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大切な……

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「ミカエルーー」

 微睡まどろみの中、女の子の声が僕の耳に微かに届く。
 大好きな声が僕の名を口にしている事が嬉しくて、僕は夢の中で彼女に微笑んだ。

 幸せだな。

「ミカエルーー」
義姉ねえ……さま……?」

 少しはっきりしてきた声に僕はゆっくりまぶたを開ける……

 暖かな春の陽だまりに誘われて、中庭のベンチで本を読んでいたのだが、あまりの気持ち良さにウトウトしてしまったようだった。

 少しぼんやりした頭で手入れの行き届いた中庭を見つめていると、咲き誇っている花に目がとまる。

 あの花、綺麗な色だな……今度、庭師に聞いてみよう。

「ミカエルー」

 ……だんだん近づいてくる声に、あれは夢じゃなかったと改めて気付き、視線を花から外した。すっかり目が覚めた僕は声のぬしの顔を頭に浮かべ、クスリと笑みを口から漏らす。

 屋敷内とはいえ、公爵令嬢が大声で人の名前を呼ぶって……出会った頃から変わらないな。

「僕はここだよ」

 僕の声に反応して、ひょこっと中庭に顔を出すオレンジのシンプルなドレスを着たご令嬢は、ブラウンの長い髪をなびかせ、駆け寄ってきた。

「あ、ミカエル。もしかして忙しかった?」
 
 ニコニコとブルーの瞳を輝かせ、僕に話しかけるのはクラリス・アルフォント公爵令嬢……僕の義姉あねだ。

「ううん。本を読んでいただけだから」
「邪魔しちゃったかな。美味しいお菓子があるから一緒にどうかなぁと思って」
「そうなんだ。ぜひ、食べたいな」

 義姉さまからの誘いに僕はにっこりと二つ返事で答えると、血色良くピンクに染まった頬を緩め、フワッと彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「良かった。私の部屋にお茶の用意をしているの」
「本を置いてきたら、すぐに行くよ」

 義姉さまは「じゃあ、後でね」と手を振り、鼻歌交じりに自室にむかって歩いていく。僕はその無邪気な姿を微笑ましく、眺めていた。

 よほどお菓子が楽しみなんだろうな。
 お茶の誘いなんて使用人に言っておけばいいのに、自ら、僕を呼びに来るなんて……令嬢らしからぬ行動だけど、それが、義姉さま、なんだよな。

 本を置きに自室に戻った僕は、鏡の前で少し身なりを整えた。
 部屋を出ようとした時、ふと、先日、町で買ってきた物を思い出す。

「ええっと……たしか……ここに」

 机の引き出しから、リボンがかかった袋を取り出す。

 美味しいと巷で話題になっている茶葉だ。

 タイミングが合わなくて、渡し損ねていた茶葉を両手に取った。

「ブーケを思わせる華やかな香りが女性に人気ですよ!」

 お店の人に勧められた言葉を思い出し、自然と口角が上がってしまう。

 ブーケの香りかぁ……
 義姉さま、どんな顔するのかな? 喜んでくれるかな?
 きっと「ありがとう! ミカエル」と満面の笑みをむけてくれるだろう。

 早くその笑顔に会いたくて、僕は茶葉を片手に急いで部屋を出た。



 僕達は一見どこにでもいる、とても仲の良い義姉弟きょうだいだ。
 そう、仲が良い普通の義姉弟きょうだい


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