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第三輪「とある、一つの約束と」
③-8 小景異情「その四」③-43-4
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「おはようございます」
「おはよ~」
シャトー婦人の丁寧ながら大きな声は、朝6時半の厨房に大きく響き渡る。孤児院の厨房は香ばしい食欲を誘う香りで満ちており、自然と子供達を身支度に誘う。
シャトー婦人は隣の教会へ礼拝に来ている常連の婦人であり、ボランティアで食事作りを手伝ったり、子供立ちと遊んでくれる優しいご婦人である。
「今日はやけに暗いわね~」
「そうだねえ。寒いし、あんまり天気は良くならないかもね~」
慣れた手つきでエプロンを胸に当て、リボンを結ぶのは金髪碧眼の女性、ティニアだ。シャトーが丁寧に刻んでいた野菜が、既に煮込まれている鍋を見つめた。
「あとどれくらいで残りを入れるの?」
「ええ、それは入れないよ。……お芋の柔らかさはどうだい」
「見てみるよ」
ティニアは話しながらミトンを手に、大鍋の蓋を動かした。寒い厨房には分厚く、食欲をそそる湯気が立ち伸び、鍋の中身が見えるまでしばし時間がかかった。
「あれ! これ、 ”ごったに” じゃない!!」
「ええ? 神? ちょっと! 神を煮るなんて、滅多なこといわないで頂戴」
「ああ、あだ名だよ。これ、アイントプフじゃないの?」
「あぁ」
シャトー婦人は、またかやれやれと彼女の元へ近づくと、鍋の蓋を開け、中身を見るように促した。
「よく見なよ」
「ああ。これ、ベルナープラッテか。ベルンの料理の」
ティニアは鍋の横に用意されていた陶器の平たい皿に、ひょいひょいとスライスされた厚みのあるじゃが芋にフォークを指した。
アイントプフはドイツの家庭料理であり、スープ料理だ。対してベルナープラッテはスープをかけず、具材を主に食す料理である。
具材は似ているものの、ベルナープラッテは特別な日や祝日のメインディッシュに並ぶような、ボリュームのある料理であり、似ているようで異なった料理である。
「ジャガイモ丁度いいね。取り出すよ」
「それはいいけど……。ティニアさん、それ、気をつけなさいよ」
「ごめんごめん」
ティニアは皿へある程度じゃが芋を移すと、もう一枚の皿に残りを移動させた。シャトー婦人は、彼女の返答に間があったこと、そして素直に謝罪だけで終わったことを注視した。ティニアはいつも通りに見える。
「大丈夫? 今朝もやたら早かったけれど、ちゃんと休めてるの?」
「うん。休んでるよ」
「休ませるために、皆は手を貸そうとしてるのよ。わかってる?」
「うん……。感謝してるよ。だから、ちゃんと休んでいるよ」
シャトー婦人はティニアからじゃが芋一杯の皿を受け取ると、手早く盛り付けに入った。今朝はまだ寒い、すぐに移し替えなければ冷めてしまう。もうすぐ子供たちが皿を受け取りにやってくるだろう。
ティニアは別の大皿に厚手にスライスされたソーセージを入れていく。その後でインゲン豆を別の皿に移した。
「ねえ」
シャトー婦人は慣れた手つきでじゃが芋を入れ終えると、ソーセージの皿を手に取った。
「なに?」
ティニアはインゲン豆を出し終えると、休ませていたパンを皿に乗せ始めた。小ぶりではあるものの、小麦とライ麦が半分ずつ入っている。スイスではいわゆる白パンが主流であるらしく、ライ麦パンは硬いために好まれないという。しかし、よく噛んで健康を保つ目的として、ライ麦を多く使っている。
「昨日、アンナさんに会ったんだけど」
「うん。あれ、アンナさんまだここにいるの? ミュラー夫人の見送りに来てたけど」
「ううん、昨日は急遽入った仕事だって言ってたけど」
「そうなんだ」
淡々といつも通りに仕事をこなしていく彼女が、色恋沙汰に悩んでいる素振りはなく。シャトー婦人はアンナの目論見が外れたことを悟った。小声で「残念だわ」と呟いたとき、子供たちがやってきた。
「おはよう。ティニアおねえちゃん、シャトーさん」
「おはよう。ああ、先にティニアからパンを受け取って、順番よ。パンのお皿にはチーズを乗せてからよ。その後にこっちの皿を持ってって。まだ駄目よ、これからインゲン豆を乗せるの。インゲン豆の乗ってるお皿から持って行ってね。ちょっと順番だって言ってるでしょう」
すぐに子供たちはティニアの列に並ぶと、その通りにしては調理場を後にしていった。その様子を楽しそうに眺めながら、ティニアは子供たちにパンを渡していく。
