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第11輪「前門の危機と、後門のおおかみ」
⑪-2 D-Mollの消失②
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控えめなノックの音が鳴り、アルベルトは酷い目元をしたまま扉を開けた。そこにはティニアが寝巻のまま立っており、驚いたのはアルベルトの方だ。ティニアは視線が合った瞬間に俯いてしまった。
「どうした」
ティニアからは焦燥と後悔の念がにじみ出ており、ただその言葉を、謝罪をすることで精一杯だった。
「ごめんなさい」
「いや、それは俺が悪かったんだ……。お前を傷つけた」
俯くアルベルトに、ティニアは首を横に振りながら、自身の手を摩った。
「叩いてしまったのは、僕だから。手を上げるだなんて、僕はなんて酷いことを……」
夕べの口調とは違い、いつも通りの少年のような口調に戻ったティニアは、アルベルトが思っていたよりも憔悴していた。
かつてのドイツ、ポツダムのバーで水をかけられ、平手打ちされたことに比べれば、外傷など大したことはなかった。
今回、アルベルトの心はえぐられてしまったが、えぐられたのはティニアも同じだったのだと改めて痛感した。
彼女への想いが溢れ、アルベルトを自責の念が襲う。躊躇いの沈黙は、彼女を不安にさせてしまっただろう。
ティニアは不安そうに唇を震わせる。
「それは俺が無神経だったからだ。お前の気持ちを考えなかった」
慌てて取り繕うアルベルトは視線に気づき、ティニアの後方を見つめる。白銀の髪が見え隠れしており、フリージアが聞き耳を立てているのを悟った。それが単なる興味ではなく、心配しての行動であることは十分理解している。
「……ちょっと、部屋に入れるか?」
アルベルトは返答を待つため、ティニアから視線をした。彼女の後方を見つめると、少女の心配した瞳は慌てて奥へ隠れた。
「うん? うん」
ティニアがそれに疑問を持ったのか、警戒をしたのか、アルベルトにはティニアの思っている事がわからなかった。
ティニアは他人を把握して、相手の苦しみを解こうとしていたが、最近はそんな素振りも減ってきている。
それは、彼女が相手を見透かそうとしているからではなく、ただ単に彼女の優しさであり、自己犠牲心の現れだからだろうか。
ティニアは今も無防備に寝巻のまま男の部屋へ訪れており、その無防備さには不安を覚えた。その戸惑いはアルベルトだけではなく、ティニアも気付いているようではあった。
それでも尚、彼女は自身の部屋へ入ってきたのだ。それが物悲しくもあり、嬉しさでもある。
アルベルトは眠気や体の重みから逃れるために、頭を抱えてベッドへ座り込むと、ティニアが駆け寄ってきた。
「大丈夫? 痛くない?」
「ああ、大丈夫だ」
距離を一気に狭めてしまったティニアは見上げると、その近さに驚いたのか目を丸くして見せた。
そんなティニアにベッドへ座るように促したが、彼女は一瞬躊躇うと首を横に振った。いつもなら何も言わずに座るであろうが、警戒しているのだろう。
ティニアはそのままその場にしゃがみ込むと、心配そうに此方を見上げた。その警戒が嬉しさでもあり、悲しさでもある。
眠れていないせいでアルベルトの頭はぐちゃぐちゃであり、冷静に考える力は鈍くなっていた。代わりに自分自身の気持ちを素直に感じ、ティニアへの想いが溢れていく。
不安定な関係、心の不安を取り除きたい。それは我儘でしかない。
「ごめん。痛かったよね」
「いや。もう大丈夫だ。それにあれくらい、傷にもならないさ」
それは半分が嘘であった。どうしようもなく落ち込み、夜中、色々な事を考えていたのだ。心の傷はより深い。
「僕は君を振り回してばかりだ」
「それは、多分。俺もだ」
