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第2章 魔法の獲得
2-8 再会
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三人は学校に向け歩き出した。雨粒が地面に叩きつけられる音が辺り一面を包んでいる。突如吹きつけた風に、ヒカリの桃色のポニーテールは大きくなびいた。
俊斗は傘を握る手を震わせた。紗香とルナが住む部屋の前を通過するが、人のいる気配はなかった。
だとするならば、その二人は帰ってきていないか既に登校しているか、それとも階段下で待っているか。
ヒカリとリリの後を重い足取りで歩く俊斗であるが、それを構うことなくヒカリとリリは階段前に向かう。
十メートルもない階段までの道のりがスロー再生のように映った。俊斗は唇を噛み締めた。
「あー、遅いぞ!」
「おはよう」
ヒカリは急いで階段を降りていった。
リリもその後を急いだ。
「ごめんごめんー」
「待ってないで先に行けばいいのよ」
既に紗香とルナが階段の下にいるのはわかっている。だが、鼓動の激しさは収まらない。ゆっくりとした歩みを保ちながら、アパートの陰から階段下を覗いた。
(なんであんなに普通にしていたれるんだよ……)
階段下では、四人それぞれがカラフルな傘をさしながら、楽しそうに何か会話をしていた。その内容こそ俊斗には聞こえなかったが、昨日撃ち殺されたはずの紗香とルナは嬉しそうであるし、俊斗と同じ光景を前にしたはずのヒカリとリリは何事もなかったように笑顔をみせていた。
その様子を見た俊斗は、周囲の音が聞こえなくなった。まるで、何かに包まれたかのような感覚だった。両手の力が抜け、握りしめられていたはずの傘は簡単に地面に叩きつけられた。なぜか、悲しくなった。
傘の無残な音に気付いたルナは、黄色の傘の隙間から階段の上に立つ俊斗を見つけた。
「あっ! 俊斗! ……大丈夫か?」
「え、あ、うん、ごめん」
そのルナの声は、はっきりとは聞き取れなかったが、いつの間にか俊斗の中に芽生えていた覚悟を思い出させるものであった。
急いで傘を掴み、階段を駆け降りた。
「みんな揃ったわね、それじゃあ行くわよ」
リリの合図で皆が歩き出した。この五人が揃って登校することがまるで当たり前のような雰囲気だ。
しかし、やはり俊斗は一番後ろを歩き、様々なことを考え、独り悩んでいた。解決しようのない悩みだ。
(紗香もルナも昨日の記憶はないんだ……ヒカリとリリだって普段通りにしようと頑張ってるのに俺は……)
傘を握りしめてうつむきながら歩く俊斗に気付いたリリが、静かに近づいてきた。
そして、俊斗のリュックの隙間から覗く背中を思いっきり殴った。
「いでっ‼」
リリが近くに来ていることに気付いていなかった俊斗は、小さな声で叫んだ。幸い、前を歩く三人には大きな雨音に遮られてその叫びは聞こえていなかったようだ。
ゆっくり左後ろを振り返った。
「しっかりしろっての」
目は合わせてくれなかったものの、俊斗はリリの言い表せない優しさを感じた。小さく呼吸を整えた。
「リリ、ありがとう」
「ありがとうって何よ」
「ありがとうは……ありがとうでしょ」
「あっそ」
五人の横を車が雨水を激しく巻き上げながら走り抜けていった。皆は水がかかるだの危ないだのいろいろ文句を並べていたが、俊斗にとってはその一つひとつが、これからの日々を考える大切な一要素になっていた。
真っ直ぐに伸びる道の向こうの空には青空が見えていた。雨に包まれたこの空間からあの空の下までは、途方もなく長い道のりを経なければならないのだろうと、ふと俊斗は思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
校舎と校庭の間にある木々がその揺れを大きくする中、五人は濡れる足元を気にして学校に到着した。どこにでもある登校風景に、魔法などの存在が嘘であったかのように思えた。
教室に入っても特に変わったところはない。俊斗を除いた四人はそのまま楽しそうに会話を続けている。俊斗は振舞いこそ気をつけているものの、内心ではやはり昨日のことを意識してしまうことを知っていた。しかし、ヒカリやリリは――俊斗には見せない表情であるからその点では新鮮であるが――紗香とルナに対して気をつかっている素振りを見せなかった。これは、俊斗が鈍感であるとかの問題ではなく、数多くの辛く苦しい経験をしてきたからであろう。
