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第二十一話:花を手折る
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献上品に強力な呪物が混じっていた事件以降、何度か陰陽術師の手に負えない品を鑑定し、危険な呪物を取り除いてきた。
未だに製作者は見つかっておらず、手がかりすらない。
そんな中、昨日から始まったのは最勝講。五月の吉日を選び、その日から五日間をかけて行われる仏事。
有名な寺院の僧侶たちが清涼殿にて『金光明最勝王経』を講じ、国家安穏、天下泰平を祈る行事だ。
その期間は貴族にとっても己の家の強さを示す機会となっており、内裏には豪華絢爛な装束を身に纏った上流貴族たちが溢れている。
空気中に漂う薫香のにおいが濃い。
「最勝講の間は安全ってこと?」
「そうでもないですよ」
竜胆とわたしは貴族たちが持ち込む装飾品に注意を払いながら、内裏と、新しく完成した後宮を行ったり来たりしながら警邏している。
「あの経はかなり強力ですが、持ち込まれた呪物から呪を払うような力はありません。油断は禁物です」
「そうよね。たしかに。私も息苦しくなったりしていないもの」
竜胆は禍ツ鬼という、悪鬼や邪鬼の中でも最も強い存在であるため、本来ならば祈祷の類は体調を崩してしまうのだが、『金光明最勝王経』のような『永久の幸せと繁栄を願う経』は効かないようだ。
「実際、このあいだはヒヤッとさせられましたから」
つい先日のこと。海を挟んで隣の大国である華丹国の意匠を取り入れた美しい簪をさした女官が、いきなり錯乱し、主上に襲い掛かるという事件があった。
女官は竜胆によって取り抑えられ、わたしがその簪を引き抜くと、握った手から棘薔薇があふれ出した。
簪には呪がかかっていたのだ。いや、正確に言えば、簪を彩る宝玉のうち、人工金剛石が強力な呪物だったのだ。
わたしは騒ぎを聞きつけて駆け付けた武官たちが竜胆から女官を奪い取ろうとしているのを制止し、呪について主上に説明すると、女官は投獄を免れることができた。
目を覚ました女官に簪について尋ねると、先月新しくできたブティックで見つけ、購入したものだという。
そこは奇しくも、以前竜胆に人工金剛石の指輪を渡した男が務めているブティックだった。
そのあとすぐに竜胆と調べに行ったが、ブティックには他に呪物は置いてはいなかった。
「貴族の皆さんはいろんな経路で装飾品を手に入れます。独自の輸入船やお抱えの細工師をもっているひともいますし。油断できませんね」
呪物を作り出している奴が幽界の者ならば、魔力の痕跡を追うことが出来るのに。
人間にはそれが無い。
細心の注意を払いながら制作しているのだろう。警察に解呪後の献上品を調べてもらったが、指紋も生体遺伝情報保持物質も何も検出されなかった。
「こう眺めていると、全部怪しく見えてきちゃうわ」
「たしかに……。正装の種類も大きく増えましたから」
和装、洋装、平安装束のみならず、世界各国から訪れている要人たちはそれぞれの伝統衣装を身に着けている。
怪しいからと言って、片っ端から声をかけるわけにもいかない。
「後宮は後宮でパーティー中だし……」
「仏事の最中だから控えめだとはおしゃっていたけれど、こんなに来賓がいたらそういうわけにもいかないのでしょうね」
後宮では各国の要人の配偶者たちが集められ、細やかとは名ばかりのティーパーティーが催されている。
この五日間だけは例外として、男性 (王配など)の立ち入りも許されており、配偶者同士にしかわからない苦労話に花を咲かせながら楽しんでいるようだ。
「後宮は人の出入りが多すぎて追いきれないわ」
「まぁ、でも、日奈子様が出席なさっているし、美綾子様の付き添いでわたしの姉もいます。内裏よりは安全ですよ」
「だから後宮に害意のない雅な死霊が歩いているのね。本当に、来てくれてよかったぁ」
後宮のパーティーには主上の姉妹である美綾子長公主と、斎宮に選ばれるほどの強い霊感を持つ日奈子長公主も出席している。
