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第11輪「前門の危機と、後門のおおかみ」
⑪-3 D-Mollの消失③
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ティニアは首を傾げると、その愛くるしい顔で見上げた。
「いつも急に抱きしめるのに、どうしたの?」
ティニアの意図しない上目遣いに、アルベルトは浅く呼吸を整えると、動揺したままその愛らしい瞳を見つめた。
「いつも急で悪かった」
気恥ずかしくなり視線を外すアルベルトへ、ティニアは照れているのか無言で視線を外していく。
「…………」
「お前に、抱きしめてもいいのかを聞くべきだった」
「ええ…………」
ティニアは照れるように動揺し、後退してしまった。いつもの怪訝そうに眉を吊り上げるわけではなく、遅れて頬を赤らめる彼女へ、一度上げた腕を思わず下げてしまう。しかし、ティニアはアルベルトの動作に慌てると予想外の言葉をかける。
「抱きしめられたら、許してくれるの?」
「え! いや、そうじゃないんだ。許すとかそういう事じゃない。別にもう怒っていないし、悪かったと反省している。それはお前もだろ?」
「……うん」
いつもとは違うものの、素直な彼女本来のしおらしさを感じる。ティニアはどうしたらいいのかわからない様子で、アルベルトを見上げる。
「嫌だったら、そう言ってくれたらいいんだ」
「……どうしたらいい? その、抱きしめられる、って…………」
ティニアは今までに見たこともないような頬を赤らめた表情で、視線を外していく。手が震えていることに、アルベルトは気付いていた。
「何もしなくていい。その、委ねてくれたら……」
「うん、わかった」
何がわかったのかはわからない。それでもティニアはアルベルトの胸へ顔を埋めてきた。あまりの衝撃に、アルベルトは体を硬直させると、気付かれないように浅く深呼吸した。
アルベルトはそっとティニアの肩や腰に腕を回し、優しく抱きしめた。温かく、柔らかみのあるティニアのぬくもりを感じ、同時にいたたまれなさを感じた。
「ごめん……。僕、君がわからなくて」
「謝りたいのは俺だよ。もういいんだ。俺だって、ずっとこの先謝り続けるぞ? それに、俺だけは理解できなくたっていいだろ」
「でも……。喧嘩したままだったら、どうしようかと思った」
「喧嘩したら、お互いでまた謝ればいい。これからはそうしよう。俺はお前の傍にずっと居たいと思っている」
「…………」
ティニアは何も答えず、そのまま体をゆだねたままだ。それが本当に心を許しているわけではないのだと、不安が心を過ぎる。
「今日、仕事休んでよ」
「……そういうわけには」
ティニアの我儘は珍しく、そして唐突だ。
「私も休むから」
素直にアルベルトはその嬉しさに舞い上がりそうになっていた。
名残惜しそうに、ゆっくりティニアから離れると、ティニアも顔を上げた。珍しく顔を赤らめてはいるものの、今にも泣きだしてしまいそうな表情だ。つい、その頭を、髪を撫でてしまう。
ふとティニアの手に、胸に抱く銀に光るものが目に入る。それはいつかの銀時計であり、大切そうに握られている。想い人から受け取ったのか、それとも他の男からのプレゼントか。冷静になるよう深く呼吸をすると、心配そうに見つめる彼女へ優しく語り掛ける。それは心へチクチクと針が刺さるように、不安を呼び込んでいく。
それでも、彼女と向き合うのであれば、それらを否定することなど出来やしない。それら全てが彼女を形作っているのだ。それらを受け止めたうえで彼女自身ごと受け止めなくては、傍にはいられないだろう。
「わかった、休むよ」
「そう、良かった。ありがとう」
「いや、お礼を云うのは俺の方だ。……フリージアは、どうするんだ?」
「孤児院に頼んでくる。昨日から、フリージアは文字の勉強を始めたの。君が寄付してくれた、星の王子さまを読んでるよ。とにかく君は、少しでもいいから寝た方がいい」
顔を上げるティニアはアルベルトに近づいた。呼吸も届く距離だ。アルベルトは衝動を抑えつつ、彼女の頭を優しく撫でる。そのまま髪をいじり、優しく手櫛する。
「添い寝、してくれるのか」
「眠れないんでしょう。それくらい……」
「……かまわないよ」
その言葉が嬉しくも虚しく、アルベルトを支配する。ただ、今はそれでいいのだと。これからゆっくりと仲を深めればいいのだと。
ティニアとは感覚が異なるのだ。彼女は何千年も生きていたのだろう。ティニアの様な精霊への知識はないものの、想い人との別れがあれば仕方がないのかもしれない。
