181 / 257
第10輪「白銀の涙を取り零ス」
⑩-12 くまのぬいぐるみ②
しおりを挟む
アルベルトはそのまま腰に回していた腕を背中まで上げると、ぐっとティニアを引き寄せる。ティニアは狼狽えて目を閉じ俯くが、そのままあごに軽く手を当て、上を向かせた。
ティニアは唇を震わせながら、その一言をなんとか紡ぎだす。
「やめて」
ティニアは震えは唇だけではなく、全身に行き渡る。アルベルトは力を緩めることなく、その力で抱き留める。
「嫌なら振りほどけばいい」
そうだ、嫌なら振りほどけばいい。彼女ならそれが出来るであろう。我儘な下心は、アルベルトの全てを支配する。
「やだ。どうしてこんなことするの、やめて」
「どうして? じゃあお前は何で、いつまでそうやって…………、いつまで、とぼけているつもりなんだ」
ティニアの体が強張り、力が入る。その力を強引に抑えながら、アルベルトはその唇をみつめる。
唇に自身を近づけ、そして――――。
「嫌! 離して」
唇から発せられた言葉。明確な拒絶。そして触れる手に、頬から滴る雫が指へ触れ、男は正気に戻った。
「ッ…………」
慌てて拘束を解くと、ティニアは床へ崩れ落ちた。
沈黙が、部屋を支配してしまう。
アルベルトは先ほどの自問自答を思い出す。眠れていないせいで、冷静な判断が出来ず、思うが儘に行動してしまっている。
「わるい……。俺、そんなつもりじゃ」
「………………」
ティニアは今の状況に気付いていないわけではないだろう。とぼけている様子もなく、項垂れている。
自身の好意に気付かず、本当に何もわかっていなかったのかと、アルベルトの心は大きな焦燥感に包まれていく。
彼女を手に入れたい。
ずっと、永遠に傍に置いておきたい。
その為なら、何だって出来るのだと。恐ろしい気持ちが芽生える。
もう好意を、気持ちを隠せるわけがない。
アルベルトに隠している気はなかったが、肝心のティニアへは何も伝わっていなければ意味はない。
伝わるわけがない、彼女は他の者より長い時を生き、そしてその感覚は常人を超えているのだ。
彼女は、レンは人ではない。
精霊のような存在とは、どういった存在であろうか。
想い人。
そして、大切に持ち続ける、銀の懐中時計。
その言葉が、物が、想いが。アルベルトを焦らせ、縛り付ける。
そもそも、告白もまだである。はっきりしていないのは、自身も同じであるというのに。
告白による影響を恐れているのだ。
――――拒絶、そして変わる関係を恐れている。
それでも、目の前の女性と手に入れたいと、愛を乞うのだ。
◇◇◇
「ティニア様、パジャマってこれでいいですか?」
ふいに少女の声が部屋へ響き、扉が開けられる。放心状態だったティニアは、涙を流したままフリージアを見上げた。
フリージアは少し大きめのブラウスを羽織っているが、それは可愛らしいネグリジェにも見える。
「あ…………」
フリージアは口元に手を当てると、座り込んだまま涙を流すティニアへ駆け寄った。
「ど、どうしたの。ティニア様! 泣いて……」
「ごめん、なんでもないの。うん、パジャマはそれでいいけれど、ボタンが一つずつ、ずれているね」
ティニアは袖で涙を拭うと男を振り切ってフリージアのボタンを留めようと屈んだ。しかしティニアの手は、小刻みに震えており、ボタンを閉めることが出来ない。
「あれ、どうしたんだろう。ごめん、自分でボタン、しめてもらえる?」
「う。うん……」
慌ててボタンを留める少女を見つめ、ティニアは手をついてなんとか立ち上がると、少女へ向かって声をかけた。
「今日は二人で寝よう。このお兄ちゃんは、ちょっと、疲れているから」
「あ、はい……」
ボタンを留め終えたフリージアは、足早に部屋を後にするティニアを見送った。そのまま振り返ってアルベルトへ向き合うと、少女はその愛らしい声で語りかける。
「おにいちゃんも、大丈夫?」
「あ、ああ……。わるい、変なところ、見せちまって」
「ううん。二人は恋人なんだから、喧嘩もするよね。でも、ティニア様は悲しくて泣いてたわけじゃないと思う。口元に力が入ってて、何かに堪えてたみたいだった」
「…………」
恋人ではない。それは明確だ。アルベルトは告白すらしていない。冗談交じりに彼女を誘うだけで、本気で関係をはっきりさせようとして来なかったのだ。
少女は冷静にティニアを分析していた。その事に違和感を感じつつも、アルベルトにそれを指摘する余裕などない。
「あの、おにいちゃん」
「アルベルト。アルでもいい。どうした?」
「じゃあ、アル様?」
「いや、それはちょっと」
様付け。
その言葉で頭によぎったのは、ティニアが可笑しくなった時の呼び名、“アルブレヒト様” であり、そして。熊公、ブランデンブルク初代辺境伯だ。
