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 トールと婚約したのは一年前。
 書斎に呼び出された私に、父が告げた。

「レイラ。お前も来月には学園を卒業する。そろそろ婚約者が欲しくないか?」

 父は笑顔を浮かべていたが、どこかそれは悲しそうで、私は素直に頷くことができなかった。

「どうした? 嫌か?」

 父は昔から家族を大事にする人だった。
 そして一人娘である私には特に愛情を注ぎ、母にはよく甘やかしすぎだと叱られていた。

「ううん、嫌じゃないの。ただ……」

 だからこそ、私は婚約を渋ってしまう。
 私もそんな父が大好きだったから。
 私が婚約しいずれ家を離れてしまったら、父は当然悲しむだろう……その時のことを考えたら、せっかくの婚約もどこか価値のないものに思えてしまう。

 私の心中を察したように、父は真剣な顔で言う。

「レイラ、お前の気持ちは分かるよ。私を気遣ってくれているんだろう。でも、お前はそんなこと心配しなくていいんだ。お前の人生はお前のものだ。私のものじゃない」

「で、でも……私が誰かを悲しませてまで婚約なんて……」

「ふふっ、大丈夫さ」

 父は再び悲しそうな笑顔を見せる。

「私はもう大人だ。レイラよりも数倍な。だから大丈夫。それにたとえお前が婚約したとしても、永遠の別れになるわけじゃない。会いたい時にはいつでも会える。おそらく私が積極的に会いに行くだろうが」

「お父さん……」

 私は父の言葉を聞いて覚悟を決めた。
 私が婚約に承諾の旨を示すと、父は説明するように紙を一枚手渡した。

「これがお前の婚約者であるトールだ。彼は私の友人の子供で、真面目で優しい子だと聞く。活発なお前とは正反対だが、婚約者としてはピッタリだと思ってな」

「トール……」

 紙に載った顔写真には、優し気な笑みを浮かべる青年が写っていた。

「それと、一応言っておく。彼の父親には、昔助けられたことがあってな。事業が失敗しかけた時、理由も聞かずにお金を支援してくれた恩がある。だから今回の婚約でその恩を返したいと思っている」

「そうなんだ……ふふっ、お父さんらしいね」

 私がそう言うと、父は恥ずかしそうに顔を赤く染めた。
 ゴホンと咳ばらいをすると、口を開く。

「何かあったらいつでも私に相談するといい。話は以上だ」

 ……あれから一年。
 私はトールに婚約破棄を告げられた後、馬車に乗り実家に向かっていた。
 いつも見る街の景色が、今日はどこか違ってみえる。

 彼との婚約破棄を聞いたら、父はきっと怒るに違いない。
 元々、トールとの婚約は、彼の父親への恩を返すためのものだったのだから。
 家の評価に傷をつけてしまうのは避けがたい。

 しかし、だからといって、トールと婚約破棄しないという選択肢はなかった。
 婚約してみて分かったが、彼は全然優しくも真面目でもなくむしろ逆で、婚約への期待はすぐに消え失せた。

 父の手前、仲が良さそうにしていたが、本当は微塵も好きになれなかった。

「お嬢様。到着いたしました」

 御者の声と共に、馬車が停まる。
 どうやらもう家についたみたいだ。
 もしかしたら、トールとジェシカは私を追ってくるかもしれないから、手早く父に話してしまわないと。

 私は馬車を降りると、足早に家の中に入った。
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