれど、お寂しいんだから」

 寂しいという言葉に対し、レンは本当に寂しそうな顔を浮かべた。それが自身への言葉であると、痛いほど伝わる。


 沸き立つ泡はやがて大きな泡を映し出した。

 砦の前で跪き、罪を償わせて欲しいと懇願するレン。レンはその後に砦を後にした。のちに男はブランデンブルク初代辺境伯となった。レンはエルベ川沿いの町で静かに暮らしている。


 泡は再び舞い上がる。


 ◇◇◇

 そして再び舞い上がったところで、レンは植木鉢に水を与えていた。そこはハルツ山脈のエルベ川沿いの小さな集落だ。

 小さな馬車が訪れる。

「もし。人を探しているのだが」

 腰の低い老人がレンに声をかける。レンは振り返ることなく、ぶっきらぼうに答えた。

「どんな方でしょうか」
「とても優しく、とても人懐っこく、とてもお人よしで、そして無邪気なひとだ」
「そんな奴はいないよ。ここには邪悪な魔女か魔法使いしかいない。ここはワルプルギスの森だよ」
「その人の外見は、とても珍しい姿をしている。背中に十字架を背負っているんだ」

 老人は尚も続ける。

「白銀の髪を持ち、瞳はヘーゼルであり、緑を秘めている。長い耳を持ち、頭上から常に世界の音を聞いている」

 レンの白銀の髪が靡いていく。

「尾は長く、触れると激しく怒りだす。風の化身で大気を操り、母なる大地の力を持って人々を奮わせ、水を操って動植物を慈しみ」

 レンの頬を涙が伝う。

「緋を愛する、一途な狐なんだが。知らないか?」
「そんな狐知らないね」
「それは狼だと、返したらどうだい」
「……ディアベア、どうしてここにきた。君、こんなところに来られる立場なのか」

 レンが慌てて駆け寄るが、涙が頬を伝って後からあふれていく。老人はしゃがみこみ、慌ててレンが体を支える。

「君は、ここにいては…………」

 レンが老人、アルブレヒト熊公を見据える。

「…………。すっかりおじいちゃんだね?」
「ほかに言う事はないのか」
「……とっくに、くたばったかと思っていました」
「そいつはひどいな」
「いくつになったのですか」
「もう70ほどに」
「そう」

 レンは涙を拭うと、木陰のベンチまで体を支え、なんとか座らせた。

「…………70歳か。ながいね」
「いや、短いよ。お前には到底及ばない、俺は短命だ」
「…………」
「やはり、俺はお前を置いて行かなければならない」

 ぼんやりと天を見つめるアルブレヒト熊公に対し、レンはじっとその瞳を見つめている。

「お前と、長いときを生き、生末を視たかった。お前の言う通り、隣に立つことなどできなかったな」
「それ以上のことをしてきているのに……?」

 レンは苦笑いを浮かべる。その様子にアルブレヒト熊公は寂しそうな笑みを浮かべた。

「竜や、狼たちは見つかったのか?」
「いや。まだ。手がかりだってない。なにもない。なんの痕跡もみつからない」
「……ともに、探して行ければ」
「それはだめだ。君は、人々を導かなければならない」

 咳き込んだアルブレヒト熊公の背を、ゆっくりと摩るレン。


「……アルブレヒト、長い間 よく がんばったね」



「えらいぞ」

 泡が溢れ出し、大きくなっていく。そこには葬儀に参列するレンの姿があった。
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