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第一話:人質となった魔法使い
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もくもくとした白い蒸気が視界の端を昇っていく。
真鍮色の機械が様々な音をたてながらせわしなく動いている。
街では号外が配られ、色とりどりの着物やドレスを纏った貴婦人や、スーツや和装の紳士が食い入るようにそれを読んでいる。
「あぁ、噂は本当だったんだ……」
先日、目の前で一つの王朝が崩壊し、新王朝が開かれることになった。
数年前から噂は聞いていた。『数十代前からズレていた血統の流れを、正統なる長子の血統に戻す』というもの。
これは簒奪ではなく、支流だったものを本流に戻しただけ、というのが、革命派の主張だ。
わたしとしては別にそれでもよかった。一族代々仕えてきた皇帝家にこれからもお世話になれるのなら。
でも、違った。
何千年も前から皇帝家とこの国のためになんでもやってきた仙術師の一族であるわたしたち家族を、あろうことか新王朝の皇帝は事実上解雇したのだ。
使い切れないほどの見舞金とこれまでの功績を称えるという書状をつきつけて。
事実上、と言ったのには理由がある。
彼ら人間は仙子族が危険な存在になりうることを知っている。
そこで、皇帝家はある意味で人質をとることにしたのだ。
それがこのわたし。杏守 翼禮。
杏守という苗字は、ご先祖様が初代皇帝陛下から賜った、役職にちなんだありがたいものらしい。
今ではその役職……、もとい役割も陰陽省で働く陰陽術師たちにとられてしまったけれど。
そんな状況で、今まさに新皇帝に呼び出された両親とわたしは、雇用契約という名の人質交渉について話をされているというわけだ。
風通しのいい寝殿造りの建物には、散り始めた桜の花弁が舞い踊っている。
簀子縁は可愛らしい薄紅色に染まり、視界はとても華やかだ。
しかし、漂ってくるにおいと雰囲気はそうはいかない。
どこの国でも同じようなものだとは思うが、何か大きなものが変わるとき、そこには暴力と死がつきまとう。
ここ、葦原国も例外ではない。
柱には燃えた痕。床板を張り替える暇もないほどの時間しか経っていないからか、微かに血のにおいがする。
黒色火薬のざらりとした感触。硝煙の香り。庭に落ちている片付け忘れた薬莢。
それを誤魔化そうと焚いているのか、香のにおいがきつい。
人間もそうだ。
薫香が焚き染められた束帯を着た役人たちと、その鋭い視線。
その中心の玉座におわすは、葦原国扶桑京の若き皇帝。容姿端麗頭脳明晰。内裏で働く女房達からの評判はすでにうなぎ上りらしい。
「お前たち一族が皇帝家のためにどんな悍ましいことでも喜んで引き受けてきたことは知っている。だからといって警察に引き渡すつもりはない。らだ、その〈穢れ〉を絶つために解雇せざるを得なかった。理解しろとは言わないが、受け入れてもらえると助かる。ただ、関係を断つわけではない。そなたらの娘はまだ伝統の仕事に就いたことがないと聞いた。友好の印に、雇おうではないか」
言葉や話し方は柔らかく快活だが、内容は『謀反しないか心配だから娘を監視下に置くぞ』という脅しだ。
そして、わたしの両親は断ることは許されていない。もし断れば、新王朝とそれに属する陰陽術師たちを敵に回すことになる。
そう簡単には負けないだろうが、連日攻撃を続けられたら、〈人間族〉対〈仙子族〉の戦争になりかねない。
それに、わたしが人質にならなければ、まだ幼い弟が代わりにされてしまう。
だからわたしは言った。
「喜んでお引き受けいたします。両親が賜ってきた恩を、わたくしがお仕えすることで少しでもお返しできましたら幸いでございます」
父と母は内心焦ったと思う。それも、わたしが可哀そうだからではなく、わたしが家族のために何をしでかすかわからないからだ。
