183 / 257
第10輪「白銀の涙を取り零ス」
⑩-14 絶望のトウソウ②
しおりを挟む
アルベルトが街路の角を曲がると、右眼に眼帯の男が教会を通り過ぎ、孤児院へ向かうところだった。
「おい!」
アルベルトの呼びかけに、その男は歩みを止める。
「おい、お前! 孤児院ヘ何の用事だ」
「………………」
男は問いには答えず、そのまま孤児院のドアにノックする。アルベルトも長身だが、男とさほど変わらない。それでも圧倒されるかの様にアルベルトを片目で睨みつけた。
「おい、聞こえてんだろ!」
「…………」
睨みつけながら、何も言葉を発しない男は不気味だ。
その時、ティニアが孤児院の扉が開けてしまった。
「あっ…………」
ティニアは驚きの声を上げると、目を見開いて男を見つめた。何かを口にしようとしたとき、後方のアルベルトに気付くと、視線を移した。
「…………」
「ティニア、こいつは何なんだ」
「…………」
ティニアもアルベルトの問いには答えず、気まずそうに俯く。彼女は何も答えないまま、無言が支配した頃、奥から孤児院で働くティニアの同僚、シャトーの声が響いた。
「どうしたんだい、誰?」
「アルベルトだよ」
(名前など、普段は呼ばないくせに)
そうティニアが振り返ろうとした時、男はティニアの腕を掴むと強引に抱き寄せた。抱き合うような二人に、シャトーは顔を真っ赤に目を見開く。
「おい、てめえ!」
「こいつの身内のものだ。借りていくぞ」
ティニアは無言のまま俯く。それが頷きであったのかも不明瞭である。一瞬呆気にとられたアルベルトだったが、ティニアの声だけが耳に入る。
「……シャトーさん、出てきます。すみません」
「え!?」
シャトーの返答も待たず、ティニアは男に肩を抱かれると目線を合わせないまま、孤児院を後にしようとした。
「待てよ。何なんだよ、そいつ」
「…………フリージアを、ちゃんと連れて帰ってね。今日は遅くなるから」
「待てよ!」
アルベルトは決死の覚悟でティニアへ手を差し出した。ティニアはその手を取ろうと一瞬手を構えたが、男はアルベルトを睨みつけると、その手を強引に振り払った。
衝撃を避けるべく、アルベルトは後方へ下がる。それは、一瞬の出来事であった。
「やめて、乱暴しないで」
ティニアの呼びかけに頷いた男は、またティニアの肩へ手を回す。
「大丈夫、知り合いだから。先に帰ってて、帰りは遅いから待たないで」
「ティニア!」
アルベルトの呼びかけに男は隠れていない左眼で睨み返すと、その場を後にした。圧倒されてしまい、見送ったのが正しいのかの判断もつかない。慌てて玄関の外へやって来たシャトーも目をまん丸にしていると、アルベルトはシャトーへ迫った。
「あいつ、何者だよ!」
「さ、さあ……。知り合いっていうから、知り合いなんじゃ……」
「そんな訳あるか!」
アルベルトは二人の後を追ったが、角を曲がると二人の姿は無かった。
取り残されたアルベルトは心をえぐられたショックで立ち尽くし、そのまま旧市街を走り回ったが、二人は見つからなかった。
◇◇◇
「ただいま」
「遅かったな」
住み慣れた家ではランプの明かりの下、アルベルトがティニアの帰宅を待っていた。思い詰めたような表情の二人だが、アルベルトはティニアへ駆け寄るとそのまま強く抱きしめた。ティニアは抵抗することなく、その胸に抱かれている。
「良かったよ。帰ってきて」
「起きてたの? 私、遅くなるって言ったよね……」
私。それは女性らしく、儚い。アルベルトはティニアから名残惜しそうに離れると、ティニアの緊張した硬直が解けていく。
それが拒絶であるのか、アルベルトは聞くに聞けない。
「心配したんだぞ」
「ごめんなさい。フリージアは?」
「もう寝てるよ」
「そう。それなら、私も寝ますね……」
「何も話してくれないのか?」
沈黙のまま、ティニアは俯くと首を横に振った。
「……話せないの」
「…………」
言葉に詰まるアルベルトに、ティニアは手を伸ばした。しかしその手が取られることはない。
「もう寝ようよ」
「男と消えた後で、俺と寝れるのか?」
「そういうのじゃ……」
「そういうのって言うのは、こういうことか」
アルベルトはティニアの腕を強引に引っ張ると、肩を抑えつけた。再びティニアに迫るアルベルトは、その首筋に唇を寄せる。
「んん!」
ビクリとするティニアに、アルベルトは尚も口づけをやめない。
