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第四輪「孤独と孤立と、猜疑心」
④-1 オトナというものは
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この物語はフィクションであり、実在の人物、国、団体等とは関係ありません。
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時は1950年4月のとある土曜日。永世中立国であるスイスのシャフハウゼンは、他国との国境に面している。
シャフハウゼンにはライン川が流れている。そのライン川に沿って進むとリゾート地であるボーデン湖にたどり着くが、その途中には美しい旧市街地シュタインアムラインが現れる。
せっかくの土曜であるものの、生憎の雨模様である。観光客は美しいフレスコ画を眺めるために、広げた傘から顔を出さなければならず、人はまばらだ。とはいえ、スイスは割と雨がよく降っては止む事が多く、住んでいればそれは日常と変わらない。
その美しいシュタインアムラインという町に、美しい赤髪を無造作に右耳の上へ、一つにまとめた女性、マリアがいる。出くわした顔見知りの男、ミュラーの旦那へ若い男女の街案内を頼んでいた。ミュラーは銀に近い金髪が長く、これまた無造作に襟足付近にて一つに纏めている。
相対する二人は兄妹と思われるが、兄が赤毛の女性に見惚れていた為、妹が腕を引っ張るために兄の傘を奪った。
「もう。兄さん、何のための傘なの?」
「悪かったよ、ちゃんと持つよ」
当たり前の兄妹喧嘩を、マリアは羨ましく見つめていた。
「案内までして戴いて、ありがとうございます」
マリアの視線に気付き恥ずかしそうにする兄妹は、マリアに何度も御礼を述べると、そのまま教会へ向かった。二人が見えなくなると、マリアは深く息を吐いた。
「ミュラーさんに会えて助かった。私、フレスコ画の元ネタよく知らないのよ」
ミュラーは夫人ではなく、夫人の旦那である。彼の愛妻は現在、勉強のためにスイス外へ出ているのだ。ミュラーは得意げな表情を浮かべながら、あごひげを撫でた。
「マリアも、もっと本を読んでみたらどうだ。見識を広めるというのも、中々に面白いものだぞ。興味の無いものでも、勉強しておいて損は無い知識もある。それに、知らないことを知るというのは探究心をそそられるだろ」
「そうね。本当にそうだわ。この町に住んでる訳だし、知らない方が変よね」
「変なことは無い。案外関係の無いことから、今の問題が解決したなんて話は山ほどあるんだ。それより、その花束はどうしたんだ」
マリアの腕には大きな花束が大切そうに握られている。種類や色も様々であるため、特に目を引く上、花束のバランスも悪い。
「今日はメアリーさんが病院の診察に行くので、露店がお休みなの。だから自主練しようかなと思って」
「なんだ自分で買って、もらったとかじゃないのか。お前もちょっとは色恋沙汰に興味があればなぁ。イケメンとか好きなんだろ」
「それはまあ。目の保養に。でも、私にはまだそういうのは要らないかな。やりたいことや、やらなきゃ行けないことが沢山あるのよ」
マリアは花束をミュラーの旦那に見せるように、軽く上へ持ち上げた。やれやれと呆れる男に、つい笑みがこぼれ出す。
「あいつも勉強熱心な弟子が出来て嬉しく想うだろうな。しかしメアリー、土曜日に病院とは珍しいな。今期の冬、大分辛そうにはしてたから気にはなっていたんだ」
「うーん。まだ杖を持つには早いとは言うものの、花籠を持って歩くのは辛そうだったの。冬期は翻訳の仕事でほとんど動かなかったみたいだし、いきなり動き出したのもあるとは思うわ」
そうか…と呟くと、ミュラーの旦那は雨が止んだのに気付き、傘を畳んだ。マリアの家路へ手をかざすと、エスコートするように横に並んで歩いた。晴れ間のうちに家路を急ごうと言うことだろう。
「ありがとう。本当に助かったわ。案内もそうだけど、花びらだって雨粒は天敵だものね」
「自然なら、野に咲く花がそのまま風にも吹かれるのなんて、当たり前なんだがな。……メアリーも、自然な流れでとは言わないが、あいつの店でお前達と一緒にフローリストをやれたら良いんだろうけどな」
「そういう思惑もあって、奥様は私をメアリーの露店へ薦めたんだと思うわ」
うんうんと頷くと、ミュラーの旦那は口寂しさを感じ、一服しようと胸ポケットへ手を入れた。
「ちょっとやめてよ。花と髪が煙り臭くなるわ」
「へえ」
「なによ。どうしてそこで笑うの?」
マリアは不満そうに顔でも訴えたが、ミュラーの旦那は余計に笑い出した。
「随分素直になったなあと思ってな。お前は今まで、俺とそこまで話なんてしなかったじゃないか」
「煙草にはいつも煙たそうにはしてたわ」
「はっきり言葉にはしなかっただろ。いつも仏頂面なんだ、嫌われてんのかと思って、こっちからは話し掛けなかったんだよ」
「えっ、そうなの? それは、その……ごめんなさい」
「マリアはさ、俺達の娘みたいなもんなんだ」
「……え?」
マリアは花束を軽く握ると、歩みを止めてしまった。ミュラーの旦那も歩みを止めると、吹かし損ねた煙草を懐へしまった。
「お前がどう思おうと、俺達は勝手にそう思ってるから、厭ならやめるぞ」
「嫌じゃないよ」
「そうか」
「うん。花束をもう少し買い込んでも良い?」
「うん、やっぱりお前は俺の娘だよ。俺の妻に似てきたな」
マリアはにんまりして微笑むと、来た道を戻り、二人の初々しくもさほど年齢の離れていない親子は、美しい旧市街へ向かったのだった。空は晴れ渡り、すっかり春めいていた。
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