【完結】暁の荒野

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第10輪「白銀の涙を取り零ス」

⑩-14 絶望のトウソウ②

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 アルベルトが街路の角を曲がると、右眼に眼帯の男が教会を通り過ぎ、孤児院へ向かうところだった。

「おい!」

 アルベルトの呼びかけに、その男は歩みを止める。

「おい、お前! 孤児院ヘ何の用事だ」
「………………」

 男は問いには答えず、そのまま孤児院のドアにノックする。アルベルトも長身だが、男とさほど変わらない。それでも圧倒されるかの様にアルベルトを片目で睨みつけた。

「おい、聞こえてんだろ!」
「…………」

 睨みつけながら、何も言葉を発しない男は不気味だ。

 その時、ティニアが孤児院の扉が開けてしまった。

「あっ…………」

 ティニアは驚きの声を上げると、目を見開いて男を見つめた。何かを口にしようとしたとき、後方のアルベルトに気付くと、視線を移した。

「…………」
「ティニア、こいつは何なんだ」
「…………」

 ティニアもアルベルトの問いには答えず、気まずそうに俯く。彼女は何も答えないまま、無言が支配した頃、奥から孤児院で働くティニアの同僚、シャトーの声が響いた。


「どうしたんだい、誰?」
「アルベルトだよ」

(名前など、普段は呼ばないくせに)

 そうティニアが振り返ろうとした時、男はティニアの腕を掴むと強引に抱き寄せた。抱き合うような二人に、シャトーは顔を真っ赤に目を見開く。

「おい、てめえ!」
「こいつの身内のものだ。借りていくぞ」

 ティニアは無言のまま俯く。それが頷きであったのかも不明瞭である。一瞬呆気にとられたアルベルトだったが、ティニアの声だけが耳に入る。

「……シャトーさん、出てきます。すみません」
「え!?」

 シャトーの返答も待たず、ティニアは男に肩を抱かれると目線を合わせないまま、孤児院を後にしようとした。

「待てよ。何なんだよ、そいつ」
「…………フリージアを、ちゃんと連れて帰ってね。今日は遅くなるから」
「待てよ!」

 アルベルトは決死の覚悟でティニアへ手を差し出した。ティニアはその手を取ろうと一瞬手を構えたが、男はアルベルトを睨みつけると、その手を強引に振り払った。
 衝撃を避けるべく、アルベルトは後方へ下がる。それは、一瞬の出来事であった。

「やめて、乱暴しないで」

 ティニアの呼びかけに頷いた男は、またティニアの肩へ手を回す。

「大丈夫、知り合いだから。先に帰ってて、帰りは遅いから待たないで」
「ティニア!」

 アルベルトの呼びかけに男は隠れていない左眼で睨み返すと、その場を後にした。圧倒されてしまい、見送ったのが正しいのかの判断もつかない。慌てて玄関の外へやって来たシャトーも目をまん丸にしていると、アルベルトはシャトーへ迫った。

「あいつ、何者だよ!」
「さ、さあ……。知り合いっていうから、知り合いなんじゃ……」
「そんな訳あるか!」


 アルベルトは二人の後を追ったが、角を曲がると二人の姿は無かった。


 取り残されたアルベルトは心をえぐられたショックで立ち尽くし、そのまま旧市街を走り回ったが、二人は見つからなかった。


 ◇◇◇


「ただいま」
「遅かったな」

 住み慣れた家ではランプの明かりの下、アルベルトがティニアの帰宅を待っていた。思い詰めたような表情の二人だが、アルベルトはティニアへ駆け寄るとそのまま強く抱きしめた。ティニアは抵抗することなく、その胸に抱かれている。

「良かったよ。帰ってきて」
「起きてたの? 私、遅くなるって言ったよね……」

 私。それは女性らしく、儚い。アルベルトはティニアから名残惜しそうに離れると、ティニアの緊張した硬直が解けていく。

 それが拒絶であるのか、アルベルトは聞くに聞けない。


「心配したんだぞ」
「ごめんなさい。フリージアは?」
「もう寝てるよ」
「そう。それなら、私も寝ますね……」


「何も話してくれないのか?」


 沈黙のまま、ティニアは俯くと首を横に振った。

「……話せないの」
「…………」

 言葉に詰まるアルベルトに、ティニアは手を伸ばした。しかしその手が取られることはない。


「もう寝ようよ」
「男と消えた後で、俺と寝れるのか?」
「そういうのじゃ……」
「そういうのって言うのは、こういうことか」


 アルベルトはティニアの腕を強引に引っ張ると、肩を抑えつけた。再びティニアに迫るアルベルトは、その首筋に唇を寄せる。

「んん!」

 ビクリとするティニアに、アルベルトは尚も口づけをやめない。

「お前は、あいつが好きなのか」
「そんなんじゃないって、言ってるのに、やめてよ」
「俺の気持ちを知らないわけじゃないだろ」
「…………」


 ティニアは勢いよくアルベルトから体を離すと、手を振り上げた。
 乾いた音が鳴り響き、アルベルトの頬を赤く染める。


「離して!」


 ティニアはそれだけ言うと、フリージアの待つ自室へ向かう。

「そんなんじゃないって言ってるじゃん! ばか!」

 捨て台詞。それはアルベルトの心へと突き刺さる。


「私の気も知らないで!」


 月明かりが明るく街を照らし、その灯りは窓を伝い、アルベルトを照らした。
 
 アルベルトは後悔の念に駆られ、手のひらを見つめる。触れた時のぬくもりを感じ、それがまだ残っているかのような衝動に駆られる。

 そして思い出すのだ。かつて、ドイツのポツダムのバーで女に叩かれた一件を。あの時の少年は、まさにティニアと瓜二つだったのと。
 少年は若く細く小さく、アルビノであった。そのアルビノは、フリージアとも重なる。


 少年は言っていた。


 『君は、女心をわかっていない』と。そう言って、無邪気に笑って見せた笑顔は、ティニアそのものだった。あの少年が、レンではないのかと、心にふと浮かんでは消えていく。

 いつもそうだ。


 不安定で余裕のない関係。それでいいわけがない。


「………………」

 アルベルトの悲しく乾いた声が、かすかに部屋へ響くだけで、その声を聴く者はその場には誰一人としていない。
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