さらにわたしの姉――召鬼法も使える仙術師もいるとなれば、後宮は今一番安全だと考えてもいいだろう。
「じゃぁ、内裏には翼禮のお義兄さんもいるってこと?」
「そうですね。ただ、お義兄さんの専門は錬金術なので、呪は専門外です。なので、今日は内裏の動向に気を付けたほうがいいでしょうね」
「私、頑張るわ」
「わたしもです」
竜胆とわたしは一時間ほど二手に分かれることにした。
わたしは承明門から左に。竜胆は右。
清涼殿から聞こえてくる経は美しく、京全体に祝福を与えている。
人々の気分をも向上させ、主上の治世が栄えると誰の目にも明らかだと魅せているようだった。
後涼殿の横を通り、かつて飛香舎だったところの横を通り過ぎた時、前方に現れたものに棘薔薇が反応した。
背中から現れた棘薔薇はわたしの肌に傷をつけながら、自分とは違う呪への好奇心なのか、肩の上を通って前に出てきた。
「どちら様ですか」
空から杖を取り出し、右手に握りしめた。
「ごきげんよう、仙術師様」
「名乗ってください」
「名乗れるような名は持ち合わせておりません。ただ……」
呼吸が浅くなる。
今日は液化薬を飲んでいない。
身体から白い煙が立ち昇る。
「ただ、花折人と、そうお呼びください」
棘薔薇が熱を帯び始めた。
怒っているのだろうか。
「呪物を作っているのはあなたですか?」
「ええ、そうです」
「連続殺人も?」
「それは……、言葉次第ではないでしょうか。一つ一つの殺人が、いくつか発生しただけ。私個人としましては、連続させたわけではありませんから。それぞれに思い出があります」
「ふざけた物言いですね」
わたしは予告なく杖をふるい、鳥殺の呪を矢に変え、撃った。
花折はそれを跳躍して避け、両手に大きな扇を持ち、わたしを見つめてきた。
「筋弛緩の呪ですか……。さては、身近に医師がいらっしゃるのかな?」
「あなたには関係ないでしょう」
あれが避けられてしまうのなら、近づいて斬り伏せるまで。
わたしは杖を刀に変え、その刃に酩酊の呪をかけて斬りかかった。
「おや、武芸も得意とは」
花折は二つの扇でわたしの刀を弾きながら、まるで背中に羽でも生えているかのように軽やかに避け続けた。
「なぜ皇帝陛下を狙うのです」
「私はただご依頼を受けた品を作るだけ……。それをどう使うかは、購入者様のみぞ知ることです」
上段からの強撃も弾かれ、一度後ろに飛び退く。
それを待っていたのか、花折はわたしから伸びる棘薔薇を掴み、強く引っ張った。
棘薔薇はすぐに花折に巻き付き、その身体を刺し、縦横無尽に切り裂いていく。
自らから流れ出る血に嬉しそうに顔をゆがませると、あろうことか花折は棘薔薇を尚も強く引っ張り、わたしを腕の中に引き寄せた。
「一つ、先ほど言わなかったことがあります」
「離せ!」
わたしは強くもがくも、花折の力が強く、血塗れの腕から抜け出せない。
「私が呪物を造り続けるのは、あなたの気を引くためでもあるのですよ」
気色悪い。
わたしはむせ返るほどの薔薇と血のにおいの中もがき、刀を放り、仙術で動かして花折の背中を刺した。
一瞬ひるんだすきに腕の中から抜け出し、再び刀を手に呼び戻す。
「気味の悪いことを言うな」
「かはっ……。くく……あははははは! 素晴らしい! やはり私とあなたは結ばれる運命のようです。ああ、欲しい。あなたと、あなたのその棘薔薇の呪が!」
「はあ⁉」
口から血を吐きながら、花折は恍惚とした表情で話し続けた。
両腕を広げ、まるでまたわたしをその腕に捕えようとするように。
「その棘薔薇の呪は、我が一族が作り出したもの。その造り方は今ではもう失われ、もうあなたのその身体にしかないのです。私の遠い先祖が、ただ一人愛した魔女を手に入れるためだけに作り出した愛の呪!」
寒気がした。何もかもが、気持ち悪い。
「こんなもの、愛なんかではない!」
「いえ、立派な純愛ですよ。手に入らないなら、恨まれてでも、殺すことになっても、最期に想うのは私であって欲しいという愛……。さぁ、私と共に生きましょう。翼禮様」
「黙れ!」