ティニアがレンであるという事を自身へ告げない事、アスカニア家に恩があるという事がある。
アルベルト自身がドイツの軍人として大戦に参加していたという事、更に自身が関連した名である特務部隊に配属されいたこと。全てを彼女は知っているのだろう。
以前ライン川の橋の上で話したことだ。
戦争への後悔を抱えて欲しいのか、と。そしてはっきりと告げられた、抱えようとは思わないという彼女の正直な意思表示。
戦争の苦しみはアルベルト自身だけの苦しみであり、それを誰かに分けるなど以ての外だった。
真に人肌を求め、愛情を乞えば捨てられてしまう。そう孤児院で学び、売られ、軍学校へ進学したのだ。
ティニアは人を裏切るようなことはしない。愛することもなければ、愛されることも拒む。そんな距離感の彼女を愛してしまったのだ。
それでも、彼女は言ってくれたのだ。幸せになるために、諦めるなと。あの時ほど、彼女への想いを再確認したことがあっただろうか。
「……夜、また眠れなかったよね」
夜になれば思い出すのが、戦場での激戦だった。最も戦場ではほとんど寝ることなど出来なかったのだ。
沈黙してしまったアルベルトに、ティニアは心配そうな眼で覗き込んでいた。その表情がたまらなく愛しく、抱きしめたくてたまらない。
「診療所で寝ていたから、まだ平気だ」
アルベルトは自責の念から視線を落とすと、ティニアはそれを首を振って否定した。アルベルトは眩暈を感じたが、それでもティニアの為に強がって見せた。
今は弱さを見せたくはない。それでも、彼女はきっとそんな自身の弱さを見抜いてしまうだろう。
「ちょっとしか寝てなかったじゃん。体調が悪いんでしょ? 今日は無理しないで、休んでよ……」
「……ん。親分に何か言われたか?」
「ううん。何も、言われてない。ただ君がずっと、ふらふらしたから。心配してたの。今だってそうでしょう」
ティニアは心配そうに屈むと、アルベルトを見上げた。
「少し、いいか」
「なあに?」
アルベルトはゆっくり立ち上がると、手や腕を広げた。再び抱きしめられると感じ、体を強張らせたティニアだったが、アルベルトはその姿勢のままティニアの返答を待った。
「どうした」
ティニアからは焦燥と後悔の念がにじみ出ており、ただその言葉を、謝罪をすることで精一杯だった。
「ごめんなさい」
「いや、それは俺が悪かったんだ……。お前を傷つけた」
俯くアルベルトに、ティニアは首を横に振りながら、自身の手を摩った。
「叩いてしまったのは、僕だから。手を上げるだなんて、僕はなんて酷いことを……」
夕べの口調とは違い、いつも通りの少年のような口調に戻ったティニアは、アルベルトが思っていたよりも憔悴していた。
かつてのドイツ、ポツダムのバーで水をかけられ、平手打ちされたことに比べれば、外傷など大したことはなかった。
今回、アルベルトの心はえぐられてしまったが、えぐられたのはティニアも同じだったのだと改めて痛感した。
彼女への想いが溢れ、アルベルトを自責の念が襲う。躊躇いの沈黙は、彼女を不安にさせてしまっただろう。
ティニアは不安そうに唇を震わせる。
「それは俺が無神経だったからだ。お前の気持ちを考えなかった」
慌てて取り繕うアルベルトは視線に気づき、ティニアの後方を見つめる。白銀の髪が見え隠れしており、フリージアが聞き耳を立てているのを悟った。それが単なる興味ではなく、心配しての行動であることは十分理解している。
「……ちょっと、部屋に入れるか?」
アルベルトは返答を待つため、ティニアから視線をした。彼女の後方を見つめると、少女の心配した瞳は慌てて奥へ隠れた。
「うん? うん」
ティニアがそれに疑問を持ったのか、警戒をしたのか、アルベルトにはティニアの思っている事がわからなかった。
ティニアは他人を把握して、相手の苦しみを解こうとしていたが、最近はそんな素振りも減ってきている。
