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「何をおっしゃっているのですか?」

 唖然となる私に、アーサーの鋭い視線が飛んでくる。

「聞こえなかったかい? 僕は不倫をすると言ったんだ。君みたいな地味な女は生憎好みじゃなくてね、別の女性に心当たりがあるから、彼女を愛すことにするよ」

 想い人がいるから愛せないならまだしも、この男は一体女性を何だと思っているのか。
 怒りの言葉が喉元に迫るが、何とかそれをごくりと飲み込む。

「いいかい、エクレア。悔しかったら僕を振り向かせてみることだね」

「私の名前はエレノアです」

 私が指摘をすると、アーサーは不機嫌そうに顔を歪めた。

「そんなのどっちでもいいだろ! お前はただ僕の言う通りにしていればいいんだ!」

 本当に心底驚かされる。
 きっとこの人は自分以外の人に興味がないのだろう。
 今は亡きボンドとは違う横暴な性格に、もう嫌気が差してくる。

「分かりました。ご勝手にどうぞ」

 呆れ果てた私はそう口にした。
 途端にアーサーはニヤリと笑みを浮かべる。

「そうそう、それでいいんだ。話は以上だ、出ていけ」

「失礼しました」

 私は軽く頭を下げて、部屋を後にする。
 正面にある窓から庭を見ようという考えは、既に脳裏から消え去っていて、私は足早にその場を去った。

 互いに愛のない仮面夫婦。
 私とアーサーの内実はそんな風だった。
 アーサーの横暴な態度は私にだけでなく、使用人やメイドにも向いているようで、被害に遭っている女性はアーサーよりも弱そうな人ばかりだった。

 そんな彼と実りのある夫婦生活が送れるはずもなく、一年の日々が淡々と過ぎた。
 顔を合わせるたびに私を侮辱してくるアーサーに、怒りを感じているためか、元夫のボンドのことはそろそろ忘れられそうだ。
 心の痛みは時間が解決してくれるのだと、初めて気が付いた。

 しかしそんなある日、部屋で読書をしていた私をアーサーが訪ねてきた。
 彼から訪ねてくるのは珍しかったので、警戒しつつ部屋の扉を開ける。
 そこには真っ青な顔をしたアーサーが立っていた。

「エレノア。今すぐ応接間に来てくれ。お父様が来ている」

「何かあったのですか?」

「えっと……そこで話すよ」

 彼は力のない口調でそれだけ言うと、私に背を向けて去っていく。
 疑問に思いながら、一拍遅れて、私も歩きだした。

 応接間に入ると、重々しい空気に緊張が走った。
 ソファに座るアーサーの父からは殺気が漏れていて、下手に声をかけようものなら、殴られるような気がした。
 隣に座るアーサーもそれを十二分に感じているのか、体をぶるぶると震わしている。

「座ってくれ」

 アーサーの父が張り詰めた声で言う。
 私が向かいのソファにゆっくりと腰を下ろすと、彼は話し始めた。

「先日、不倫をしている愚息を街で発見した。本当にすまない。この通りだ」

 彼は太ももに額がつくくらい、頭を深く下げる。
 突然の謝罪にぽかんとなった私は、数秒後にやっと言葉を紡ぐ。

「あ、い、いえ……そんな……顔を上げてください!」

 アーサーの父は、時間をかけて頭を上げた。
 額には汗が浮かび、瞳は怒りと後悔の色で、濁っている。

「ほ、本当にすまなかったエレノア」

 と、声を出したのはまさかのアーサー。
 父が怖いのは分かるが、素直に謝るのは予想外だった。
 彼なら、なんだかんだ理由をつけて、私を悪者にすると思い込んでいたのに。
 少し残念なような変な気持ちになっていると、アーサーが言葉を続ける。

「ぼ、僕はとんでもない間違いをしていたんだ……どうして君をないがしろにしてしまったんだろう……不倫なんてしても満たされないと分かっていたのに」

 アーサーはついには泣きだしてしまう。
 目を真っ赤に染めて、私に懇願するように顔を向ける。

「どうか……どうか僕にもう一度チャンスをくれないか! もうこんなことはしないと誓う! だからどうか……慈悲を……」

 アーサーは膝に手をついて俯いた。
 ひっくひっくと子供のように泣き声をあげている。
 アーサーの父も再び頭を下げた。

「どうか私からも許してやって欲しい。また同じことが起こった時には離婚で構わない。頼む」
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