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第九輪「蒼の目覚め、金の零れ」
⑨-9 遠い世界の日々を①
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花屋の業務を終え、マリアが真っ直ぐ帰宅すると、部屋ではティナが出迎えてくれた。ティナは殆ど部屋から出ず、診察の為に診療所を訪れるか、たまの散歩にしか外へ出ようとはしない。
無理はしないように伝えたのはマリアではあるが、ティニアの一件から彼女もまた挙動が不自然だ。
「ただいま」
「おかえりなさい、マリア」
柔らかな微笑みで出迎えるティナは、かつて拠点で生活していたレイスその人である。記憶を失い、一時的に診療所の医師レオンによって保護されていた。
そんなレイスと、そしてマリアは人間ではない。元は人間であったものの、改造された人造人間であり、心臓や脳には機械が埋め込まれている。アルビノの少年も同じである。
だが、気になったことがあったのだ。それは、ミュラー夫人、ミランダの話だ。
「ねえ、ティナ。レスティン・フェレスの事を教えて」
「……何方が、それを」
「アレン財団と関わりのある人」
「ミュラー夫妻ですか」
あっさりと名前の出た名に、マリアは驚くとともに眼を真ん丸にすると直ぐにそれを問いかける。
「知ってるの?」
「ティニア、……レンのお見舞いに来られていた方でしょう。ミュラーという名は聞いたことがありましたから」
「ミュラーは、スイスだけじゃなくて、ドイツでも多い苗字よ」
「偶然だとしても、体よくミュラーという名の者がレンの傍にいるということは、そういう事でしょう。テオドール・ミュラーがアレン財団の創始者ですから」
何故ティナがそのような事を知っているのか。問いただそうとするものの、話したくないのではないかという葛藤がマリアには根強い。
その気配を察したのか、ティナは紅茶を淹れると、マリアに振舞ってくれた。
温かな湯気が、柑橘系の優しい香りがマリアを誘う。ハーブティーの紅茶はハイビスカスとローズヒップ、それからオレンジの組み合わせであり、マリアが買っておいたとっておきである。
「ティニア、ううん。レンの事もそうだけど、ティナの事も教えて欲しい」
「ミュラー夫妻に何か言われましたか」
「庭園って何?」
その言葉に、ティナは口元を締めると視線をあからさまに外した。何も言葉を発さずに口元は震え、手を強く握りしめたまま俯いた。
「知ってるのね」
マリアはティナが何を恐れ、葛藤しているのかを聞くことが出来ない。それでも、尋ねずにはいられない。
「ラウルとは会えたの?」
そう、庭園が何であるのかという言葉より、ラウルという人物名は突拍子のない話ではない筈だ。それでもティナは何も答えず、口を閉ざしたままだ。
「…………レスティン・フェレスの話は、したくない?」
突き付けられた単語に、ティナは一瞬身震いすると、鳥肌の立った細い腕を掴んだ。目は更に泳いだものの、静かに目を閉じ深く呼吸する。
ティナは何かを恐れている。
それでも、全てを聞かなければならず、マリアも引き下がる事はない。
「ラウルは人造人間だって聞いたけれど、弟ってことは、もしかしてレイスの前世も」
「……マリアは、機械や物に意思があり、それらが生まれ変わることを信じられますか」
「信じるわ」
あっさりと即答したマリアはティナをじっと見つめる。覚悟など、既に出来ているのだ。
「……そう、ですか」
ティナはまだ、目線を合わせようとはしない。
「ミュラーさんやアレン財団は、そこまで知っていたのですか」
「さあね。どこまでなのか、詳しくは知らないわ。ティニアに、レンに何が起こっているのか。私は知らなければいけない。それが、何よりも自分の為に必要な事だと思ってる」
マリアは微笑み、その視線が合うのを待った。それは、ミランダの真似だった。口調はゆっくりだが力強さを真似、真剣に話を聞きたいのだと伝わるように気を張ったのだ。
それでも強くまくし立て、質問を立て続けにしたのはティナの自然な反応を見たかったからである。
もう時間は十分に待った。それ以上に、自分たちに残された時間がないのではないか。ふとその考えが頭を過ぎり、一瞬で忘却する。
ティナにも覚悟を決めて欲しいのだ。とはいえ、ティナの覚悟などとっくの昔に出来ていた筈なのだ。マリアの教育係を買って出たのと、同じであろう。それは、ティナにしかわからない。
「そうですね。わかりました、話しましょう」
「ラウルは、以前いったシチリア近くの島、その地下の施設で遭遇したけれど、そこへ行った方がいい?」
「いいえ。そこは危険ですから、もう立ち入らないでください」
一瞬だけ視線が合う。その視線は弱弱しく、迷いが見える。
「どこなのか、言わなくてもわかるのね」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。ごめん、意地悪な言い方だった」
「……その、ラウルとは、まだ会って居ません。合わせる顔がお互いにないのです。ただ、心配して気に掛けてくれている事は確かです」
ティナが静かにカーテンを開けると、部屋に明るい日差しが入り込む。電気より明るい光が差し込むものの、空は薄く曇っている。その光が柔らかく感じるのは、ティナの表情が和らいでいったからだ。
ティナはゆっくりと息を吸い、そして吐いた。その胸が呼吸に応じて凹凸をはっきりとさせる、深い呼吸だ。
なぜかその挙動に、見覚えがあったが、そのシーンを思い描く余裕は、今のマリアには無い。
「わかりました」
ティナはマリアに視線を合わせる。その眼は躊躇いのある身震いをするかのように、たじろぐがはっきりとマリアを見据えている。
