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 母は哀れな人だった。
 私が生まれてから会ってきた誰よりも哀れな人だ。
 世界の悲しみを全部背負い込んだように笑う母が可哀そうで、憎らしかった。

「モリア。あなたは私みたいにはならないでね」

 事あるごとに母は私にそう言った。
 目の奥には理想の人生を送ることができなかった自分への嫌悪感と、私を心から心配する不安が感じ取れた。
 私はまだ六歳だったが、母の全てを理解してあげられるほどに、大人になっていた。

 ……私が生まれた時、既に父はいなかった。
 しかし母の家は代々続く伯爵家の名家で、お金や暮らしに困ることはなかった。
 父は婿として家に入る予定だったが、落石事故により命を落とし、その席は空白となった。

 まだ幼い私は父がいないことに疑問を覚え、母を見上げた。

「お母様。どうして私にはお父様がいないの? 遠くでお仕事をしているの?」

 すると決まって母は言う。

「そうよ、うんと遠い場所で生きているの。だから大丈夫」

 正直、大丈夫と言われるほど不安にはなっていなかった。
 だからきっと、母は自分でそう思いたいだけなんだと私は考えていた。
 
 しかし母の隠蔽も時と共に、ボロボロと崩れていった。
 私が五歳になる頃には、無神経な親戚から父が既に死んでいることを告げられて、母も耐えられなくなったのか、毎晩部屋で泣くようになった。 

 私は父の死を知った後も、さほど変わらない日々を生きていた。
 見たことも声を聞いたこともない人に、何を思えばいいのか分からなかったからだ。

 それから少したって、母は再婚した。
 相手は男爵子息の若い男性だった。

 母はその男性と仲良さげに日々を過ごしていたが、ある日、彼は突然消えた。
 金庫に隠しておいた家の財産と共に。
 彼は結婚詐欺師で、母は騙されてしまったらしい。

 金庫の番号を知っているのは母だけなので、母は祖父母から酷く責められた。
 その現場をこっそり見た私は、思わず目を背けたくなった。
 自分の家族に土下座をする母と、母の頭に足を乗せて喚き散らす祖父。
 祖母も母の腹を蹴っていて、母は何度も謝罪の言葉を述べていた。

 ずっとその様子を見ていたが、祖父母が私に気づき、暴行を止めた。
 そして二人は私を殺すように睨みつけながら部屋を出ていった。
 私は母に駆け寄った。
 涙でぐちゃぐちゃになった母は、痛む腹を押さえながら、私に言った。

「モリア。あなたは私みたいにはならないでね」

 返す言葉が見つからなかった。
 代わりに私は母を抱きしめると、泣かないように目を大きく見開いた。

 そんな日々は半年もの間続いた。
 六歳になった私に、母は呪いのように言う。
「モリア。あなたは私みたいにはならないでね」
 もうたくさんだった。
 行動しなければ全てが消えてしまう気がした。

 六歳の誕生日が終わって少しして、私は夜中に家を抜け出した。
 背の低い私は警備兵に見つかることもなく、隣の祖父母の家に忍び込めた。
 家から持ってきたマッチに火をつけて、いたる所に放った。

「お母様、起きて」

 家に帰った私は母を起こして、窓から見える祖父母の家を指差した。
 夜の闇の中で煌々と燃える家は、まるで母の今までの苦しみを表現しているようだった。

「綺麗……」

 母は小さな声でそう呟いた。
 私は母の手を握り閉めた。

「天罰が下ったんです……きっと……」

 私たちは、燃えていく家をいつまでも見つめていた……
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