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しおりを挟むカイル様とザビル男爵令嬢の唇が重なる。
その光景が目の前で繰り広げられて、私の心は握りつぶされるな痛みが走った。
「…どう、して……」
ぼろぼろと流れ落ちる涙は頬をつたり地面を濡らす。
声に出した疑問は誰にも伝わることなく消えていった。
角度を幾重にも変えて唇をあわせる二人から視線が逸らせない。
こんなもの見たくもないのに。今すぐにでもここから立ち去りたいのに、身体がピクリとも動かなかった。
「……んふふ。
やっぱりキレイな魂の持ち主は汚してなんぼよねぇ。
……お陰でとぉってもオイシそぉ」
カイル様からやっと離れたザビル男爵令嬢、いや、悪魔が妖艶な笑みを私に向けて舌なめずりをする。
その仕草に私はぞっとした。そして思った。
(この悪魔が全ての元凶なのだわ)
アルベルト様がおかしくなったのも、カイル様が操られたようにこの悪魔と唇を交わしているのも。
_____全てはこの悪魔の所為。
今思えば低位貴族の子息の大半がこの悪魔の虜になっていた。それはなにも娼婦のような体で誑かされたのではなく、この悪魔が"何か"して操った可能性もあった。
つまり、私に対してのあの根も葉もない噂だってこの悪魔の仕業な可能性だってあるのだ。
全てがこの悪魔の所為で壊された。
そう考えたとき、私の持っている全ての魔力が解き放たれる。
魔力が具現化し、まるで意思を持った植物のように魔力がウネウネと動いた。
「ちょ、なによこれ!いったいどういうこと!?」
カイル様の体を突き飛ばすように離れた悪魔は、私から距離を取る為にじりじりと後退する。
突き飛ばされたカイル様はまるでガゼボに着いた時のアルベルト様のように静かで、そして突き飛ばされたというのにそのまま地面に倒れた。
その光景を目撃した私の魔力は更に先を鋭く尖らせる。
幾重にも伸びた触手のような魔力は全方向から貫くために、悪魔に向かって伸びていった。
ドンドンドン!
大きな音が鳴り響き、突き立てられた魔力は地面を抉る。
軽く舞った土埃が収まると、お洒落なテーブルも椅子も砕け散っていた。
それでも攻撃をやめる意思を持たなかった私は悪魔に伸びる自分の魔力を抑えることなく、ただただ強い眼差しで悪魔を睨みつける。
「エリーナ!!」
怒りに染まる意識の中で、愛しい人の声が私の名を呼ぶ。
私は思わず振り返った。
そして綺麗な夜空のような漆黒の髪を靡かせながら、キラキラと満月のように輝く金眼の持ち主であるカイル様がそこにいた。
「……どうして…?カイル様は…」
悪魔と一緒にいたはずと、悪魔の傍にいたもう一人の"カイル様"を見ようと振り返ろうとしたところで、温かい何かに引き寄せられるように抱きしめられる。
ガキンッ
「…え?」
思わず声が洩れた。
抱きしめられたことにも、すぐ近くで鈍い音がたったことにも。
そっと上を視線だけで見上げると、ガゼボにと続く入り口付近にいたカイル様が私の元に移動し、私を片腕で抱きしめていた。
「あら、ホンモノは意外とやるの、ね!」
(本物…?)
悪魔が語尾に力を込めながらそう言うと、少しだけ反動があった。
眉間を顰め、険しい顔をしながら悪魔を睨みつけるカイル様のもう片方の腕には鞘に収まったままの剣があることを私は知った。
私はそこでやっと今迄いたカイル様はアルベルト様で、本物のカイル様は今私を抱きしめている人なんだと気づいた。
そして私は悪魔をみる。
私と同じ…といっていいのかわからないが下品に見えた制服姿ではなく、最小限の陰部を隠しただけの悪魔の格好に長く伸びた長い爪。
さっきの音と衝撃は、悪魔のあの長い爪から守るためにカイル様が剣でガードした音なのだと、私はやっと知った。
「カイル様!私も戦います!お願いですから離してください!」
前にも言った通り悪魔の情報は人間社会にはほとんどない。
どんな悪魔なのか、階級はどれほどなのか。そのような情報がないと、悪魔それぞれが持つ弱点すらもわからない。
だからこそ自分も戦うと告げた。
目の前の悪魔について情報がない限り、何が弱点なのかもわからないし、戦況は不利になるからだ。
戦闘力は多い方が望ましいと、私も戦うと訴えた。
「大丈夫だよ。僕が君を守ってみせるから」
だけどカイル様は悪魔から目を離すことなくそう言ってのけた。
私とは違い、全く震える様子も怯える様子も見せないカイル様は、私を守ることが当たり前のことだとそう言っているような感じさえ伝わってくる。
そして、それがとても頼もしかった。嬉しかった。
「ハッ、人間風情が私と戦う?ばっかじゃないのぉ?」
カイル様の言葉を聞いた悪魔は笑い飛ばす。
ケタケタと楽しそうに笑う様子を見せる悪魔に、何故かカイル様も笑った。
「……時に、君は一人か?」
「はぁ?見てわからない?
