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第六輪「紫雲英、約束の果てに」
⑥-4 邂逅
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レオン医師はティナに聴診器を当てたのちに、問診を行った。それでも、ティナは殆ど何も覚えてはいなかった。
「そうですか。名前だけでなく、何処に住んでおられたのかも、何故海岸の漂着していたのかもわかりませんか」
「申し訳ありません」
幸薄の彼女が俯き、ほうっと溜息をついた。殺風景な病室は、以前はもう一人女性が入院していた。残念ながら病は完治しないと判明したために、女性は今頃、家族の元で余生を過ごしているだろう。数センチ開けられた窓からは、清らかな風がふんわりと病室を満たしていく。
「いいえ。それでも、あの海岸からすぐに屋敷で治療を行えて良かったですよ。大事に至らなかったのですからね。すぐに私の勤める医院へ移してもらって」
「そうだったんですか。何も、覚えてなくて」
「仕方ありませんよ。何かのショックがあったのでしょう。あまり無理に思い出そうとしないほうがいいかもしれません」
レオンはそういうと、カルテにペンを走らせた。
「それに、ここまで汽車に乗って来たんですよ。あ、アニーっていう看護師が付き添って。アニーは義兄の医院からこの診療所へ着任されたんですよ。天然パーマの……。おっと、すみません。急に話し込んでしまって」
「いえ。皆さんに大変お世話になっていたようで。記憶になくとも、感謝をお伝えいたします。改めて、ありがとうございます。アニーさんにお会いしたら、改めてお礼を」
ティナは更に深々とお辞儀した。顔を上げる際に、レオンと目線が重なった。レオンは息を飲んだが、それに気付くことは無かった。
「あの、私の事は以前からお会いしていたとか、そういった事はありませんでしょうか」
ティナはレオンの瞳を見つめながら、見上げるように、願いを込めて尋ねた。
「え? 以前とは、もしかして海岸で救助した時の事でしょうか」
「いえ……。何処か、…………その、山で」
「や、山?」
「うっ…………」
ティナは急に頭を押さえ、苦しみ出した。ズキズキとした胸の痛みが、ティナの神経を襲った。ティナにとって、記憶はすべて覚えているが、この風景が思い浮かぶ理由は――。
「大丈夫ですか!」
「…………ごめんなさい。もう収まりました」
「恐らく、何か心身にショックがあったのでしょう。無理はなさらないで下さい。それに、会話できるようになっただけで、十分進歩ですよ。意思疎通出来ますからね。一応お伝えしますが、今は少々衰弱されてはいますが、他に悪いところはありませんよ」
「……そうですか、良かった」
「まずはしっかりと食事をとりましょう。……どうされました? 何かまだ痛いところが……」
「いえ。そうではなくて」
ティナは部屋の入口を見つめると、レオン医師へ目線を戻した。無表情ではあるものの、口元は緩んでいる。
「先ほどの朱色の髪の女性なのですが」
「ああ。マリアさん?」
「素敵なお嬢さんですね」
「そうですね」
「また、お話しできるでしょうか」
不安そうに、しかし丁寧に言葉を紡いでいく。レオンは視線を外すと、椅子にもたれ込み思案した。が、すぐにティナへ向き直った。
「そうですね。マリアさんは、複雑なんですが、孤児だそうで、うちで調剤調合をしているスタッフの同居人で義理の姉妹だそうです。マナという、先程いた看護師も義理の姉妹なのですが。……皆、戦災孤児でしてね。私も今更ながら、孤児の多さには……ゴホン。また長話を。話し相手がスタッフ以外でも居ると、良いかもしれません。声を掛けておきましょう」
「ありがとうございます」
ティナの微笑みに、レオンは照れながら視線を外した。
「それでは、僕はこれで。どうも長話を直ぐに始めてしまいますので、ティナさんも気付いたら止めてください。……何かあればこちらのベルか、声を上げてください」
「わかりました」
「あの」
「はい」
帰り際にドアに手を掛けた際、レオンは思い切って背後の彼女へ、見向きせずに声を掛けた。
「貴女も、十分御綺麗ですよ」
「…………」
「あ、いえ。変なことではなくて、あの」
しどろもどろになりながら、レオンは眼鏡をかけなおした。そして、またしても額をぶつけてしまう。
「イッタ……」
「大丈夫? 凄い声がしたけど」
マリアがシーツを抱えながら、廊下から心配そうに部屋をのぞき込んでいる。続いて、マナもひょっこりと顔をのぞかせた。
「今のは結構。来ましたね」
「うん。先生、顔が赤くなってるわ。大丈夫?」
「あーもう、またやってしまった。あ、シーツ交換は終わりましたか? ありがとうございました。甘えてしまって」
「それくらいいいわよ」
マリアが病室をのぞき込むと、ティナは既に布団にくるまれていた。
「あら、寝ちゃったかな」
マリアの言葉に驚きレオンも振り返るが、やはりティナは布団を被っている。応答はない。
「つ、疲れたでしょうから、少しゆっくり休ませてあげましょう。それより、マリアさん」
「なに?」
「良ければ、彼女の話し相手になっていただけませんか。時間の都合のつくときで構いません」
「ええ、もちろんよ」
マリアは嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと病室の扉を閉めた。