「レスティン・フェレスの話をしましょう。あれは、遠く、とおいの日々」
それほど離れていない教会の鐘が、静かに音を響かせる。その轟は心を突き刺し、えぐるかのようだ。
無理はしないように伝えたのはマリアではあるが、ティニアの一件から彼女もまた挙動が不自然だ。
「ただいま」
「おかえりなさい、マリア」
柔らかな微笑みで出迎えるティナは、かつて拠点で生活していたレイスその人である。記憶を失い、一時的に診療所の医師レオンによって保護されていた。
そんなレイスと、そしてマリアは人間ではない。元は人間であったものの、改造された人造人間であり、心臓や脳には機械が埋め込まれている。アルビノの少年も同じである。
だが、気になったことがあったのだ。それは、ミュラー夫人、ミランダの話だ。
「ねえ、ティナ。レスティン・フェレスの事を教えて」
「……何方が、それを」
「アレン財団と関わりのある人」
「ミュラー夫妻ですか」
あっさりと名前の出た名に、マリアは驚くとともに眼を真ん丸にすると直ぐにそれを問いかける。
「知ってるの?」
「ティニア、……レンのお見舞いに来られていた方でしょう。ミュラーという名は聞いたことがありましたから」
「ミュラーは、スイスだけじゃなくて、ドイツでも多い苗字よ」
「偶然だとしても、体よくミュラーという名の者がレンの傍にいるということは、そういう事でしょう。テオドール・ミュラーがアレン財団の創始者ですから」
何故ティナがそのような事を知っているのか。問いただそうとするものの、話したくないのではないかという葛藤がマリアには根強い。
その気配を察したのか、ティナは紅茶を淹れると、マリアに振舞ってくれた。
温かな湯気が、柑橘系の優しい香りがマリアを誘う。ハーブティーの紅茶はハイビスカスとローズヒップ、それからオレンジの組み合わせであり、マリアが買っておいたとっておきである。
「ティニア、ううん。レンの事もそうだけど、ティナの事も教えて欲しい」
「ミュラー夫妻に何か言われましたか」
「庭園って何?」
その言葉に、ティナは口元を締めると視線をあからさまに外した。何も言葉を発さずに口元は震え、手を強く握りしめたまま俯いた。
「知ってるのね」
マリアはティナが何を恐れ、葛藤しているのかを聞くことが出来ない。それでも、尋ねずにはいられない。
「ラウルとは会えたの?」
そう、庭園が何であるのかという言葉より、ラウルという人物名は突拍子のない話ではない筈だ。それでもティナは何も答えず、口を閉ざしたままだ。
「…………レスティン・フェレスの話は、したくない?」
突き付けられた単語に、ティナは一瞬身震いすると、鳥肌の立った細い腕を掴んだ。目は更に泳いだものの、静かに目を閉じ深く呼吸する。
ティナは何かを恐れている。
それでも、全てを聞かなければならず、マリアも引き下がる事はない。
「ラウルは人造人間だって聞いたけれど、弟ってことは、もしかしてレイスの前世も」
「……マリアは、機械や物に意思があり、それらが生まれ変わることを信じられますか」
「信じるわ」
あっさりと即答したマリアはティナをじっと見つめる。覚悟など、既に出来ているのだ。
「……そう、ですか」
ティナはまだ、目線を合わせようとはしない。
「ミュラーさんやアレン財団は、そこまで知っていたのですか」
「さあね。どこまでなのか、詳しくは知らないわ。ティニアに、レンに何が起こっているのか。私は知らなければいけない。それが、何よりも自分の為に必要な事だと思ってる」
マリアは微笑み、その視線が合うのを待った。それは、ミランダの真似だった。口調はゆっくりだが力強さを真似、真剣に話を聞きたいのだと伝わるように気を張ったのだ。
それでも強くまくし立て、質問を立て続けにしたのはティナの自然な反応を見たかったからである。
もう時間は十分に待った。それ以上に、自分たちに残された時間がないのではないか。ふとその考えが頭を過ぎり、一瞬で忘却する。
ティナにも覚悟を決めて欲しいのだ。とはいえ、ティナの覚悟などとっくの昔に出来ていた筈なのだ。マリアの教育係を買って出たのと、同じであろう。それは、ティナにしかわからない。
「そうですね。わかりました、話しましょう」
「ラウルは、以前いったシチリア近くの島、その地下の施設で遭遇したけれど、そこへ行った方がいい?」
「いいえ。そこは危険ですから、もう立ち入らないでください」
一瞬だけ視線が合う。その視線は弱弱しく、迷いが見える。
「どこなのか、言わなくてもわかるのね」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。ごめん、意地悪な言い方だった」
「……その、ラウルとは、まだ会って居ません。合わせる顔がお互いにないのです。ただ、心配して気に掛けてくれている事は確かです」
ティナが静かにカーテンを開けると、部屋に明るい日差しが入り込む。電気より明るい光が差し込むものの、空は薄く曇っている。その光が柔らかく感じるのは、ティナの表情が和らいでいったからだ。
ティナはゆっくりと息を吸い、そして吐いた。その胸が呼吸に応じて凹凸をはっきりとさせる、深い呼吸だ。
なぜかその挙動に、見覚えがあったが、そのシーンを思い描く余裕は、今のマリアには無い。
「わかりました」
ティナはマリアに視線を合わせる。その眼は躊躇いのある身震いをするかのように、たじろぐがはっきりとマリアを見据えている。
「レスティン・フェレスの話をしましょう。あれは、遠く、とおいの日々」
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