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体のあちこちが痛むような感覚を、ターコイズは覚えていた。
少し走っただけなのに、息が完全に切れ、裏口への扉の前で膝に手を置く。
「旦那様。大丈夫ですか?」
ラルドが心配した目で顔を覗き込むが、ターコイズは邪魔な蚊を振り払うように、上半身をがばっと上に上げる。
ラルドは「わっ」と後ろにのけぞり、危うく扉に頭部を激突させてしまう所だった。
「僕なら大丈夫だ。さっさと行こう」
「分かりました」
ラルドは頷くと、扉をゆっくりと開ける。
慎重に顔を近づけると、目だけで外の様子を確認した。
「……よかった。ここにはいないみたいです」
ラルドは安心したような息をはくと、扉を人が一人通れる程だけ開けて、先に外に出た。
ターコイズはごくりと唾を呑み込むと、彼を追って外に出た。
裏口から出た先には、綺麗な花壇が作られている。
花壇の左右を背の高い木々が覆い、どこかすっきりとした空気が流れながらも、木洩れ日の一つも入ってはこなかった。
「これからどうしますか、旦那様」
ラルドが周囲を警戒しながら、ターコイズに訊いた。
ターコイズは少し逡巡した後、額に汗を浮べながら答える。
「ひとまず、僕の実家に逃げよう。この家はもうダメだ。家に火まで放ってきた連中だ。話が通じるはずがない」
「そうですね……」
話がまとまったその時だった。
「いたぞ! ターコイズ公爵だ!」
叫ぶような声がして、二人はびくっと体を震わした。
近くに斧を持った住民が迫ってきていて、ターコイズ発見の報せに、他の住民も集まってくる。
どうやら既に門は突破されたらしい。
「旦那様、逃げましょう!」
いち早く我に返ったラルドは、壁を指差す。
家の裏手には人が通って外に出るような扉は一つもない。
家の側面に沿うように迫ってくる住民から逃げるには、壁を越えて敷地の外に出るしかないのだ。
「頼むぞ、ラルド!」
ターコイズは壁に向かって走ると、ジャンプして壁の上辺を掴む。
ラルドがすかさず足を持ち上げ、ターコイズを外に逃がした。
敷地の外は通りになっていて、壁を越えて現れたターコイズに、道行く人たちは訝し気な視線を向ける。
しかしターコイズはそんなことを気にする余裕などなく、とにかく前に走った。
住民が持っていた斧を思い出し、全身が恐怖に染まる。
だからこそ、彼は横から走ってくる馬車に気が付かなかった。
「きゃぁ!!! 危ない!!!」
女性の叫び声が耳につんざき、ターコイズは歩を止めた。
しかしその時にはもう、馬車は寸前まで迫っていた。
馬を操縦していた御者が「どけぇ!!!」と大きな声を出す。
ターコイズは横を見て、馬車の存在に気づくも、根が張ったように足が動かなかった。
「うわぁぁぁ!!!!!」
ターコイズは腹の底から叫び声をあげて、次の瞬間には強烈な痛みと共に、意識を失っていた。
最後聞こえたのは、騒がしい馬のいななきだった。
……ターコイズが目を覚ますと、そこは病院だった。
体中がきりきりと痛み、とても動かすことなどできなかった。
視線を周囲に巡らしていると、病室の扉が開いて、医師らしき老人が部屋へと入ってくる。
「災難でしたね。ターコイズ公爵」
彼は他人事だと心の底から思っているのだろう。
声に感情が微塵も乗っていなかった。
老人は近くに椅子に疲れたように腰をかけると、僕を見降ろしながら再び口を開く。
「幸いなことに、あなたの家は玄関の扉が燃えただけで済んだようですよ。暴動を起こした住民たちも、使用人たちには誰一人として危害を加えておりません」
声は出るだろうか。
試しに「あ」と言ってみると、思っていたよりもはっきりと出た。
ターコイズはそのまま言葉を並べる。
「僕は……どうなるんだ?」
「そうですね。あと半年ほどは入院が必要になるかと。まあ馬車に轢かれて命があっただけマシだと思うことですね。私の長い医師生活でも稀なことなのですよ?」
「ふん……あ、そうだ」
金庫のことを思い出し、やはり医師だった老人に訊く。
「金庫の中が空だったのだが……犯人は捕まったか?」
「金庫? そのようなことは聞いておりませんが……」
「そうか。ならいい」
ターコイズがそう言うと、医師は「では失礼します」と言って病室を去っていった。
「はぁ……どうして僕がこんな目に遭うんだ」
一人になってターコイズは弱々しい声を出した。
それが離婚したアメジストの面影のように思えて、自分が嫌になった。
