【完結】暁の荒野

Lesewolf

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第三輪「とある、一つの約束と」

③-2 ファーストフラッシュ②

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 夕食が終わっても、シュタインアムラインはまだ明るいが夜に変わりはない。当たり前のように皿を重ねて運ぶティニアだったが、戻ろうとしたティニアを止めたのはアルベルトだった。そして、当たり前のように、皿を重ねだした。

「皿くらい運ぶから、洗い出していいぞ」
「え、あ。……うん」
「どうした、俺が洗おうか?」
「えっ……、ううん。へーき」

 ティニアは何か言葉を伝えようとしたが、そのまま大人しく皿洗いに戻ってしまった。ティニアとアルベルトをぼうっと見ていたマリアは、気付いてしまった。

 いつも、何もしていなかったのだ。


「ああ~~~~~~~~」

 またしても頭を抱え項垂れていると、アルベルトが皿を重ねだした。カチャカチャとなる食器の音は、アルベルトと皿を洗うティニアから聞こえてきており、マリアの絶叫がそれをかき消していく。苦悩しても遅いのだが、それでもその場で気に悩んでしまうのが、マリアなのである。

「お前は本当に、単純で賑やかだな」
「…………」

 アルベルトは皿を重ねたまま持ち上げずに、マリアの返答を待っていた。マリアが顔をあげなければ、男は皿を運ぼうとはしないだろう。別にマリア自身が運べばいいのだが、そういう問題ではない。なんとなく悔しい、みじめな気分で恥ずかしさが込み上げてくるのだ。

「別に貶してるわけじゃないぞ」
「貶してるじゃない。どうせ私は単純で世間知らずで、全部ティニア頼りよ」
「だから、貶してないって」

 横目でマリアはアルベルトを見つめていると、視線が重なってしまった。マリアは気まずさ故にまた項垂れた姿勢へ戻ると、頭を抱えテーブルに突っ伏した。
 アルベルトは少し困ったような表情を浮かべ、皿から手を離してマリアの隣へ座った。特に何も言葉を発するわけでもなく、そのまま隣で座り込んでしまったのだ。
 観念してマリアが顔をあげると、男は思いつめたような表情で遠くを見ていた。

「多分、それでいいんだ。それが、普通なんだよ。悪かった、言いすぎていた」
「…………え?」

 
 アルベルトは手を組むと、視線を下へ向けてしまった。言葉を選ぶかのように、口を開いては閉じることを繰り返し、眼が泳いでいく。

「俺は、これが当たり前だっただけだ。顔色をいちいち伺って、ご機嫌取りして。失敗すれば夕飯はないし。ぶたれるからな」

 恐らくそれは軍隊や軍学校での事ではなく、孤児院の話だろう。アルベルトは尚も遠くを見ており、目線は下向きだ。

 ティニアの孤児院を見ていれば、そんなことは現実にはないのだと思いたくなるものだが、そういう世界だけが世界ではないのだ。マリアにとっても、普通ではない拠点が普通であると感じていたのだから、当然だ。その拠点の情報も、何一つ集められてはいない。

「そうやって、いちいち色んな事に反応して、感情的になって、自問自答して、ああすればよかった、こうすればよかったと、思うんだろうな、普通は」

 青く、赤く、そして金色の空が窓の外に広がっている。カーテンは開いたままであり、その空虚な色がまさにアルベルトの心を表すかのように、はっきりと色濃くコントラストをかもしだしているようだった。

「あんたは違うの?」
「そうだな。常に悪いのは自分自身であり、それが理で、普通だったんだ。正しい事をしたところで、相手のご機嫌が損ねたのなら、それは失敗なんだよ」

 吐き捨てるようにセリフを言い終えると、アルベルトは皿を手に持ったが、手は震えていた。その手をいつの間にか隣に来ていたティニアが、優しく支えるように皿を受け取った。

「二人とも、結構似てるよね」
「赤毛さんが怒るセリフだろ、それは」
「どうだろう。でも、マリアも分かってると思うよ」
「………………」

 アルベルトは黙り込んだものの、マリアも黙り込んだままだ。沈黙こそ肯定に他ならないが、マリアもアルベルトもそれ以上の言葉を導き出すことは出来なかった。アルベルトの手の震えは収まっており、その瞳はティニアへ向けられている。

「なんでもそうだけど、ボクが言ってしまえばある程度は解決したり、済んだりすると思う」

 ティニアは皿を流し台で洗うために背を向けたが、アルベルトはじっとティニアを見つめたまま、今度は目を潤ませている。

「でもそれはただの経験値の差であって、それをボクがしてしまうことで、二人の気付きを損ねてしまい、二人の成長の妨げになるだけになる。だから、何も言いたくはないんだよね」
「そうは言っても、結局は相手に色々アドバイスしているんだろ」

 アルベルトは涙を零さないように耐えるように話すと、それでも鼻をすすりながら再び手を組み出した。それでも、視線だけはティニアから動いてはいない。

「自分で気付くことの方が何よりも大事だし、マリアは君が思っているよりもずっと、賢いよ」

 マリアと不意に名を呼ばれ、我に返ったが、マリアは手伝いをすることが出来なかったことを嘆くと声を上げた。流し台には、アルベルトが沸かしていた湯がおいてあり、ティニアが水で薄めながら使用している。それは、当たり前ではない気遣いだ。

「はああ」

 もうすべて話してしまえば、どんなに楽だろうか。だが、二人を未曽有の事態に巻き込むことになる。今でさえ、十分巻き込んでいるのだ。普通ではない拠点について、軍人であったアルベルトは何か知っているだろうか。敵対してしまうだろうか。憲兵に突き出してしまうだろうか。

 きっとアルベルトはそのようなことはしない。それが分かっているからこそ、マリアはアルベルトの犠牲を認められないのだ。ティニアに足したいしてもそうなのだ。彼女の優しさはすべて、自己犠牲であるのだ。

「お前さ」

 マリアが言葉を遮るように、アルベルトはそのまま話をつづけた。迷うマリアを諭すかのように、言葉を選ぶようにゆっくりとした口調だ。

「本音を吐き出して、どうすればいいのか相談出来る相手って、どれくらいいる」
「…………」
「普通に出来てるお前でも、そんなに居ないだろ。多分、俺も同じだよ。そんなに居ないし、居なかったよ」
「そう、ね。うん」

 男はマリアの隣の席に座ると、テーブルの上で手を組んだ。二人は台所に背を向けており、ティニアは見えない。

「全て吐き出す必要なんてない。それでも、そういう気兼ねなく話せる相手っていうのは、極限られたやつだけだ」
「……うん」
「守って守られたらいいんだ。傾きすぎるなよ。ティニアの傍にずっと居たいだろ」
「うん」
「素直でいいなあ、お前はさ」
「なッ……」

 赤面して恥じらい、黙り込んでしまったところで、マリアは慌てて修正した。テーブルをバンバンと叩きながら、声を荒げた。

「気持ち悪すぎる! 何なのもう!」

 慌てて立ち上がると、マリアは自然にティニアの傍へ行き、男の悪態を付きながら皿の水滴を布で拭いていったのだった。
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