上 下
1 / 8

しおりを挟む
「僕に愛人を作らせてくれないか?」

 書面上の夫であるコートは私にそう言った。
 外では大雨が降っていて、私の困惑を洗い流すように窓の表面を雨粒が流れ落ちている。
 私は口をぽかんと開けて、貴族らしからぬ様相だった。

「……ダメかな?」

「いや、ダメでしょ」

 思わず食い気味に言ってしまう。
 書面上とはいえ、コートは私の夫だ。
 愛人を作りたいと言われ、はいそうですかと納得するわけがない。

「コート。自分の言っていることが分かっているのかしら? 別に私に愛情がないのは元々知っていたけど、それはあなたが愛情なんて分からないって言ったからでしょ。その上でこの夫婦関係になったのに、三年も経って愛人なんて……」

「そんなことは十分に分かっている! 僕がおかしなことを言っているのもね! でも、この想いは止められないんだ……これが愛というものなんだ……」

 コートは何かに陶酔するように、部屋の壁を見つめ始めた。
 心なしか鼻の下が伸びているように見えて、思わず嫌悪感が走る。
 
「……誰か好きになったということ?」

 イライラしながら訊いてみると、コートは嬉しそうに頷いた。

「この前の夜会で会った彼女……男爵令嬢のマリアンヌさ。あの美しい長い黒髪に、全ての男を魅了するような鋭い目つき、スタイルもいいし、声が何とも……うっ、思い出したらドキドキしてきた」

「あっそ……」

 コートは大分重症みたいだ。
 まぁ、生まれて初めての恋に戸惑うのも分かるけど、もう少し冷静になった方がいいと思うわよ。
 そんなことを心の中で思いながら、私は冷静に言葉を放つ。

「コート。あなたがそのマリアンヌっていう女性を愛するのは勝手だけど、愛人という関係にまで踏み込むのは許せないわ。そんなことをしても自分にデメリットしかないのが分からないの?」

「ふん、僕は昔から君のそういう所が嫌いだったんだ。確かに君の言っていることは正しいし、正論という類のものだろう。でも、その反面、人間らしさが失われてしまっていることに気づいてないのかい? マリアンヌは違うよ、彼女は人間味に溢れている」

 コートは再び陶酔したような目になると、マリアンヌの好きな所を説明し始めた。

「彼女はルールや規則なんてただのまやかしだと言っていた。それ以上に大切なのは、狂ってしまうほどの愛だと。僕はその考えに共鳴した。心がびびっと来たんだ」

「何か毒でも盛られたんじゃないの?」

「失敬な! 彼女はそんな人じゃない!」

 コートは突然声を荒げると、私を殺すように睨みつけた。
 急な態度の変化に多少驚きはしたが、不思議と迫力は感じなかった。

「彼女はまるで天使のようだ……そうだよ、この混沌とした世界に舞い降りた天使……僕に真実の愛を伝えるために遣わされた神の使いなんだ……ふふっ」

 マリアンヌという男爵令嬢に会って、コートは壊れてしまったらしい。
 私の言葉が今の彼に届くと微塵も思わないが、念のため、私は言う。

「コート。あなたがどう思っていようと、どんなに素敵な言葉を並べようと、愛人を作ることは認められない。夫婦となる時の契約書にもそのことが書いてあったでしょ。だから諦めて、彼女には憧れの感情だけを向けていて」

「この嘘つきの悪女めが……僕を騙そうとしたってそうはいかないぞ……契約書にはそんなことは書かれてなかった。それに僕達の結婚はただの書類上のものだ。真実の愛が見つかった今、そちらを優先すべきなのは明白だ」

 コートはどうしても愛を優先したいらしい。
 私は大きなため息をつくと、最後に口を開く。

「どうでもいいけど、愛人は認めないからね」

 それだけ言うと、私は部屋を後にした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結/クラスメイトの私物を盗んだ疑いをかけられた私は王太子に婚約破棄され国外追放を命ぜられる〜ピンチを救ってくれたのは隣国の皇太子殿下でした

まほりろ
恋愛
【完結】 「リリー・ナウマン! なぜクラスメイトの私物が貴様の鞄から出て来た!」 教室で行われる断罪劇、私は無実を主張したが誰も耳を貸してくれない。 「貴様のような盗人を王太子である俺の婚約者にしておくわけにはいかない! 貴様との婚約を破棄し、国外追放を命ずる! 今すぐ荷物をまとめて教室からいや、この国から出ていけ!!」 クラスメイトたちが「泥棒令嬢」「ろくでなし」「いい気味」と囁く。 誰も私の味方になってくれない、先生でさえも。 「アリバイがないだけで公爵家の令嬢を裁判にもかけず国外追放にするの? この国の法律ってどうなっているのかな?」 クラスメイトの私物を盗んだ疑いをかけられた私を救って下さったのは隣国の皇太子殿下でした。 アホ王太子とあばずれ伯爵令嬢に冤罪を着せられたヒロインが、ショタ美少年の皇太子に助けてられ溺愛される話です。 完結、全10話、約7500文字。 「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」 他サイトにも掲載してます。 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。