そして、ようやく向かいの部屋の前に立つ。
一呼吸おくと、漸く同居人の待つ病室の扉を開けたのだ。
そこには部屋中をお絵描きした紙でいっぱいにした女性が、楽しそうにウキウキと無邪気に鉛筆を走らせていた。
「そうですか。名前だけでなく、何処に住んでおられたのかも、何故海岸の漂着していたのかもわかりませんか」
「申し訳ありません」
幸薄の彼女が俯き、ほうっと溜息をついた。殺風景な病室は、以前はもう一人女性が入院していた。残念ながら病は完治しないと判明したために、女性は今頃、家族の元で余生を過ごしているだろう。数センチ開けられた窓からは、清らかな風がふんわりと病室を満たしていく。
「いいえ。それでも、あの海岸からすぐに屋敷で治療を行えて良かったですよ。大事に至らなかったのですからね。すぐに私の勤める医院へ移してもらって」
「そうだったんですか。何も、覚えてなくて」
「仕方ありませんよ。何かのショックがあったのでしょう。あまり無理に思い出そうとしないほうがいいかもしれません」
レオンはそういうと、カルテにペンを走らせた。
「それに、ここまで汽車に乗って来たんですよ。あ、アニーっていう看護師が付き添って。アニーは義兄の医院からこの診療所へ着任されたんですよ。天然パーマの……。おっと、すみません。急に話し込んでしまって」
「いえ。皆さんに大変お世話になっていたようで。記憶になくとも、感謝をお伝えいたします。改めて、ありがとうございます。アニーさんにお会いしたら、改めてお礼を」
ティナは更に深々とお辞儀した。顔を上げる際に、レオンと目線が重なった。レオンは息を飲んだが、それに気付くことは無かった。
「あの、私の事は以前からお会いしていたとか、そういった事はありませんでしょうか」
ティナはレオンの瞳を見つめながら、見上げるように、願いを込めて尋ねた。
「え? 以前とは、もしかして海岸で救助した時の事でしょうか」
「いえ……。何処か、…………その、山で」
「や、山?」
「うっ…………」
ティナは急に頭を押さえ、苦しみ出した。ズキズキとした胸の痛みが、ティナの神経を襲った。ティナにとって、記憶はすべて覚えているが、この風景が思い浮かぶ理由は――。
「大丈夫ですか!」
「…………ごめんなさい。もう収まりました」
「恐らく、何か心身にショックがあったのでしょう。無理はなさらないで下さい。それに、会話できるようになっただけで、十分進歩ですよ。意思疎通出来ますからね。一応お伝えしますが、今は少々衰弱されてはいますが、他に悪いところはありませんよ」
「……そうですか、良かった」
「まずはしっかりと食事をとりましょう。……どうされました? 何かまだ痛いところが……」
「いえ。そうではなくて」
ティナは部屋の入口を見つめると、レオン医師へ目線を戻した。無表情ではあるものの、口元は緩んでいる。
「先ほどの朱色の髪の女性なのですが」
「ああ。マリアさん?」
「素敵なお嬢さんですね」
「そうですね」
「また、お話しできるでしょうか」
不安そうに、しかし丁寧に言葉を紡いでいく。レオンは視線を外すと、椅子にもたれ込み思案した。が、すぐにティナへ向き直った。
「そうですね。マリアさんは、複雑なんですが、孤児だそうで、うちで調剤調合をしているスタッフの同居人で義理の姉妹だそうです。マナという、先程いた看護師も義理の姉妹なのですが。……皆、戦災孤児でしてね。私も今更ながら、孤児の多さには……ゴホン。また長話を。話し相手がスタッフ以外でも居ると、良いかもしれません。声を掛けておきましょう」
「ありがとうございます」
ティナの微笑みに、レオンは照れながら視線を外した。
「それでは、僕はこれで。どうも長話を直ぐに始めてしまいますので、ティナさんも気付いたら止めてください。……何かあればこちらのベルか、声を上げてください」
「わかりました」
「あの」
「はい」
帰り際にドアに手を掛けた際、レオンは思い切って背後の彼女へ、見向きせずに声を掛けた。
「貴女も、十分御綺麗ですよ」
「…………」
「あ、いえ。変なことではなくて、あの」
しどろもどろになりながら、レオンは眼鏡をかけなおした。そして、またしても額をぶつけてしまう。
「イッタ……」
「大丈夫? 凄い声がしたけど」
マリアがシーツを抱えながら、廊下から心配そうに部屋をのぞき込んでいる。続いて、マナもひょっこりと顔をのぞかせた。
「今のは結構。来ましたね」
「うん。先生、顔が赤くなってるわ。大丈夫?」
「あーもう、またやってしまった。あ、シーツ交換は終わりましたか? ありがとうございました。甘えてしまって」
「それくらいいいわよ」
マリアが病室をのぞき込むと、ティナは既に布団にくるまれていた。
「あら、寝ちゃったかな」
マリアの言葉に驚きレオンも振り返るが、やはりティナは布団を被っている。応答はない。
「つ、疲れたでしょうから、少しゆっくり休ませてあげましょう。それより、マリアさん」
「なに?」
「良ければ、彼女の話し相手になっていただけませんか。時間の都合のつくときで構いません」
「ええ、もちろんよ」
マリアは嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと病室の扉を閉めた。
そして、ようやく向かいの部屋の前に立つ。
一呼吸おくと、漸く同居人の待つ病室の扉を開けたのだ。
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