少し走っただけなのに、息が完全に切れ、裏口への扉の前で膝に手を置く。
「旦那様。大丈夫ですか?」
ラルドが心配した目で顔を覗き込むが、ターコイズは邪魔な蚊を振り払うように、上半身をがばっと上に上げる。
ラルドは「わっ」と後ろにのけぞり、危うく扉に頭部を激突させてしまう所だった。
「僕なら大丈夫だ。さっさと行こう」
「分かりました」
ラルドは頷くと、扉をゆっくりと開ける。
慎重に顔を近づけると、目だけで外の様子を確認した。
「……よかった。ここにはいないみたいです」
ラルドは安心したような息をはくと、扉を人が一人通れる程だけ開けて、先に外に出た。
ターコイズはごくりと唾を呑み込むと、彼を追って外に出た。
裏口から出た先には、綺麗な花壇が作られている。
花壇の左右を背の高い木々が覆い、どこかすっきりとした空気が流れながらも、木洩れ日の一つも入ってはこなかった。
「これからどうしますか、旦那様」
ラルドが周囲を警戒しながら、ターコイズに訊いた。
ターコイズは少し逡巡した後、額に汗を浮べながら答える。
「ひとまず、僕の実家に逃げよう。この家はもうダメだ。家に火まで放ってきた連中だ。話が通じるはずがない」
「そうですね……」
話がまとまったその時だった。
「いたぞ! ターコイズ公爵だ!」
叫ぶような声がして、二人はびくっと体を震わした。
近くに斧を持った住民が迫ってきていて、ターコイズ発見の報せに、他の住民も集まってくる。
どうやら既に門は突破されたらしい。
「旦那様、逃げましょう!」
いち早く我に返ったラルドは、壁を指差す。
家の裏手には人が通って外に出るような扉は一つもない。
家の側面に沿うように迫ってくる住民から逃げるには、壁を越えて敷地の外に出るしかないのだ。
「頼むぞ、ラルド!」
ターコイズは壁に向かって走ると、ジャンプして壁の上辺を掴む。
ラルドがすかさず足を持ち上げ、ターコイズを外に逃がした。
敷地の外は通りになっていて、壁を越えて現れたターコイズに、道行く人たちは訝し気な視線を向ける。
しかしターコイズはそんなことを気にする余裕などなく、とにかく前に走った。
住民が持っていた斧を思い出し、全身が恐怖に染まる。
だからこそ、彼は横から走ってくる馬車に気が付かなかった。
「きゃぁ!!! 危ない!!!」
女性の叫び声が耳につんざき、ターコイズは歩を止めた。
しかしその時にはもう、馬車は寸前まで迫っていた。
馬を操縦していた御者が「どけぇ!!!」と大きな声を出す。
ターコイズは横を見て、馬車の存在に気づくも、根が張ったように足が動かなかった。
「うわぁぁぁ!!!!!」
ターコイズは腹の底から叫び声をあげて、次の瞬間には強烈な痛みと共に、意識を失っていた。
最後聞こえたのは、騒がしい馬のいななきだった。
……ターコイズが目を覚ますと、そこは病院だった。
体中がきりきりと痛み、とても動かすことなどできなかった。
視線を周囲に巡らしていると、病室の扉が開いて、医師らしき老人が部屋へと入ってくる。
「災難でしたね。ターコイズ公爵」
彼は他人事だと心の底から思っているのだろう。
声に感情が微塵も乗っていなかった。
老人は近くに椅子に疲れたように腰をかけると、僕を見降ろしながら再び口を開く。
「幸いなことに、あなたの家は玄関の扉が燃えただけで済んだようですよ。暴動を起こした住民たちも、使用人たちには誰一人として危害を加えておりません」
声は出るだろうか。
試しに「あ」と言ってみると、思っていたよりもはっきりと出た。
ターコイズはそのまま言葉を並べる。
「僕は……どうなるんだ?」
「そうですね。あと半年ほどは入院が必要になるかと。まあ馬車に轢かれて命があっただけマシだと思うことですね。私の長い医師生活でも稀なことなのですよ?」
「ふん……あ、そうだ」
金庫のことを思い出し、やはり医師だった老人に訊く。
「金庫の中が空だったのだが……犯人は捕まったか?」
「金庫? そのようなことは聞いておりませんが……」
「そうか。ならいい」
ターコイズがそう言うと、医師は「では失礼します」と言って病室を去っていった。
「はぁ……どうして僕がこんな目に遭うんだ」
一人になってターコイズは弱々しい声を出した。
それが離婚したアメジストの面影のように思えて、自分が嫌になった。
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