わたしは刀を構え、ありったけの鳥殺の呪を矢に変え、花折に斬りかかった。
花折は多量に出血しているはずなのにまったく動きが衰えることはなく、わたしの攻撃を躱し、腕を伸ばし続けた。
「翼禮!」
竜胆の声。
瘴気の弾丸が花折に向かって降り注ぐ。
「……禍ツ鬼ですか。ふふ、恋敵は多い方が燃えるというものです。それが強敵であればあるほど、手に入れた時の感動は増しますから」
「殺してやる!」
花折は弾丸を扇で受けながら、後退し、塀の上に飛び乗った。
「また来ます。あなたを奪いに」
怒りが収まらなかったわたしはなおも斬りかかろうと刀を構えたが、竜胆に後ろから抱きしめられ、動きを止めざるを得なかった。
「殺させてください」
「あれは無理よ! 特に今は。翼禮、どれだけ出血してるかわかってる⁉」
「こんなの、かすり傷……」
ふらついた。
視界が揺れる。
怒りによるアドレナリンのせいで貧血に気づいていなかった。
「ほら、一度手当もしましょう。それから話を聞かせて頂戴。その真っ赤になった水干も着替えないとね」
「あ……。そうですね。すみません」
わたしは竜胆にささえられながら空枝空間へ入ると、すぐに水干を脱ぎ捨てた。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
あんな奴の血がべったりとついていることすら忘れていた。
薔薇と血のにおいが身体中から漂う。
「さっとお風呂入ってきます」
「ちょ、止血が先よ!」
「あ、ああ、そうですね……」
頭がまわらない。幸い、棘薔薇はおさまっている。
竜胆の素早く的確な治療のおかげで、止血はすぐにすんだ。
風呂に入り、血とにおいを洗い流し、優しく体を拭き、清潔な下着を身に着け、新しい水干に着替えた。
「すみませんでした。つい、感情的に……」
「びっくりしたわ。翼禮が叫んでいるんだもの」
「他の人達にも聞こえてしまったでしょうか」
「いえ、それはないと思うわ。経の声がさえぎってくれたから」
「それはよかったです」
「何があったの? 棘薔薇も血煙も、その……、相手の血も」
わたしは竜胆が淹れてくれたお茶を飲みながら、一部始終を要約して話した。
「……気持ち悪い奴ね、その花折人って男」
「はい。思い出すだけで嫌な気分になります」
「今日はもう休んだら? またそいつ来るかもしれないし」
「いや、大丈夫です。仕事します。そのほうが、気がまぎれますし、もしまた来たら殺しますから」
「あらあら。その時は私も加勢するわね」
「ありがとうございます」
わたしは深呼吸を繰り返し、大きく息を吐いた。
「お世話掛けました。じゃぁ、行きましょうか」
「そうね。無理しないでね」
「はい」
わたしと竜胆は空枝空間をあとにして内裏へと戻っていった。
まずは戦った場所の血を綺麗にしなければならない。
来賓の貴族たちが見たら大変なことになるからだ。
「じゃぁ、洗っちゃいましょう」
「建物に飛び散らなくてよかったわね」
血は地面と植えられた草花にかかってしまっているだけで、建物は汚れていなかった。
わたしと竜胆は血液を空中に吸い上げ、地面から血のシミをなくしていった。
植物も、本来の色に戻っている。
「この血、どうする?」
「少しだけ検体用に残して、あとは山にでも捨てましょう。きっと妖魔たちが舐めるでしょうから」
わたしは空から試験管を取り出すと、血を掬い取った。
「それもそうね。わたし、ささっとお山に捨ててくるわ」
「え、わたしがやりますよ」
「いいのいいの。怪我人は空を飛んだりしないのよ」
「すみません。ありがとうございます」
「行ってきまぁす」
竜胆はくるくると回転しながら空へ浮かぶと、天女のように優雅に空を飛んでいった。
わたしはそれを見送り、試験管に入った血を睨みつけた。
「今度会った時は殺しますからね」
試験管を袖にしまい、わたしはまた警邏に戻った。
人間の流入が増えてきた。
昼食の準備のために、各国の要人たちが連れてきた料理人が集まっているのだ。
晩餐は酒宴となるため、そこまでだいそれた料理は出ない。
そのため、昼食に力が入るのだ。
