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廊下を歩く私に、窓から温かい日の光が差し込んだ。
春を告げるその陽光に私は目を細め、そっと窓へと近づいていく。
空を二羽の小鳥が気持ちよさそうに飛んでいた。
あぁ、羨ましい……と儚げな目で鳥を見上げた私は、眼下の人影を捉えてしまう。
後から思えば見なければ良かったと後悔するのだが、今の私はそんなこと知る由もない。
「あれは……パストラ様……?」
公爵令息のパストラは私の夫だ。
夫と言っても彼はまだ十八歳だし、私は十六歳なので、婚姻関係にあるだけで、夫婦として暮らしているわけではない。
私が貴族学園を卒業する二年後に、結婚式を執り行い、それから夫婦として一緒に暮らすのだ。
パストラは同じ学校の最終学年で、今年卒業を果たす。
学園の休日にあたる今日は、パストラの屋敷でお茶会をする約束をしていた。
パストラが用事があると言って出て行ってしまったので、彼の帰りを待つ間、暇つぶしに廊下を歩いていたのである。
しかし窓から見える裏庭には、夫であるパストラの姿があった。
もう用事が終わったのだろうかと見ていると、彼の影に隠れるように一人の女性がいることが分かった。
しかも彼女は私の親友に似て……いや、親友だ。
「アレグロ……どうしてここに……」
そこには同い年の親友であるアレグロの姿があった。
子爵令嬢である私よりも爵位の高い伯爵令嬢だが、それを威張ることもせず、敬語まで拒否する人格者。
その明るい性格から学園での人気も高く、皆から慕われている彼女。
私はじっと二人の動向を伺っていると、パストラの唇がアレグロに近づいた。
「あっ」と私が言う頃には二人の唇は重なっていて、鈍器で殴られたような衝撃が私に走る。
「嘘……」
どうやら夫は親友を選んだらしい。
あんなに強く輝いていた太陽に雲がかかり、陽光が消えた。
それに呼応するように、私の心は暗く沈んでいく。
海の底を目指すように沈んだ心は、どんどん冷えていき、冬の氷を飲んだみたいに体の芯から寒くなった。
「嘘……そんな……こんなの……」
私は堪らず視線を逸らした。
しかし恐る恐る再び、裏庭の二人に目を戻してしまう。
二人は抱き合って熱いキスを交わしていた。
まるで獣が交わっているかのような刺激的な光景に、今度こそ目を逸らした。
「うっ……」
低い唸り声が出た。
次いで強烈な吐き気に襲われる。
しかし何とか耐えると、私は再び廊下を歩きだした。
全部夢だ。
きっとそうだ。
こんなことあるわけがない。
普段の私なら、もっと冷静に冷徹に判断を下せただろう。
だが、夫と親友の浮気現場を目撃した今は、心が乱れに乱れ、平静を保つことなどできなかった。
行く当てもなく廊下を歩き、結局ぐるりと一周してしまう。
あの窓が視界に入ると、急に緊張してきて、心臓の音が激しくなった。
私はごくりと唾を呑み込むと、吸い込まれるように窓に近づいていった。
「大丈夫……」
もう何もかもが狂っていた。
目に映るもの全てがまやかしのように思えて、現実味がなかった。
夢の中にいる時みたいにフワフワした感覚があるし、実際夢の中にいると思った。
窓から裏庭を覗くと、そこにパストラとアレグロの姿がなかった。
しかし二人がいた痕跡を残すように、近くの木の枝にひものような物が結び付けられていた。
それを見た瞬間、昔アレグロが言っていた言葉を思い出す。
『子供の頃に絵本で読んだ話でね。禁断の恋をする女性が、愛の印として木の枝に自分のチョーカーを結びつけるの。素敵だと思わない?』
「あれが……アレグロの愛の印?」
途端に目頭が熱くなった。
涙を抑えることは今の私には到底できることではなかった。
私は乱雑に手で目をこすった。
何度も何度も。
この日。
私は夫と親友に裏切られた。
春を告げるその陽光に私は目を細め、そっと窓へと近づいていく。
空を二羽の小鳥が気持ちよさそうに飛んでいた。
あぁ、羨ましい……と儚げな目で鳥を見上げた私は、眼下の人影を捉えてしまう。
後から思えば見なければ良かったと後悔するのだが、今の私はそんなこと知る由もない。
「あれは……パストラ様……?」
公爵令息のパストラは私の夫だ。
夫と言っても彼はまだ十八歳だし、私は十六歳なので、婚姻関係にあるだけで、夫婦として暮らしているわけではない。
私が貴族学園を卒業する二年後に、結婚式を執り行い、それから夫婦として一緒に暮らすのだ。
パストラは同じ学校の最終学年で、今年卒業を果たす。
学園の休日にあたる今日は、パストラの屋敷でお茶会をする約束をしていた。
パストラが用事があると言って出て行ってしまったので、彼の帰りを待つ間、暇つぶしに廊下を歩いていたのである。
しかし窓から見える裏庭には、夫であるパストラの姿があった。
もう用事が終わったのだろうかと見ていると、彼の影に隠れるように一人の女性がいることが分かった。
しかも彼女は私の親友に似て……いや、親友だ。
「アレグロ……どうしてここに……」
そこには同い年の親友であるアレグロの姿があった。
子爵令嬢である私よりも爵位の高い伯爵令嬢だが、それを威張ることもせず、敬語まで拒否する人格者。
その明るい性格から学園での人気も高く、皆から慕われている彼女。
私はじっと二人の動向を伺っていると、パストラの唇がアレグロに近づいた。
「あっ」と私が言う頃には二人の唇は重なっていて、鈍器で殴られたような衝撃が私に走る。
「嘘……」
どうやら夫は親友を選んだらしい。
あんなに強く輝いていた太陽に雲がかかり、陽光が消えた。
それに呼応するように、私の心は暗く沈んでいく。
海の底を目指すように沈んだ心は、どんどん冷えていき、冬の氷を飲んだみたいに体の芯から寒くなった。
「嘘……そんな……こんなの……」
私は堪らず視線を逸らした。
しかし恐る恐る再び、裏庭の二人に目を戻してしまう。
二人は抱き合って熱いキスを交わしていた。
まるで獣が交わっているかのような刺激的な光景に、今度こそ目を逸らした。
「うっ……」
低い唸り声が出た。
次いで強烈な吐き気に襲われる。
しかし何とか耐えると、私は再び廊下を歩きだした。
全部夢だ。
きっとそうだ。
こんなことあるわけがない。
普段の私なら、もっと冷静に冷徹に判断を下せただろう。
だが、夫と親友の浮気現場を目撃した今は、心が乱れに乱れ、平静を保つことなどできなかった。
行く当てもなく廊下を歩き、結局ぐるりと一周してしまう。
あの窓が視界に入ると、急に緊張してきて、心臓の音が激しくなった。
私はごくりと唾を呑み込むと、吸い込まれるように窓に近づいていった。
「大丈夫……」
もう何もかもが狂っていた。
目に映るもの全てがまやかしのように思えて、現実味がなかった。
夢の中にいる時みたいにフワフワした感覚があるし、実際夢の中にいると思った。
窓から裏庭を覗くと、そこにパストラとアレグロの姿がなかった。
しかし二人がいた痕跡を残すように、近くの木の枝にひものような物が結び付けられていた。
それを見た瞬間、昔アレグロが言っていた言葉を思い出す。
『子供の頃に絵本で読んだ話でね。禁断の恋をする女性が、愛の印として木の枝に自分のチョーカーを結びつけるの。素敵だと思わない?』
「あれが……アレグロの愛の印?」
途端に目頭が熱くなった。
涙を抑えることは今の私には到底できることではなかった。
私は乱雑に手で目をこすった。
何度も何度も。
この日。
私は夫と親友に裏切られた。
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