【完結】暁の荒野

Lesewolf

文字の大きさ
上 下
108 / 257
第六輪「紫雲英、約束の果てに」

⑥-4 邂逅

しおりを挟む
 レオン医師はティナに聴診器を当てたのちに、問診を行った。それでも、ティナは殆ど何も

「そうですか。名前だけでなく、何処に住んでおられたのかも、何故海岸の漂着していたのかもわかりませんか」
「申し訳ありません」

 幸薄の彼女が俯き、ほうっと溜息をついた。殺風景な病室は、以前はもう一人女性が入院していた。残念ながら病は完治しないと判明したために、女性は今頃、家族の元で余生を過ごしているだろう。数センチ開けられた窓からは、清らかな風がふんわりと病室を満たしていく。

「いいえ。それでも、あの海岸からすぐに屋敷で治療を行えて良かったですよ。大事に至らなかったのですからね。すぐに私の勤める医院へ移してもらって」
「そうだったんですか。何も、覚えてなくて」
「仕方ありませんよ。何かのショックがあったのでしょう。あまり無理に思い出そうとしないほうがいいかもしれません」

 レオンはそういうと、カルテにペンを走らせた。

「それに、ここまで汽車に乗って来たんですよ。あ、アニーっていう看護師が付き添って。アニーは義兄の医院からこの診療所へ着任されたんですよ。天然パーマの……。おっと、すみません。急に話し込んでしまって」
「いえ。皆さんに大変お世話になっていたようで。記憶になくとも、感謝をお伝えいたします。改めて、ありがとうございます。アニーさんにお会いしたら、改めてお礼を」

 ティナは更に深々とお辞儀した。顔を上げる際に、レオンと目線が重なった。レオンは息を飲んだが、それに気付くことは無かった。

「あの、私の事は以前からお会いしていたとか、そういった事はありませんでしょうか」

 ティナはレオンの瞳を見つめながら、見上げるように、願いを込めて尋ねた。

「え? 以前とは、もしかして海岸で救助した時の事でしょうか」
「いえ……。何処か、…………その、山で」
「や、山?」
「うっ…………」

 ティナは急に頭を押さえ、苦しみ出した。ズキズキとした胸の痛みが、ティナの神経を襲った。ティナにとって、記憶はすべて覚えているが、この風景が思い浮かぶ理由は――。

「大丈夫ですか!」
「…………ごめんなさい。もう収まりました」
「恐らく、何か心身にショックがあったのでしょう。無理はなさらないで下さい。それに、会話できるようになっただけで、十分進歩ですよ。意思疎通出来ますからね。一応お伝えしますが、今は少々衰弱されてはいますが、他に悪いところはありませんよ」
「……そうですか、良かった」
「まずはしっかりと食事をとりましょう。……どうされました? 何かまだ痛いところが……」
「いえ。そうではなくて」

 ティナは部屋の入口を見つめると、レオン医師へ目線を戻した。無表情ではあるものの、口元は緩んでいる。

「先ほどの朱色の髪の女性なのですが」
「ああ。マリアさん?」
「素敵なお嬢さんですね」
「そうですね」
「また、お話しできるでしょうか」

 不安そうに、しかし丁寧に言葉を紡いでいく。レオンは視線を外すと、椅子にもたれ込み思案した。が、すぐにティナへ向き直った。

「そうですね。マリアさんは、複雑なんですが、孤児だそうで、うちで調剤調合をしているスタッフの同居人で義理の姉妹だそうです。マナという、先程いた看護師も義理の姉妹なのですが。……皆、戦災孤児でしてね。私も今更ながら、孤児の多さには……ゴホン。また長話を。話し相手がスタッフ以外でも居ると、良いかもしれません。声を掛けておきましょう」
「ありがとうございます」

 ティナの微笑みに、レオンは照れながら視線を外した。

「それでは、僕はこれで。どうも長話を直ぐに始めてしまいますので、ティナさんも気付いたら止めてください。……何かあればこちらのベルか、声を上げてください」
「わかりました」
「あの」
「はい」

 
 帰り際にドアに手を掛けた際、レオンは思い切って背後の彼女へ、見向きせずに声を掛けた。

「貴女も、十分御綺麗ですよ」
「…………」
「あ、いえ。変なことではなくて、あの」

 しどろもどろになりながら、レオンは眼鏡をかけなおした。そして、またしても額をぶつけてしまう。

「イッタ……」
「大丈夫? 凄い声がしたけど」

 マリアがシーツを抱えながら、廊下から心配そうに部屋をのぞき込んでいる。続いて、マナもひょっこりと顔をのぞかせた。

「今のは結構。来ましたね」
「うん。先生、顔が赤くなってるわ。大丈夫?」
「あーもう、またやってしまった。あ、シーツ交換は終わりましたか? ありがとうございました。甘えてしまって」
「それくらいいいわよ」

 マリアが病室をのぞき込むと、ティナは既に布団にくるまれていた。

「あら、寝ちゃったかな」

 マリアの言葉に驚きレオンも振り返るが、やはりティナは布団を被っている。応答はない。

「つ、疲れたでしょうから、少しゆっくり休ませてあげましょう。それより、マリアさん」
「なに?」
「良ければ、彼女の話し相手になっていただけませんか。時間の都合のつくときで構いません」
「ええ、もちろんよ」

 マリアは嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと病室の扉を閉めた。
 そして、ようやく向かいの部屋の前に立つ。

 一呼吸おくと、漸く同居人の待つ病室の扉を開けたのだ。

 そこには部屋中をお絵描きした紙でいっぱいにした女性が、楽しそうにウキウキと無邪気に鉛筆を走らせていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】暁の草原

Lesewolf
ファンタジー
かつて守護竜の愛した大陸、ルゼリアがある。 その北西に広がるセシュール国が南、大国ルゼリアとの国境の町で、とある男は昼を過ぎてから目を覚ました。 大戦後の復興に尽力する労働者と、懐かしい日々を語る。 彼らが仕事に戻った後で、宿の大旦那から奇妙な話を聞く。 面識もなく、名もわからない兄を探しているという、少年が店に現れたというのだ。 男は警戒しながらも、少年を探しに町へと向かった。 ===== 別で投稿している「暁の荒野」と連動しています。「暁の荒野」の続編が「暁の草原」になります。 どちらから読んでいただいても、どちらかだけ読んでいただいても、問題ないように書く予定でおります。読むかどうかはお任せですので、おいて行かれているキャラクターの気持ちを知りたい方はどちらかだけ読んでもらえたらいいかなと思います。 面倒な方は「暁の荒野」からどうぞ! ※「暁の草原」、「暁の荒野」共に残酷描写がございます。ご注意ください。 ===== この物語はフィクションであり、実在の人物、国、団体等とは関係ありません。 ===== 他、Nolaノベル様、アルファポリス様にて投稿しておりますが、執筆はNola(エディタツール)で行っております。 Nolaノベル様、カクヨム様、アルファポリス様の順番で投稿しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

処理中です...