想い人も、ブランデンブルク初代辺境伯も亡くなっている。彼らに自分が勝つことなど出来るだろうか。
「あの、アルおにいちゃん。あのね……」
「なんだ?」
「ティニア様の部屋の、くまのぬいぐるみ、知ってる? あの子ね、名前があったの」
「うん? ああ、あれか」
アルベルトはティニアの部屋をのぞいた時の、彼女らしからぬ可愛らしい、くまのぬいぐるみを思い出す。黒と白のチェックのマントを羽織る。そう、あれが熊だ。
「あの子の名前、アルっていうんだって。お兄ちゃんの事?」
「いや、俺じゃない。ティニアには、俺じゃない想い人がいるんだ」
すぐに否定できてしまう。それは、心をえぐるかのように。それは想い人か、それとも熊公アルブレヒトか。
「ねえ、アルおにいちゃん」
「どうしたんだ。フリージア。怖がらせたか?」
「ううん。あのね。なんとなくだけど」
フリージアはその煌めく青い瞳でアルベルトを見上げると、視線が重なった。フリージアは人の眼を見て会話を好むようであり、目線が合うまでにその話をしようとはしなかった。
「ティニア様は、アルおにいちゃんのこと好きだと思う」
「……それはないさ」
「でも……」
「ほら、いいから今日は休んでな。ティニアが待ってるから」
「応援してる。あたしね、二人の事応援してるから」
フリージアは手を振ると部屋を後にした。フリージアの去った後の部屋で、アルベルトは乾いた笑いを浮かべる。
「はは。応援されたか」
その呟きは虚しくも闇へと消えゆく。
「俺は、こんな事をしたかったんじゃない」
一人自問自答し、心の中で何度も問いかけたのだった。部屋の静寂は男の心へ深く沈み込み、答えの見つからないといを泥沼へと引きずり込む。
ティニアは唇を震わせながら、その一言をなんとか紡ぎだす。
「やめて」
ティニアは震えは唇だけではなく、全身に行き渡る。アルベルトは力を緩めることなく、その力で抱き留める。
「嫌なら振りほどけばいい」
そうだ、嫌なら振りほどけばいい。彼女ならそれが出来るであろう。我儘な下心は、アルベルトの全てを支配する。
「やだ。どうしてこんなことするの、やめて」
「どうして? じゃあお前は何で、いつまでそうやって…………、いつまで、とぼけているつもりなんだ」
ティニアの体が強張り、力が入る。その力を強引に抑えながら、アルベルトはその唇をみつめる。
唇に自身を近づけ、そして――――。
「嫌! 離して」
唇から発せられた言葉。明確な拒絶。そして触れる手に、頬から滴る雫が指へ触れ、男は正気に戻った。
「ッ…………」
慌てて拘束を解くと、ティニアは床へ崩れ落ちた。
沈黙が、部屋を支配してしまう。
アルベルトは先ほどの自問自答を思い出す。眠れていないせいで、冷静な判断が出来ず、思うが儘に行動してしまっている。
「わるい……。俺、そんなつもりじゃ」
「………………」
ティニアは今の状況に気付いていないわけではないだろう。とぼけている様子もなく、項垂れている。
自身の好意に気付かず、本当に何もわかっていなかったのかと、アルベルトの心は大きな焦燥感に包まれていく。
彼女を手に入れたい。
ずっと、永遠に傍に置いておきたい。
その為なら、何だって出来るのだと。恐ろしい気持ちが芽生える。
もう好意を、気持ちを隠せるわけがない。
アルベルトに隠している気はなかったが、肝心のティニアへは何も伝わっていなければ意味はない。
伝わるわけがない、彼女は他の者より長い時を生き、そしてその感覚は常人を超えているのだ。
彼女は、レンは人ではない。
精霊のような存在とは、どういった存在であろうか。
想い人。
そして、大切に持ち続ける、銀の懐中時計。
その言葉が、物が、想いが。アルベルトを焦らせ、縛り付ける。
そもそも、告白もまだである。はっきりしていないのは、自身も同じであるというのに。
告白による影響を恐れているのだ。
――――拒絶、そして変わる関係を恐れている。
それでも、目の前の女性と手に入れたいと、愛を乞うのだ。
◇◇◇
「ティニア様、パジャマってこれでいいですか?」
ふいに少女の声が部屋へ響き、扉が開けられる。放心状態だったティニアは、涙を流したままフリージアを見上げた。
フリージアは少し大きめのブラウスを羽織っているが、それは可愛らしいネグリジェにも見える。
「あ…………」
フリージアは口元に手を当てると、座り込んだまま涙を流すティニアへ駆け寄った。
「ど、どうしたの。ティニア様! 泣いて……」
「ごめん、なんでもないの。うん、パジャマはそれでいいけれど、ボタンが一つずつ、ずれているね」
ティニアは袖で涙を拭うと男を振り切ってフリージアのボタンを留めようと屈んだ。しかしティニアの手は、小刻みに震えており、ボタンを閉めることが出来ない。