それは、彼女が相手を見透かそうとしているからではなく、ただ単に彼女の優しさであり、自己犠牲心の現れだからだろうか。
ティニアは今も無防備に寝巻のまま男の部屋へ訪れており、その無防備さには不安を覚えた。その戸惑いはアルベルトだけではなく、ティニアも気付いているようではあった。
それでも尚、彼女は自身の部屋へ入ってきたのだ。それが物悲しくもあり、嬉しさでもある。
アルベルトは眠気や体の重みから逃れるために、頭を抱えてベッドへ座り込むと、ティニアが駆け寄ってきた。
「大丈夫? 痛くない?」
「ああ、大丈夫だ」
距離を一気に狭めてしまったティニアは見上げると、その近さに驚いたのか目を丸くして見せた。
そんなティニアにベッドへ座るように促したが、彼女は一瞬躊躇うと首を横に振った。いつもなら何も言わずに座るであろうが、警戒しているのだろう。
ティニアはそのままその場にしゃがみ込むと、心配そうに此方を見上げた。その警戒が嬉しさでもあり、悲しさでもある。
眠れていないせいでアルベルトの頭はぐちゃぐちゃであり、冷静に考える力は鈍くなっていた。代わりに自分自身の気持ちを素直に感じ、ティニアへの想いが溢れていく。
不安定な関係、心の不安を取り除きたい。それは我儘でしかない。
「ごめん。痛かったよね」
「いや。もう大丈夫だ。それにあれくらい、傷にもならないさ」
それは半分が嘘であった。どうしようもなく落ち込み、夜中、色々な事を考えていたのだ。心の傷はより深い。
「僕は君を振り回してばかりだ」
「それは、多分。俺もだ」
ティニアがレンであるという事を自身へ告げない事、アスカニア家に恩があるという事がある。
アルベルト自身がドイツの軍人として大戦に参加していたという事、更に自身が関連した名である特務部隊に配属されいたこと。全てを彼女は知っているのだろう。
以前ライン川の橋の上で話したことだ。
戦争への後悔を抱えて欲しいのか、と。そしてはっきりと告げられた、抱えようとは思わないという彼女の正直な意思表示。
戦争の苦しみはアルベルト自身だけの苦しみであり、それを誰かに分けるなど以ての外だった。
真に人肌を求め、愛情を乞えば捨てられてしまう。そう孤児院で学び、売られ、軍学校へ進学したのだ。
ティニアは人を裏切るようなことはしない。愛することもなければ、愛されることも拒む。そんな距離感の彼女を愛してしまったのだ。
それでも、彼女は言ってくれたのだ。幸せになるために、諦めるなと。あの時ほど、彼女への想いを再確認したことがあっただろうか。
「……夜、また眠れなかったよね」
夜になれば思い出すのが、戦場での激戦だった。最も戦場ではほとんど寝ることなど出来なかったのだ。
沈黙してしまったアルベルトに、ティニアは心配そうな眼で覗き込んでいた。その表情がたまらなく愛しく、抱きしめたくてたまらない。
「診療所で寝ていたから、まだ平気だ」
アルベルトは自責の念から視線を落とすと、ティニアはそれを首を振って否定した。アルベルトは眩暈を感じたが、それでもティニアの為に強がって見せた。
今は弱さを見せたくはない。それでも、彼女はきっとそんな自身の弱さを見抜いてしまうだろう。
「ちょっとしか寝てなかったじゃん。体調が悪いんでしょ? 今日は無理しないで、休んでよ……」
「……ん。親分に何か言われたか?」
「ううん。何も、言われてない。ただ君がずっと、ふらふらしたから。心配してたの。今だってそうでしょう」
ティニアは心配そうに屈むと、アルベルトを見上げた。
「少し、いいか」
「なあに?」
アルベルトはゆっくり立ち上がると、手や腕を広げた。再び抱きしめられると感じ、体を強張らせたティニアだったが、アルベルトはその姿勢のままティニアの返答を待った。
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