毒味役にはそれ専門の者たちが付くが、呪はそうもいかない。
食材は生体組織のオンパレードのようなもの。
油断はできない。
未だに製作者は見つかっておらず、手がかりすらない。
そんな中、昨日から始まったのは最勝講。五月の吉日を選び、その日から五日間をかけて行われる仏事。
有名な寺院の僧侶たちが清涼殿にて『金光明最勝王経』を講じ、国家安穏、天下泰平を祈る行事だ。
その期間は貴族にとっても己の家の強さを示す機会となっており、内裏には豪華絢爛な装束を身に纏った上流貴族たちが溢れている。
空気中に漂う薫香のにおいが濃い。
「最勝講の間は安全ってこと?」
「そうでもないですよ」
竜胆とわたしは貴族たちが持ち込む装飾品に注意を払いながら、内裏と、新しく完成した後宮を行ったり来たりしながら警邏している。
「あの経はかなり強力ですが、持ち込まれた呪物から呪を払うような力はありません。油断は禁物です」
「そうよね。たしかに。私も息苦しくなったりしていないもの」
竜胆は禍ツ鬼という、悪鬼や邪鬼の中でも最も強い存在であるため、本来ならば祈祷の類は体調を崩してしまうのだが、『金光明最勝王経』のような『永久の幸せと繁栄を願う経』は効かないようだ。
「実際、このあいだはヒヤッとさせられましたから」
つい先日のこと。海を挟んで隣の大国である華丹国の意匠を取り入れた美しい簪をさした女官が、いきなり錯乱し、主上に襲い掛かるという事件があった。
女官は竜胆によって取り抑えられ、わたしがその簪を引き抜くと、握った手から棘薔薇があふれ出した。
簪には呪がかかっていたのだ。いや、正確に言えば、簪を彩る宝玉のうち、人工金剛石が強力な呪物だったのだ。
わたしは騒ぎを聞きつけて駆け付けた武官たちが竜胆から女官を奪い取ろうとしているのを制止し、呪について主上に説明すると、女官は投獄を免れることができた。
目を覚ました女官に簪について尋ねると、先月新しくできたブティックで見つけ、購入したものだという。
そこは奇しくも、以前竜胆に人工金剛石の指輪を渡した男が務めているブティックだった。
そのあとすぐに竜胆と調べに行ったが、ブティックには他に呪物は置いてはいなかった。
「貴族の皆さんはいろんな経路で装飾品を手に入れます。独自の輸入船やお抱えの細工師をもっているひともいますし。油断できませんね」
呪物を作り出している奴が幽界の者ならば、魔力の痕跡を追うことが出来るのに。
人間にはそれが無い。
細心の注意を払いながら制作しているのだろう。警察に解呪後の献上品を調べてもらったが、指紋も生体遺伝情報保持物質も何も検出されなかった。
「こう眺めていると、全部怪しく見えてきちゃうわ」
「たしかに……。正装の種類も大きく増えましたから」
和装、洋装、平安装束のみならず、世界各国から訪れている要人たちはそれぞれの伝統衣装を身に着けている。
怪しいからと言って、片っ端から声をかけるわけにもいかない。
「後宮は後宮でパーティー中だし……」
「仏事の最中だから控えめだとはおしゃっていたけれど、こんなに来賓がいたらそういうわけにもいかないのでしょうね」
後宮では各国の要人の配偶者たちが集められ、細やかとは名ばかりのティーパーティーが催されている。
この五日間だけは例外として、男性 (王配など)の立ち入りも許されており、配偶者同士にしかわからない苦労話に花を咲かせながら楽しんでいるようだ。
「後宮は人の出入りが多すぎて追いきれないわ」
「まぁ、でも、日奈子様が出席なさっているし、美綾子様の付き添いでわたしの姉もいます。内裏よりは安全ですよ」
「だから後宮に害意のない雅な死霊が歩いているのね。本当に、来てくれてよかったぁ」
後宮のパーティーには主上の姉妹である美綾子長公主と、斎宮に選ばれるほどの強い霊感を持つ日奈子長公主も出席している。
さらにわたしの姉――召鬼法も使える仙術師もいるとなれば、後宮は今一番安全だと考えてもいいだろう。
「じゃぁ、内裏には翼禮のお義兄さんもいるってこと?」