一人に決まってるじゃない」
「ほぉ、悪魔は家畜のように群れをつくると聞いたけれど、君は違うんだね」
「…アンタ馬鹿にしてんの?群れを作っているのはアンタたち人間の方。
そして私達は群れを作らない。一人でも十分に強いし、他者に協力もしたくない」
「それならよかったよ」
カイル様はそう言って私から手を離した。
私を戦いに巻き込む為ではない。
「僕の後ろにいて」とそう笑みを浮かべて離れてたカイル様は、鞘に納まっている剣を抜いた。
綺麗な波紋が描かれているその剣は見たことが無かったが、それでも知識として知っていた。
辺境の地では魔物や悪魔たちと対峙する機会が多くある。
その為、効率的に戦う為に剣の焼き入れに聖水を使うのだ。
聖水で焼き入れを行った剣には綺麗な波紋が出来、また聖水の効力を剣に纏わせられる。
聖水の効果は生涯続くものではないが、それでも辺境の地ではなくてはならない技術だと帝王学を学ぶ中で知った。
そんな剣を何故カイル様が持っているのかと、疑問に思う前にカイル様が剣を振るう。
その瞬間残像のようなものが悪魔へと放たれた。
「…な、何故だ…、何故治らな…」
スパッと綺麗に真っ二つになった悪魔が自身の体を狼狽えながら見ている。
嫌だ嫌だと目から赤い涙を流して私達に手を伸ばした。
だがその手は届くこともなくそのまま塵となり、形もなくなる。
実にあっけないものだった。
「…お前たち悪魔も僕たち人間の事を良く知らないようだな。
聖水は悪魔にとって脅威なんだ。その聖水で作られた剣で攻撃されたお前の体が再生するわけがないだろう」
跡形もなくなった悪魔がいた場所を見ながらカイル様が呟く。
私はカイル様の言葉を聞いて。聖水の効力を剣に纏わせるというのはこういうことかと納得した。
「…エリーナ」
「ッ!」
悪魔がいた場所を呆然と眺めていた私をカイル様が強く抱きしめる。
瞬間、顔に熱が集まった私は体を硬直させた。
ドキドキと大きく奏でる心臓の音はカイル様に聞こえてはいないだろうかと不安に思いながら、カイル様の逞しくて男らしい体に抱きしめられている幸福を感じていると、「よかった」と呟かれる。
私は我に返って感謝の言葉を口にした。
「…あ、あの、助けてくださってありがとうございます」
「とんでもないよ。
君が無事だったことがなによりだ」
言葉を交わしそして自然な流れで目を合わせると、カイル様も我に返ったように私から手を離し距離を取る。
素早い動きを見せたカイル様に残念に思ったが、これが普通の距離なのだと、自分を納得させた。
「…あの女性は悪魔だったのですね。
そしてアルベルト様は操られていた、と……。
今迄知りませんでした」
「それは……。
恐らく母上はエリーナを巻き込みたくなかったのだと思う」
「私を、ですか?」
「エリーナは神託の娘だからね」
「神託?」
私は首を傾げた。
神託というものをしってはいるが、私に神託があったと知らなかったからだ。
「…ああ、そうか。神託の内容は当時の貴族当主と神殿、そして王族にしか伝わってなかったね。
君が生れた頃、神託があったんだよ。銀髪で紫色の瞳の子を王妃とするという神託がね。
それで君は次の王妃に決まっていたんだ。
だから母上も父上も君がいつでも幸せにいられるように、厄介な事件には巻き込まれてほしくなくて口を噤んだと思う。
………でもその結果、君が狙われエリーナ自身で回避できなくなってしまった。
申し訳ない」
カイル様に言われたことに私は納得するものがあった。
今迄お父様にも王妃様にも、次の王妃は私なのだと、まるで最初から決まっていることのように言われていたことがあったからだ。
それでも私自身王妃となるのは私がアルベルト様の婚約者だからだと思い込んでいたが、まさか神託によって決められていた事とは夢にも思わなかっただけにとても驚く。
だけど今は頭を下げるカイル様をなんとかしたくて、私は必死に言い繕った。
「それはカイル様が謝ることではありません!