皇帝家は人質にとる者を間違えたのだ。
わたし、杏守 翼禮は、大隔世遺伝により、かつて母方に存在したある偉大な魔女の力を受け継いで生まれた仙術師。
その力は強大で、一国を滅ぼすなど造作もないほど。
ただ、それと同時に、その魔女が身に宿していた血の呪も受け継いでしまっている。
それは、耐えがたいほどの怒りや恐怖、過度な喜びなどにより、身体から棘薔薇があふれ出してしまうというもの。
棘薔薇はわたしの血を触媒にして発生する。当然、大量に出れば貧血に陥ることもある。
わたしは幼いころから父と母の深い愛情とその訓練によって感情の操縦を学んできた。
棘薔薇で誰かを傷つけ、そのせいでわたし自身が取り返しのつかないほど落ち込んでしまわないように。
貧血で意識を失い、倒れることの無いように。
両親はわたしを心身ともに失わないよう、とても大切に育ててくれた。
わたしは家族が大好きだ。父と母、そして兄、姉、弟。みんなを愛している。
だからこそ、今回の皇帝家の仕打ちは絶対に許せなかった。
幸いなのは、両親と兄はすぐに新しい仕事、薬師として生計を立てられそうなこと。
姉はすでに嫁いでいるので特に生活に酷い変化はないこと。弟はまだ何が何だかわかっていないこと。
そして、わたしは好機に恵まれたこと。新王朝を、新しい皇帝を見定めるという好機に。
旧王朝の先帝は頼りないが気の良い人物だった。今は京――扶桑京からはるか遠くの地方都市の領主として政治から離され、さっそく軟禁状態らしいが。
「では明日から働いてもらうぞ、翼禮」
「はい、皇帝陛下」
わたしは柔和な笑みを浮かべ、深く頭を下げた。
両親はそんなわたしを見ながら皇帝に気づかれないよう小さくため息をついた。
大丈夫だよ、お父さんお母さん。
本当は三年前から暗殺任務も請け負っていたなんて、絶対に皇帝家には露呈しないから。
あいつらは気づいていない。
忌み嫌う〈穢れ〉の中でも、最も強烈なもの――わたしを雇い始めたことに。
真鍮色の機械が様々な音をたてながらせわしなく動いている。
街では号外が配られ、色とりどりの着物やドレスを纏った貴婦人や、スーツや和装の紳士が食い入るようにそれを読んでいる。
「あぁ、噂は本当だったんだ……」
先日、目の前で一つの王朝が崩壊し、新王朝が開かれることになった。
数年前から噂は聞いていた。『数十代前からズレていた血統の流れを、正統なる長子の血統に戻す』というもの。
これは簒奪ではなく、支流だったものを本流に戻しただけ、というのが、革命派の主張だ。
わたしとしては別にそれでもよかった。一族代々仕えてきた皇帝家にこれからもお世話になれるのなら。
でも、違った。
何千年も前から皇帝家とこの国のためになんでもやってきた仙術師の一族であるわたしたち家族を、あろうことか新王朝の皇帝は事実上解雇したのだ。
使い切れないほどの見舞金とこれまでの功績を称えるという書状をつきつけて。
事実上、と言ったのには理由がある。
彼ら人間は仙子族が危険な存在になりうることを知っている。
そこで、皇帝家はある意味で人質をとることにしたのだ。
それがこのわたし。杏守 翼禮。
杏守という苗字は、ご先祖様が初代皇帝陛下から賜った、役職にちなんだありがたいものらしい。
今ではその役職……、もとい役割も陰陽省で働く陰陽術師たちにとられてしまったけれど。
そんな状況で、今まさに新皇帝に呼び出された両親とわたしは、雇用契約という名の人質交渉について話をされているというわけだ。
風通しのいい寝殿造りの建物には、散り始めた桜の花弁が舞い踊っている。
簀子縁は可愛らしい薄紅色に染まり、視界はとても華やかだ。
しかし、漂ってくるにおいと雰囲気はそうはいかない。
どこの国でも同じようなものだとは思うが、何か大きなものが変わるとき、そこには暴力と死がつきまとう。