「そうですね。ただ、お義兄さんの専門は錬金術なので、呪は専門外です。なので、今日は内裏の動向に気を付けたほうがいいでしょうね」
「私、頑張るわ」
「わたしもです」
竜胆とわたしは一時間ほど二手に分かれることにした。
わたしは承明門から左に。竜胆は右。
清涼殿から聞こえてくる経は美しく、京全体に祝福を与えている。
人々の気分をも向上させ、主上の治世が栄えると誰の目にも明らかだと魅せているようだった。
後涼殿の横を通り、かつて飛香舎だったところの横を通り過ぎた時、前方に現れたものに棘薔薇が反応した。
背中から現れた棘薔薇はわたしの肌に傷をつけながら、自分とは違う呪への好奇心なのか、肩の上を通って前に出てきた。
「どちら様ですか」
空から杖を取り出し、右手に握りしめた。
「ごきげんよう、仙術師様」
「名乗ってください」
「名乗れるような名は持ち合わせておりません。ただ……」
呼吸が浅くなる。
今日は液化薬を飲んでいない。
身体から白い煙が立ち昇る。
「ただ、花折人と、そうお呼びください」
棘薔薇が熱を帯び始めた。
怒っているのだろうか。
「呪物を作っているのはあなたですか?」
「ええ、そうです」
「連続殺人も?」
「それは……、言葉次第ではないでしょうか。一つ一つの殺人が、いくつか発生しただけ。私個人としましては、連続させたわけではありませんから。それぞれに思い出があります」
「ふざけた物言いですね」
わたしは予告なく杖をふるい、鳥殺の呪を矢に変え、撃った。
花折はそれを跳躍して避け、両手に大きな扇を持ち、わたしを見つめてきた。
「筋弛緩の呪ですか……。さては、身近に医師がいらっしゃるのかな?」
「あなたには関係ないでしょう」
あれが避けられてしまうのなら、近づいて斬り伏せるまで。
わたしは杖を刀に変え、その刃に酩酊の呪をかけて斬りかかった。
「おや、武芸も得意とは」
花折は二つの扇でわたしの刀を弾きながら、まるで背中に羽でも生えているかのように軽やかに避け続けた。
「なぜ皇帝陛下を狙うのです」
「私はただご依頼を受けた品を作るだけ……。それをどう使うかは、購入者様のみぞ知ることです」
上段からの強撃も弾かれ、一度後ろに飛び退く。
それを待っていたのか、花折はわたしから伸びる棘薔薇を掴み、強く引っ張った。
棘薔薇はすぐに花折に巻き付き、その身体を刺し、縦横無尽に切り裂いていく。
自らから流れ出る血に嬉しそうに顔をゆがませると、あろうことか花折は棘薔薇を尚も強く引っ張り、わたしを腕の中に引き寄せた。
「一つ、先ほど言わなかったことがあります」
「離せ!」
わたしは強くもがくも、花折の力が強く、血塗れの腕から抜け出せない。
「私が呪物を造り続けるのは、あなたの気を引くためでもあるのですよ」
気色悪い。
わたしはむせ返るほどの薔薇と血のにおいの中もがき、刀を放り、仙術で動かして花折の背中を刺した。
一瞬ひるんだすきに腕の中から抜け出し、再び刀を手に呼び戻す。
「気味の悪いことを言うな」
「かはっ……。くく……あははははは! 素晴らしい! やはり私とあなたは結ばれる運命のようです。ああ、欲しい。あなたと、あなたのその棘薔薇の呪が!」
「はあ⁉」
口から血を吐きながら、花折は恍惚とした表情で話し続けた。
両腕を広げ、まるでまたわたしをその腕に捕えようとするように。
「その棘薔薇の呪は、我が一族が作り出したもの。その造り方は今ではもう失われ、もうあなたのその身体にしかないのです。私の遠い先祖が、ただ一人愛した魔女を手に入れるためだけに作り出した愛の呪!」
寒気がした。何もかもが、気持ち悪い。
「こんなもの、愛なんかではない!」
「いえ、立派な純愛ですよ。手に入らないなら、恨まれてでも、殺すことになっても、最期に想うのは私であって欲しいという愛……。さぁ、私と共に生きましょう。翼禮様」
「黙れ!」
わたしは刀を構え、ありったけの鳥殺の呪を矢に変え、花折に斬りかかった。
花折は多量に出血しているはずなのにまったく動きが衰えることはなく、わたしの攻撃を躱し、腕を伸ばし続けた。
「翼禮!」
竜胆の声。
瘴気の弾丸が花折に向かって降り注ぐ。