それに王妃様たちも私を想っての事!感謝こそすれ恨むことなどありえません!」
そう告げて私は悲し気な顔をするカイル様に笑顔を向ける。
私の言葉が本心なのだと伝わるように。
「……ありがとう、エリーナ」
「お礼を伝えるのは私の方ですよ」
「お礼はさっき貰ったと思うけど」
「いくら告げても足りません。
それに私の魔力が暴走していた時、カイル様のお陰で我にかえることが出来ました。
カイル様が来なければあのまま魔力が尽きるまで暴走し、最悪悪魔の前で気を失っていたかもしれませんから」
「そうだったね。凄い魔力だった」
一振りで悪魔を倒したカイル様にそう言われて私は思わず顔を赤く染めるが、そういえばと疑問に思ったことを尋ねる。
「あの、カイル様や王妃様達は悪魔の仕業なのだとわかっていたのですよね?
どうしてアルベルト様が操られているとわかっているのに、対処してこなかったのですか?」
王妃様は私に現状維持を求めていた。
厄介なこととは悪魔の事だとわかったが、それでも餌食になっているアルベルト様を放置している状況が不思議に思ったのだ。
「…誤解のないように伝えておくけど、僕は今まで辺境の地で修業をしていたんだ。
だから兄上が悪魔に操られていることも知らなかった」
「修行…ですか。だから辺境の地で作られている剣を持っていたのですね」
「これが辺境の地で作られていることをよく……ああ、帝王学で学んでたね。
身近な存在だったからすっかり抜けてしまっていたよ。まぁ僕が修行していた理由は機会があったら答えるとして、父上たちが対処してこなかった理由は悪魔の生態を知らなかったからなんだ。
僕が悪魔に問いかけたのは、悪魔が単体で行動していなかった場合、一体に見えたあの悪魔を倒した後、バックについているもっと手強い悪魔が報復の為にやってくる可能性もある。
だから少し時間をかけてあの悪魔の行動を監視し、被害が拡大する可能性がないかを探っていたんだと思うよ」
「そういうことだったのですね…」
つまりもしあの悪魔に強い悪魔が味方にいたら、自分が暴走して悪魔を倒してしまっていたら報復に来た悪魔に学園だけではなく王都を壊滅させられてしまっていたかもしれないことを想像してぞっとした。
「不安がることないよ。それに今回悪魔は基本単体で動いていることを知れたんだ。
これは凄い収穫だよ」
「……はい、ありがとうございます」
「さて、そろそろ兄上が可哀そうに思えてきたから僕はそこで倒れている兄上を回収して王宮に戻るけれど、エリーナには出来れば今日はもう自宅に帰って休んでもらいたい。
後日事情を伺う為に王城へと招くことになるだろうから」
カイル様が親指をアルベルト様に向けながら溜息交じりでそう告げる。
私はそんなカイル様の態度に、可哀想とは思ってなさそうだと失礼なことを考えながらくすりと笑った。
「わかりました。
あの……、最後に一つだけ教えていただけませんか?」
「なに?」
完全に気を失っているアルベルト様の腕を自らの肩に回し、体を起こさせる。
見た目についてそっくりだと思ってはいたが、こうして並べてみるとカイル様の方が体格がよかったのかアルベルト様の足は少しだけ宙に浮いていた。
「もしかしてカイル様は小さい頃、王宮の花園で私と………いいえ、なんでもありません。
今日はカイル様の言葉通り帰宅したいと思います」
「……うん、じゃあまた」
「はい。またお会いしましょう」
私が質問したい内容はきっとカイル様も気付いている筈。
言いかけた質問に対して、カイル様がビクリと体を強張らせたのがその証拠だ。
本当は言葉にして知りたかった。
けれどやめた。
大切なのは昔の気持ちではないと思ったからだ。
いつの間にか魔法が解けていたのか、黒く染まりカイル様と誤解させていたアルベルト様の髪の毛は金色に戻っていた。
(きっと、カイル様に倒されたあの時ね)
魔法は基本的に供給された魔力が尽きない限り元には戻らない。
悪魔が塵となって消えたあの時、供給されるはずの魔力が尽きたことで、アルベルト様の髪の色は元に戻ったのだろう。
私は自分でも気付かないうちに思い込んでいた。
黒髪のカイル様があの時の男の子ではないと。
でも髪の色は簡単に変えられるのだ。
魔力の流れさえ扱える子供なら簡単に髪の毛の色を変えることだって出来る。
それこそ、私が初めて王城へとやってきたあの日出会ったあの男の子であるカイル様にも扱えるただろう。
「………はぁ……」
顔が熱い。
そして無性に叫びたい衝動に駆られる。
(まさか、人を間違えていたなんて思わなかったわ……)
幼い頃に出会った男の子。
ずっと私はアルベルト様だと思っていた。
髪の毛の色が同じなのだからと。
それをいってはカイル様だって瞳の色は同じだったのだ。
でもずっとそれを否定していた。
もしかしたら既にアルベルト様が婚約者だという固定概念が思考の邪魔をしていたかもしれない。
____今更気付いたってどうしようもないのだから。
私はもやもやとどうにもならない感情をいだきながら帰路へと着いたのだった。
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