四人の髪はその会話の抑揚に合わせ、鮮やかになびく。透き通った笑い声は交じり合って外からの雑音をかき消していた。
(こんな日々が続いてくれれば……)
脆い期待が無意識に浮かんだまま、俊斗は自分の席についた。
会話から一瞬離れたヒカリが俊斗の方に近寄ってきた。
「……俊斗くん? ファイトー!」
「いてててぇぇっ!」
ヒカリは囁くように(俊斗以外の誰にも聞こえないように)その言葉を伝え、俊斗の両頬をつねった。俊斗は大げさにリアクションをとったが、そのつねりはほとんど痛みを感じないものだった。
座る俊斗から見上げたヒカリの桃色の目は輝いていた。その一瞬目を合わせただけで、俊斗はすぐに黒板の方に視線をあてた。
「ありがとう……みんな優しいんだね……」
「そうだよ! みんな優しいんだよ!」
そうして整いきった笑顔を見せたヒカリは廊下に出て行った。
相変わらずのヒカリに安心した。それだけではないが、その感情を表す言葉がなく、ただひたすらに胸が熱かった。そして、自分の無力さを改めて痛感した。
これまでなら涙がこぼれていただろう感情が、今では何かしらへの勇気に変わっていた――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
学校での一日が始まったが、そこには何の変化もなく、ただ俊斗の心情と天候を除けば惰性で下校までに至った。
もちろんこの日も手芸部の活動に参加した五人は、ここでも昨日の出来事に触れることはなく、後に入部した三人は手芸部での過ごし方を模索しただけであった。誰かがおかしなことを言えばその場の皆が笑い出す――その原因のほとんどはヒカリとルナであったが――暖かい雰囲気に包まれていた。その頃にはいつの間にか雨も弱くなり、夕日が僅かに除くようになっていた。
下校時刻よりも三十分ほど早く下校を始めた五人は、雨が止んでやけに透き通った空気の中を夕日に照らされながらアパートへの道を歩いていた。灰色の雲の隙間からは至るとこに青い穴が開いていた。
五人は円になるように歩き、この頃には俊斗も皆との話に混ざるようになっていた。たった半日ほどの時間しか経過していないのに、俊斗を取り巻く人間関係は大きく変化した。それも良好だ。しかし、心情はほぼ変化していなかった。または、この心情の変化がなかったことで四人(特に紗香とルナ)との会話をスムーズに行うことができたと考えることもできるだろう。
どちらにしろ、今朝の勇気がもたらした結果であるということは俊斗自身も理解していた。
「それじゃあ、また明日ね!」
「また明日ね~」
「うん、じゃあね」
ヒカリの挨拶に紗香とルナはその艶やかな手を軽く振った。ちょうど夕日が差し、二人の瞳が普段よりも彩度を増して輝いていた。
「また明日ー」
「じゃあね」
リリと俊斗も返事をして、リリがドアの鍵を開ける音だけが周囲に響いた。
そして、リリが扉を開け始めたとき、ルナが俊斗の袖を優しく引いた。
「ねえ、もうこんな時間なのになんでヒカリとリリは俊斗の部屋に入るの?」
二人の距離が近いせいか、ルナは上目遣いで訊いてくる。
「え……その……」
もちろん、いつも通りの恥ずかしさもあったのだが、その恥ずかしさを即座に覆い隠すようにルナと初めて会った時の記憶が脳裏に浮かんだ。声が出そうにも上手く出せなかった。
ルナと目を合わせることで精いっぱいだった。その赤く輝く目はしっかりと俊斗を見つめていた。
「この前も思ったんだけど、二人は違うところに住んでるんじゃなかったの?」
言葉を詰まらせる俊斗に構うことなくルナは言葉を重ねた。俊斗にさらに一歩近づく。
これまでのルナであれば、この状況にあるとき俊斗に対しては怒りをぶつけるはずである。それは俊斗が想定してきたことであるから、ルナが怒鳴らないことが俊斗の中でさらなる混乱を引き起こしていた。
「えっと……」
決して威圧的ではないとは言えないが、明らかに優しさを感じた。その優しさは何かに気をつかっていることから起こっているようであった。