髪をいじられながら、見上げたまま狼狽えるティニア。上目遣いとなった彼女を愛らしいと感じ、アルベルトは赤面してしまう。自我を制し、なんとか彼女から離れようと手や腕に力を入れる。
「もう少ししたら、私がフリージアを孤児院へ送っていく。そしたら診療所にも連絡を入れて……」
「いいから。お前は普通に出勤するんだ」
「でも、それじゃ君が」
「俺は俺で何とかするから。お前は普段通りにしていたらいい」
「ちゃんと、君が休んでくれるなら」
あっさりと引き下がるティニア。普段通りの淡々とした様子に喜びを感じるのは、アルベルト自身がマゾだからではない。
「今日はちゃんと休む。親分からも忠告されてたからな。あの人、そういうの破ると五月蠅いからな」
「私が知らせるから、君は休んでて」
「わかった。ちゃんと休むから、な」
もう、黙っているわけにはいかない。感情が溢れ、彼女への気持ちが抑えきれなくなる。
ティニアは胸へしまい込んだ銀時計を握りしめていた。
「なあ、お前に伝えたいことがあるんだ」
「……なに?」
一瞬の間をおいて、彼女は震えながら返答した。いつものお道化た様子で誤魔化すような、あの懐かしい仕草は見られない。そしてその震えは、これから言葉にする事で一層増してしまうだろう。彼女の恐れは、何への恐れなのか。
「…………」
浅い呼吸を繰り返し、心臓の鼓動が響く中、アルベルトが言葉をかけようとした時だった。
「俺、お前が」
「あ」
彼女の身近な悲鳴と共に、プツンという軽い音が鳴る。その音はどこから聞こえたのか。
ティニアはアルベルトの胸へしがみつき、抗うようにアルベルトを睨みつける。
それは、何かを訴えるかのように。
「ティニア?」
その名を呼んだ瞬間、彼女の表情が、瞳が潤み、泣いているように見えた。何かが切れたかのように、彼女の身体がすべての力を失い、ゆっくりと崩れ落ちていく。
彼女の手に握られていた銀時計が悲しく光り、小さな彼女の手から滑り落ちるとゴトンと鈍い音を立て、寂しそうに転がった。
「ティニア!」
アルベルトは慌ててその小さな細い身体を抱きしめ、必死に支えようとした。それでも彼女の瞳は開いていたが、何も映してはいなかった。
何の反応も返らない。
青白い顔色に変色し、人間ではないかのような白肌を見せる。
その目は涙を浮かべたまま、静かに閉じられた。静かに頬を雫が伝い、時が止まるかのように。
「ティニア! ティニア‼」
彼女からは、何の応答もない。虚しくも男の声、その叫び声だけが虚しくその場に轟いた。
絶望が空間を、男を支配する。
「いつも急に抱きしめるのに、どうしたの?」
ティニアの意図しない上目遣いに、アルベルトは浅く呼吸を整えると、動揺したままその愛らしい瞳を見つめた。
「いつも急で悪かった」
気恥ずかしくなり視線を外すアルベルトへ、ティニアは照れているのか無言で視線を外していく。
「…………」
「お前に、抱きしめてもいいのかを聞くべきだった」
「ええ…………」
ティニアは照れるように動揺し、後退してしまった。いつもの怪訝そうに眉を吊り上げるわけではなく、遅れて頬を赤らめる彼女へ、一度上げた腕を思わず下げてしまう。しかし、ティニアはアルベルトの動作に慌てると予想外の言葉をかける。
「抱きしめられたら、許してくれるの?」
「え! いや、そうじゃないんだ。許すとかそういう事じゃない。別にもう怒っていないし、悪かったと反省している。それはお前もだろ?」
「……うん」
いつもとは違うものの、素直な彼女本来のしおらしさを感じる。ティニアはどうしたらいいのかわからない様子で、アルベルトを見上げる。
「嫌だったら、そう言ってくれたらいいんだ」
「……どうしたらいい? その、抱きしめられる、って…………」
ティニアは今までに見たこともないような頬を赤らめた表情で、視線を外していく。手が震えていることに、アルベルトは気付いていた。
「何もしなくていい。その、委ねてくれたら……」
「うん、わかった」
何がわかったのかはわからない。それでもティニアはアルベルトの胸へ顔を埋めてきた。あまりの衝撃に、アルベルトは体を硬直させると、気付かれないように浅く深呼吸した。
アルベルトはそっとティニアの肩や腰に腕を回し、優しく抱きしめた。温かく、柔らかみのあるティニアのぬくもりを感じ、同時にいたたまれなさを感じた。
「ごめん……。僕、君がわからなくて」
「謝りたいのは俺だよ。もういいんだ。俺だって、ずっとこの先謝り続けるぞ? それに、俺だけは理解できなくたっていいだろ」
「でも……。喧嘩したままだったら、どうしようかと思った」
「喧嘩したら、お互いでまた謝ればいい。これからはそうしよう。俺はお前の傍にずっと居たいと思っている」
「…………」