「お前は、あいつが好きなのか」
「そんなんじゃないって、言ってるのに、やめてよ」
「俺の気持ちを知らないわけじゃないだろ」
「…………」
ティニアは勢いよくアルベルトから体を離すと、手を振り上げた。
乾いた音が鳴り響き、アルベルトの頬を赤く染める。
「離して!」
ティニアはそれだけ言うと、フリージアの待つ自室へ向かう。
「そんなんじゃないって言ってるじゃん! ばか!」
捨て台詞。それはアルベルトの心へと突き刺さる。
「私の気も知らないで!」
月明かりが明るく街を照らし、その灯りは窓を伝い、アルベルトを照らした。
アルベルトは後悔の念に駆られ、手のひらを見つめる。触れた時のぬくもりを感じ、それがまだ残っているかのような衝動に駆られる。
そして思い出すのだ。かつて、ドイツのポツダムのバーで女に叩かれた一件を。あの時の少年は、まさにティニアと瓜二つだったのと。
少年は若く細く小さく、アルビノであった。そのアルビノは、フリージアとも重なる。
少年は言っていた。
『君は、女心をわかっていない』と。そう言って、無邪気に笑って見せた笑顔は、ティニアそのものだった。あの少年が、レンではないのかと、心にふと浮かんでは消えていく。
いつもそうだ。
不安定で余裕のない関係。それでいいわけがない。
「………………」
アルベルトの悲しく乾いた声が、かすかに部屋へ響くだけで、その声を聴く者はその場には誰一人としていない。
「おい!」
アルベルトの呼びかけに、その男は歩みを止める。
「おい、お前! 孤児院ヘ何の用事だ」
「………………」
男は問いには答えず、そのまま孤児院のドアにノックする。アルベルトも長身だが、男とさほど変わらない。それでも圧倒されるかの様にアルベルトを片目で睨みつけた。
「おい、聞こえてんだろ!」
「…………」
睨みつけながら、何も言葉を発しない男は不気味だ。
その時、ティニアが孤児院の扉が開けてしまった。
「あっ…………」
ティニアは驚きの声を上げると、目を見開いて男を見つめた。何かを口にしようとしたとき、後方のアルベルトに気付くと、視線を移した。
「…………」
「ティニア、こいつは何なんだ」
「…………」
ティニアもアルベルトの問いには答えず、気まずそうに俯く。彼女は何も答えないまま、無言が支配した頃、奥から孤児院で働くティニアの同僚、シャトーの声が響いた。
「どうしたんだい、誰?」
「アルベルトだよ」
(名前など、普段は呼ばないくせに)
そうティニアが振り返ろうとした時、男はティニアの腕を掴むと強引に抱き寄せた。抱き合うような二人に、シャトーは顔を真っ赤に目を見開く。
「おい、てめえ!」
「こいつの身内のものだ。借りていくぞ」
ティニアは無言のまま俯く。それが頷きであったのかも不明瞭である。一瞬呆気にとられたアルベルトだったが、ティニアの声だけが耳に入る。
「……シャトーさん、出てきます。すみません」
「え!?」
シャトーの返答も待たず、ティニアは男に肩を抱かれると目線を合わせないまま、孤児院を後にしようとした。
「待てよ。何なんだよ、そいつ」
「…………フリージアを、ちゃんと連れて帰ってね。今日は遅くなるから」
「待てよ!」
アルベルトは決死の覚悟でティニアへ手を差し出した。ティニアはその手を取ろうと一瞬手を構えたが、男はアルベルトを睨みつけると、その手を強引に振り払った。
衝撃を避けるべく、アルベルトは後方へ下がる。それは、一瞬の出来事であった。
「やめて、乱暴しないで」
ティニアの呼びかけに頷いた男は、またティニアの肩へ手を回す。
「大丈夫、知り合いだから。先に帰ってて、帰りは遅いから待たないで」
「ティニア!」
アルベルトの呼びかけに男は隠れていない左眼で睨み返すと、その場を後にした。圧倒されてしまい、見送ったのが正しいのかの判断もつかない。慌てて玄関の外へやって来たシャトーも目をまん丸にしていると、アルベルトはシャトーへ迫った。
「あいつ、何者だよ!」
「さ、さあ……。知り合いっていうから、知り合いなんじゃ……」
「そんな訳あるか!」
アルベルトは二人の後を追ったが、角を曲がると二人の姿は無かった。
取り残されたアルベルトは心をえぐられたショックで立ち尽くし、そのまま旧市街を走り回ったが、二人は見つからなかった。
◇◇◇
「ただいま」
「遅かったな」