目の前の状況を未だ把握できていない俊斗は、真実をそのまま述べようと決め、袖を引くルナの腕をそっとつかんだ。その時であった。
「わ、私たち、俊斗くんに勉強教えてもらってるんだよー」
ヒカリの若干引きつった声に、俊斗は静かに振り返った。
そこにいた二人は、少しの動揺は隠せていないものの、引きつった笑顔で誰とも目を合わせていなかった。すぐに視線を前にやると、紗香は笑顔でその状況を見ていた。しかし、口はしっかりと閉じられており、不思議な表情に映った。
「そうなんだ、俊斗って勉強できるんだな、今度私にも教えろよ」
すぐに下に視線を移すと、ルナは迷いなくはにかんでいた。初めて見た表情だった。
ふいに、冷たい風が五人の衣服や髪をなびかせた。
「うん、わかった」
ルナは右手を自分の胸の前まで上げた。
「いつまで掴んでんだ」
「あ、ごめん」
俊斗は急いでルナの腕を掴む手を離した。案外簡単に話が進んだことに驚いた。
ルナがドアの方に向き直すと、離したまま動きを止めていた俊斗の左手を、暖かく鮮やかな金色の髪が包んだ。
その感覚を一瞬得た俊斗は、急いで左手を引いた。このときには既にほとんどの思考が働いておらず、周囲の状況を理解することだけが可能であった。
「じゃあ、また明日な」
ルナは口調とは反対にとれる
「うん、また明日」
そう会話を交わし終えると、五人はほぼ同時に部屋に入っていった。もちろん、最後は俊斗であった。
ドアを閉める直前、隙間から漏れ出た外の景色は、雨空に夕日が差し込み、灰色と紅とで満たれていた。その混ざりそうでそれぞれが際立った景色に、俊斗はその空間に包まれているような感覚に陥った。しかし、すぐにドアが屋外からの光を遮断し、それは僅かの間しか保たれなかった。
背後からのヒカリとリリの気配を感じながら、俊斗は靴を脱ぐ。その靴は心なしかいつもよりくたびれているように見えた。
気持ちの整理がつかないまま紗香とルナとの再会を果たした俊斗であったが、そのいつもと変わらない振舞いに初めこそ戸惑いがあったが、一日を過ごすうちにそれを受け入れようとすることはできた。しかし、別れ際の理解し難い突然の出来事によって俊斗の戸惑いがさらに増してしまっていた。この後、俊斗はヒカリとリリとともに、それらの解決の糸口を探ることになった――。
俊斗は傘を握る手を震わせた。紗香とルナが住む部屋の前を通過するが、人のいる気配はなかった。
だとするならば、その二人は帰ってきていないか既に登校しているか、それとも階段下で待っているか。
ヒカリとリリの後を重い足取りで歩く俊斗であるが、それを構うことなくヒカリとリリは階段前に向かう。
十メートルもない階段までの道のりがスロー再生のように映った。俊斗は唇を噛み締めた。
「あー、遅いぞ!」
「おはよう」
ヒカリは急いで階段を降りていった。
リリもその後を急いだ。
「ごめんごめんー」
「待ってないで先に行けばいいのよ」
既に紗香とルナが階段の下にいるのはわかっている。だが、鼓動の激しさは収まらない。ゆっくりとした歩みを保ちながら、アパートの陰から階段下を覗いた。
(なんであんなに普通にしていたれるんだよ……)
階段下では、四人それぞれがカラフルな傘をさしながら、楽しそうに何か会話をしていた。その内容こそ俊斗には聞こえなかったが、昨日撃ち殺されたはずの紗香とルナは嬉しそうであるし、俊斗と同じ光景を前にしたはずのヒカリとリリは何事もなかったように笑顔をみせていた。
その様子を見た俊斗は、周囲の音が聞こえなくなった。まるで、何かに包まれたかのような感覚だった。両手の力が抜け、握りしめられていたはずの傘は簡単に地面に叩きつけられた。なぜか、悲しくなった。
傘の無残な音に気付いたルナは、黄色の傘の隙間から階段の上に立つ俊斗を見つけた。
「あっ! 俊斗! ……大丈夫か?」
「え、あ、うん、ごめん」
そのルナの声は、はっきりとは聞き取れなかったが、いつの間にか俊斗の中に芽生えていた覚悟を思い出させるものであった。
急いで傘を掴み、階段を駆け降りた。
「みんな揃ったわね、それじゃあ行くわよ」
リリの合図で皆が歩き出した。この五人が揃って登校することがまるで当たり前のような雰囲気だ。
しかし、やはり俊斗は一番後ろを歩き、様々なことを考え、独り悩んでいた。解決しようのない悩みだ。