ティニアは何も答えず、そのまま体をゆだねたままだ。それが本当に心を許しているわけではないのだと、不安が心を過ぎる。
「今日、仕事休んでよ」
「……そういうわけには」
ティニアの我儘は珍しく、そして唐突だ。
「私も休むから」
素直にアルベルトはその嬉しさに舞い上がりそうになっていた。
名残惜しそうに、ゆっくりティニアから離れると、ティニアも顔を上げた。珍しく顔を赤らめてはいるものの、今にも泣きだしてしまいそうな表情だ。つい、その頭を、髪を撫でてしまう。
ふとティニアの手に、胸に抱く銀に光るものが目に入る。それはいつかの銀時計であり、大切そうに握られている。想い人から受け取ったのか、それとも他の男からのプレゼントか。冷静になるよう深く呼吸をすると、心配そうに見つめる彼女へ優しく語り掛ける。それは心へチクチクと針が刺さるように、不安を呼び込んでいく。
それでも、彼女と向き合うのであれば、それらを否定することなど出来やしない。それら全てが彼女を形作っているのだ。それらを受け止めたうえで彼女自身ごと受け止めなくては、傍にはいられないだろう。
「わかった、休むよ」
「そう、良かった。ありがとう」
「いや、お礼を云うのは俺の方だ。……フリージアは、どうするんだ?」
「孤児院に頼んでくる。昨日から、フリージアは文字の勉強を始めたの。君が寄付してくれた、星の王子さまを読んでるよ。とにかく君は、少しでもいいから寝た方がいい」
顔を上げるティニアはアルベルトに近づいた。呼吸も届く距離だ。アルベルトは衝動を抑えつつ、彼女の頭を優しく撫でる。そのまま髪をいじり、優しく手櫛する。
「添い寝、してくれるのか」
「眠れないんでしょう。それくらい……」
「……かまわないよ」
その言葉が嬉しくも虚しく、アルベルトを支配する。ただ、今はそれでいいのだと。これからゆっくりと仲を深めればいいのだと。
ティニアとは感覚が異なるのだ。彼女は何千年も生きていたのだろう。ティニアの様な精霊への知識はないものの、想い人との別れがあれば仕方がないのかもしれない。
髪をいじられながら、見上げたまま狼狽えるティニア。上目遣いとなった彼女を愛らしいと感じ、アルベルトは赤面してしまう。自我を制し、なんとか彼女から離れようと手や腕に力を入れる。
「もう少ししたら、私がフリージアを孤児院へ送っていく。そしたら診療所にも連絡を入れて……」
「いいから。お前は普通に出勤するんだ」
「でも、それじゃ君が」
「俺は俺で何とかするから。お前は普段通りにしていたらいい」
「ちゃんと、君が休んでくれるなら」
あっさりと引き下がるティニア。普段通りの淡々とした様子に喜びを感じるのは、アルベルト自身がマゾだからではない。
「今日はちゃんと休む。親分からも忠告されてたからな。あの人、そういうの破ると五月蠅いからな」
「私が知らせるから、君は休んでて」
「わかった。ちゃんと休むから、な」
もう、黙っているわけにはいかない。感情が溢れ、彼女への気持ちが抑えきれなくなる。
ティニアは胸へしまい込んだ銀時計を握りしめていた。
「なあ、お前に伝えたいことがあるんだ」
「……なに?」
一瞬の間をおいて、彼女は震えながら返答した。いつものお道化た様子で誤魔化すような、あの懐かしい仕草は見られない。そしてその震えは、これから言葉にする事で一層増してしまうだろう。彼女の恐れは、何への恐れなのか。
「…………」
浅い呼吸を繰り返し、心臓の鼓動が響く中、アルベルトが言葉をかけようとした時だった。
「俺、お前が」
「あ」
彼女の身近な悲鳴と共に、プツンという軽い音が鳴る。その音はどこから聞こえたのか。
ティニアはアルベルトの胸へしがみつき、抗うようにアルベルトを睨みつける。
それは、何かを訴えるかのように。
「ティニア?」
その名を呼んだ瞬間、彼女の表情が、瞳が潤み、泣いているように見えた。何かが切れたかのように、彼女の身体がすべての力を失い、ゆっくりと崩れ落ちていく。
彼女の手に握られていた銀時計が悲しく光り、小さな彼女の手から滑り落ちるとゴトンと鈍い音を立て、寂しそうに転がった。
「ティニア!」
アルベルトは慌ててその小さな細い身体を抱きしめ、必死に支えようとした。それでも彼女の瞳は開いていたが、何も映してはいなかった。
何の反応も返らない。
青白い顔色に変色し、人間ではないかのような白肌を見せる。
その目は涙を浮かべたまま、静かに閉じられた。静かに頬を雫が伝い、時が止まるかのように。
「ティニア! ティニア‼」
彼女からは、何の応答もない。虚しくも男の声、その叫び声だけが虚しくその場に轟いた。
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