ここ、葦原国も例外ではない。
柱には燃えた痕。床板を張り替える暇もないほどの時間しか経っていないからか、微かに血のにおいがする。
黒色火薬のざらりとした感触。硝煙の香り。庭に落ちている片付け忘れた薬莢。
それを誤魔化そうと焚いているのか、香のにおいがきつい。
人間もそうだ。
薫香が焚き染められた束帯を着た役人たちと、その鋭い視線。
その中心の玉座におわすは、葦原国扶桑京の若き皇帝。容姿端麗頭脳明晰。内裏で働く女房達からの評判はすでにうなぎ上りらしい。
「お前たち一族が皇帝家のためにどんな悍ましいことでも喜んで引き受けてきたことは知っている。だからといって警察に引き渡すつもりはない。らだ、その〈穢れ〉を絶つために解雇せざるを得なかった。理解しろとは言わないが、受け入れてもらえると助かる。ただ、関係を断つわけではない。そなたらの娘はまだ伝統の仕事に就いたことがないと聞いた。友好の印に、雇おうではないか」
言葉や話し方は柔らかく快活だが、内容は『謀反しないか心配だから娘を監視下に置くぞ』という脅しだ。
そして、わたしの両親は断ることは許されていない。もし断れば、新王朝とそれに属する陰陽術師たちを敵に回すことになる。
そう簡単には負けないだろうが、連日攻撃を続けられたら、〈人間族〉対〈仙子族〉の戦争になりかねない。
それに、わたしが人質にならなければ、まだ幼い弟が代わりにされてしまう。
だからわたしは言った。
「喜んでお引き受けいたします。両親が賜ってきた恩を、わたくしがお仕えすることで少しでもお返しできましたら幸いでございます」
父と母は内心焦ったと思う。それも、わたしが可哀そうだからではなく、わたしが家族のために何をしでかすかわからないからだ。
皇帝家は人質にとる者を間違えたのだ。
わたし、杏守 翼禮は、大隔世遺伝により、かつて母方に存在したある偉大な魔女の力を受け継いで生まれた仙術師。
その力は強大で、一国を滅ぼすなど造作もないほど。
ただ、それと同時に、その魔女が身に宿していた血の呪も受け継いでしまっている。
それは、耐えがたいほどの怒りや恐怖、過度な喜びなどにより、身体から棘薔薇があふれ出してしまうというもの。
棘薔薇はわたしの血を触媒にして発生する。当然、大量に出れば貧血に陥ることもある。
わたしは幼いころから父と母の深い愛情とその訓練によって感情の操縦を学んできた。
棘薔薇で誰かを傷つけ、そのせいでわたし自身が取り返しのつかないほど落ち込んでしまわないように。
貧血で意識を失い、倒れることの無いように。
両親はわたしを心身ともに失わないよう、とても大切に育ててくれた。
わたしは家族が大好きだ。父と母、そして兄、姉、弟。みんなを愛している。
だからこそ、今回の皇帝家の仕打ちは絶対に許せなかった。
幸いなのは、両親と兄はすぐに新しい仕事、薬師として生計を立てられそうなこと。
姉はすでに嫁いでいるので特に生活に酷い変化はないこと。弟はまだ何が何だかわかっていないこと。
そして、わたしは好機に恵まれたこと。新王朝を、新しい皇帝を見定めるという好機に。
旧王朝の先帝は頼りないが気の良い人物だった。今は京――扶桑京からはるか遠くの地方都市の領主として政治から離され、さっそく軟禁状態らしいが。
「では明日から働いてもらうぞ、翼禮」
「はい、皇帝陛下」
わたしは柔和な笑みを浮かべ、深く頭を下げた。
両親はそんなわたしを見ながら皇帝に気づかれないよう小さくため息をついた。
大丈夫だよ、お父さんお母さん。
本当は三年前から暗殺任務も請け負っていたなんて、絶対に皇帝家には露呈しないから。
あいつらは気づいていない。
忌み嫌う〈穢れ〉の中でも、最も強烈なもの――わたしを雇い始めたことに。
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