(紗香もルナも昨日の記憶はないんだ……ヒカリとリリだって普段通りにしようと頑張ってるのに俺は……)
傘を握りしめてうつむきながら歩く俊斗に気付いたリリが、静かに近づいてきた。
そして、俊斗のリュックの隙間から覗く背中を思いっきり殴った。
「いでっ‼」
リリが近くに来ていることに気付いていなかった俊斗は、小さな声で叫んだ。幸い、前を歩く三人には大きな雨音に遮られてその叫びは聞こえていなかったようだ。
ゆっくり左後ろを振り返った。
「しっかりしろっての」
目は合わせてくれなかったものの、俊斗はリリの言い表せない優しさを感じた。小さく呼吸を整えた。
「リリ、ありがとう」
「ありがとうって何よ」
「ありがとうは……ありがとうでしょ」
「あっそ」
五人の横を車が雨水を激しく巻き上げながら走り抜けていった。皆は水がかかるだの危ないだのいろいろ文句を並べていたが、俊斗にとってはその一つひとつが、これからの日々を考える大切な一要素になっていた。
真っ直ぐに伸びる道の向こうの空には青空が見えていた。雨に包まれたこの空間からあの空の下までは、途方もなく長い道のりを経なければならないのだろうと、ふと俊斗は思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
校舎と校庭の間にある木々がその揺れを大きくする中、五人は濡れる足元を気にして学校に到着した。どこにでもある登校風景に、魔法などの存在が嘘であったかのように思えた。
教室に入っても特に変わったところはない。俊斗を除いた四人はそのまま楽しそうに会話を続けている。俊斗は振舞いこそ気をつけているものの、内心ではやはり昨日のことを意識してしまうことを知っていた。しかし、ヒカリやリリは――俊斗には見せない表情であるからその点では新鮮であるが――紗香とルナに対して気をつかっている素振りを見せなかった。これは、俊斗が鈍感であるとかの問題ではなく、数多くの辛く苦しい経験をしてきたからであろう。
四人の髪はその会話の抑揚に合わせ、鮮やかになびく。透き通った笑い声は交じり合って外からの雑音をかき消していた。
(こんな日々が続いてくれれば……)
脆い期待が無意識に浮かんだまま、俊斗は自分の席についた。
会話から一瞬離れたヒカリが俊斗の方に近寄ってきた。
「……俊斗くん? ファイトー!」
「いてててぇぇっ!」
ヒカリは囁くように(俊斗以外の誰にも聞こえないように)その言葉を伝え、俊斗の両頬をつねった。俊斗は大げさにリアクションをとったが、そのつねりはほとんど痛みを感じないものだった。
座る俊斗から見上げたヒカリの桃色の目は輝いていた。その一瞬目を合わせただけで、俊斗はすぐに黒板の方に視線をあてた。
「ありがとう……みんな優しいんだね……」
「そうだよ! みんな優しいんだよ!」
そうして整いきった笑顔を見せたヒカリは廊下に出て行った。
相変わらずのヒカリに安心した。それだけではないが、その感情を表す言葉がなく、ただひたすらに胸が熱かった。そして、自分の無力さを改めて痛感した。
これまでなら涙がこぼれていただろう感情が、今では何かしらへの勇気に変わっていた――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
学校での一日が始まったが、そこには何の変化もなく、ただ俊斗の心情と天候を除けば惰性で下校までに至った。
もちろんこの日も手芸部の活動に参加した五人は、ここでも昨日の出来事に触れることはなく、後に入部した三人は手芸部での過ごし方を模索しただけであった。誰かがおかしなことを言えばその場の皆が笑い出す――その原因のほとんどはヒカリとルナであったが――暖かい雰囲気に包まれていた。その頃にはいつの間にか雨も弱くなり、夕日が僅かに除くようになっていた。
下校時刻よりも三十分ほど早く下校を始めた五人は、雨が止んでやけに透き通った空気の中を夕日に照らされながらアパートへの道を歩いていた。灰色の雲の隙間からは至るとこに青い穴が開いていた。