住み慣れた家ではランプの明かりの下、アルベルトがティニアの帰宅を待っていた。思い詰めたような表情の二人だが、アルベルトはティニアへ駆け寄るとそのまま強く抱きしめた。ティニアは抵抗することなく、その胸に抱かれている。
「良かったよ。帰ってきて」
「起きてたの? 私、遅くなるって言ったよね……」
私。それは女性らしく、儚い。アルベルトはティニアから名残惜しそうに離れると、ティニアの緊張した硬直が解けていく。
それが拒絶であるのか、アルベルトは聞くに聞けない。
「心配したんだぞ」
「ごめんなさい。フリージアは?」
「もう寝てるよ」
「そう。それなら、私も寝ますね……」
「何も話してくれないのか?」
沈黙のまま、ティニアは俯くと首を横に振った。
「……話せないの」
「…………」
言葉に詰まるアルベルトに、ティニアは手を伸ばした。しかしその手が取られることはない。
「もう寝ようよ」
「男と消えた後で、俺と寝れるのか?」
「そういうのじゃ……」
「そういうのって言うのは、こういうことか」
アルベルトはティニアの腕を強引に引っ張ると、肩を抑えつけた。再びティニアに迫るアルベルトは、その首筋に唇を寄せる。
「んん!」
ビクリとするティニアに、アルベルトは尚も口づけをやめない。
「お前は、あいつが好きなのか」
「そんなんじゃないって、言ってるのに、やめてよ」
「俺の気持ちを知らないわけじゃないだろ」
「…………」
ティニアは勢いよくアルベルトから体を離すと、手を振り上げた。
乾いた音が鳴り響き、アルベルトの頬を赤く染める。
「離して!」
ティニアはそれだけ言うと、フリージアの待つ自室へ向かう。
「そんなんじゃないって言ってるじゃん! ばか!」
捨て台詞。それはアルベルトの心へと突き刺さる。
「私の気も知らないで!」
月明かりが明るく街を照らし、その灯りは窓を伝い、アルベルトを照らした。
アルベルトは後悔の念に駆られ、手のひらを見つめる。触れた時のぬくもりを感じ、それがまだ残っているかのような衝動に駆られる。
そして思い出すのだ。かつて、ドイツのポツダムのバーで女に叩かれた一件を。あの時の少年は、まさにティニアと瓜二つだったのと。
少年は若く細く小さく、アルビノであった。そのアルビノは、フリージアとも重なる。
少年は言っていた。
『君は、女心をわかっていない』と。そう言って、無邪気に笑って見せた笑顔は、ティニアそのものだった。あの少年が、レンではないのかと、心にふと浮かんでは消えていく。
いつもそうだ。
不安定で余裕のない関係。それでいいわけがない。
「………………」
アルベルトの悲しく乾いた声が、かすかに部屋へ響くだけで、その声を聴く者はその場には誰一人としていない。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

【完結】暁の草原
Lesewolf
ファンタジー
かつて守護竜の愛した大陸、ルゼリアがある。
その北西に広がるセシュール国が南、大国ルゼリアとの国境の町で、とある男は昼を過ぎてから目を覚ました。
大戦後の復興に尽力する労働者と、懐かしい日々を語る。
彼らが仕事に戻った後で、宿の大旦那から奇妙な話を聞く。
面識もなく、名もわからない兄を探しているという、少年が店に現れたというのだ。
男は警戒しながらも、少年を探しに町へと向かった。
=====
別で投稿している「暁の荒野」と連動しています。「暁の荒野」の続編が「暁の草原」になります。
どちらから読んでいただいても、どちらかだけ読んでいただいても、問題ないように書く予定でおります。読むかどうかはお任せですので、おいて行かれているキャラクターの気持ちを知りたい方はどちらかだけ読んでもらえたらいいかなと思います。
面倒な方は「暁の荒野」からどうぞ!
※「暁の草原」、「暁の荒野」共に残酷描写がございます。ご注意ください。
=====
この物語はフィクションであり、実在の人物、国、団体等とは関係ありません。
=====
他、Nolaノベル様、アルファポリス様にて投稿しておりますが、執筆はNola(エディタツール)で行っております。
Nolaノベル様、カクヨム様、アルファポリス様の順番で投稿しております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる