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「フィオナ、お前の縁談相手が決まった」
貴族学園を卒業した翌日。
書斎にて、父は厳格な声で私に告げた。
「縁談相手ですか?」
公爵家の令嬢として生を受けた以上、いつかはこういう日が来るとは思っていた。
幼少期に両親がそういう話をしていたのを聞いたこともあるし、同じ爵位の友人は、学生の頃から既に婚約者がいた。
しかし、私には、そういった華やかな世界はとても現実味がなかった。
母譲りの長い赤髪は私の唯一の自慢だが、それを台無しにするような父譲りの厳しい瞳。
周囲は、私が普段から怒っていると思っているようで、自分から近づいてくる人はあまりいない。
そんな私にとっては、友人が出来ただけでも幸運で、それ以上を望むことなんて分不相応だと感じていた。
「何か不満があるのか?」
父が私をギロリと睨みつける。
声の調子は柔らかいが、その瞳のせいで、やはり怒っているように見える。
自分もこんな風に見られているのかと思うと、少しだけ気が滅入った。
「いえ、不満などありません。ただ驚いただけです。私にもそんな縁があるのかと」
「お前は何を言っているんだ。公爵令嬢に生まれ、学生の頃には優秀な成績で国王から表彰されたお前に、縁談が来ないわけがない」
「お父様は私を買い被りすぎです」
「いや、そんなことはない。事実を述べただけだ」
父は満足げに笑うと、机の上の書類を私に手渡す。
そこには黒い髪の青年の写真が載せられていた。
「お前の縁談相手のオーウェンだ。同じ公爵家、評判もいい。歳は二つ年上だが、まあ特に気にすることでもないな」
「オーウェン様……」
写真といえど、男性と見つめ合ったのは久方ぶりだ。
何だか心がざわざわとしてくる。
私は取り繕うように、父に質問をする。
「顔合わせはいつですか?」
「来週だ」
「そうですか……じゅ、準備しておきます」
「うむ。ではこの縁談を受け入れるということでいいな?」
父が念を押すようにそう言った。
未開の地に踏み込んでいるような不安がよぎるが、私はゆっくりと頷く。
「はい、この縁談、受け入れます」
……この時の私は大分初々しかった。
初めての縁談というものに不安と、秘かな期待を抱きながら、幸せな未来を想像しては一人楽しんでいた。
少女のように純粋無垢な心で、この世界の愛は絶対的な正義と誠実さを持っているのだと、確信していた。
しかしオーウェンと結婚して二年。
私は陰鬱な日々を過ごしていた。
自室で何をするでもなく椅子に座り、窓から外の景色を眺める。
小鳥が数羽群れで飛んでいて、仲良さげに鳴き声を響かせていた。
すっきりと晴れた青空なのに、私の心は黒く染まっている。
「もう二年か……」
そう呟いた私の声は、自分でもとてつもなく暗いと分かった。
こんな声で目つきも鋭いのだから、今の私には交友関係を築くことは不可能だろう。
岩のように身動き一つせずに、空を見ていると、ふいに扉が叩かれる。
「奥様。昼食のご用意ができました」
「ああ、すぐ行くわ」
メイドの足音が消えると、私は疲れたように椅子から立ち上がった。
食堂に行くと、夫のオーウェンの姿はなかった。
どうやら今日も部屋で一人で食べるらしい。
そもそも彼と一緒に食事をしたのなんて、もう覚えていないくらい前のことだ。
「はぁ……」
ため息をつき席に座ると、私は無言で昼食を味わった。
食堂を出ると、偶然オーウェンが通りかかった。
黒髪から覗かせる目が、好戦的に赤く光っていて、私を見た瞬間に、チッと舌打ちまで飛んできた。
「ごめんなさい」
私が悪い気はしなかったが、とりあえず謝り、足早にその場を立ち去ろうとする。
しかしオーウェンにがしっと腕を掴まれた。
「フィオナ、お前に言いたいことがある」
厳しい声に嫌な予感しかしない。
「なんでしょうか?」
「今度から昼食の時間は一時間遅くしろ。それと、廊下を歩く時は、僕と会わないように心掛けろ」
「は、はい……」
オーウェンからの意味不明な注文には慣れていた。
彼は私を見ることすらも嫌らしく、こうして気にくわないことがあると、注文を飛ばしてくるのだ。
「あと、来週から二週間外国へ行く。以上だ」
オーウェンは私の腕を離すと、足早にその場を去っていく。
その背中を私は、ただ見つめることしかできなかった。
自室に戻った私は、大きなため息をついた。
オーウェンに女の影が見えたのは、結婚してから一か月くらいの時。
急に家を空けるようになり、その頃から私のことも避け始めた。
顔合わせでは誠実で優しい態度をしていた彼を、私を信じていたので、特に咎めることも追及することもなく、ここまで来てしまった。
実際に彼の不倫現場を目撃したわけでもないのだし、もしかしたら私の考えすぎというオチもあり得る。
しかし、ここまで妻をないがしろにするオーウェンに、結婚当初の時のような信頼を抱けるはずもない。
「なんで私と結婚したんだろう」
彼なりの理由がある気がする。
同じ公爵家として、避けられない運命というものもあるだろう。
しかし、そうだとしても、もう少し愛情にあふれた結婚生活が待っていると、過去の私は思っていた。
愚かで、純粋だった、私は。
貴族学園を卒業した翌日。
書斎にて、父は厳格な声で私に告げた。
「縁談相手ですか?」
公爵家の令嬢として生を受けた以上、いつかはこういう日が来るとは思っていた。
幼少期に両親がそういう話をしていたのを聞いたこともあるし、同じ爵位の友人は、学生の頃から既に婚約者がいた。
しかし、私には、そういった華やかな世界はとても現実味がなかった。
母譲りの長い赤髪は私の唯一の自慢だが、それを台無しにするような父譲りの厳しい瞳。
周囲は、私が普段から怒っていると思っているようで、自分から近づいてくる人はあまりいない。
そんな私にとっては、友人が出来ただけでも幸運で、それ以上を望むことなんて分不相応だと感じていた。
「何か不満があるのか?」
父が私をギロリと睨みつける。
声の調子は柔らかいが、その瞳のせいで、やはり怒っているように見える。
自分もこんな風に見られているのかと思うと、少しだけ気が滅入った。
「いえ、不満などありません。ただ驚いただけです。私にもそんな縁があるのかと」
「お前は何を言っているんだ。公爵令嬢に生まれ、学生の頃には優秀な成績で国王から表彰されたお前に、縁談が来ないわけがない」
「お父様は私を買い被りすぎです」
「いや、そんなことはない。事実を述べただけだ」
父は満足げに笑うと、机の上の書類を私に手渡す。
そこには黒い髪の青年の写真が載せられていた。
「お前の縁談相手のオーウェンだ。同じ公爵家、評判もいい。歳は二つ年上だが、まあ特に気にすることでもないな」
「オーウェン様……」
写真といえど、男性と見つめ合ったのは久方ぶりだ。
何だか心がざわざわとしてくる。
私は取り繕うように、父に質問をする。
「顔合わせはいつですか?」
「来週だ」
「そうですか……じゅ、準備しておきます」
「うむ。ではこの縁談を受け入れるということでいいな?」
父が念を押すようにそう言った。
未開の地に踏み込んでいるような不安がよぎるが、私はゆっくりと頷く。
「はい、この縁談、受け入れます」
……この時の私は大分初々しかった。
初めての縁談というものに不安と、秘かな期待を抱きながら、幸せな未来を想像しては一人楽しんでいた。
少女のように純粋無垢な心で、この世界の愛は絶対的な正義と誠実さを持っているのだと、確信していた。
しかしオーウェンと結婚して二年。
私は陰鬱な日々を過ごしていた。
自室で何をするでもなく椅子に座り、窓から外の景色を眺める。
小鳥が数羽群れで飛んでいて、仲良さげに鳴き声を響かせていた。
すっきりと晴れた青空なのに、私の心は黒く染まっている。
「もう二年か……」
そう呟いた私の声は、自分でもとてつもなく暗いと分かった。
こんな声で目つきも鋭いのだから、今の私には交友関係を築くことは不可能だろう。
岩のように身動き一つせずに、空を見ていると、ふいに扉が叩かれる。
「奥様。昼食のご用意ができました」
「ああ、すぐ行くわ」
メイドの足音が消えると、私は疲れたように椅子から立ち上がった。
食堂に行くと、夫のオーウェンの姿はなかった。
どうやら今日も部屋で一人で食べるらしい。
そもそも彼と一緒に食事をしたのなんて、もう覚えていないくらい前のことだ。
「はぁ……」
ため息をつき席に座ると、私は無言で昼食を味わった。
食堂を出ると、偶然オーウェンが通りかかった。
黒髪から覗かせる目が、好戦的に赤く光っていて、私を見た瞬間に、チッと舌打ちまで飛んできた。
「ごめんなさい」
私が悪い気はしなかったが、とりあえず謝り、足早にその場を立ち去ろうとする。
しかしオーウェンにがしっと腕を掴まれた。
「フィオナ、お前に言いたいことがある」
厳しい声に嫌な予感しかしない。
「なんでしょうか?」
「今度から昼食の時間は一時間遅くしろ。それと、廊下を歩く時は、僕と会わないように心掛けろ」
「は、はい……」
オーウェンからの意味不明な注文には慣れていた。
彼は私を見ることすらも嫌らしく、こうして気にくわないことがあると、注文を飛ばしてくるのだ。
「あと、来週から二週間外国へ行く。以上だ」
オーウェンは私の腕を離すと、足早にその場を去っていく。
その背中を私は、ただ見つめることしかできなかった。
自室に戻った私は、大きなため息をついた。
オーウェンに女の影が見えたのは、結婚してから一か月くらいの時。
急に家を空けるようになり、その頃から私のことも避け始めた。
顔合わせでは誠実で優しい態度をしていた彼を、私を信じていたので、特に咎めることも追及することもなく、ここまで来てしまった。
実際に彼の不倫現場を目撃したわけでもないのだし、もしかしたら私の考えすぎというオチもあり得る。
しかし、ここまで妻をないがしろにするオーウェンに、結婚当初の時のような信頼を抱けるはずもない。
「なんで私と結婚したんだろう」
彼なりの理由がある気がする。
同じ公爵家として、避けられない運命というものもあるだろう。
しかし、そうだとしても、もう少し愛情にあふれた結婚生活が待っていると、過去の私は思っていた。
愚かで、純粋だった、私は。
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