五人は円になるように歩き、この頃には俊斗も皆との話に混ざるようになっていた。たった半日ほどの時間しか経過していないのに、俊斗を取り巻く人間関係は大きく変化した。それも良好だ。しかし、心情はほぼ変化していなかった。または、この心情の変化がなかったことで四人(特に紗香とルナ)との会話をスムーズに行うことができたと考えることもできるだろう。
どちらにしろ、今朝の勇気がもたらした結果であるということは俊斗自身も理解していた。
「それじゃあ、また明日ね!」
「また明日ね~」
「うん、じゃあね」
ヒカリの挨拶に紗香とルナはその艶やかな手を軽く振った。ちょうど夕日が差し、二人の瞳が普段よりも彩度を増して輝いていた。
「また明日ー」
「じゃあね」
リリと俊斗も返事をして、リリがドアの鍵を開ける音だけが周囲に響いた。
そして、リリが扉を開け始めたとき、ルナが俊斗の袖を優しく引いた。
「ねえ、もうこんな時間なのになんでヒカリとリリは俊斗の部屋に入るの?」
二人の距離が近いせいか、ルナは上目遣いで訊いてくる。
「え……その……」
もちろん、いつも通りの恥ずかしさもあったのだが、その恥ずかしさを即座に覆い隠すようにルナと初めて会った時の記憶が脳裏に浮かんだ。声が出そうにも上手く出せなかった。
ルナと目を合わせることで精いっぱいだった。その赤く輝く目はしっかりと俊斗を見つめていた。
「この前も思ったんだけど、二人は違うところに住んでるんじゃなかったの?」
言葉を詰まらせる俊斗に構うことなくルナは言葉を重ねた。俊斗にさらに一歩近づく。
これまでのルナであれば、この状況にあるとき俊斗に対しては怒りをぶつけるはずである。それは俊斗が想定してきたことであるから、ルナが怒鳴らないことが俊斗の中でさらなる混乱を引き起こしていた。
「えっと……」
決して威圧的ではないとは言えないが、明らかに優しさを感じた。その優しさは何かに気をつかっていることから起こっているようであった。
目の前の状況を未だ把握できていない俊斗は、真実をそのまま述べようと決め、袖を引くルナの腕をそっとつかんだ。その時であった。
「わ、私たち、俊斗くんに勉強教えてもらってるんだよー」
ヒカリの若干引きつった声に、俊斗は静かに振り返った。
そこにいた二人は、少しの動揺は隠せていないものの、引きつった笑顔で誰とも目を合わせていなかった。すぐに視線を前にやると、紗香は笑顔でその状況を見ていた。しかし、口はしっかりと閉じられており、不思議な表情に映った。
「そうなんだ、俊斗って勉強できるんだな、今度私にも教えろよ」
すぐに下に視線を移すと、ルナは迷いなくはにかんでいた。初めて見た表情だった。
ふいに、冷たい風が五人の衣服や髪をなびかせた。
「うん、わかった」
ルナは右手を自分の胸の前まで上げた。
「いつまで掴んでんだ」
「あ、ごめん」
俊斗は急いでルナの腕を掴む手を離した。案外簡単に話が進んだことに驚いた。
ルナがドアの方に向き直すと、離したまま動きを止めていた俊斗の左手を、暖かく鮮やかな金色の髪が包んだ。
その感覚を一瞬得た俊斗は、急いで左手を引いた。このときには既にほとんどの思考が働いておらず、周囲の状況を理解することだけが可能であった。
「じゃあ、また明日な」
ルナは口調とは反対にとれる
「うん、また明日」
そう会話を交わし終えると、五人はほぼ同時に部屋に入っていった。もちろん、最後は俊斗であった。
ドアを閉める直前、隙間から漏れ出た外の景色は、雨空に夕日が差し込み、灰色と紅とで満たれていた。その混ざりそうでそれぞれが際立った景色に、俊斗はその空間に包まれているような感覚に陥った。しかし、すぐにドアが屋外からの光を遮断し、それは僅かの間しか保たれなかった。
背後からのヒカリとリリの気配を感じながら、俊斗は靴を脱ぐ。その靴は心なしかいつもよりくたびれているように見えた。
気持ちの整理がつかないまま紗香とルナとの再会を果たした俊斗であったが、そのいつもと変わらない振舞いに初めこそ戸惑いがあったが、一日を過ごすうちにそれを受け入れようとすることはできた。しかし、別れ際の理解し難い突然の出来事によって俊斗の戸惑いがさらに増してしまっていた。この後、俊斗はヒカリとリリとともに、それらの解決の糸口を探ることになった――。
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