【完結】「お迎えに上がりました、お嬢様」

まほりろ
恋愛
私の名前はアリッサ・エーベルト、由緒ある侯爵家の長女で、第一王子の婚約者だ。 ……と言えば聞こえがいいが、家では継母と腹違いの妹にいじめられ、父にはいないものとして扱われ、婚約者には腹違いの妹と浮気された。 挙げ句の果てに妹を虐めていた濡れ衣を着せられ、婚約を破棄され、身分を剥奪され、塔に幽閉され、現在軟禁(なんきん)生活の真っ最中。 私はきっと明日処刑される……。 死を覚悟した私の脳裏に浮かんだのは、幼い頃私に仕えていた執事見習いの男の子の顔だった。 ※「幼馴染が王子様になって迎えに来てくれた」を推敲していたら、全く別の話になってしまいました。 勿体ないので、キャラクターの名前を変えて別作品として投稿します。 本作だけでもお楽しみいただけます。 ※他サイトにも投稿してます。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。

婚約者が他の令嬢に微笑む時、私は惚れ薬を使った

葵 すみれ
恋愛
ポリーヌはある日、婚約者が見知らぬ令嬢と二人きりでいるところを見てしまう。 しかも、彼は見たことがないような微笑みを令嬢に向けていた。 いつも自分には冷たい彼の柔らかい態度に、ポリーヌは愕然とする。 そして、親が決めた婚約ではあったが、いつの間にか彼に恋心を抱いていたことに気づく。 落ち込むポリーヌに、妹がこれを使えと惚れ薬を渡してきた。 迷ったあげく、婚約者に惚れ薬を使うと、彼の態度は一転して溺愛してくるように。 偽りの愛とは知りながらも、ポリーヌは幸福に酔う。 しかし幸せの狭間で、惚れ薬で彼の心を縛っているのだと罪悪感を抱くポリーヌ。 悩んだ末に、惚れ薬の効果を打ち消す薬をもらうことを決意するが……。 ※小説家になろうにも掲載しています

完璧な妹に全てを奪われた私に微笑んでくれたのは

今川幸乃
恋愛
ファーレン王国の大貴族、エルガルド公爵家には二人の姉妹がいた。 長女セシルは真面目だったが、何をやっても人並ぐらいの出来にしかならなかった。 次女リリーは逆に学問も手習いも容姿も図抜けていた。 リリー、両親、学問の先生などセシルに関わる人たちは皆彼女を「出来損ない」と蔑み、いじめを行う。 そんな時、王太子のクリストフと公爵家の縁談が持ち上がる。 父はリリーを推薦するが、クリストフは「二人に会って判断したい」と言った。 「どうせ会ってもリリーが選ばれる」と思ったセシルだったが、思わぬ方法でクリストフはリリーの本性を見抜くのだった。

見捨てられたのは私

梅雨の人
恋愛
急に振り出した雨の中、目の前のお二人は急ぎ足でこちらを振り返ることもなくどんどん私から離れていきます。 ただ三人で、いいえ、二人と一人で歩いていただけでございました。 ぽつぽつと振り出した雨は勢いを増してきましたのに、あなたの妻である私は一人取り残されてもそこからしばらく動くことができないのはどうしてなのでしょうか。いつものこと、いつものことなのに、いつまでたっても惨めで悲しくなるのです。 何度悲しい思いをしても、それでもあなたをお慕いしてまいりましたが、さすがにもうあきらめようかと思っております。

拝啓 私のことが大嫌いな旦那様。あなたがほんとうに愛する私の双子の姉との仲を取り持ちますので、もう私とは離縁してください

ぽんた
恋愛
ミカは、夫を心から愛している。しかし、夫はミカを嫌っている。そして、彼のほんとうに愛する人はミカの双子の姉。彼女は、夫のしあわせを願っている。それゆえ、彼女は誓う。夫に離縁してもらい、夫がほんとうに愛している双子の姉と結婚してしあわせになってもらいたい、と。そして、ついにその機会がやってきた。 ※ハッピーエンド確約。タイトル通りです。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

「君を愛す気はない」と宣言した伯爵が妻への片思いを拗らせるまで ~妻は黄金のお菓子が大好きな商人で、夫は清貧貴族です

朱音ゆうひ
恋愛
アルキメデス商会の会長の娘レジィナは、恩ある青年貴族ウィスベルが婚約破棄される現場に居合わせた。 ウィスベルは、親が借金をつくり自殺して、後を継いだばかり。薄幸の貴公子だ。 「私がお助けしましょう!」 レジィナは颯爽と助けに入り、結果、彼と契約結婚することになった。 別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0596ip/)

処理中です...