「……禍ツ鬼ですか。ふふ、恋敵は多い方が燃えるというものです。それが強敵であればあるほど、手に入れた時の感動は増しますから」
「殺してやる!」
花折は弾丸を扇で受けながら、後退し、塀の上に飛び乗った。
「また来ます。あなたを奪いに」
怒りが収まらなかったわたしはなおも斬りかかろうと刀を構えたが、竜胆に後ろから抱きしめられ、動きを止めざるを得なかった。
「殺させてください」
「あれは無理よ! 特に今は。翼禮、どれだけ出血してるかわかってる⁉」
「こんなの、かすり傷……」
ふらついた。
視界が揺れる。
怒りによるアドレナリンのせいで貧血に気づいていなかった。
「ほら、一度手当もしましょう。それから話を聞かせて頂戴。その真っ赤になった水干も着替えないとね」
「あ……。そうですね。すみません」
わたしは竜胆にささえられながら空枝空間へ入ると、すぐに水干を脱ぎ捨てた。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
あんな奴の血がべったりとついていることすら忘れていた。
薔薇と血のにおいが身体中から漂う。
「さっとお風呂入ってきます」
「ちょ、止血が先よ!」
「あ、ああ、そうですね……」
頭がまわらない。幸い、棘薔薇はおさまっている。
竜胆の素早く的確な治療のおかげで、止血はすぐにすんだ。
風呂に入り、血とにおいを洗い流し、優しく体を拭き、清潔な下着を身に着け、新しい水干に着替えた。
「すみませんでした。つい、感情的に……」
「びっくりしたわ。翼禮が叫んでいるんだもの」
「他の人達にも聞こえてしまったでしょうか」
「いえ、それはないと思うわ。経の声がさえぎってくれたから」
「それはよかったです」
「何があったの? 棘薔薇も血煙も、その……、相手の血も」
わたしは竜胆が淹れてくれたお茶を飲みながら、一部始終を要約して話した。
「……気持ち悪い奴ね、その花折人って男」
「はい。思い出すだけで嫌な気分になります」
「今日はもう休んだら? またそいつ来るかもしれないし」
「いや、大丈夫です。仕事します。そのほうが、気がまぎれますし、もしまた来たら殺しますから」
「あらあら。その時は私も加勢するわね」
「ありがとうございます」
わたしは深呼吸を繰り返し、大きく息を吐いた。
「お世話掛けました。じゃぁ、行きましょうか」
「そうね。無理しないでね」
「はい」
わたしと竜胆は空枝空間をあとにして内裏へと戻っていった。
まずは戦った場所の血を綺麗にしなければならない。
来賓の貴族たちが見たら大変なことになるからだ。
「じゃぁ、洗っちゃいましょう」
「建物に飛び散らなくてよかったわね」
血は地面と植えられた草花にかかってしまっているだけで、建物は汚れていなかった。
わたしと竜胆は血液を空中に吸い上げ、地面から血のシミをなくしていった。
植物も、本来の色に戻っている。
「この血、どうする?」
「少しだけ検体用に残して、あとは山にでも捨てましょう。きっと妖魔たちが舐めるでしょうから」
わたしは空から試験管を取り出すと、血を掬い取った。
「それもそうね。わたし、ささっとお山に捨ててくるわ」
「え、わたしがやりますよ」
「いいのいいの。怪我人は空を飛んだりしないのよ」
「すみません。ありがとうございます」
「行ってきまぁす」
竜胆はくるくると回転しながら空へ浮かぶと、天女のように優雅に空を飛んでいった。
わたしはそれを見送り、試験管に入った血を睨みつけた。
「今度会った時は殺しますからね」
試験管を袖にしまい、わたしはまた警邏に戻った。
人間の流入が増えてきた。
昼食の準備のために、各国の要人たちが連れてきた料理人が集まっているのだ。
晩餐は酒宴となるため、そこまでだいそれた料理は出ない。
そのため、昼食に力が入るのだ。
毒味役にはそれ専門の者たちが付くが、呪はそうもいかない。
食材は生体組織のオンパレードのようなもの。
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