シャトー婦人もまた忙しそうに皿へ移し終えると、おろおろする幼子と共に、ティニアを残して食堂へ向かった。
「おはよ~」
シャトー婦人の丁寧ながら大きな声は、朝6時半の厨房に大きく響き渡る。孤児院の厨房は香ばしい食欲を誘う香りで満ちており、自然と子供達を身支度に誘う。
シャトー婦人は隣の教会へ礼拝に来ている常連の婦人であり、ボランティアで食事作りを手伝ったり、子供立ちと遊んでくれる優しいご婦人である。
「今日はやけに暗いわね~」
「そうだねえ。寒いし、あんまり天気は良くならないかもね~」
慣れた手つきでエプロンを胸に当て、リボンを結ぶのは金髪碧眼の女性、ティニアだ。シャトーが丁寧に刻んでいた野菜が、既に煮込まれている鍋を見つめた。
「あとどれくらいで残りを入れるの?」
「ええ、それは入れないよ。……お芋の柔らかさはどうだい」
「見てみるよ」
ティニアは話しながらミトンを手に、大鍋の蓋を動かした。寒い厨房には分厚く、食欲をそそる湯気が立ち伸び、鍋の中身が見えるまでしばし時間がかかった。
「あれ! これ、 ”ごったに” じゃない!!」
「ええ? 神? ちょっと! 神を煮るなんて、滅多なこといわないで頂戴」
「ああ、あだ名だよ。これ、アイントプフじゃないの?」
「あぁ」
シャトー婦人は、またかやれやれと彼女の元へ近づくと、鍋の蓋を開け、中身を見るように促した。
「よく見なよ」
「ああ。これ、ベルナープラッテか。ベルンの料理の」
ティニアは鍋の横に用意されていた陶器の平たい皿に、ひょいひょいとスライスされた厚みのあるじゃが芋にフォークを指した。
アイントプフはドイツの家庭料理であり、スープ料理だ。対してベルナープラッテはスープをかけず、具材を主に食す料理である。
具材は似ているものの、ベルナープラッテは特別な日や祝日のメインディッシュに並ぶような、ボリュームのある料理であり、似ているようで異なった料理である。
「ジャガイモ丁度いいね。取り出すよ」
「それはいいけど……。ティニアさん、それ、気をつけなさいよ」
「ごめんごめん」
ティニアは皿へある程度じゃが芋を移すと、もう一枚の皿に残りを移動させた。シャトー婦人は、彼女の返答に間があったこと、そして素直に謝罪だけで終わったことを注視した。ティニアはいつも通りに見える。
「大丈夫? 今朝もやたら早かったけれど、ちゃんと休めてるの?」
「うん。休んでるよ」
「休ませるために、皆は手を貸そうとしてるのよ。わかってる?」
「うん……。感謝してるよ。だから、ちゃんと休んでいるよ」
シャトー婦人はティニアからじゃが芋一杯の皿を受け取ると、手早く盛り付けに入った。今朝はまだ寒い、すぐに移し替えなければ冷めてしまう。もうすぐ子供たちが皿を受け取りにやってくるだろう。
ティニアは別の大皿に厚手にスライスされたソーセージを入れていく。その後でインゲン豆を別の皿に移した。
「ねえ」
シャトー婦人は慣れた手つきでじゃが芋を入れ終えると、ソーセージの皿を手に取った。
「なに?」
ティニアはインゲン豆を出し終えると、休ませていたパンを皿に乗せ始めた。小ぶりではあるものの、小麦とライ麦が半分ずつ入っている。スイスではいわゆる白パンが主流であるらしく、ライ麦パンは硬いために好まれないという。しかし、よく噛んで健康を保つ目的として、ライ麦を多く使っている。
「昨日、アンナさんに会ったんだけど」
「うん。あれ、アンナさんまだここにいるの? ミュラー夫人の見送りに来てたけど」
「ううん、昨日は急遽入った仕事だって言ってたけど」
「そうなんだ」
淡々といつも通りに仕事をこなしていく彼女が、色恋沙汰に悩んでいる素振りはなく。シャトー婦人はアンナの目論見が外れたことを悟った。小声で「残念だわ」と呟いたとき、子供たちがやってきた。
「おはよう。ティニアおねえちゃん、シャトーさん」
「おはよう。ああ、先にティニアからパンを受け取って、順番よ。パンのお皿にはチーズを乗せてからよ。その後にこっちの皿を持ってって。まだ駄目よ、これからインゲン豆を乗せるの。インゲン豆の乗ってるお皿から持って行ってね。ちょっと順番だって言ってるでしょう」
すぐに子供たちはティニアの列に並ぶと、その通りにしては調理場を後にしていった。その様子を楽しそうに眺めながら、ティニアは子供たちにパンを渡していく。
シャトー婦人もまた忙しそうに皿へ移し終えると、おろおろする幼子と共に、ティニアを残して食堂へ向かった。
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