「あれ、どうしたんだろう。ごめん、自分でボタン、しめてもらえる?」
「う。うん……」
慌ててボタンを留める少女を見つめ、ティニアは手をついてなんとか立ち上がると、少女へ向かって声をかけた。
「今日は二人で寝よう。このお兄ちゃんは、ちょっと、疲れているから」
「あ、はい……」
ボタンを留め終えたフリージアは、足早に部屋を後にするティニアを見送った。そのまま振り返ってアルベルトへ向き合うと、少女はその愛らしい声で語りかける。
「おにいちゃんも、大丈夫?」
「あ、ああ……。わるい、変なところ、見せちまって」
「ううん。二人は恋人なんだから、喧嘩もするよね。でも、ティニア様は悲しくて泣いてたわけじゃないと思う。口元に力が入ってて、何かに堪えてたみたいだった」
「…………」
恋人ではない。それは明確だ。アルベルトは告白すらしていない。冗談交じりに彼女を誘うだけで、本気で関係をはっきりさせようとして来なかったのだ。
少女は冷静にティニアを分析していた。その事に違和感を感じつつも、アルベルトにそれを指摘する余裕などない。
「あの、おにいちゃん」
「アルベルト。アルでもいい。どうした?」
「じゃあ、アル様?」
「いや、それはちょっと」
様付け。
その言葉で頭によぎったのは、ティニアが可笑しくなった時の呼び名、“アルブレヒト様” であり、そして。熊公、ブランデンブルク初代辺境伯だ。
想い人も、ブランデンブルク初代辺境伯も亡くなっている。彼らに自分が勝つことなど出来るだろうか。
「あの、アルおにいちゃん。あのね……」
「なんだ?」
「ティニア様の部屋の、くまのぬいぐるみ、知ってる? あの子ね、名前があったの」
「うん? ああ、あれか」
アルベルトはティニアの部屋をのぞいた時の、彼女らしからぬ可愛らしい、くまのぬいぐるみを思い出す。黒と白のチェックのマントを羽織る。そう、あれが熊だ。
「あの子の名前、アルっていうんだって。お兄ちゃんの事?」
「いや、俺じゃない。ティニアには、俺じゃない想い人がいるんだ」
すぐに否定できてしまう。それは、心をえぐるかのように。それは想い人か、それとも熊公アルブレヒトか。
「ねえ、アルおにいちゃん」
「どうしたんだ。フリージア。怖がらせたか?」
「ううん。あのね。なんとなくだけど」
フリージアはその煌めく青い瞳でアルベルトを見上げると、視線が重なった。フリージアは人の眼を見て会話を好むようであり、目線が合うまでにその話をしようとはしなかった。
「ティニア様は、アルおにいちゃんのこと好きだと思う」
「……それはないさ」
「でも……」
「ほら、いいから今日は休んでな。ティニアが待ってるから」
「応援してる。あたしね、二人の事応援してるから」
フリージアは手を振ると部屋を後にした。フリージアの去った後の部屋で、アルベルトは乾いた笑いを浮かべる。
「はは。応援されたか」
その呟きは虚しくも闇へと消えゆく。
「俺は、こんな事をしたかったんじゃない」
一人自問自答し、心の中で何度も問いかけたのだった。部屋の静寂は男の心へ深く沈み込み、答えの見つからないといを泥沼へと引きずり込む。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

【完結】暁の草原
Lesewolf
ファンタジー
かつて守護竜の愛した大陸、ルゼリアがある。
その北西に広がるセシュール国が南、大国ルゼリアとの国境の町で、とある男は昼を過ぎてから目を覚ました。
大戦後の復興に尽力する労働者と、懐かしい日々を語る。
彼らが仕事に戻った後で、宿の大旦那から奇妙な話を聞く。
面識もなく、名もわからない兄を探しているという、少年が店に現れたというのだ。
男は警戒しながらも、少年を探しに町へと向かった。
=====
別で投稿している「暁の荒野」と連動しています。「暁の荒野」の続編が「暁の草原」になります。
どちらから読んでいただいても、どちらかだけ読んでいただいても、問題ないように書く予定でおります。読むかどうかはお任せですので、おいて行かれているキャラクターの気持ちを知りたい方はどちらかだけ読んでもらえたらいいかなと思います。
面倒な方は「暁の荒野」からどうぞ!
※「暁の草原」、「暁の荒野」共に残酷描写がございます。ご注意ください。
=====
この物語はフィクションであり、実在の人物、国、団体等とは関係ありません。
=====
他、Nolaノベル様、アルファポリス様にて投稿しておりますが、執筆はNola(エディタツール)で行っております。
Nolaノベル様、カクヨム様、アルファポリス様の順番で投稿しております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる